伝説の F1 ドライバー ― 2021/12/02 20:32
先月いっぱい、日本経済新聞の「私の履歴書」は中嶋悟さんで、とても楽しく読ませてもらった。
説明無用、日本人初の F1 フルタイム・ドライバーである。中嶋さんが F1 を走るという事が決まったとき、兄たちが興奮していたような記憶がある。
思えば、5年間 F1 ドライバーを続けることが出来ること自体が凄い。しかもプロドライバーとしての最後の実績である。中嶋さんの連載では、がむしゃらに突き進み、いつか F1 を走ってやるという根性、意志の強さ、そしてなんと言っても才能がキラキラ光っている感じが素敵だった。
中嶋さんというと、ホンダという印象を持っていたが、それは F1 でのキャリアのせいで、中嶋さんは日本の自動車,自動車産業全体の星だったのも、新鮮な印象だった。
中嶋さんは、いままで何度「アイルトン・セナはどんな人だった?」と訊かれただろうか。だから、連載でもセナのために一回分費やした。
セナは、「面倒見の良い男」だった。無論、中嶋さんが敵ではなかったからだろうが、それにしても、モナコでは手の皮がむけるのを防ぐためのテープをくれるなんて(パワステ時代以前)…いい人。
登場するドライバーの名前も、マンセル、ピケ、プロスト、アレジなどなど、伝説のドライバーばかりである。
重いハンドル、忙しいギア操作。ここは一つ、中嶋さんとシルバーストーンを回ってみよう。
伝説のドライバーにして、飄々として、ダンディな中嶋さん。でもけっこうお茶目な仕事もする。
何年か前にサンドウィッチマンのバラエティ番組で、超狭小駐車場にあらゆる車を車庫入れするという、謎だけど凄く面白い企画に中嶋さん、片山右京さん、土屋圭一(なぜ土屋だけ呼び捨て?)が参加していたのだ。
馬鹿馬鹿しいんだけど、右京さんや土屋が、ハンドルの重い古い車で四苦八苦しているのに、急に最新スーパーカーが出てくると、「ぼくこれ~」と言ってスイスイと車庫入れをする中嶋さんが最高だった。
さぁ、F1 シーズンも大詰め。あと二戦。勝つのはフェルスタッペンか、ハミルトンか。
宣言しておくが、私はハミルトン派である。(←少数派)どうなったとしても、良いレースをしてほしい。みんな無事に、充実したレースになりますように。
説明無用、日本人初の F1 フルタイム・ドライバーである。中嶋さんが F1 を走るという事が決まったとき、兄たちが興奮していたような記憶がある。
思えば、5年間 F1 ドライバーを続けることが出来ること自体が凄い。しかもプロドライバーとしての最後の実績である。中嶋さんの連載では、がむしゃらに突き進み、いつか F1 を走ってやるという根性、意志の強さ、そしてなんと言っても才能がキラキラ光っている感じが素敵だった。
中嶋さんというと、ホンダという印象を持っていたが、それは F1 でのキャリアのせいで、中嶋さんは日本の自動車,自動車産業全体の星だったのも、新鮮な印象だった。
中嶋さんは、いままで何度「アイルトン・セナはどんな人だった?」と訊かれただろうか。だから、連載でもセナのために一回分費やした。
セナは、「面倒見の良い男」だった。無論、中嶋さんが敵ではなかったからだろうが、それにしても、モナコでは手の皮がむけるのを防ぐためのテープをくれるなんて(パワステ時代以前)…いい人。
登場するドライバーの名前も、マンセル、ピケ、プロスト、アレジなどなど、伝説のドライバーばかりである。
重いハンドル、忙しいギア操作。ここは一つ、中嶋さんとシルバーストーンを回ってみよう。
伝説のドライバーにして、飄々として、ダンディな中嶋さん。でもけっこうお茶目な仕事もする。
何年か前にサンドウィッチマンのバラエティ番組で、超狭小駐車場にあらゆる車を車庫入れするという、謎だけど凄く面白い企画に中嶋さん、片山右京さん、土屋圭一(なぜ土屋だけ呼び捨て?)が参加していたのだ。
馬鹿馬鹿しいんだけど、右京さんや土屋が、ハンドルの重い古い車で四苦八苦しているのに、急に最新スーパーカーが出てくると、「ぼくこれ~」と言ってスイスイと車庫入れをする中嶋さんが最高だった。
さぁ、F1 シーズンも大詰め。あと二戦。勝つのはフェルスタッペンか、ハミルトンか。
宣言しておくが、私はハミルトン派である。(←少数派)どうなったとしても、良いレースをしてほしい。みんな無事に、充実したレースになりますように。
Get Back (Part 1) ― 2021/12/06 19:59
ビートルズの映画「ゲット・バッグ Get Back」は、ビートルズのファンなら、必見の映画である。
だが、私にとってなんだか面倒くさい映画である。そもそも、当時 [Let It Be] という映画になった、1969年1月からのセッションは、ビートルズの行き詰まりと、我がジョージのフラストレーションの爆発、ヤケクソなルーフ・トップで終わるという、あまり楽しい展開が期待できないセッションだからだ。
しかも、画面には常にビートルズのメンバーではなく、ひどく非音楽的な人がバンドの輪に割り込んできていて、視界に入るだけでも不快になる。
その上、今回はディズニープラスに加入しないと見られないという、余計な手間がかかる。見る前からなんとなく面倒くさいというのが、正直なところだった。
しかし、腐ってもビートルズ・ファンである。まだ25歳と若々しいジョージを見て、ビートルズの音楽を楽しむために、さまざまなハードルを越える覚悟をもって、私はディズニープラスに加入した。もちろん、用が済めば退会するつもり。
初っぱなからげんなりしたのが、三部構成でパート1だけで2時間以上ある。参ったな。
映画タイトルが入る前、「これまでのビートルズの歩み」が流れるのだが、それらのどれもが魅力的で、こっちを見ている方が楽しいだろうと確信してしまう。
セッション開始初日から数日、髭の生えていないジョージ。改めて見ると、うわぁ若い!美男子!私のジョージはやっぱりハンサム。レス・ポール・スタンダード“ルーシー”を抱えているのだが、ルーシーとあわせて赤系の服を着るおしゃれさんでもある。―― と、思ったら途中でルーシーが転がり落ちたりして、けっこう扱いが雑。
マイクを握ってハウリングを起こし、感電して「キャッ!」となるジョージ。みているこっちもキャッ!
