それ行け、ベンモント!(その1)2008/07/30 23:10

 ベンモント・テンチ。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの、キーボード・プレイヤーである。


MTV Rockumentary より

 TP&HBの前身,マッドクラッチ時代から、トム,マイクと共に中心メンバーでありつづけている。
 バンドの楽曲作者は常にトムか、トムとマイクの共作だが、ベンモントにもソングライティングの才能があり、それは主にサイド・ワークであるカントリーの分野で発揮されている。声は細いほうだが、バッキング・ボーカルでも活躍し、マッドクラッチのアルバムではリード・ヴォーカルも取っている。
 ピアノやハモンドオルガンを弾かせれば、「これほどロックという音楽を完全に理解している人は居ない」と思わせる。自分ひとりのテクニックをひけらかすのではなく、バンドとして、ロックとしての完璧さと調和を追及している。この基本姿勢はマイク・キャンベルと同じであり、TP&HBが高レベルのまま30年以上持続している理由が、このあたりにありそうだ。

 ベンモントは、TP&HBのみならず数多くのスタジオ・セッションをこなしている事でも有名だ。1980年代中盤以降、とくに精力的にセッションに参加し、すさまじい数のアルバムに名前がクレジットされている。日本のTP&HBファンサイトでは詳細なリストを作っているが、それでも追いつかぬべらぼうな働きぶり。
 あまりにもよく働くので、ベンモントに関して「片手にアタッシュケース,片手に携帯電話で、ヘリコプター移動している」という、イメージを持ったことがある。

 しばし、彼に注目したい。TP&HBがデビューするまでのベンモントに関して、知り得る事を書き連ねてみる気になった。

 フルネームは、ベンジャミン・モンモランシー・テンチ・ザ・サード Benjamin Montmorency Tench III
 「ベンモント」という変わった名前は、「ベンジャミン」と「モンモランシー」をくっつけたもので、どうやら彼の祖父が使っていた呼称を引き継いだらしい。日本語表記では「ベンモン」が定着しているが、英語で発音する人は、最後のTを発音していないように感じる。MontmorencyもTは発音しない(そもそもフランス系の名前だ)。
 トムは「ベンモン」と呼び、最近のライブにおけるメンバー紹介では、「ミスター、ベンモン・テンチ・ザ・サード!」と長ったらしく言う。三つ年下のベンモントに、「ミスター」と、「ザ・サード」をつけるのは、トムなりの茶目っ気なのだろう。

 「代々同じ名前で、ジュニアとか、サードとかつくのは、名家の出だ。」という話を聞いたことがある。真偽のほどは知れないが、少なくともベンモントの場合はあてはまりそうだ。
 ベンモントの父,ベンジャミン・モンモランシー・テンチ・ジュニアは、自分の事務所を持つ弁護士、巡回裁判所判事を兼ね、地元の裁判制度の整備にも貢献した名士だった。このため、ベンモントは裕福な家庭で育っている。ベンモントの幼少期の写真を見ると、いかにもお坊ちゃまな写真クォリティで、しかもピアノを弾いていたりする。
 ピアノは小さい頃から習っていて、上達意欲は「従兄弟より上手になりたい」という、素朴な物だった。彼が好きな作曲家の中に、バッハやベートーヴェンを挙げているのは、鍵盤弾きとして納得が行く。



 1953年生まれなので、十代に突入した頃に、ビートルズを先頭とするブリティッシュ・インベイジョンを体験したのだろう。ある日、地元の楽器店にやってきたベンモント少年。鍵盤楽器の前に座ると、やおらビートルズのアルバムを最初から弾き始め、最後の曲まで弾ききってしまった。
 「目撃者」の話によると、ベンモントは歌わずにひたすら弾き続け、周りには人だかりができていた。その「目撃者」は、感心してベンモントに声を掛けた。
 もちろん、トム・ペティである。
 Box Set[ Play Back ] の解説によると、ベンモントは「ブライアン・ジョーンズのような髪型をした金髪の人」で、トムを記憶している。やはりあの金髪は目立つようだ。
 TP&HBのドキュメンタリー映画[ Runnin' Down A Dream ] (=RDAR)において、トムが楽器屋でベンモントに会ったのは、ベンモントが11歳か12歳の子供の時だったと言っている。ベンモント自身も、インタビューで「12歳だった」としているので、間違いない。すると、トムは14か15だ。この年代で3歳の差は大きい。小6に中3が声をかけるのだから、ベンモントの演奏はよほどのものだったのだろう。
 さらに、トムは[ Conversations with Tom Petty ] (=カントム)で、こう語っている。

 (ベンモントは楽器店に入り)椅子に腰掛けると、オルガンでビートルズのアルバムの曲を弾き始めた。たしか、「サージェント・ペッパー」だ。最初から最後まで弾いちゃったんだ。鮮明に覚えているよ。
 何せベンモントはオルガンを止めたとたんに、ハープシコードで「ルーシー・イン・ザ・スカイ」を弾き始めたんだから。ベンモントを見ようと、ひとだかりが出来ていた。まったく、凄い光景だった。


 矛盾がある。
 ビートルズのアルバム [ Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band] のアメリカ発売は、1967年6月。ベンモントが13歳半の時だ。この時期、ベンモントは既に進学のためにゲインズヴィルを離れている。
 「サージェント・ペッパー」に言及しているのは、カントムだけであり、RDADでは、アルバム名に言及しなかった。
 12歳のベンモント少年が弾いたのは、確かにビートルズだったのだろう。しかし、それは[Sgt. Pepper]ではなく、[Help!] か、[Rubber Soul], ぎりぎりで[Revolver]あたりだ。[Sgt. Pepper]はいかにも、複数のキーボードを駆使して弾き切ると魅力的なアルバムなので、トムの記憶がすりかわったと思われる。または、後年ベンモントが[Sgt. Pepper]を一人で、最初から最後まで弾いて見せたのかもしれない。

 ともあれ、トムの記憶が大きく育つほどに、少年の印象は強かった。トムは少年に声を掛け、自己紹介をした。少年の名前は、「ベンモントという、変わった名前だった。」(Tom Petty / RDAD Book)

 ビートルズやストーンズの結成秘話に倣えば、ベンモント少年はそのままトムのバンド仲間になるのが定石だ。しかし、そうはならなかった。
 ベンモントはトムから見て明らかに「子供」であり、実際にそうだった。さらに、ベンモントがほどなくゲインズヴィルを離れる事になったからだ。なぜ故郷を離れたのかというと、彼の育ちが良かった事に起因する。

(つづく)

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