TP&HBのどこが好き?2025/10/21 19:49

 ここ一週間以上、ショパン・コンクールの演奏しか聴いていたのだが、最終結果発表が終わった途端に、すぐにトム・ペティを聞き始めた。どうやら私にとっては生で見るスポーツと同じだったらしい。ピアニストのくせに、けしからん。

 10月20日はトム・ペティの誕生日だ。きょうは21日だが、アメリカ時間ということで。生きていたら75歳だった。それを記念して、”Don't Fade On Me” のリハーサルの様子が公開された。



 マイクが寄り添っている様子が良い。いまにも一緒にワン・マイクロフォンで歌い出しそうだ。そもそもこの曲は、ギターの弾き方をマイクがトムさんに教えたところからできているので、歌詞以外はほぼマイクの作品と捉えて良い。

 先週末は、Heartbreakers Japan Partyさん主催のオフ会だった。なんと第75回。素晴らしい。
 よく話題になるのだが、どうして TP&HB を好きになったのかという話になる。だいたいは他に好きなミュージシャンがいて、そのつながりで好きになるというパターンが多い。

 なぜ好きなのかと言えば、要するにタイプだということだろう。私が最初にトムさんと仲間たちを聴いたり、見たりしたとき、彼らはポップでクールで、シンプルなロックンロールをやっていて、しかもとても仲の良さそうな素敵なバンドだった。実際は色々難しいこともあったし、ギスギスもしていたが、彼らなりの愛情とチームワークは確実にあった。
 私は男子が仲良くバンドをやっているのを眺めるのが好きなのだ。ビートルズがそのお手本で、ハートブレイカーズはまさに「ビートルズのようなバンド」だった。私のこの点は徹底していて、ディラン様を最初に好きになったときは、ジョージと一緒に仲間と楽しくバンドを組でいる人だったのだ。

 具体的にどの TP&HB かと言えば、このブログでは何度も言及しているように、”So You Want To Be A Rock ‘n’ Roll Star” のライブ映像だ。
 はっきり言って、金髪碧眼はタイプではない。しかし、トムさんはちょっと変わった顔つきで(ネイティヴ・アメリカンの血が入っていることを知るのは少し後)、しかも服がださかった。むしろ、ダークな髪色のギタリストが真摯で控えめで、ジョージっぽい雰囲気で格好良く、彼に変な服の金髪がちょっかいを出したりして仲良しな感じがツボだった。
 そして、トムさんの表情が良かった。生き生きとしたその表情には、ロックンロールを演奏することがどれだけ好きかが表れていた。微笑みながら会場を見回す瞳の輝きが魅力的で、この表情こそが私のタイプだった。べつに金髪碧眼でなくても構わなかった。
 その後、様々な映像、画像を見ることになるのだが、どれも最初の印象を裏切ることなく、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは最高に格好良く、ロックンロールの真髄を体現する存在であり続けている。これからもそうだろう。

Midas Man2025/10/12 10:23

 映画「ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男」を見た。原題は “Midas Man” マイダスとはギリシャ神話に登場するミダス王のことで、触れるものが黄金に変わるという男だ。触れたバンドが黄金ビートルズになったという意味だろう。



 どこが見どころかと言えば、もちろんどの程度ビートルズを再現できているかである。ブライアンについてはだいたい知っている話ばかりだったので、それほど興味があるわけではない。
 結論として、どの程度ビートルズに寄せられていたかというと…65点といったところだろうか。ジョンは顔も喋り方も似ているけど、背が低いのと、やや鋭さが削がれてむしろジュリアンに似ていた。ポールは顔の上半分はそっくり!下半分は似ていない。ジョージは、眉を足した(だろう)ことは良いが、それ以外はあの輝くような美少年ぶりは不発。リンゴにいたっては全く似ていなかった。
 演奏する姿はまぁまぁ。選択する楽器も違和感がなかったし、四人の仲の良さがよく出ていた。
 ブライアンは俳優ありきで、べつに似せるつもりもなかったらしい。それはエド・サリバンもしかり。ジョージ・マーティンは姿こそかなり似ていたが、喋り方がまったく似ていないので、中途半端な仕上がり。ビートルズ・ファンは、マーティンの喋り方も熟知しているのだ。