エリック・クラプトンがどれほど素晴らしいか力説するジョージ。しかし「そりゃジャズだ」と落とすポール。このバンドでのジャズの不人気具合が分かる。私もジャズは好きではないが、クラプトンがジャズっぽいと思ったことはないなぁ。
ビリー・プレストンがどれほど凄いか力説するジョージ。ここは後々、重要になるだろう。
とにかく数週間後にはライブ・ショーをやって、テレビ特番を作らなければならない。そのために新曲を揃えなければならいはずだが、どうにもみんな集中力がないようで、ダラダラとセッションが続く。これを、パート1だけでも、あと2時間見るのかと思うと、げんなりする。
そんな中でも、時々見所がある。ビートルズが "All thing must pass" を演奏。ジョンがオルガンを担当しつつ、歌詞にアドバイスをくれる。凄く感動的で、CFGでのポールの演奏の良さの理由が分かった。
”Mighty Quinn"とか演奏しているのも、面白い。ディランはみんなのアイドル。さらにジョージが、自分の精神を安定させるためのようにディランの “Mama, You Been on My Mind” を歌うのが美しい。
最終的にはアコースティックな味付けになる “Tow of Us“ が最初はバリバリのロックンロールだったのが格好良かった。このバージョンでもまともな録音で聞きたくなる。
スペシャル・ショーをやろうという企画はあるものの、誰も具体的で実現可能な案を持っていない。みんなの意見は?と、いちおう民主主義的なやり方をして、結局なにも決まらない。ビートルズは音楽以外のことを実行するには、その才能と経験に乏しく、リーダーが不在。ポールがリーダーのように振る舞っても、誰もそれを認めていない空気が痛い。
スタッフは「ビートルズならどんなに突飛なことでもやってのけるに違いない」という魔法を信じている。どうやら、映画の “A Hard Day’s Night” で、ジョンとポールが驚異のスピードで曲を仕上げていったことの、再現をしてくれると思っているようだ。しかし、ビートルズは変容し、そのようなバンドではなくなっている。理想と現実が乖離し、何も生み出せない、不毛な状態に陥っている。辞めたくもなるだろう。
それを思うと、「コンサート・フォー・バングラデシュ」を、2週間の準備期間でやりとげたジョージは凄かった。具体的な目標、現実的なプラン、誰もが認めるリーダーがいたからこそ、実現できたのだ。
めったに発揮はしないが、やるとなったらリーダーを買って出て、やり遂げてしまう(ウィルベリーズなどもそうだ)ジョージの才能だ。
ともあれ、グダグダするセッション、明らかにジョンとポールに魔法を期待しているスタッフ、さらにジョンとポールの曲に集中して始めると、ジョージのフラストレーションがたまり、ついに「辞める」と言い出す。ニール・アスピノールや、ジョージ・マーティは、ジョージの立場のつらさを分かってくれている様子。
かわりにクラプトンを入れろと言うジョン。そりゃ、ジョージがあれだけ推していたんだから、あり得る話だ。
ジョージが抜けるなり、いままで一生懸命視界に入らないように細心の注意を払っていた、「音楽的ではない人物」が奇声を発して、まったく音楽的ではないカオスになって、最悪だった。
こうして、パート1終了。
最後にジョージの言いようのない、悲しくて美しい “Isnt’ it a pity” が流れるのが上手い演出だ。ジョージは、やめどきなのだ。この収拾の付かなくなったバンドから離れて、彼自身の豊かな音楽世界を表現するべきなのだ。
パート1を見る限り、確かに仲良くやっている表情もあるし、協力もちゃんとしていることもあるが、やっぱり私が最初にこのセッションに持っている嫌な印象を拭い去ることは出来なかった。
さて、パート2,パート3はどう展開するのか?ちょっと時間をかけてみる必要がある。ディズニープラスにお金を払うのが1ヶ月で済めば良いのだが。
だが、私にとってなんだか面倒くさい映画である。そもそも、当時 [Let It Be] という映画になった、1969年1月からのセッションは、ビートルズの行き詰まりと、我がジョージのフラストレーションの爆発、ヤケクソなルーフ・トップで終わるという、あまり楽しい展開が期待できないセッションだからだ。
しかも、画面には常にビートルズのメンバーではなく、ひどく非音楽的な人がバンドの輪に割り込んできていて、視界に入るだけでも不快になる。
その上、今回はディズニープラスに加入しないと見られないという、余計な手間がかかる。見る前からなんとなく面倒くさいというのが、正直なところだった。
しかし、腐ってもビートルズ・ファンである。まだ25歳と若々しいジョージを見て、ビートルズの音楽を楽しむために、さまざまなハードルを越える覚悟をもって、私はディズニープラスに加入した。もちろん、用が済めば退会するつもり。
初っぱなからげんなりしたのが、三部構成でパート1だけで2時間以上ある。参ったな。
映画タイトルが入る前、「これまでのビートルズの歩み」が流れるのだが、それらのどれもが魅力的で、こっちを見ている方が楽しいだろうと確信してしまう。
セッション開始初日から数日、髭の生えていないジョージ。改めて見ると、うわぁ若い!美男子!私のジョージはやっぱりハンサム。レス・ポール・スタンダード“ルーシー”を抱えているのだが、ルーシーとあわせて赤系の服を着るおしゃれさんでもある。―― と、思ったら途中でルーシーが転がり落ちたりして、けっこう扱いが雑。
マイクを握ってハウリングを起こし、感電して「キャッ!」となるジョージ。みているこっちもキャッ!
エリック・クラプトンがどれほど素晴らしいか力説するジョージ。しかし「そりゃジャズだ」と落とすポール。このバンドでのジャズの不人気具合が分かる。私もジャズは好きではないが、クラプトンがジャズっぽいと思ったことはないなぁ。
ビリー・プレストンがどれほど凄いか力説するジョージ。ここは後々、重要になるだろう。
とにかく数週間後にはライブ・ショーをやって、テレビ特番を作らなければならない。そのために新曲を揃えなければならいはずだが、どうにもみんな集中力がないようで、ダラダラとセッションが続く。これを、パート1だけでも、あと2時間見るのかと思うと、げんなりする。
そんな中でも、時々見所がある。ビートルズが "All thing must pass" を演奏。ジョンがオルガンを担当しつつ、歌詞にアドバイスをくれる。凄く感動的で、CFGでのポールの演奏の良さの理由が分かった。
”Mighty Quinn"とか演奏しているのも、面白い。ディランはみんなのアイドル。さらにジョージが、自分の精神を安定させるためのようにディランの “Mama, You Been on My Mind” を歌うのが美しい。
最終的にはアコースティックな味付けになる “Tow of Us“ が最初はバリバリのロックンロールだったのが格好良かった。このバージョンでもまともな録音で聞きたくなる。
スペシャル・ショーをやろうという企画はあるものの、誰も具体的で実現可能な案を持っていない。みんなの意見は?と、いちおう民主主義的なやり方をして、結局なにも決まらない。ビートルズは音楽以外のことを実行するには、その才能と経験に乏しく、リーダーが不在。ポールがリーダーのように振る舞っても、誰もそれを認めていない空気が痛い。
スタッフは「ビートルズならどんなに突飛なことでもやってのけるに違いない」という魔法を信じている。どうやら、映画の “A Hard Day’s Night” で、ジョンとポールが驚異のスピードで曲を仕上げていったことの、再現をしてくれると思っているようだ。しかし、ビートルズは変容し、そのようなバンドではなくなっている。理想と現実が乖離し、何も生み出せない、不毛な状態に陥っている。辞めたくもなるだろう。
それを思うと、「コンサート・フォー・バングラデシュ」を、2週間の準備期間でやりとげたジョージは凄かった。具体的な目標、現実的なプラン、誰もが認めるリーダーがいたからこそ、実現できたのだ。
めったに発揮はしないが、やるとなったらリーダーを買って出て、やり遂げてしまう(ウィルベリーズなどもそうだ)ジョージの才能だ。
ともあれ、グダグダするセッション、明らかにジョンとポールに魔法を期待しているスタッフ、さらにジョンとポールの曲に集中して始めると、ジョージのフラストレーションがたまり、ついに「辞める」と言い出す。ニール・アスピノールや、ジョージ・マーティは、ジョージの立場のつらさを分かってくれている様子。
かわりにクラプトンを入れろと言うジョン。そりゃ、ジョージがあれだけ推していたんだから、あり得る話だ。
ジョージが抜けるなり、いままで一生懸命視界に入らないように細心の注意を払っていた、「音楽的ではない人物」が奇声を発して、まったく音楽的ではないカオスになって、最悪だった。
こうして、パート1終了。
最後にジョージの言いようのない、悲しくて美しい “Isnt’ it a pity” が流れるのが上手い演出だ。ジョージは、やめどきなのだ。この収拾の付かなくなったバンドから離れて、彼自身の豊かな音楽世界を表現するべきなのだ。
パート1を見る限り、確かに仲良くやっている表情もあるし、協力もちゃんとしていることもあるが、やっぱり私が最初にこのセッションに持っている嫌な印象を拭い去ることは出来なかった。
さて、パート2,パート3はどう展開するのか?ちょっと時間をかけてみる必要がある。ディズニープラスにお金を払うのが1ヶ月で済めば良いのだが。
Krystian Zimerman Piano Recital Japan Tour 2021 ― 2021/12/10 23:03
12月8日、サントリーホールにクリスチャン・ツィメルマンのピアノ・リサイタルに行ってきた。入国規制に引っかかりはしないかと心配したが、規制がかかる前に来日していた。日本公演のときは、かなり前もって来日,滞在するらしい。
来日公演の多い人だが、私は今回が初めての鑑賞。(そもそも、私は海外でも無い限り、クラシックの演奏会には普通行かない)
