それ行け、ベンモント!(その3)2008/08/01 23:50

承前
TP&HBがデビューするまでのベンモントに関して、知り得る事を書き連ねてみる気になった。

 マッドクラッチに ― パートタイムとは言え ― 加わったこの時期、ベンモントはマイクについて、こう言っている。

 かなり印象的で、かなりおっかなかった。
 Mike was pretty impressive. Mike was pretty scary. (Playback)


 何がどう「おっかなかった」のかは、よく分からない。
 マイクは「恥ずかしがりやで、バックコーラスをやらせようとしても、駄目だった」人で、単に距離があっただけの事かもしれない。

 マッドクラッチはゲインズヴィルでトップに登り詰め、メジャー・デビューを目指して踏み出そうとしていた。レコード・デビューを決意するにあたり、トムはベンモントにバンド活動に専念するように勧める。

 彼(ベンモント)が2学年を終える微妙な時期 ― 経済学の試験のために詰め込み勉強中 ― ペティが説教した。君はカレッジで、どれほど自分の音楽的才能を無駄にしているかと。(Playback)

 トムは、よく人を説得する。いや、むしろ口説き落とす。この場合も成功した。ベンモント自身は大学をやめてバンド活動に専念する事に納得していた。むしろ、嬉しかっただろう。

 マッドクラッチを売り込むためのレコーディングは、テンチ家で行われた。
 マッドクラッチは以前に借金をしてスタジオを借りた事があるが、今回はテンチ家のリビングを用いている。テープを沢山作り、LAへ売り込み旅行をする費用を工面すると、スタジオ代が残らなかったのだろうか。幸い ― もしくは、当然 ― テンチ家のリビングには、グランド・ピアノがある。
 むさいバンド・メンバーがリビングを占拠している間、テンチ夫妻はどこかへ避難していた。それには時間制限があった。午後6時には、ニュースを見るテンチ判事のために、リビングを明け渡さなければならなかったのだ(RDAD Book)。



 こうして出来上がったテープを抱え、トムがLAへ売り込み遠征をしてみると、びっくりするほど良い成果を得た。レコード契約の前約束をとりつけ、ゲインズヴィルに戻る途中、トムはベンモントのところに寄った。どうやら、ベンモントは大学に戻っていたらしい。
 ベンモントをピックアップしてゲインズヴィルに戻ると、いよいよLAへの移動準備にかかった。

 ベンモントが大学を中退し、カリフォルニアへ行くことに関して、許可を得るためにトムがテンチ判事を説得した。しかし、正確な時期はよく分からない。Playbackや、カントムでの記述順によれば、まず判事を説得して許可を得てから、テンチ家でのレコーディングを行い、LAへ売込みに行ったようになっている。
 しかし、RDADでは、成功した売込みの帰りにニュー・オーリンズの大学でベンモントをピックアップし、その後ゲインズヴィルに戻ると、トムが判事を説得しに出向くことになっている。
 物語の構成としては、後者の方が面白い。

 ぼくはベンモントのお父さんの所に乗り込んだ。大物判事さんだ。一筋縄ではいかない。(RDAD)

 お父さんのオフィスに行くのがおっかなくてね、ベンモントをカリフォルニアに連れて行かせてくれって頼むんだから。でも、お父さんは許してくれた。多分、お父さんは自分の敷いたレールから外れてしまうとしても、何がベンモントにとって必要かを、ちゃんと理解していたんだな。とにかく、お父さんは許可してくれた。
 ところが、ベンモント自身は、まだレコード会社と契約するには年齢が足りなかった。それで、お父さんがサインしてくれた。それで、ベンモントもバンドの一員になれたと言うわけ。(カントム)


 私は、この小さなエピソードが好きだ。
 ベンモントは、パパの説得を試みたのだろうか。恐らく、やってはみたものの芳しい成果を挙げられなかったのだろう。普通、こういう場合はママや、お姉ちゃん、おじさんとか、おばさんとか、昔から知っているパパの同僚とか…つまり当てになりそうな人に助けを求めるものだが。実際は、ブロンドを長く伸ばした、明らかにむさいトムにその役目がめぐって来た。
 面白い事に、トムはこの説得工作に「行くのがおっかなかった」とは言うものの、困難とは思わなかったらしい。要するに上手く説き伏せた。  TP&HBがうんと若い頃、来日した時に日本人カメラマンが、トムのことを「低い声でゆっくり話す、思慮深そうな青年」と評した。テンチ判事に対してもそうだったのだろうか。
 しかも、トムの理屈はかなり堅牢だったようだ。

ベンに数年で良いから、下さい。上手く行かなければ、いつでもカレッジには戻れます。でも、レコード契約を取って、アルバムを作るのは、いつでもと言うわけには行かないんです。(RDAD Book)

 ベンモントは1953年10月生まれなので、マッドクラッチがLAに旅立った1974年の春は、まだ20歳だった。アメリカでは成人年齢を21歳とする場合が多い。「ベンモント自身は、まだレコード会社と契約するには年齢が足りなかった」というのは、このせいだ。
 無事、テンチ判事の許可をもらい、ベンモントを含めたマッドクラッチ一行は、LAへ向かった。ベンモントの母親の車も借りての旅。しかも途中で壊す。TP&HBの栄光の裏に、テンチ家あり。
 旅を記録した映像には、トラックの座席ではしゃぐマイクとベンモントがとらえられている。おっかなかったのは、最初のうちだけか。

(つづく)

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