 この映画の苦労のしどころは、ビートルズを描くのにビートルズのオリジナル楽曲を、一切使えないところだ。初期はカバー曲だけでなんとか乗り切れるのかもしれないが、”Please Please Me” “I Want to Hold Your Hand” が大ヒットする重要な場面で、使えないという足かせはいかんともしがたい。その後はだいたいビートルズっぽい雰囲気だけで話が流れていき、この話は別にビートルズのマネージャーじゃなくても良いのでは?ということになった。

 要はビートルズという世界最高のバンドを世に送り出した、大成功者であったブライアンだが、薬物という悪癖と、当時はさらに生きづらかった同性愛者だったことの苦悩を描く映画だった。60年代は魔法の時代であり、音楽文化が黄金期を迎え、色とりどりの花で彩られ、様々な奇跡が起きたが、人間にとってそのスピードはついていけないものであり、その負の側面である薬物によって、多くの人は若くして命を落としいった。ビートルズという象徴的な太陽の影にそんな物語がある。

 そのほかに印象的だったのは、シラ・ブラックがけっこう良くフューチャーされていたこと。キャバーンのクローク係だったところから登場している。ブライアンのことを全ては理解していないが、優しく友愛に満ち、支えになろうとする姿が良かった。
 もう一つ良かったのは、ブライアンのアシスタントだった、アリステア・テイラーがしっかり出てきたところ。テイラーは、私が初めてビートルズにはまった小学生の時、ビートルズの情報を得るべくまず図書館でかりた本の著者だった。ビートルズの良き理解者で、欠くべからざる人のはずだが、その後のビートルズを取り巻く環境の変化で彼は歴史から弾き出されてしまった。そのことが私個人として悔しかったのだが、今回は日の目を見た。

 そしてこの映画で一番良かったところは、ジェリー&ザ・ペースメイカーズの “ You'll Never Walk Alone” が流れるところ。これぞ Liverpool !という感じで、すべてを持っていってしまった感じ。良かったなぁ。

Pianoforte2025/10/06 19:53

 2021年に開催された第18回フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクールの、舞台裏から出場者たちを追ったドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」を見た。ピアノという楽器名はピアノフォルテの略称である。
 ショパン・コンクールは5年に一度行われるが、2020年は COVID19 の影響で翌年に延期された。



 コンクール本番なので、集中的に映画に収められた人が最終的に勝つというわけではない。フューチャーされていた中では、アレクサンダー(イタリア)が最高位の3位。彼は舞台裏でも自分を見失わず、精神統一が上手だった。かなり成熟したピアニストに近いだろう。
 中には成績が振るわず、取り乱す人や、そもそも勝負にならない人なども発生。コンクールやピアノにのめり込みすぎて精神の病気を抱える人がいるのも分かる。
 同じピアニストとしては、教師と弟子の関係も興味深かった。最も若い高校生のハオ(中国)の先生は、ハオとベッタリ。でもその若い女性の先生は明るくて感じの良い人なのが救われる。ハオは先生といるとリラックスできると同時に、先生に縛られることなく飄々とした感じが良かった。ハオは今年も出場している。頑張れ。
 一方、17歳のエヴァ(ロシア)は神経質で不安定なお年頃。しかも先生が古風な厳しくて、怖くて、弟子を人前で侮辱しても平気でいるタイプ。でもエヴァは精神的に先生に依存しており、彼女がもっと高みを目指すには教師に関して考え直す必要もあるかもしれない。そして彼女は不運にもロシア人。ウクライナ侵攻以来、その活動は国内に限られており、今年のコンクールにも参加していないのだ。ロシア人が参加するには「国籍表示なしの中立的立場」でなくてはならず、さすがに数が少ない。

 そう、第19回ショパンコンクールが始まっているのだ。
 ピアノは芸術であって、スポーツではない。アレクサンダーが言ったように、ピアノで競うなんて、本当がおかしいのかもしれない。しかしギリシャ神話の昔から音楽での勝負は続いており、ショパン・コンクールはその究極形である。無論、優勝すればピアニストとしての一生の名声を得ることが殆どだ(例外もいる)。優勝しなかったとしても、内田光子(1970年2位)のように世界で最高のピアニストになるひともいる。メジャーなコンクールとは無縁でもキーシンのように、これまた世界で最高のピアニストもいるので、コンクールが全てではない。

 それでもなんだか気になってみてしまうし、最近はインターネットでどんどん一次予選の演奏が聞けてしまうからやっかいだ。
 きょう、私は一次予選の6人の演奏を聴いたので、それぞれちょっとメモを付けていった。一次予選の通過者は出場者の半分だが、私のメモによると、6人中2人しか通過しないらしい。さて、実際の結果はいかに。