なにせ、曲目が面白い。ツィメルマンと言えば、ベートーヴェン,ブラームス,ショパンといった、古典後期~ロマン派に強い人という印象があるが、今回はなんと、バッハのパルティータ組曲1番,2番を演奏するという。パルティータなら私も弾いているので、興味津々。
更に、得意のブラームスの「三つの間奏曲」と、ショパンの「ピアノ・ソナタ3番」という、ラインナップだけでかなり満足な内容だ。
ツィメルマンというと、どうもこのアルバムのせいで、永遠の「若手のホープ」もしくは「中堅」という印象が強かったのだが ――
サントリー・ホールの大ホールに現れたのは、堂々たるマエストロだった。
そりゃそうだ。18歳でショパン・コンクールを最年少優勝してから、もう46年が経っているのだ。(ストーンズやディランのファンにしてみれば、トム・ペティは永遠の若手なのと同じ)
重厚かつ繊細、思慮深い演奏に定評があり、昔はバーンスタインや、今ではサイモン・ラトルなどと共演してクラシック音楽界を引っ張る存在である。かつての細身の美青年ではなく、堂々たる白髪の、そしてオーラのあるマエストロの登場に、会場が沸いた。
そして息をのむようにして、バッハのパルティータが始まる。
熟知している曲なだけに、私にも一家言ある。
言うなれば、「バッハをどうやって『ピアノで』弾くか」という大命題が、そこにあるのだ。
飾音、ペダル、強弱、アーティキュレーション … 考え始めたらきりが無く、私ですら先生と意見が合わないことがある。結局、究極的に「グールド」に行き着いてしまうのだから、バッハを弾くのは実に難しい。
ツィメルマンは、ひとことで言えば「情感たっぷりに弾く」タイプだった。とにかくペダルを多用する。しばらく彼の足下ばかり見ていたくらいだ。華麗な装飾も、過剰とは言わないまでも、かなり多いほう。煌びやか、かつ情熱的で、ロマン派的な解釈だ。テンポも強弱も自在に操って、かなり濃い味付けをしている。
名手には違いないが、評価が分かれるだろう。私がバッハを弾く上で目指す演奏かと訊かれると、たぶん違う。
ところが、ツィメルマンの生演奏の影響はかなり強かったようで、翌日練習したバッハで(しかもパルティータ組曲3番)、ちょっと考え込んでしまった。ツィメルマンのように、もっとペダルを踏んでもいいし、もっと情感たっぷり弾いても良いのかも知れない。確かに、先生に言わせると私の演奏はやや淡泊すぎるのだ。
前半のバッハで盛り上がりきっているのはたぶん私くらいで、多くの聴衆にとって本番は後半のブラームスとショパンだっただろう。
ブラームスの間奏曲は、いかに穏やかに、透き通るように、静寂を音楽で表現するかが重要になる。ピアノの『ピアノ(弱音)』をどう響かせるかという、ピアニストにとっては果てしない課題だ。
ツィメルマンがあまりにもメロディは明確でありながら、静寂を表現しすぎているので、私はてっきりソフトペダルをべた踏みしているのかと思った。しかしクレッシェンドしていっても全く音色が変わらないので、つまりはあの繊細な音色を指先で操っていることが分かり、卒倒しそうになった。バリバリぶっ叩くように弾くのもピアニストだが、これもピアニストの真骨頂だろう。
一番の盛り上がりは、やはりショパンの「ピアノ・ソナタ3番」。ショパンの数々の名曲の中でも最高峰に位置する。
私がツィメルマンに持っていた印象だと、「かなりもったいぶって、用心しながら、完璧に弾くことを心がける人」だったのだが、実際の演奏はかなり勢いよく飛び込み、大胆にテクニックを披露し、「これがショパンを弾くと言うことだ!」と激しく説得してくる感じだった。ああ、こういう風にその音楽的才能を爆発させる人だったんだなぁと、急に思い知ったような気がする。
特に第一楽章は重厚かつ疾走感があって、500kgぐらいある駿馬のようだった。そして、やはり最終楽章の豪華絢爛、超絶技巧、ピアニストができる最高の技を爆発させる感じ、会場がピアノの音の渦に飲み込まれる感じが圧巻だった。
ブラームスや、ショパンとなると、私なんぞ「弾ける」とすら言えないレベルなので、もう「凄い!上手い!尊い!」という、ひたすら頭の悪い感想になってしまう。
ちょっと意外だったことが二点。
まずアンコールがなかったこと。どうやら今回の日本ツアーはそうらしい。私はショパンが終わってもまだもう一曲聴けるものだと思い込んでいたので、ちょっと拍子抜けた。
そして、最初から最後まで、譜面を置いていたことである。譜面立ては伏せた形で、横に長い譜面を置いている。楽章の間でめくっているが、あれは絶対に曲全体をカバーしていないし、第一まったく見ていない。何のために置いてあるのか疑問だが、そこは思慮深いツィメルマンのことなので、なにか考えがあるのだろう。
ともあれ、私は今後も、堂々と発表会で楽譜を見ることにする。
来日公演の多い人だが、私は今回が初めての鑑賞。(そもそも、私は海外でも無い限り、クラシックの演奏会には普通行かない)
なにせ、曲目が面白い。ツィメルマンと言えば、ベートーヴェン,ブラームス,ショパンといった、古典後期~ロマン派に強い人という印象があるが、今回はなんと、バッハのパルティータ組曲1番,2番を演奏するという。パルティータなら私も弾いているので、興味津々。
更に、得意のブラームスの「三つの間奏曲」と、ショパンの「ピアノ・ソナタ3番」という、ラインナップだけでかなり満足な内容だ。
ツィメルマンというと、どうもこのアルバムのせいで、永遠の「若手のホープ」もしくは「中堅」という印象が強かったのだが ――
サントリー・ホールの大ホールに現れたのは、堂々たるマエストロだった。
そりゃそうだ。18歳でショパン・コンクールを最年少優勝してから、もう46年が経っているのだ。(ストーンズやディランのファンにしてみれば、トム・ペティは永遠の若手なのと同じ)
重厚かつ繊細、思慮深い演奏に定評があり、昔はバーンスタインや、今ではサイモン・ラトルなどと共演してクラシック音楽界を引っ張る存在である。かつての細身の美青年ではなく、堂々たる白髪の、そしてオーラのあるマエストロの登場に、会場が沸いた。
そして息をのむようにして、バッハのパルティータが始まる。
熟知している曲なだけに、私にも一家言ある。
言うなれば、「バッハをどうやって『ピアノで』弾くか」という大命題が、そこにあるのだ。
飾音、ペダル、強弱、アーティキュレーション … 考え始めたらきりが無く、私ですら先生と意見が合わないことがある。結局、究極的に「グールド」に行き着いてしまうのだから、バッハを弾くのは実に難しい。
ツィメルマンは、ひとことで言えば「情感たっぷりに弾く」タイプだった。とにかくペダルを多用する。しばらく彼の足下ばかり見ていたくらいだ。華麗な装飾も、過剰とは言わないまでも、かなり多いほう。煌びやか、かつ情熱的で、ロマン派的な解釈だ。テンポも強弱も自在に操って、かなり濃い味付けをしている。
名手には違いないが、評価が分かれるだろう。私がバッハを弾く上で目指す演奏かと訊かれると、たぶん違う。
ところが、ツィメルマンの生演奏の影響はかなり強かったようで、翌日練習したバッハで(しかもパルティータ組曲3番)、ちょっと考え込んでしまった。ツィメルマンのように、もっとペダルを踏んでもいいし、もっと情感たっぷり弾いても良いのかも知れない。確かに、先生に言わせると私の演奏はやや淡泊すぎるのだ。
前半のバッハで盛り上がりきっているのはたぶん私くらいで、多くの聴衆にとって本番は後半のブラームスとショパンだっただろう。
ブラームスの間奏曲は、いかに穏やかに、透き通るように、静寂を音楽で表現するかが重要になる。ピアノの『ピアノ(弱音)』をどう響かせるかという、ピアニストにとっては果てしない課題だ。
ツィメルマンがあまりにもメロディは明確でありながら、静寂を表現しすぎているので、私はてっきりソフトペダルをべた踏みしているのかと思った。しかしクレッシェンドしていっても全く音色が変わらないので、つまりはあの繊細な音色を指先で操っていることが分かり、卒倒しそうになった。バリバリぶっ叩くように弾くのもピアニストだが、これもピアニストの真骨頂だろう。
一番の盛り上がりは、やはりショパンの「ピアノ・ソナタ3番」。ショパンの数々の名曲の中でも最高峰に位置する。
私がツィメルマンに持っていた印象だと、「かなりもったいぶって、用心しながら、完璧に弾くことを心がける人」だったのだが、実際の演奏はかなり勢いよく飛び込み、大胆にテクニックを披露し、「これがショパンを弾くと言うことだ!」と激しく説得してくる感じだった。ああ、こういう風にその音楽的才能を爆発させる人だったんだなぁと、急に思い知ったような気がする。
特に第一楽章は重厚かつ疾走感があって、500kgぐらいある駿馬のようだった。そして、やはり最終楽章の豪華絢爛、超絶技巧、ピアニストができる最高の技を爆発させる感じ、会場がピアノの音の渦に飲み込まれる感じが圧巻だった。
ブラームスや、ショパンとなると、私なんぞ「弾ける」とすら言えないレベルなので、もう「凄い!上手い!尊い!」という、ひたすら頭の悪い感想になってしまう。
ちょっと意外だったことが二点。
まずアンコールがなかったこと。どうやら今回の日本ツアーはそうらしい。私はショパンが終わってもまだもう一曲聴けるものだと思い込んでいたので、ちょっと拍子抜けた。
そして、最初から最後まで、譜面を置いていたことである。譜面立ては伏せた形で、横に長い譜面を置いている。楽章の間でめくっているが、あれは絶対に曲全体をカバーしていないし、第一まったく見ていない。何のために置いてあるのか疑問だが、そこは思慮深いツィメルマンのことなので、なにか考えがあるのだろう。
ともあれ、私は今後も、堂々と発表会で楽譜を見ることにする。
Get Back (Part 2) ― 2021/12/14 19:49
ジョージが抜けた後のビートルズが、トゥイッケナムのスタジオで、さぁどうする?という行き詰まりから、映画「ゲット・バック Get Back」のパート2 は始まる。
