Here Comes My Baby2020/06/01 21:43

 1962年1月1日に、大雪の中リヴァプールからやってきたザ・ビートルズは、デッカ・レコードのオーディションを受けた。

 そして落ちた。

 デッカ・レコードがビートルズを落としたことは、世紀の大失敗と言われている。
 デッカはクラシックでも有名だし、ザ・フーやストーンズを世に出している。
 それでもなお、デッカが何で有名かと言えば、「ビートルズを落としたレーベル」としてではないだろうか。

 デッカにはデッカなりに理由があった。
 実はビートルズとは別のバンドを、同時期にオーディションしており、どちらかを選ばなければならなかったのだ。
 ビートルズを捨てて採用したのが、ザ・トレメローズである。当時は、ブライアン・プール&ザ・トレメローズだった。

 トレメローズのスタートは、なかなか思うようなヒットには恵まれなかったようだ。"Twist and Shout" をカバーして発表したのが、ビートルズのファーストアルバム発売から、たった一ヶ月後だったというのだから、不運としか言いようがない。



 それでも、時は1960年代前半。ブリティッシュ・インベイション勢の一角として、いくつかのヒットを飛ばした。
 しかし、ブライアン・プールをはじめ、何人もメンバーが代わり、デッカレコードからも離脱した60年代後半にバンドとしての正念場を迎える。
 幸運なことに、1967年に "Here Comes My Baby" がヒットした。
 ドンチャカした演奏が ―― とりわけカウベルが笑えるが、CS&Nばりの美しいコーラスだ。



 この曲のプロデューシングは、ちょっとした謎のおバカ加減だが、オリジナルを作ったのはキャット・スティーヴンスと知って驚いた。
 私にとってキャット・スティーヴンスと言えば、[Teaser and the Firecat] なので、このおバカ楽曲とつながらなかったのだ。
 そこで彼のバージョンを聞いてみた。これなら分かる。レフト・バンクとか、ゾンビーズみたいな感じ。ただ、ブラスの使い方がちょっと、バカみたいで、そこがトレメローズに影響したようだ。



 トレメローズはその後もメンバー交代を繰り返して、今に至るそうだ。
 デッカ・レコードの判断も、それほど悪くなかったのかも知れない。

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