 今回のコンクールで驚いたのは、本選(ファイナル)の曲が、協奏曲に加えて、幻想ポロネーズも加わったことだ。とても画期的な改善だと思う。
 そもそも、ピアノの詩人ショパンにおいて、協奏曲だけでファイナルを競うのはどうなんだという議論は長くあったのだ。ショパンの最高傑作ではないし、正直言ってオーケストラも上手くない。たった一人で世界を作り尽くすのがショパンなのに、協奏曲で最終的に決まるのは納得がいかないという訳だ。しかも、ここのところずっと、協奏曲1番を弾かないと勝てないといわれている。(オケが不慣れで2番だと上手く行かないという噂あり)そのせいで、みんな揃って1番を弾く。けっこううんざり。
 だから、幻想ポロネーズは大歓迎。わかりやすい曲ではないが、その分技量の差が出るのではないだろうか。ちょっと楽しみだ。
 音楽に国籍もなにもないだろうという建前はあるが、まぁ、たしかにおなじ日本人が健闘してくれると嬉しい。ただ、なんとなくポーランド・ロシア以外のヨーロッパ人の奮起に期待したい。最後にポーランド・ロシア勢以外で優勝したヨーロッパ人はなんと1960年のポリーニ(イタリア)だそうだ。60年以上出ていない。まぁ、ゲルマン人は「ショパンなんて別に」なのかもしれないが…ともあれ、健闘を祈る。

Cheap Trick in Budokan2025/10/04 20:57

 三日前の水曜日に、日本武道館でチープ・トリックのライブを見た。
 三日も経ってから言うなと、ファンからは怒られそうだ。詳しくは知らないのだが、どうやらフェアウェル・ツアーだったらしい。

 そもそも、私はチープ・トリックのファンというわけではない。親しい友人たちにファンの一団がいて、彼らと過ごしたときにチープ・トリックのビデオを一緒にみたこと、そのついでにベスト盤を一枚購入したこと。私がチープ・トリックについて知っているのはその範囲である。
 それがどうして、大事な大事な武道館公演などに行くことになったのかというと、例のファンの一団が盛り上がっており、「誰かぴあの会員になっていないか」、「席を取ってくれ」、「私会員だよ、取ろうか?」…という流れでなんとなく私も行くことに。
 しかも私にしては珍しく、武道館のアリーナを引き当てた。一番後ろの方で決して視界は良くなかったが、まぁアリーナが取れたというそれなりの興奮がある。

 コンサートが始まってみると、ちょっと困ったのは全然曲を知らないことだった。こんなに知らないんだ…とびっくりしてしまった。しかしファンである友人たちにとっては「おなじみの」ナンバーだったらしい。
 私の知っている曲が増えたのは後半からアンコールまでで、これなら私も一緒に歌えると楽しく過ごした。

 日本は世界でも有数のチープ・トリック好きの国だそうだ。そもそも、ヒットのきっかけも日本での人気とのこと。その割には観客は大人しいなぁと、バンドメンバーは思わなかったっだろうか。コール&レスポンスなんて、もっと凄くて良いのにと、客席に居ながら思う。アメリカで体験したものすごい歓声や合唱(うるさすぎて騒音である場合もある)を懐かしく思う。

 たぶん、バンドのオリジナル・メンバーの平均年齢も70歳を超えているだろう。それでもパワフルで、たった四人の音であれだけの迫力を出すのだから、偉いものだと、感心しきりだった。

The Boys of Summer2025/09/23 20:13

 ドン・ヘンリーの大ヒット曲 “The Boys of Summer” はマイク・キャンベルが作り、ヘンリーが詞を書いたことは有名だ。
 マイクはただただ、トムのためだけに沢山の曲を作りためていた。1980年代前半、マイクはドラムマシーンも手に入れて、曲のストックもかなりのものになっていた。ジミー・アイヴィーンもそれを知っていて、マイクをヘンリーに紹介したのだろう。
 ヘンリーはマイクの曲を気に入り、”The Boys of Summer” は大ヒットとなった。当時、経済的な危機にあって自宅が抵当に入っていたマイクだが、この曲によってその危機は回避された。そもそも、マイクが自力で曲をどんどん作れることに気づいた妻のマーシーが録音機を買うことを薦め、彼女が自宅の売却を拒否したことによるこの結果だ。マイクの愛妻はどこまでも正しく、マイクいわく「これぞ俺の彼女だ」。