ジョンも姿を見せず、ここにきてやはり「ジョンに張り付いている人物」の問題が話題になった。ジョージにバンドに戻るよう設けられた週末の話し合いは、不調に終わったが、その際ジョンの「代弁者」が、かなりしゃべった模様。余り愉快な展開でなかったことは察せられる。
映画 [Let It Be] や、そのほかのビートルズ伝記映像で、ジョージとポールの言い争い(?)が有名になってしまっているので、ジョージが抜けた原因はポールのような印象を抱かれがちだが、やはりそれだけが理由ではなさそうだ。ジョージもジョンとそのパートナーの「有り様」に気分を害していたのだと思う。それはこの Get Back セッションに始まったことではなく、若いジョージにとっては、十分に長く嫌な思いをしたのではないだろうか。
ジョージ自身は記録に残るような形でコメントしていないし、結局はみんな「ジョンが好きなようにすればいい」という、いわゆる「大人の」結論を口にするが、実際にはビートルズというバンドにとっては、悪い影響の方が大きかったことは、否めないのではないというのが、私の正直な感想だ。
もっとも、人生で一番大事なことは、青春時代に結成したバンドの維持ではないと言うのも、真実だ。
ジョンとポールの昼食での会話の隠し録り音声は、なんだか居心地悪い感じがした。まだ30歳にもならない二人に、こういう事をするのは、誠実な態度とは思えないが…でもまぁ、映画としては面白いのだろう。
とにかく、なんともコメントのしようのない、やりとりだった。
ともあれ、トゥイッケナムのスタジオは時間切れ。一同はサヴィル・ロウのアップル・スタジオ(正式名称ではないが、仮にそうしておく)に移動する。
場所も変われば、気分もかわる。ジョージも戻ってきてくれることになる。戻るまでのジョージの気持ちの変化というのは、彼にしか分からないだろうが、彼なりにビートルズも大事な存在だったのだと察する。
そして救世主登場。ビリー・プレストンである。映画の中では、「偶然立ち寄った」風に描かれているが、要は従来から言われているとおり、ジョージによる手配なのだ。急に空気が明るくなり、気持ちよく音楽をやろうという心がよみがえる。このパート2で一番良かったのは、ビリー・プレストンが加わってくれたその瞬間だ。
途中でまた、例の非音楽的な人が奇声を上げるセッションが挟まる。ポールもよく付き合ってくれるものだ。彼は彼なりに、ジョンを理解してあげようとしていたのだろう。もちろん、私にはポールほどの度量がなく、奇声は御免被るので、ヘッドフォンを外してやり過ごした。
こんなパート、無い方がいいのに。この映画がソフト化されたとき、これのせいで買わないかも知れない。
それにしても、パート1 からずっと感じていたのだが、リンゴって凄いドラマーだと思う。優れたドラマーというものには、一種の共通点があるのかもしれない。それは忍耐力、許容範囲の広さ、応用力、そして心の優しさ。
どういう音楽が出てきても、どんな心理戦が行われても、リンゴは寄り添うようにドラムスを叩いてくれる。人格が演奏にでるというもので、天才的なソングライティングの才能とは、また別の範囲、別の次元の「音楽的才能」なのだろう。
ビートルズのメンバーや、スタッフたちは、そういうリンゴの存在の貴重さを、ずっとあたり前に享受していたのだろうか。当人たちも、関係者たちも、ファンたちも、今あらためて、リンゴに感謝した方が良い。
演奏面で面白かったのは、ジョンがけっこう不器用なこと。ベースを弾きながら歌うことが出来ないらしい。"For You Blue" でのスライドも、けっこう一生懸命で、余裕がない。あれだけのソングライティングと歌唱の才能があれば、少し不器用なくらいが当たり前なのだろう。むしろ、天才かつ器用なポールが異様なのだ。
ものまね大会も楽しい。リンゴによるキース・ムーンのまね。"Tow of Us" がアコースティックになってからの、ジョンによるディランのまねも面白い。
"Tow of Us" と言えば、コーラスの付け方を、ジョージがジョンにアドバイスしているのが興味深かった。ジョージはコーラスの天才的なプロである。そういえば、以前ウィルベリーズを称して「ジョージ以外全員、コーラスについては素人」と言った人がいて、その言い方は極端だと思ったが、ジョージによるジョンへのコーラス指導を見ると、確かにそうかも知れないと認識を改めた。
さて、結局テレビ特番の話は頓挫する。現代だったらあり得ない話だが、当時はいきあたりばったりのテレビ界だったのか、それともビートルズだから許されたのか。
そのついでに、観衆を集めたショーの話もなくなれと、何人かが思っているなか、ポールはまだライブ・ショーに望みを持っている。
結局、アップル・ビルの屋上に話しが及ぶのだが、これを「誰が」提案したのかは、明言されていない。あたかもグリン・ジョンズのアイディアかのように演出しているようで、どうもはっきりしない。マル・エバンズのアイディアだという話もある。
こうして長かったパート2 も、ルーフ・トップ・ライブへの期待を持たせて終わる。ここまでで5時間半!長い!長すぎる!
ジョンも姿を見せず、ここにきてやはり「ジョンに張り付いている人物」の問題が話題になった。ジョージにバンドに戻るよう設けられた週末の話し合いは、不調に終わったが、その際ジョンの「代弁者」が、かなりしゃべった模様。余り愉快な展開でなかったことは察せられる。
映画 [Let It Be] や、そのほかのビートルズ伝記映像で、ジョージとポールの言い争い(?)が有名になってしまっているので、ジョージが抜けた原因はポールのような印象を抱かれがちだが、やはりそれだけが理由ではなさそうだ。ジョージもジョンとそのパートナーの「有り様」に気分を害していたのだと思う。それはこの Get Back セッションに始まったことではなく、若いジョージにとっては、十分に長く嫌な思いをしたのではないだろうか。
ジョージ自身は記録に残るような形でコメントしていないし、結局はみんな「ジョンが好きなようにすればいい」という、いわゆる「大人の」結論を口にするが、実際にはビートルズというバンドにとっては、悪い影響の方が大きかったことは、否めないのではないというのが、私の正直な感想だ。
もっとも、人生で一番大事なことは、青春時代に結成したバンドの維持ではないと言うのも、真実だ。
ジョンとポールの昼食での会話の隠し録り音声は、なんだか居心地悪い感じがした。まだ30歳にもならない二人に、こういう事をするのは、誠実な態度とは思えないが…でもまぁ、映画としては面白いのだろう。
とにかく、なんともコメントのしようのない、やりとりだった。
ともあれ、トゥイッケナムのスタジオは時間切れ。一同はサヴィル・ロウのアップル・スタジオ(正式名称ではないが、仮にそうしておく)に移動する。
場所も変われば、気分もかわる。ジョージも戻ってきてくれることになる。戻るまでのジョージの気持ちの変化というのは、彼にしか分からないだろうが、彼なりにビートルズも大事な存在だったのだと察する。
そして救世主登場。ビリー・プレストンである。映画の中では、「偶然立ち寄った」風に描かれているが、要は従来から言われているとおり、ジョージによる手配なのだ。急に空気が明るくなり、気持ちよく音楽をやろうという心がよみがえる。このパート2で一番良かったのは、ビリー・プレストンが加わってくれたその瞬間だ。
途中でまた、例の非音楽的な人が奇声を上げるセッションが挟まる。ポールもよく付き合ってくれるものだ。彼は彼なりに、ジョンを理解してあげようとしていたのだろう。もちろん、私にはポールほどの度量がなく、奇声は御免被るので、ヘッドフォンを外してやり過ごした。
こんなパート、無い方がいいのに。この映画がソフト化されたとき、これのせいで買わないかも知れない。
それにしても、パート1 からずっと感じていたのだが、リンゴって凄いドラマーだと思う。優れたドラマーというものには、一種の共通点があるのかもしれない。それは忍耐力、許容範囲の広さ、応用力、そして心の優しさ。
どういう音楽が出てきても、どんな心理戦が行われても、リンゴは寄り添うようにドラムスを叩いてくれる。人格が演奏にでるというもので、天才的なソングライティングの才能とは、また別の範囲、別の次元の「音楽的才能」なのだろう。
ビートルズのメンバーや、スタッフたちは、そういうリンゴの存在の貴重さを、ずっとあたり前に享受していたのだろうか。当人たちも、関係者たちも、ファンたちも、今あらためて、リンゴに感謝した方が良い。
演奏面で面白かったのは、ジョンがけっこう不器用なこと。ベースを弾きながら歌うことが出来ないらしい。"For You Blue" でのスライドも、けっこう一生懸命で、余裕がない。あれだけのソングライティングと歌唱の才能があれば、少し不器用なくらいが当たり前なのだろう。むしろ、天才かつ器用なポールが異様なのだ。
ものまね大会も楽しい。リンゴによるキース・ムーンのまね。"Tow of Us" がアコースティックになってからの、ジョンによるディランのまねも面白い。
"Tow of Us" と言えば、コーラスの付け方を、ジョージがジョンにアドバイスしているのが興味深かった。ジョージはコーラスの天才的なプロである。そういえば、以前ウィルベリーズを称して「ジョージ以外全員、コーラスについては素人」と言った人がいて、その言い方は極端だと思ったが、ジョージによるジョンへのコーラス指導を見ると、確かにそうかも知れないと認識を改めた。
さて、結局テレビ特番の話は頓挫する。現代だったらあり得ない話だが、当時はいきあたりばったりのテレビ界だったのか、それともビートルズだから許されたのか。
そのついでに、観衆を集めたショーの話もなくなれと、何人かが思っているなか、ポールはまだライブ・ショーに望みを持っている。
結局、アップル・ビルの屋上に話しが及ぶのだが、これを「誰が」提案したのかは、明言されていない。あたかもグリン・ジョンズのアイディアかのように演出しているようで、どうもはっきりしない。マル・エバンズのアイディアだという話もある。
こうして長かったパート2 も、ルーフ・トップ・ライブへの期待を持たせて終わる。ここまでで5時間半!長い!長すぎる!
