バイユーの砦2009/05/27 23:04

 オリジナルはザ・バーズ、マッドクラッチもカバーした "Lover of the Bayou" に関して、私はある誤解をしていた。
 「バイユー」という日本語表記を見て、それは「バイユーのつづれ織り Tapisserie de Bayeux」のバイユーの事だと思っていたのだ。

 歌に歌われた Bayou は、アメリカ南部ミシシッピ川などの流域に広がる、川,湖,沼,湿地のような入り江の名称である。そりゃあ、バーズならノルマンディーにコンクェストよりも、ミシシッピ・デルタにケイジャンだろう…。

 これはマッドクラッチの映像。さすがにマイクとベンモントの超然とした名手ぶりが光る。そしてトムさん。目一杯おしゃれして格好良い。やっぱり、女優はこうでなきゃね。



 ミシシッピ州ヴィックスバーグは、アメリカ南部連合にとってミシシッピ川に残された最後の砦であり、ミシシッピ川におけるもっとも重要で守りの固い場所でもあった。北部連合としては、ここを落とさないうちはけっして西部戦線を優位に運ぶことはできないのである。

 当初、リンカーンは海軍でもってヴィックスバーグを落とせると楽観していた。デイヴィッド・ファラガットが既にミシシッピ川河口のニューオーリンズを落としていたからである。
 しかし、ヴィックスバーグは川湾曲部を臨み、支流との合流点にも近い断崖に位置しており、川から海軍でもって落とすのは不可能だった。海軍が陸上拠点を落とすことなど無理なことなど、普通わかりそうなものだが、当時のアメリカにおける海軍の認識というのはその程度のものだった。地理的条件が海軍王国イギリスとは違いすぎるので、それも致し方がない。

 ともあれ、北軍は川からヴィックスバーグを落とすことをあきらめた。そして1862年11月よりユリシーズ・グラントがミシシッピ川方面の北軍担当司令官となり、本格的な陸上からの攻撃が始まった
 しかし、グラントにとってヴィックスバーグ攻略の前半は失敗の連続だった。ただでさえ困難な軍事行動なのに、リンカーンのきめ細やかな政治的配慮のせいで、やや指揮系統が混乱気味だったこともある。そして、もっとも北軍を悩ましたのはミシシッピ川流域のバイユーという地形である。
 当時、バイユーがどのように位置しているのかさえも地図に明記されておらず、グラントはまず調査隊を派遣してバイユー把握に努めなければならなかった。

 1863年に入ってもヴィックスバーグに指一本触れられず、グラントは作戦の転換を考え始めていた。
 どう作戦変更をするにしろ、北軍はバイユーを克服しなければならなかった。この試みに、グラントは時間をかけて臨む覚悟だった。

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