 ”The Boys of Summer” の絶好調ぶりは、マイクの「本命」であるトムさんにとっては複雑なものだった ― と、マイクは感じているようだ。
 当時、ハートブレイカーズは “Rebels” の仕上げに苦労しており、トムはフラストレーションをためていた。そんな頃の出来事が、マイクの自伝に書かれている。

  私たちが ”Rebels” のミックスを行っているとき、トムと私はミキサーの前に並んで座り、何回か聴いていた。トムはつまみを回しながら微妙な調整を繰り返した。ひと仕事終わると、トムは車のステレオでどう聞こえるか聴いてみたいと言った。
 私はできあがったカセットテープを取り出し、私の車へと歩き出した。私が運転席に回る間に、トムは助手席に座った。私はイグニッション・キーを回した。
 ”The Boys of Summer” のコーラスがスピーカーから鳴り響いた。
 私は取り出しボタンをぶっ叩いて止めようとした。しかしそれはカセットの音ではなかった。ラジオが鳴っていたのだ。
「ああもう。ごめん。」私は反射的に謝っていた。
 私はラジオのボタンを押してラジオ局を変えようとした。しかし、またも同じ曲が流れる。トムは唇を引き結んでフロントガラスを見つめていた。私はもう一度違う局にしようとした。しかし、三度同じ曲が流れた。
 私はラジオを叩いて止めた。私たちの間にしばらく沈黙があった。三つの違うラジオ局で流れるなんて。
「ごめん」
「いや。よく出来てた。自信がついただろう?」
 トムとしては良い評価だった。
「そうだな、うまく行って嬉しいよ」
「だな。俺が聞き逃してなけりゃなぁ」

 この場面はやたらとエモい。二人きりの車中で、焦るマイク。黙り込むトム。謝るマイク。謝る必要なんてないのに。本命のトムが苦しんでいるのに、ほかのシンガーを大成功に導いたことへの罪悪感。トムとマイクの信頼関係が分かっているだけに、よけいにつらい 。
 自伝では、次のページでトムが自ら手を折ってしまう。自身信のフラストレーションのやり場を誤ったのだが、ともあれマイクを誰かに盗られたようなストレスが、彼を追い詰めたのだろう。

 ある種の悲劇でありつつ、彼らの絆の強さを表すエピソードだった。

More Cowbell2025/09/13 19:46

 マイク・キャンベル自伝、最近多忙のため、読むのがとても遅い。やっと後半にきた。
 さすがに出世作だけあって、”Damn the Torpedoes” のレコーディングの箇所はかなりの紙数を割いている。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズはビートルズのようにアルバムを制作するごとに成長を遂げるべく、新しくジミー・アイヴィーンをプロデューサーを迎えるのは周知のことだ。ジミーは完璧主義で、レコーディングの繰り返しが延々と続いたいう話は知っていたが、その詳細がさらにマイクの自伝によって明らかになった。
 ジミーと、ジミーが連れてきたエンジニア,シェリー・ヤクスは納得行くまで演奏、録音を繰り返すのだが、特にスタンのドラムスのサウンドに納得がいかず、地獄のようなセッションのが続くことになる。
 ある時、とうとうマイクはジミーの「もう一回」にブチ切れてスタジオから出ていってしまった。大人しい(しかも若い頃ほど大人しい)彼にしてはとてもめずらしい出来事だったろう。マイクは子どもを親に預け、妻のマーシーとのラブラブ回復週間を経て、やっとスタジオに戻ってきたのだ。

 シェリー・ヤクスは超絶的に敏感な耳の持ち主で、どんなささいな音も聞き逃さないというのが、マイクの評だ。TP&HB との仕事の前にも数々のレコーディングにかかわっており、その中にはブルー・オイスター・カルトの名もあった。マイク曰く、

 あのカウベル、”Don’t Fear the Reaper” ? あれがシェリーのアイディアだったとしても驚かない。

 突然話が SNL の有名なスケッチに飛ぶので笑ってしまった。このネタは分かる人にしかわからないが、アメリカ人だったらまず知っているくらいの知名度なのだろう。
 幸い、ジミー・ファロンの番組のゲストに、ともにこのスケッチに出演したウィル・ファレルが登場したときに話題になり、スケッチをまるごと紹介してくれた。思い出話として、ジミーが演技をしながらも笑ってしまっていたときに、ウィルも同じく笑ってしまっていたが、ヒゲでかくれていたのだということが披露された。