フィルムがとらえたビートルズの真実 ― 2021/12/18 21:20
あるカルチャースクールで、ピーター・バラカンさんによる講演、「フィルムがとらえたビートルズの真実」が開かれた。講演はインターネットでも受講できる。当初、1週間はアーカイブ視聴出来る予定だった。そこで当日は伶楽舎の演奏会に行き、講演はアーカイブ視聴するつもりだったのだが、なんと予定が変わって当日ライブでしか視聴できないことになったてしまった。
私は選択を迫られ、結局バラカンさんとビートルズを選び、伶楽舎はまた今度の機会にということになった。さすがの雅楽も、世界のビートルズにはかなわなかった。
映画 "Eight Days a Week" の、日本公演シーンがプリントされた黒いTシャツで登場した、ピーター・バラカンさん。ラジオで聞くままの穏やかで優しい語り口だ。
要するに、映画 [Get Back] を見たバラカンさんの印象を語る会だった。
以下、バラカンさんのトークをかいつまんでみる。
まずライブバンドだったビートルズが、信頼するマネージャーを失い、方向性を失ってめちゃくちゃになりつつあったが、ライブバンドの原点に戻るために、トゥイッケナム・スタジオでのセッションから開始する。
バラカンさん曰く、ジョージがどこかしらけた顔をしている。彼の曲をまともに取り上げてもらえず、面白くないジョージが一時的に抜けたとき、ジョンが「クラプトンを入れろ」と言ったのは、ジョークだと思う。ジョンはジョージが本気で辞めるとは思っていなかったのではないだろうか。
ある人が言うには、ジョージは髭を多く生やしていると精神の調子が悪く、剃っていると調子がいいらしい(誰が言ったのだろう?本さんかな?)
もともとのアイディアである、テレビスペシャルのディレクター,マイケル・リンジー・ホッグが「うざい」。現実不能なライブ案を出しては、現場を混乱させる。
ジョージが戻ってきて、アップル・ビルに移った頃になると、なぜかジョンが髪を洗ってきれいになっている。トゥイッケナムでは汚い髪をしていた!
ジョンがジョージに "Something" の歌詞を「カリフラワーとかにしとけ」とアドバイスするのが面白い。
スタジオでの主食であるトースト(ジャム付き)、紅茶、ワインなどなどを用意する、ハンマーと金床で演奏に加わる、歌詞を書き留め、手を入れるなどなど、マル・エバンスの働きには目を見張るものがある。
リンダ・イーストマンがポールに連れられて紹介されるのは、この "Get Back" セッションが最初だったらしい。
そして、ジョンにはり付いてじいっとしている、例の人物について。ちょっと気持ち悪く(いや、私にとっては相当気持ち悪い)、いったいなにをしているのか分からない。この人物はコンセプチュアル・アートのアーティストなので、そのパフォーマンスの一環、「何か変なことをして人の目を集める」ということだという説もあるが――ともかく、なんとも言えない。若い頃のバラカンさんは彼女を「悪」として捉えていたが、その後ジョンのソロ活動を追った資料を通じて、彼女の重要性を知ることになる。(そりゃそうだろうけど、重要であるかどうかと、好悪は別だよね)
"Get Back" という曲が出来ていく過程は、まるで魔法である。
機材としては、「マジック・アレックス」(ほぼ詐欺師)によるガラクタは使い物にならず、ちょっと古いタイプの機材を使っている。
バラカンさんは、ビリー・プレストンがスタジオに現れたのは、本当に偶然だとしている。ルルの番組に出るために UK に来たついでだった ―― (私は、UK に来たのは偶然にしても、ジョージがそれを知らないはずもなく、ジョージが意図的に参加させたと信じている。ジョージもそう言ってなかった?)
ビリー・プレストンの登場によってガラっと雰囲気がかわり、素晴らしく楽しく音楽ができるようになる、この大展開、盛り上がりが面白い。
この辺りで、ちょっと講演の時間が押してきたので、コメントが映画の流れとは前後するようになってくる。
そもそも、 [Let It Be] は当時の UK ではどのような受け取られ方をしたか。実のところ、[White Album] の頃から、ビートルズの人間関係はうまくいっておらず、解散は既定路線だったようなもので、[Let It Be] に関しては白けた感じで受け取られた。むしろ、同時代で言えばストーンズの [Beggers Banquet]" や、[Let It Bleed] の方が、断然良かった。
Roof Top が終わると、すっかり盛り下がってしまい、録音は放置されて、[Abbey Road] セッションへと流れる。もうこれで終わりだと、全員が分かっていた。
そもそも、ビートルズの四人というのは、特別すぎた。デビューしたときから知っているが、その勢いは異常だった。テレビに映ると、若者たちは彼らにのめり込み、格別、特別だった。
だからこそ、ことビートルズとなると、今も昔もメディアは過剰反応する。そういうメディアを、冷静に捉え、時には疑う必要もある。
とにかく、ビートルズの四人は仲が良く、仲が良すぎて他に友達がいないくらいだった。(そう、だからジョージがビートルズ以外に友人関係を広げていくと、必然的にビートルズから遠ざかるのだ)
お気に入りの曲は、"Yes It Is", コーラス、メロディ、ジョージのペダルサウンドなど、とても素晴らしい。ビートルズはB面の曲も良い曲が多い。
ビートルズの前半の録音は、断然 MONO で聴くべき(完全同意!)。無理にステレオにするとおかしな事になるので、MONO BOX がお薦め(買いましたよ…)
ビートルズのソロ活動については、ジョンが好きなので、ポールやジョージはベスト盤で十分。
[Get Back] セッションで結局採用されなかった曲に関しては、まだ完成していなかったし、ジョージのようにソロアルバムに入れるなどすることが、正解だった。
最後に、バラカンさんによると、今後 [Get Back] がソフト化されることはないだろうとのこと。アメリカのディズニーは配信で稼ぐつもりなのだろう。だから、ずっと [Get Back] を見たいのなら、ディズニーに毎月1000円を払う以外に、今のところ道はない。ただ、日本の市場だけは特別かも知れない。
バラカンさんもまだ語り足りない、あっという間の1時間半だった。
またこういうバラカンさんのお話を聞く機会があったら、いいなと思う。
私は選択を迫られ、結局バラカンさんとビートルズを選び、伶楽舎はまた今度の機会にということになった。さすがの雅楽も、世界のビートルズにはかなわなかった。
映画 "Eight Days a Week" の、日本公演シーンがプリントされた黒いTシャツで登場した、ピーター・バラカンさん。ラジオで聞くままの穏やかで優しい語り口だ。
要するに、映画 [Get Back] を見たバラカンさんの印象を語る会だった。
以下、バラカンさんのトークをかいつまんでみる。
まずライブバンドだったビートルズが、信頼するマネージャーを失い、方向性を失ってめちゃくちゃになりつつあったが、ライブバンドの原点に戻るために、トゥイッケナム・スタジオでのセッションから開始する。
バラカンさん曰く、ジョージがどこかしらけた顔をしている。彼の曲をまともに取り上げてもらえず、面白くないジョージが一時的に抜けたとき、ジョンが「クラプトンを入れろ」と言ったのは、ジョークだと思う。ジョンはジョージが本気で辞めるとは思っていなかったのではないだろうか。
ある人が言うには、ジョージは髭を多く生やしていると精神の調子が悪く、剃っていると調子がいいらしい(誰が言ったのだろう?本さんかな?)
