and on piano... Nicky Hopkins ― 2013/09/27 23:59
ジュリアン・ドーソン著、ニッキー・ホプキンズの伝記 [and on piano... NICKY HOPKINS] を読み終わった。

前半がだんぜん面白かった。音楽活動を始め、天才ピアニストとして名を馳せ、病気でいちど表舞台から退くが、60年代後半にカムバックすると、状況が一変したあたりは特に面白い。
ビートルズやストーンズの登場によって、ポップ・ミュージックは巨大で、最先端で、そしてかなり狂った世界へと変貌を遂げていたのだ。
その世界に「帰ってきた」若きニッキー。30歳直前まで両親の家に住み、スケジュールの管理もお母さん。ビスケットと紅茶の大人しくて気の良い青年。
この時期のエピソードで、一番面白かったのは、キース・リチャーズの話。キースがあるとき運転している車を民家の植え込みに突っ込ませてしまい、途方に暮れていると、その家の住人らしき夫婦がでてきて、こう言った。「今日は。リチャーズさん。」…ニッキーの両親の家だった。
ストーンズと仕事をするのは、想像以上に大変だったようだ。とにかく、べらぼうに非効率的。彼らが怠け者というわけではないのだが、キースのドラッグ次第で、何日も待ちぼうけを食らうし、ミックはそういうことをコントロールする気がない。ストーンズで「まともでいる」ビルとチャーリーによると、ストーンズでいる秘訣は、「辛抱強さ」だそうだ。
ピート・タウンゼントは比較的真面目で、理論的に仕事をする方で、ニッキーも仕事がしやすそうだったが、キンクスのレイ・デイヴィスや、ジェフ・ベックには少なからず不快な思いをさせられた模様。
ジョージとは以前にも書いたとおり、とても気持ちよく仕事をしたようで、音楽以前に「会ったその時からまるで兄弟のような」関係だった。
良い事ばかりではない。バンドの正式メンバーではなく、「セッション・マン」であることの辛さが、特に後半から目立った。あれほど貢献したストーンズでも、特に金銭的に良い思いをしたわけではないし、ビートルズの "Revolusion" に至っては、たったの『6ポンド10シリング』で終わりだったというのだ。当時の物価は知らないが、そうは言っても『6ポンド10シリング』は驚きだ。
良くも悪くも、60年代流だったのだろう。ビートルズなどは特に顕著だが、あれで意外とバンド外のミュージシャンを極力入れないようにしている。ジョージ・マーティンはピアノがある程度弾けるし、ポールも器用な方なので、そこそこのピアノで済ましてしまう。
バンドとしての結束力と愛情が強いのは良いが、一方でニッキーのようなセッション・マンへの好待遇にはつながらず、そこが辛い。
もちろん、ニッキーへの敬意は最高で、言葉を尽くして、誰もが彼を褒め倒す。でも、それに金銭がともなわず、なんとも言えない気持ちになる。
ニッキーが70年代に居をアメリカ西海岸に移すのは、「季候が良いから」などと言っているが、結局は仕事が多く、払いもましだったからではないだろうか。
70年代以降は、ドラッグに溺れ、経済的にもきつく、ドラッグの悪夢から脱しても、かつてのような輝きは取り戻せなかった。ドラッグは多分に本人の問題だが、経済的にはもっと報いられても良いのにと思う。
90年代初頭、ニッキーは激しい痛みを伴う体の変調を訴えて入院するのだが、そこでアメリカの現実を体感することになる。保険に入っていないニッキーを、どの医者も診ようとしないし、もちろん手術もしないというのだ。お金を払う見込みのない患者は診ないというわけ。さすがにUK人や、日本人にとっては別世界。
ニッキーの妻(二人目の妻。悪名高き最初の奥さんではない)は、ニッキーを見てくれる医者を探すのに苦労したし、1994年に彼が50歳で亡くなったのはこのような状況のせいだとも考えている。
ニッキーの経済的苦境の話から、意外なエピソードが登場した。
ニッキーは、1970年に購入した、1924年製造のメイソン&ハムリンのピアノを愛用していた。しかしその後、医者にかかるために、ドゥービー・ブラザーズの、ジョン・マクフィーに売却した。