 さらに面白かったのは、後日談としてクリストファー・ウォーケンが舞台のアンコールに応えようと出ていくと、観客がカウベルを叩いていたとか、イタリアン・レストランで「もっとカウベルが必要ですか?」と聞かれるなど、散々な目にあったとのこと。

 TP&HB でカウベルが印象的な曲はぱっとは思いつかないが、少なくともジム・ケルトナーが突如現れて、”Refugee” にシェイカーを入れることをアドバイスしたことは有名だ。そのことを知って以来、”Refugee” を聞くたびにシェイカーの音に集中している自分を発見する。誰か面白いスケッチにしてくれないだろうか。

Harvard Business School2025/09/06 20:34

 ハーバード・ビジネス・スクールに参加したついでに一肌脱ぐセバスチャン。…将来的には ph Dr. になるつもりかな?

Sailing2025/08/27 19:38

 セイルGP, Sail GPは、海上のF1 というべき高速ヨットによるレース・カテゴリーである。国別対抗ではあるが、べつにナショナル・チームがあるわけではなく、そこは出資者やオーナーがいる点、F1レーシング・チームと同じだ。数年前から、セバスチャン・ベッテルがドイツチームに出資し、オーナーの一人になっている。私はセブがオーナーになったことで、初めてセイルGPを知ったというわけ。

 これまでも、セブがヘルメットを被って船に同乗させてもらっている動画などはあったが、この数日公開された動画は少し様子が違った。





 セブが舵輪を操作している!わぁお、びっくり!ヘルメット被ってステアリング状のものを操作する姿は、さすがに様になっている。もちろんこれはレース本番ではなく、デモンストレーション走行だろう。
 ドイツ・チームは強豪とはいえないようだが、セブが関わっている以上、応援せずにはいられない。

 sale, saling といえば、ロッド・スチュワートの録音が圧倒的に有名な “Sailing” ― 1975年のソロ・アルバムのB面に収録されている。この曲そのものはあまりにも有名なので貼り付けは省略する。
 私も小学生か、中学生くらいまではこの曲が好きだった。しかし、音大に進み、フォーク・ロック志向になると、大げさなサウンド、オーバー・プロデューシングが鼻について、好きな曲ではなくなったと思う。
 もともとは1972年サザーランド・ブラザーズの曲だ。こちらは今回初めて聞いた。



 聞いてびっくり、渋くて鈍痛がくるような不思議な曲調。これを聞くと、オーバープロデューシングとは言え、ロッドのバージョンはかなりの名曲、名編曲だということがわかる。そして今やオリジナルはほとんど聞かれず、ロッドのバージョンが広く知られているのも分かるというものだ。

Meeting Stones2025/08/20 21:01

 マイクの自伝を断片的に翻訳するシリーズ。今回は、”Hard Promises” をリリースした頃、ハートブレイカーズはニューヨークでのテレビ出演後に、目的は知らされずに呼び出された。とある建物のエレベーターの中で、一体何事だろうかとトムさんとマイクは顔を見合わせる。
 あるフロアに到着すると、リハーサル・ルームのステージ上にあるバンドがいたのだ…