もともとのアイディアである、テレビスペシャルのディレクター,マイケル・リンジー・ホッグが「うざい」。現実不能なライブ案を出しては、現場を混乱させる。
ジョージが戻ってきて、アップル・ビルに移った頃になると、なぜかジョンが髪を洗ってきれいになっている。トゥイッケナムでは汚い髪をしていた!
ジョンがジョージに "Something" の歌詞を「カリフラワーとかにしとけ」とアドバイスするのが面白い。
スタジオでの主食であるトースト(ジャム付き)、紅茶、ワインなどなどを用意する、ハンマーと金床で演奏に加わる、歌詞を書き留め、手を入れるなどなど、マル・エバンスの働きには目を見張るものがある。
リンダ・イーストマンがポールに連れられて紹介されるのは、この "Get Back" セッションが最初だったらしい。
そして、ジョンにはり付いてじいっとしている、例の人物について。ちょっと気持ち悪く(いや、私にとっては相当気持ち悪い)、いったいなにをしているのか分からない。この人物はコンセプチュアル・アートのアーティストなので、そのパフォーマンスの一環、「何か変なことをして人の目を集める」ということだという説もあるが――ともかく、なんとも言えない。若い頃のバラカンさんは彼女を「悪」として捉えていたが、その後ジョンのソロ活動を追った資料を通じて、彼女の重要性を知ることになる。(そりゃそうだろうけど、重要であるかどうかと、好悪は別だよね)
"Get Back" という曲が出来ていく過程は、まるで魔法である。
機材としては、「マジック・アレックス」(ほぼ詐欺師)によるガラクタは使い物にならず、ちょっと古いタイプの機材を使っている。
バラカンさんは、ビリー・プレストンがスタジオに現れたのは、本当に偶然だとしている。ルルの番組に出るために UK に来たついでだった ―― (私は、UK に来たのは偶然にしても、ジョージがそれを知らないはずもなく、ジョージが意図的に参加させたと信じている。ジョージもそう言ってなかった?)
ビリー・プレストンの登場によってガラっと雰囲気がかわり、素晴らしく楽しく音楽ができるようになる、この大展開、盛り上がりが面白い。
この辺りで、ちょっと講演の時間が押してきたので、コメントが映画の流れとは前後するようになってくる。
そもそも、 [Let It Be] は当時の UK ではどのような受け取られ方をしたか。実のところ、[White Album] の頃から、ビートルズの人間関係はうまくいっておらず、解散は既定路線だったようなもので、[Let It Be] に関しては白けた感じで受け取られた。むしろ、同時代で言えばストーンズの [Beggers Banquet]" や、[Let It Bleed] の方が、断然良かった。
Roof Top が終わると、すっかり盛り下がってしまい、録音は放置されて、[Abbey Road] セッションへと流れる。もうこれで終わりだと、全員が分かっていた。
そもそも、ビートルズの四人というのは、特別すぎた。デビューしたときから知っているが、その勢いは異常だった。テレビに映ると、若者たちは彼らにのめり込み、格別、特別だった。
だからこそ、ことビートルズとなると、今も昔もメディアは過剰反応する。そういうメディアを、冷静に捉え、時には疑う必要もある。
とにかく、ビートルズの四人は仲が良く、仲が良すぎて他に友達がいないくらいだった。(そう、だからジョージがビートルズ以外に友人関係を広げていくと、必然的にビートルズから遠ざかるのだ)
お気に入りの曲は、"Yes It Is", コーラス、メロディ、ジョージのペダルサウンドなど、とても素晴らしい。ビートルズはB面の曲も良い曲が多い。
ビートルズの前半の録音は、断然 MONO で聴くべき(完全同意!)。無理にステレオにするとおかしな事になるので、MONO BOX がお薦め(買いましたよ…)
ビートルズのソロ活動については、ジョンが好きなので、ポールやジョージはベスト盤で十分。
[Get Back] セッションで結局採用されなかった曲に関しては、まだ完成していなかったし、ジョージのようにソロアルバムに入れるなどすることが、正解だった。
最後に、バラカンさんによると、今後 [Get Back] がソフト化されることはないだろうとのこと。アメリカのディズニーは配信で稼ぐつもりなのだろう。だから、ずっと [Get Back] を見たいのなら、ディズニーに毎月1000円を払う以外に、今のところ道はない。ただ、日本の市場だけは特別かも知れない。
バラカンさんもまだ語り足りない、あっという間の1時間半だった。
またこういうバラカンさんのお話を聞く機会があったら、いいなと思う。
Get Back (Part 3) ― 2021/12/22 20:43
[Get Back] セッションもあと四日を残すのみ。最新のライブ案はビルの屋上というところから、パート3が始まる。
最初に、リンゴが "Octopus's Garden" を披露して、ジョージがアドバイスする可愛いシーンから始まる。ジョージの優しい表情が最高。この曲のクレジットを確認したが、リンゴだけになっている。実際はジョージがかなりの部分つくっている。
良い感じに和んだ頃に、例の非音楽的な人の奇声が早くも響く。もちろんイヤホンを外してやりすごす。
紫のゴージャスなブラウスに、ピンクのピンストライプスーツのジョージが、きまっている。面白いのは、ギタリスト(ジョージ)がピアニスト(ビリー・プレストン)にコードを訊くところだ。私の感覚では、クラシックのピアニストはコードに弱く、ギタリストが強い。私とウクレレの先生(ギタリスト)のやりとりの面白さは、その辺りなのだが。
ともあれ、ジョージが昨晩出来てきた曲 "Old brown shoe" を作る過程が面白い。ジョンの作曲アドバイスによると、「始めたら最後まで作れ」とのこと。(本人が出来ているかどうかは別らしい。)ジョージがピアノを弾いている間に、ポールがジョージのギター(ローズウッドのテレキャスター)を弾いているのが驚き。右利き用なのに!ポールは本当に器用だ。
パート1の頃から思っていたのだが、こういう音楽分野の人は、アンプだのマイクだの、PA だの、とにかく電子機器に時間と手間を取られすぎている。私はピアノさえあれば蓋を開けて弾くだけの人なので、なんて面倒くさいのだろうと思う。
お気に入りのカール・パーキンスを演奏したり、自分たちの古い曲を演奏したり。"Let it be", "The long and winding road", "I've got a feeling", "Don't let me down" , "Get back" などを合わせていくうちに、ジョージの新曲を覚えようということになり、"Something" が登場する。ジョージは歌詞に苦労しているようで、ここで例のジョンによる「カリフラワーとかにしとけ」というアドバイスがでてくる。
ジョージが唐突に、黒い革靴が欲しいと言い出すのも面白い。たしか、パート2だったか、急に蝶ネクタイが欲しいとか言い出していた。むかし読んだ、アリステア・テイラーの本によると、ジョージは無茶は言わないし、手の掛からないナイス・ガイなのだが、こういう他愛もないリクエストが時々あるらしい。
ジョージのピンクのシャツも素敵だが、リンゴの緑のシャツに、明るい緑のスーツも、凄く鮮やかで似合っている。
不穏なアラン・クラインの話題に続き、それで、じゃあライブはやるの?という相談になる。ポールが煮え切らない。ジョンも煮え切らない。そもそも、このセッションってどこを目指してたんだっけ?みたいな「そもそも論」になってしまい、聞いているといらついてくる。
「要するに煙突のに上ることを期待してるの?」とマイケル・リンジー・ホッグに尋ねるジョージ。内容よりも…その、白いセーター似合う!かわいい!
「やれというなら、やるよ。バンドなんだから。屋上ではやりたくないけど」
いやぁ~!この長い映画の中で一番ビジュアル的に輝いているジョージではないだろうか?