ニッキーはお気に入りだったこのピアノを、いつか買い戻すつもりだったが、それも叶わないまま他界。10年ほどした2005年9月、マクフィーは、このピアノをeBay に出品し、13000ドルを目安とした。これはグランドとは言え、古いピアノとしては、かなりのお値段。
ニッキーの友人がこれを競り落とし、ロックの殿堂へ寄付するつもりでいたのだが、出品者のマクフィーから、こんな連絡があったのだ。「トム・ペティのバンドの、ベンモント・テンチに取られちゃったよ。彼がニッキーの大ファンだったっていうのが、せめてもの慰めだね。」
ここに突如、登場するベンモント・テンチ!そもそも、TP&HBとニッキーは殆どつながりがない。ハートブレイカーズに天才ピアニストが居るのだから当然だが…。わずかにつながりがあるとしたら、ニッキーがある時期、トムさんのお隣に住んでいたことがあるという程度。
そのベンモント自身のコメントはこうだ。
彼のピアノの広告がネットに載っていると、リック・ルービンが教えてくれたんだ。ぼくがニッキーの大ファンだったっていうのもあるけど、それだけじゃなくて、メイソン&ハムリンも大好きなんだ。ジョン・マクフィーはSolvangのスタジオにこのピアノを置いていて、ちょっと寄って弾いたことがあった。
そもそも、ぼくは1873年のべーゼンドルファーのミニ・グランドを持っていたし、スタインウェイや、ヤマハのアップライトもお気に入りだった。だから「もうこれ以上ピアノは必要ないな」と思っていた。でも、あのピアノを弾いたら、気が変わった。「やっぱりもう一台必要だな。」
ぼくが手に入れて良かったと思うよ。ニッキーのことをよく知らない人が購入して、あれこれデコレーションなんてされるよりはね。
ぼくはニッキーと特に親しいというわけではなかった。会ったのは1回か2回。それから、数回電話で話したことがある。妙は話なんだけど、彼がナッシュヴィルへ引っ越す前に、ぼくにピアノを引き取らないかって、電話してきたんだ。その時は置く場所がなかったからパスしたんだけど、結局めぐりめぐって、ぼくのところにたどりついたわけだ!
まさに、ピアノは天下の回り物。二人の天才ピアニストの元に行ったこのメイソン&ハムリンこそ、幸せなピアノだろう。

前半がだんぜん面白かった。音楽活動を始め、天才ピアニストとして名を馳せ、病気でいちど表舞台から退くが、60年代後半にカムバックすると、状況が一変したあたりは特に面白い。
ビートルズやストーンズの登場によって、ポップ・ミュージックは巨大で、最先端で、そしてかなり狂った世界へと変貌を遂げていたのだ。
その世界に「帰ってきた」若きニッキー。30歳直前まで両親の家に住み、スケジュールの管理もお母さん。ビスケットと紅茶の大人しくて気の良い青年。
この時期のエピソードで、一番面白かったのは、キース・リチャーズの話。キースがあるとき運転している車を民家の植え込みに突っ込ませてしまい、途方に暮れていると、その家の住人らしき夫婦がでてきて、こう言った。「今日は。リチャーズさん。」…ニッキーの両親の家だった。
ストーンズと仕事をするのは、想像以上に大変だったようだ。とにかく、べらぼうに非効率的。彼らが怠け者というわけではないのだが、キースのドラッグ次第で、何日も待ちぼうけを食らうし、ミックはそういうことをコントロールする気がない。ストーンズで「まともでいる」ビルとチャーリーによると、ストーンズでいる秘訣は、「辛抱強さ」だそうだ。
ピート・タウンゼントは比較的真面目で、理論的に仕事をする方で、ニッキーも仕事がしやすそうだったが、キンクスのレイ・デイヴィスや、ジェフ・ベックには少なからず不快な思いをさせられた模様。
ジョージとは以前にも書いたとおり、とても気持ちよく仕事をしたようで、音楽以前に「会ったその時からまるで兄弟のような」関係だった。
良い事ばかりではない。バンドの正式メンバーではなく、「セッション・マン」であることの辛さが、特に後半から目立った。あれほど貢献したストーンズでも、特に金銭的に良い思いをしたわけではないし、ビートルズの "Revolusion" に至っては、たったの『6ポンド10シリング』で終わりだったというのだ。当時の物価は知らないが、そうは言っても『6ポンド10シリング』は驚きだ。
