Three men in a boat ― 2012/10/14 22:16
丸谷才一氏が亡くなった。
私は氏の小説や評論など、著作には興味はない。― もとより、私は文学というものに興味がないのだが。ただ、大好きな小説,「ボートの三人男」の翻訳者としての印象が強く、この誰にでも勧められる素敵な小説の紹介者の死を悼まずにはいられない。
「ボートの三人男 ― 犬は勘定に入れません」 (Theree men in a boat, To say nothing of the dog!) は、1889年に発表された、ジェローム・K・ジェローム (Jerome Klapka Jerome 1859~1927) の小説。あまりにも好きなので、原語版も読んだし、2010年に中公文庫の装丁が池田満寿夫から、和田誠になっただけで、もう一冊買ったほどだ。無論、後者の表紙の方が小説に合っている。
舞台は、19世紀末。ロンドンに住む三人の男 ― 「ぼく」こと、語り手の J ( 「ジム」とも呼ばれる。もちろん、ジェロームのこと)、J のルームメイトで、シティの銀行に勤めるジョージ、彼らの共通の友人ハリス、そして J の飼い犬モンモランシー(かなり自己主張の強いフォックステリア)は、自分たちが働きすぎで病気だと勝手に判断し、休暇を取り、ボートでテムズ川にこぎ出し、オックスフォードを目指す。
それからぼくたちは食物のことを議論した。ジョージは、
「まず朝食のことから始めようや」
と言った。(ジョージはこれほど実際的な男なのである。)
「さて、朝食にはまずフライパンがいるな」
ハリスがこれを聞いて、
「フライパンなんて食べられないぞ」
万事、この調子。彼らのドタバタ続きの旅と、多くの間抜けな挿話がテムズ川沿いの風景や歴史とともに語られる。現在に至るまで、多くのファンを獲得し続けた名作小説であり、いくつかのパロディやオマージュ作品を生み出している。
時代は、ヴィクトリア朝末期。ちょうど、シャーロック・ホームズと同じ時代なので、ホームズファンは必読だ。大爆笑を呼ぶというよりは、間抜けさ、しょうもなさ、アホっぽさ、でもいちいち本気で、融通の利かない連中の可愛くて楽しい話の連続。
私が特に好きなのは、ヘンリー・オン・テムズ(ジョージ・ハリスンが住んでいた街)での、白鳥襲撃事件。人間が白鳥を襲撃したのではなく、その逆。そのショックで、ハリスが夢遊病になる。
さて、この最高に楽しい小説の中にも、数カ所、音楽に関するエピソードが登場する。
まず、印象深いのは、「ドイツのコミック・ソング」の挿話。J が参加した、ある「教養ふかい人々ばかりの、ソフィスティケイトされたパーティ」にて、ドイツ人の学生に J を含めた出席者達がはめられ、この上なく悲しいドイツ語の歌で、大爆笑させられ、お通夜のような顔で帰ることになる話。
ここで分かるのは、当時すでにパーティ会場にはよくピアノがあって、それにあわせて楽しく歌を楽しんでいたということ。そしてコミック・ソングも親しまれていたということ。
シティで銀行に勤めているジョージは、J やハリスからやや遅れて、ボートに乗り込むのだが、その時、ジョージは妙な形の包みを抱えている。
まるくて、平べったくて、しかも真直ぐな長い柄がつき出している。ハリスが、
「なんだね、それは?フライパンかい?」
と訊ねると、ジョージは目を異様にキラキラさせながら、
「違うよ、この夏、大流行なんだ。誰でもこれをかかえて河遊びに出かける。バンジョーだよ。」
これを聞いてぼくとハリスが異口同音に、
「ほう、バンジョーを弾けるのか?」
と叫ぶと、ジョージは答えた。
「いや、弾けるという訳じゃない。でも、楽器屋の話によると、ひどく易しいそうだ。それに独習書も買ってきた」
嘘つきな楽器屋もいたものだ。そもそも、私は楽器は人から習うべきであって、独習本でモノになるとは信じていない。
ボートでの旅行中は、J とハリスと、モンモランシーの猛烈な反対に遭い、ジョージもバンジョーを弾かずじまい。家に戻ってから弾こうとしても、下宿の奥さんに遠回しに苦情を言われ、仕方が無いから夜中に広場で練習したら、警察に逮捕された。そういうわけで、ジョージはバンジョーを諦める。
ついでに、楽器を習得することの難しさを表す挿話がある。とある青年ジェファーソン君が、風笛(バグパイプ)を購入し、練習しようとする。どうやら、スコットランド系の曲名が登場するので、スコティッシュ(ハイランド)・バグパイプのことらしい。
この男はまず家族から猛烈な反対を受け、このような楽器を吹き鳴らすのは冒涜的な好意だとか、さんざんなことを言われる。仕方がないので、夜に練習したところ、近所で「ジェファーソンさんの家で、ゆうべ殺人事件があった!」という凄い評判が立つ。
こんどは、家から1マイル離れた所に小屋を作り、ここで練習をするのだが、近くに通った人がいちいち発狂しそうになる。
結局、ジェファーソン君は1曲しかモノにしなかったのだが、J は「レパートリーが少なすぎるという苦情を聞いたことはない」と言う。同じ曲なのに、何度聞いても別の曲に聞こえるそうだ。
産業革命の成果で、都市が発達し、裕福な人々の間に余暇というものは増え、その中で趣味で音楽を修得しよう、自ら楽しもうとする人々が居たことが、はっきりと見て取れる。彼らは、私たちの先輩と言うべきだろう。
音楽はともかくとして、とにかく「ボートの三人男」は面白い。以前、マイケル・ペイリンや、ティム・カリーなどでドラマ化したことがある。そろそろ、若いキャスティングで、再度映像化してほしいものだ。