リンゴは「やりたい」というし、ジョンも同意に回る。ポールが渋る。こっちは、結局あの歴史的な「ルーフ・トップ・コンサート」が行われた事実を歴史として知っているので、この逡巡にはイライラするが、よく考えると躊躇しているポールの方がまともなのかも知れない。町中で、昼日中にロックバンドが屋上でロックコンサート?予告もなしに?そりゃ警察も出動するだろう…
ジョージが、たまっている自分の曲をアルバムにするつもりだと、ジョンに語るシーンがある。これはそのまま、[All Things Must Pass] へと繋がるのだろう。ジョンに言わせれば、"outlet" (排出口、コンセント) ―― 日本語字幕では「はけ口」にしていたが、上手い翻訳だ。ジョージ曰く、自分の曲を人にあげたりもしたけど、馬鹿らしいから、自分でやろうと思う。―― まさに、これこそビートルズ解散の重要なファクターだと思う。
その後、ビリー・プレストンと、ジョンが中心になって "I Want You" のセッションになるのだが、マーティン・ルーサー・キングの有名な演説を歌詞にしているところが素晴らしい。この映画のセッションシーンの中でも、これが一番良かった。
そして、屋上ライブ当日。
直前まで、四人で話し合っていた模様だが、着々と準備は進み、ここまで来たら、やるしかないとなったのだろう。四人が屋上に現れて、"Get Back" の途中から始まる。多分、録音テストで頭が切れていたのだろう。
ここから映画は一から二、三、多ければ六など、複数のカットを使った画面になって、ライブが行われている間に、階下や通り、近隣のビルで何が起きていたのかを映し出す。
私が勝手に持っていた印象として、ルーフトップのジョージとリンゴは、不機嫌そうだと思っていたのだが、きれいになった映像を改めて見ると、そうでもなくて、要するに寒かったということらしい。
ライブ・パフォーマンスをするビートルズは素晴らしく生き生きとしていて、格好良い。これを見ると、ライブ・パフォーマンスを止めたこともまた、ビートルズ解散の一因だということが分かる。
もう一つ分かったのは、唐突に、ジョンのもみ上げのことである。トム・ペティの女子ファンたちに超絶不評な [Live Aid] でのトムさんのもみ上げは、ジョンの真似だったのだ…トムさんは、要所要所でジョンになろうとして、盛大に失敗する。
パート1から思っていたのだが、やはりジョンという人も、とても格好良い。私がジョージが一番格好良いと気付く前は、ジョンが一番好きだったのも、そのせいだろう。
やがて警官がやってくる。パフォーマンスは終わりに近づく。最後の "Get Back" の方がテンポが若干速いし、ジョンのソロもちゃんと弾けている。
こうして [Get Back] セッションは終わり、映画も終わる。ジョンの "We've got so many of the bastards." という言葉とともに。
長かった!とにかく長かった!約8時間である。8時間かけて、この映画が伝えたことは?私個人としては、音楽演奏の練習は公開するモノじゃないなということ。やっぱり練習、リハーサル、変更、改善、そういうことは人に見せるものでも、聞かせるものでもない。入念に準備し、ある程度納得いったものを、人に聞かせるのが、音楽家としてあるべき姿だと思う。
それまでの過程まで見せようとすると、見たくないものや、聞きたくないものまで混在してしまい、音楽を楽しむという本来の目的の妨げになるのだ。
その一方で、ビートルズもまた「人間」であって、それなりの苦労、葛藤があって、あれほど偉大なのだということも分かった。その先に待っている運命は解散であり、泥沼の訴訟合戦である。それらも含めて、ビートルズは好かれているのだろうか。そうかもしれないし、そうでもないような気もする。
なんだか、音楽はいいけど、長くて、すっきりしない、物足りない感覚が残る作品だった。まぁ、人生の実情なんて、すっきりしないし、いつも何か物足りないものなのだろう。
最初に、リンゴが "Octopus's Garden" を披露して、ジョージがアドバイスする可愛いシーンから始まる。ジョージの優しい表情が最高。この曲のクレジットを確認したが、リンゴだけになっている。実際はジョージがかなりの部分つくっている。
良い感じに和んだ頃に、例の非音楽的な人の奇声が早くも響く。もちろんイヤホンを外してやりすごす。
紫のゴージャスなブラウスに、ピンクのピンストライプスーツのジョージが、きまっている。面白いのは、ギタリスト(ジョージ)がピアニスト(ビリー・プレストン)にコードを訊くところだ。私の感覚では、クラシックのピアニストはコードに弱く、ギタリストが強い。私とウクレレの先生(ギタリスト)のやりとりの面白さは、その辺りなのだが。
ともあれ、ジョージが昨晩出来てきた曲 "Old brown shoe" を作る過程が面白い。ジョンの作曲アドバイスによると、「始めたら最後まで作れ」とのこと。(本人が出来ているかどうかは別らしい。)ジョージがピアノを弾いている間に、ポールがジョージのギター(ローズウッドのテレキャスター)を弾いているのが驚き。右利き用なのに!ポールは本当に器用だ。
パート1の頃から思っていたのだが、こういう音楽分野の人は、アンプだのマイクだの、PA だの、とにかく電子機器に時間と手間を取られすぎている。私はピアノさえあれば蓋を開けて弾くだけの人なので、なんて面倒くさいのだろうと思う。
お気に入りのカール・パーキンスを演奏したり、自分たちの古い曲を演奏したり。"Let it be", "The long and winding road", "I've got a feeling", "Don't let me down" , "Get back" などを合わせていくうちに、ジョージの新曲を覚えようということになり、"Something" が登場する。ジョージは歌詞に苦労しているようで、ここで例のジョンによる「カリフラワーとかにしとけ」というアドバイスがでてくる。
ジョージが唐突に、黒い革靴が欲しいと言い出すのも面白い。たしか、パート2だったか、急に蝶ネクタイが欲しいとか言い出していた。むかし読んだ、アリステア・テイラーの本によると、ジョージは無茶は言わないし、手の掛からないナイス・ガイなのだが、こういう他愛もないリクエストが時々あるらしい。
ジョージのピンクのシャツも素敵だが、リンゴの緑のシャツに、明るい緑のスーツも、凄く鮮やかで似合っている。
不穏なアラン・クラインの話題に続き、それで、じゃあライブはやるの?という相談になる。ポールが煮え切らない。ジョンも煮え切らない。そもそも、このセッションってどこを目指してたんだっけ?みたいな「そもそも論」になってしまい、聞いているといらついてくる。
「要するに煙突のに上ることを期待してるの?」とマイケル・リンジー・ホッグに尋ねるジョージ。内容よりも…その、白いセーター似合う!かわいい!
「やれというなら、やるよ。バンドなんだから。屋上ではやりたくないけど」
いやぁ~!この長い映画の中で一番ビジュアル的に輝いているジョージではないだろうか?