良くも悪くも、60年代流だったのだろう。ビートルズなどは特に顕著だが、あれで意外とバンド外のミュージシャンを極力入れないようにしている。ジョージ・マーティンはピアノがある程度弾けるし、ポールも器用な方なので、そこそこのピアノで済ましてしまう。
バンドとしての結束力と愛情が強いのは良いが、一方でニッキーのようなセッション・マンへの好待遇にはつながらず、そこが辛い。
もちろん、ニッキーへの敬意は最高で、言葉を尽くして、誰もが彼を褒め倒す。でも、それに金銭がともなわず、なんとも言えない気持ちになる。
ニッキーが70年代に居をアメリカ西海岸に移すのは、「季候が良いから」などと言っているが、結局は仕事が多く、払いもましだったからではないだろうか。
70年代以降は、ドラッグに溺れ、経済的にもきつく、ドラッグの悪夢から脱しても、かつてのような輝きは取り戻せなかった。ドラッグは多分に本人の問題だが、経済的にはもっと報いられても良いのにと思う。
90年代初頭、ニッキーは激しい痛みを伴う体の変調を訴えて入院するのだが、そこでアメリカの現実を体感することになる。保険に入っていないニッキーを、どの医者も診ようとしないし、もちろん手術もしないというのだ。お金を払う見込みのない患者は診ないというわけ。さすがにUK人や、日本人にとっては別世界。
ニッキーの妻(二人目の妻。悪名高き最初の奥さんではない)は、ニッキーを見てくれる医者を探すのに苦労したし、1994年に彼が50歳で亡くなったのはこのような状況のせいだとも考えている。
ニッキーの経済的苦境の話から、意外なエピソードが登場した。
ニッキーは、1970年に購入した、1924年製造のメイソン&ハムリンのピアノを愛用していた。しかしその後、医者にかかるために、ドゥービー・ブラザーズの、ジョン・マクフィーに売却した。
ニッキーはお気に入りだったこのピアノを、いつか買い戻すつもりだったが、それも叶わないまま他界。10年ほどした2005年9月、マクフィーは、このピアノをeBay に出品し、13000ドルを目安とした。これはグランドとは言え、古いピアノとしては、かなりのお値段。
ニッキーの友人がこれを競り落とし、ロックの殿堂へ寄付するつもりでいたのだが、出品者のマクフィーから、こんな連絡があったのだ。「トム・ペティのバンドの、ベンモント・テンチに取られちゃったよ。彼がニッキーの大ファンだったっていうのが、せめてもの慰めだね。」
ここに突如、登場するベンモント・テンチ!そもそも、TP&HBとニッキーは殆どつながりがない。ハートブレイカーズに天才ピアニストが居るのだから当然だが…。わずかにつながりがあるとしたら、ニッキーがある時期、トムさんのお隣に住んでいたことがあるという程度。
そのベンモント自身のコメントはこうだ。
彼のピアノの広告がネットに載っていると、リック・ルービンが教えてくれたんだ。ぼくがニッキーの大ファンだったっていうのもあるけど、それだけじゃなくて、メイソン&ハムリンも大好きなんだ。ジョン・マクフィーはSolvangのスタジオにこのピアノを置いていて、ちょっと寄って弾いたことがあった。
そもそも、ぼくは1873年のべーゼンドルファーのミニ・グランドを持っていたし、スタインウェイや、ヤマハのアップライトもお気に入りだった。だから「もうこれ以上ピアノは必要ないな」と思っていた。でも、あのピアノを弾いたら、気が変わった。「やっぱりもう一台必要だな。」
ぼくが手に入れて良かったと思うよ。ニッキーのことをよく知らない人が購入して、あれこれデコレーションなんてされるよりはね。
ぼくはニッキーと特に親しいというわけではなかった。会ったのは1回か2回。それから、数回電話で話したことがある。妙は話なんだけど、彼がナッシュヴィルへ引っ越す前に、ぼくにピアノを引き取らないかって、電話してきたんだ。その時は置く場所がなかったからパスしたんだけど、結局めぐりめぐって、ぼくのところにたどりついたわけだ!
まさに、ピアノは天下の回り物。二人の天才ピアニストの元に行ったこのメイソン&ハムリンこそ、幸せなピアノだろう。
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