私は氏の小説や評論など、著作には興味はない。― もとより、私は文学というものに興味がないのだが。ただ、大好きな小説,「ボートの三人男」の翻訳者としての印象が強く、この誰にでも勧められる素敵な小説の紹介者の死を悼まずにはいられない。
「ボートの三人男 ― 犬は勘定に入れません」 (Theree men in a boat, To say nothing of the dog!) は、1889年に発表された、ジェローム・K・ジェローム (Jerome Klapka Jerome 1859~1927) の小説。あまりにも好きなので、原語版も読んだし、2010年に中公文庫の装丁が池田満寿夫から、和田誠になっただけで、もう一冊買ったほどだ。無論、後者の表紙の方が小説に合っている。
舞台は、19世紀末。ロンドンに住む三人の男 ― 「ぼく」こと、語り手の J ( 「ジム」とも呼ばれる。もちろん、ジェロームのこと)、J のルームメイトで、シティの銀行に勤めるジョージ、彼らの共通の友人ハリス、そして J の飼い犬モンモランシー(かなり自己主張の強いフォックステリア)は、自分たちが働きすぎで病気だと勝手に判断し、休暇を取り、ボートでテムズ川にこぎ出し、オックスフォードを目指す。
それからぼくたちは食物のことを議論した。ジョージは、
「まず朝食のことから始めようや」
と言った。(ジョージはこれほど実際的な男なのである。)
「さて、朝食にはまずフライパンがいるな」
ハリスがこれを聞いて、
「フライパンなんて食べられないぞ」
万事、この調子。彼らのドタバタ続きの旅と、多くの間抜けな挿話がテムズ川沿いの風景や歴史とともに語られる。現在に至るまで、多くのファンを獲得し続けた名作小説であり、いくつかのパロディやオマージュ作品を生み出している。
時代は、ヴィクトリア朝末期。ちょうど、シャーロック・ホームズと同じ時代なので、ホームズファンは必読だ。大爆笑を呼ぶというよりは、間抜けさ、しょうもなさ、アホっぽさ、でもいちいち本気で、融通の利かない連中の可愛くて楽しい話の連続。
私が特に好きなのは、ヘンリー・オン・テムズ(ジョージ・ハリスンが住んでいた街)での、白鳥襲撃事件。人間が白鳥を襲撃したのではなく、その逆。そのショックで、ハリスが夢遊病になる。
さて、この最高に楽しい小説の中にも、数カ所、音楽に関するエピソードが登場する。
まず、印象深いのは、「ドイツのコミック・ソング」の挿話。J が参加した、ある「教養ふかい人々ばかりの、ソフィスティケイトされたパーティ」にて、ドイツ人の学生に J を含めた出席者達がはめられ、この上なく悲しいドイツ語の歌で、大爆笑させられ、お通夜のような顔で帰ることになる話。
ここで分かるのは、当時すでにパーティ会場にはよくピアノがあって、それにあわせて楽しく歌を楽しんでいたということ。そしてコミック・ソングも親しまれていたということ。
シティで銀行に勤めているジョージは、J やハリスからやや遅れて、ボートに乗り込むのだが、その時、ジョージは妙な形の包みを抱えている。
まるくて、平べったくて、しかも真直ぐな長い柄がつき出している。ハリスが、
「なんだね、それは?フライパンかい?」
と訊ねると、ジョージは目を異様にキラキラさせながら、
「違うよ、この夏、大流行なんだ。誰でもこれをかかえて河遊びに出かける。バンジョーだよ。」
これを聞いてぼくとハリスが異口同音に、
「ほう、バンジョーを弾けるのか?」
と叫ぶと、ジョージは答えた。
「いや、弾けるという訳じゃない。でも、楽器屋の話によると、ひどく易しいそうだ。それに独習書も買ってきた」
嘘つきな楽器屋もいたものだ。そもそも、私は楽器は人から習うべきであって、独習本でモノになるとは信じていない。
ボートでの旅行中は、J とハリスと、モンモランシーの猛烈な反対に遭い、ジョージもバンジョーを弾かずじまい。家に戻ってから弾こうとしても、下宿の奥さんに遠回しに苦情を言われ、仕方が無いから夜中に広場で練習したら、警察に逮捕された。そういうわけで、ジョージはバンジョーを諦める。
ついでに、楽器を習得することの難しさを表す挿話がある。とある青年ジェファーソン君が、風笛(バグパイプ)を購入し、練習しようとする。どうやら、スコットランド系の曲名が登場するので、スコティッシュ(ハイランド)・バグパイプのことらしい。
この男はまず家族から猛烈な反対を受け、このような楽器を吹き鳴らすのは冒涜的な好意だとか、さんざんなことを言われる。仕方がないので、夜に練習したところ、近所で「ジェファーソンさんの家で、ゆうべ殺人事件があった!」という凄い評判が立つ。
こんどは、家から1マイル離れた所に小屋を作り、ここで練習をするのだが、近くに通った人がいちいち発狂しそうになる。
結局、ジェファーソン君は1曲しかモノにしなかったのだが、J は「レパートリーが少なすぎるという苦情を聞いたことはない」と言う。同じ曲なのに、何度聞いても別の曲に聞こえるそうだ。
産業革命の成果で、都市が発達し、裕福な人々の間に余暇というものは増え、その中で趣味で音楽を修得しよう、自ら楽しもうとする人々が居たことが、はっきりと見て取れる。彼らは、私たちの先輩と言うべきだろう。
音楽はともかくとして、とにかく「ボートの三人男」は面白い。以前、マイケル・ペイリンや、ティム・カリーなどでドラマ化したことがある。そろそろ、若いキャスティングで、再度映像化してほしいものだ。
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