リンゴは「やりたい」というし、ジョンも同意に回る。ポールが渋る。こっちは、結局あの歴史的な「ルーフ・トップ・コンサート」が行われた事実を歴史として知っているので、この逡巡にはイライラするが、よく考えると躊躇しているポールの方がまともなのかも知れない。町中で、昼日中にロックバンドが屋上でロックコンサート?予告もなしに?そりゃ警察も出動するだろう…
ジョージが、たまっている自分の曲をアルバムにするつもりだと、ジョンに語るシーンがある。これはそのまま、[All Things Must Pass] へと繋がるのだろう。ジョンに言わせれば、"outlet" (排出口、コンセント) ―― 日本語字幕では「はけ口」にしていたが、上手い翻訳だ。ジョージ曰く、自分の曲を人にあげたりもしたけど、馬鹿らしいから、自分でやろうと思う。―― まさに、これこそビートルズ解散の重要なファクターだと思う。
その後、ビリー・プレストンと、ジョンが中心になって "I Want You" のセッションになるのだが、マーティン・ルーサー・キングの有名な演説を歌詞にしているところが素晴らしい。この映画のセッションシーンの中でも、これが一番良かった。
そして、屋上ライブ当日。
直前まで、四人で話し合っていた模様だが、着々と準備は進み、ここまで来たら、やるしかないとなったのだろう。四人が屋上に現れて、"Get Back" の途中から始まる。多分、録音テストで頭が切れていたのだろう。
ここから映画は一から二、三、多ければ六など、複数のカットを使った画面になって、ライブが行われている間に、階下や通り、近隣のビルで何が起きていたのかを映し出す。
私が勝手に持っていた印象として、ルーフトップのジョージとリンゴは、不機嫌そうだと思っていたのだが、きれいになった映像を改めて見ると、そうでもなくて、要するに寒かったということらしい。
ライブ・パフォーマンスをするビートルズは素晴らしく生き生きとしていて、格好良い。これを見ると、ライブ・パフォーマンスを止めたこともまた、ビートルズ解散の一因だということが分かる。
もう一つ分かったのは、唐突に、ジョンのもみ上げのことである。トム・ペティの女子ファンたちに超絶不評な [Live Aid] でのトムさんのもみ上げは、ジョンの真似だったのだ…トムさんは、要所要所でジョンになろうとして、盛大に失敗する。
パート1から思っていたのだが、やはりジョンという人も、とても格好良い。私がジョージが一番格好良いと気付く前は、ジョンが一番好きだったのも、そのせいだろう。
やがて警官がやってくる。パフォーマンスは終わりに近づく。最後の "Get Back" の方がテンポが若干速いし、ジョンのソロもちゃんと弾けている。
こうして [Get Back] セッションは終わり、映画も終わる。ジョンの "We've got so many of the bastards." という言葉とともに。
長かった!とにかく長かった!約8時間である。8時間かけて、この映画が伝えたことは?私個人としては、音楽演奏の練習は公開するモノじゃないなということ。やっぱり練習、リハーサル、変更、改善、そういうことは人に見せるものでも、聞かせるものでもない。入念に準備し、ある程度納得いったものを、人に聞かせるのが、音楽家としてあるべき姿だと思う。
それまでの過程まで見せようとすると、見たくないものや、聞きたくないものまで混在してしまい、音楽を楽しむという本来の目的の妨げになるのだ。
その一方で、ビートルズもまた「人間」であって、それなりの苦労、葛藤があって、あれほど偉大なのだということも分かった。その先に待っている運命は解散であり、泥沼の訴訟合戦である。それらも含めて、ビートルズは好かれているのだろうか。そうかもしれないし、そうでもないような気もする。
なんだか、音楽はいいけど、長くて、すっきりしない、物足りない感覚が残る作品だった。まぁ、人生の実情なんて、すっきりしないし、いつも何か物足りないものなのだろう。
Unchained Melody ― 2021/12/26 23:12
全日本フィギュアスケート選手権が終わり、とりあえず私にとっての今年のスポーツイベントには、区切りがついた。
女子は大好きな坂本花織が、完璧な演技で魅せてくれて大満足だ。オリンピックの表彰台はロシア勢で占められることが予想されるので、坂本がどこまで食い込めるかが注目。全日本選手権で燃え尽きずに、オリンピックにまたピークを持ってきて欲しい。
音楽面の話だが、羽生のショート・プログラムは去年の "Let me entertain you" が凄く良かったので、謎のピアノ・バージョン「序奏とロンド・カプリチオーソ」(サン=サーンス)になったのが残念。四年前のショパンの「バラード1番」と味付けが被ってしまうのだ。
一方、金メダル大本命のネイサン・チェンは、ショート・プログラム、フリー・プログラム、ともに二シーズン前の「ラ・ボエーム」と「ロケットマン」にする、とのニュースが入ってきた。これは正解だと思う。ショートの「ネメシス」で、四年前に取り逃した金を「取り戻す」という思いつきは、なんだか好きではなかったのだ。頑張れネイサン。応援してる。
今回の全日本で印象的だったのは、三宅星南のショート・プログラムだった。演技が全体的に素晴らしかったし、私は生まれて初めて "Unchained Melody" が良い曲だと感じた。
こういう甘ったるいムード歌謡みたいな音楽は好きではないのだが、三宅君の演技の熱量が素晴らしく、この曲の盛り上がりを効果的に伝えてくれていた。
音楽ファンでありながら、フィギュアスケートのファンで良かったと思う瞬間の一つが、音楽の良さを別の切り口で感じることが出来る、こういう体験ができることだ。
女子は大好きな坂本花織が、完璧な演技で魅せてくれて大満足だ。オリンピックの表彰台はロシア勢で占められることが予想されるので、坂本がどこまで食い込めるかが注目。全日本選手権で燃え尽きずに、オリンピックにまたピークを持ってきて欲しい。
音楽面の話だが、羽生のショート・プログラムは去年の "Let me entertain you" が凄く良かったので、謎のピアノ・バージョン「序奏とロンド・カプリチオーソ」(サン=サーンス)になったのが残念。四年前のショパンの「バラード1番」と味付けが被ってしまうのだ。
一方、金メダル大本命のネイサン・チェンは、ショート・プログラム、フリー・プログラム、ともに二シーズン前の「ラ・ボエーム」と「ロケットマン」にする、とのニュースが入ってきた。これは正解だと思う。ショートの「ネメシス」で、四年前に取り逃した金を「取り戻す」という思いつきは、なんだか好きではなかったのだ。頑張れネイサン。応援してる。
今回の全日本で印象的だったのは、三宅星南のショート・プログラムだった。演技が全体的に素晴らしかったし、私は生まれて初めて "Unchained Melody" が良い曲だと感じた。
こういう甘ったるいムード歌謡みたいな音楽は好きではないのだが、三宅君の演技の熱量が素晴らしく、この曲の盛り上がりを効果的に伝えてくれていた。
音楽ファンでありながら、フィギュアスケートのファンで良かったと思う瞬間の一つが、音楽の良さを別の切り口で感じることが出来る、こういう体験ができることだ。
John Lennon ― 2021/12/30 22:32
自宅で仕事をしている最中に、CD を端から順番に聞いていって、処分するものを選り抜くという作業。年内にロック部門が終了した。ビートルズ、ストーンズ、ディラン、TP&HB、ジョージの五者は、この作業から除外されている。
そして不幸にも選ばれた CD たちは売り飛ばされ、本日10000円ほどの現金になった。
実に色々なアーチストがその処分の対象になった。前述したビリー・ジョエルに続いて、クイーンもベスト盤を除いて処分してしまった。
実は、告白するようだが ―― I confess! (Not you!!) ―― ジョン・レノンのソロ・アルバムも一部処分した。
処分したのは、[John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)], [Double Fantasy] の二作である。手元に残ったのは、[Imagine], [Rock 'n' Roll], [Walls and Bridgs], [Imagine (Movie sound track)], [Saved Fish] の五タイトル。
[Imagine] については、初任給で買ったという思い入れがあったので、手元に残した。ちなみに、初任給ではもう一枚、ディランの [Highway 61 Revisited] も購入している。初任給の思い出でなければ、処分していたかも知れない。
要するに、ジョンに張り付いている「不快な非音楽的人」の存在が強すぎると、聞くのが嫌になってしまって、好きではないアルバムになるのだ。一方、[Rock 'n' Roll] や、[Walls and Bridges] はその影響が少ない、もしくは無いのが良い。
私が一番好きなジョン・レノンは、ビートルズの初期のシャウトするロックンロール・ボーイであって、愛と平和の使者、活動家というのは、ちょっと違う。
そのような訳で、処分したアルバムに入っていて、かつ良い曲は、ベスト盤である [Saved Fish] などでカバーすればいいか…などと頭を整理したわけである。
ジョンのソロ曲で好きな物も、もちろんたくさんある。最後のアルバムだって、"Woman" , "(Just Like) Starting Over" などが名曲だ。
[Walls and Bridges] では、エルトン・ジョンと共演した "Whatever Gets You Thru The Night" がナンバーワン・ヒットになったが、動画サイトにはジョンのヴォーカルだけの珍しいバージョンがあった。これでも十分格好いい。
イカしたサックスだなと思ったら、ボビー・キーズだった。さすが。
そして不幸にも選ばれた CD たちは売り飛ばされ、本日10000円ほどの現金になった。
実に色々なアーチストがその処分の対象になった。前述したビリー・ジョエルに続いて、クイーンもベスト盤を除いて処分してしまった。
実は、告白するようだが ―― I confess! (Not you!!) ―― ジョン・レノンのソロ・アルバムも一部処分した。
処分したのは、[John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)], [Double Fantasy] の二作である。手元に残ったのは、[Imagine], [Rock 'n' Roll], [Walls and Bridgs], [Imagine (Movie sound track)], [Saved Fish] の五タイトル。
[Imagine] については、初任給で買ったという思い入れがあったので、手元に残した。ちなみに、初任給ではもう一枚、ディランの [Highway 61 Revisited] も購入している。初任給の思い出でなければ、処分していたかも知れない。
要するに、ジョンに張り付いている「不快な非音楽的人」の存在が強すぎると、聞くのが嫌になってしまって、好きではないアルバムになるのだ。一方、[Rock 'n' Roll] や、[Walls and Bridges] はその影響が少ない、もしくは無いのが良い。
私が一番好きなジョン・レノンは、ビートルズの初期のシャウトするロックンロール・ボーイであって、愛と平和の使者、活動家というのは、ちょっと違う。
そのような訳で、処分したアルバムに入っていて、かつ良い曲は、ベスト盤である [Saved Fish] などでカバーすればいいか…などと頭を整理したわけである。
ジョンのソロ曲で好きな物も、もちろんたくさんある。最後のアルバムだって、"Woman" , "(Just Like) Starting Over" などが名曲だ。
[Walls and Bridges] では、エルトン・ジョンと共演した "Whatever Gets You Thru The Night" がナンバーワン・ヒットになったが、動画サイトにはジョンのヴォーカルだけの珍しいバージョンがあった。これでも十分格好いい。
イカしたサックスだなと思ったら、ボビー・キーズだった。さすが。
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