 それはザ・ローリング・ストーンズだった。
 彼らは “Shattered” の演奏中だった。
 マイクロフォンのところにはミック・ジャガーがいて、チェリー・レッドのギブスンSGを細かなリズムを刻みながら歌っていた。ロン・ウッドとキース・リチャーズがミックの背後に居て、その斜め後ろのドラムスのところにチャーリー・ワッツが居た。ロニーがシルヴァーの彫刻つきのゼマイティスを弾き、キースは黒い5弦、メイプルネックの1972年製テレ・カスタムを爪弾いていた。
 まさにストーンズだった。その8割に過ぎないにしろ、ストーンズだった。
 曲が終わると、キースがミックとなにやらゴニョゴニョと話した。ミックはキースに頷いてみせると、SGをアンプに立てかけ、挨拶しに来た。リチャード(TP&HBのマネージャー)が私たちを紹介した。ミックは明るく愛想の良い感じだった。彼らは数日後に迫った、9月からのツアーに向けてリハーサル中だった。
 私がステージ上を見ると、ものすごい量のアンプの前に、古いサンバーストのフェンダー、Pベースがあった。
「ビルはどこに?」
 ビル・ワイマンの姿はどこにも見えなかった。
 ミックがため息をついた。
 キースはいつも遅れてくるのだと、ミックが説明した。ビルはそれに嫌気が差してしまって、いつも2日後に現れるのだという。ところが今回に限ってキースが時間通りに現れた。日付を誤ってメモしたに違いない。ビルは明日まで来ないだろう。
 トムがミックにギターを弾いていることについて尋ねた。
「ほら、あの二人とだろう?」
 ミックが舞台の方を見ると、キースとロニーがタバコを吸い、飲み物を飲みながら何やら愚痴をいっている。
「俺が弾かないと、あの二人やたらと早くなるから、歌詞が追いつかないんだ。あいつらのテンポを抑えるにはこれしかない」
 トムは、なるほどなるほど、分かるよと言いながら頷いた。私は彼を睨んでやった。
 私たちとさらに数分話して、ミックはステージに戻った。彼はSGを取り上げると、バンドはチャック・ベリーの “Too much monkey business” を演奏し始めた。
 ロニーがハンマー・オンにダブルストップをかけてイントロを奏でると、バンド全員がリズムに乗り出した。ミックはギターを弾きながらマイクロフォンに向かった。
 ミックが最初の歌詞を歌いだそうとしたとき、キースがドスドスとミックに向かってきた。
“Runnin’ to-and-fr–”
 キースが手のひらをミックのギターのネックに打ち付けて、音を消した。ロニーとチャーリーがストップする。チャーリーは天井を仰いでため息をついた。
 キースはブルドッグのように唸り声を上げた。
「てめぇがバンドをリードするのは無しだ!」
 キースは細い指をミックとマイクロフォンに突きつけた。
「L、V!てめぇのしごとはそれだ、Lと fu**ing V!」
リード・ヴォーカル。
 ミックはギターをおろしてローディに手渡した。キースは自分のテレキャスターのヴォリュームを上げると、演奏に戻った。俺のヒーロー。曲はどんどん速くなっていき、ミックは歌詞を押し込むに苦労していた。
 ミックが歌詞につまづいていている間に、バンドは轟音を上げる列車のように突っ走っていく。ミックはトムと私を見やった。彼は手を上げて見せて、肩をすくめた。「ほらな?」
 曲が終わると、ロニーが私たちを見やって言った。
「おーい、誰かベー…」
「俺やる!」私はトムが口を開く前に叫んでいた。
 私はまさにステージへと一目散に走っていった。
 フェンダー Pベースを肩に掛けて、アンプをオンにする。どの曲かも言わずに、キースがしなやかなオープンGのイントロを弾いた。”Tumbling Dice” ― 私たちはすぐに彼に続いた。コーラスにくると、私はミック・テイラーのベースラインを正確に弾いた。キースは驚いたような表情だった。その時、彼は私の存在に気づいたらしい。彼は目を細めた。私はつとめてクールに振る舞おうとしたが、思わず微笑まずにはいられなかった。
 いたって微かではあったが、私は確信している。間違いない。約束できる、誓って言える。キースは私に頷いてみせたのだ。


 さすが、TP&HBとストーンズの組み合わせ。ツッコミどころ満載でニヤケ顔が抑えられない。
 ”Hard Promises” の頃なので、確かにミックはトムさんのことを知っていたはずだ。それで気軽に会わせてもらえたのだろう。
 常に遅刻モードのキースと、噛み合わないビル。その後の展開が予感される。ステージ上でのイチャイチャっぷりもさることながら、キースとミックのいちゃつきはリハーサルでも変わらないらしい。というか、一方的にキースが大暴れしている。そんな様子を見て、天を仰ぎため息をつくチャーリー!チャーリーが一番好きだなぁ。
 ロニーが誰かにベースを弾いてもらうことを提案すると、みなまで言わせず、しかもトムさんを押しやって飛び出すマイクが最高。その前にも訳知り顔のトムさんを睨むマイク。
 もっともキュンとするのは、キースに頷いてもらっただけでもう天にも昇るような気持ちだったマイクの健気さだ。この人は子供の頃から本当に健気だが、30歳になっても変わらない。

 ”Tumblin’ Dice” を確認してみると、確かにビル・ワイマンは参加しておらず、ミック・テイラーがベースを弾いている。そもそも、マイクはブルースブレイカーズの頃から、ミック・テイラーの大ファンなのいだ。
 レコーディングにはニッキー・ホプキンズも参加している。ストーンズのキーボーディストはベンモントも含めて名手が何人もいるが、やはり私はニッキー・ホプキンズが一番好きだ。

No Matter What2025/08/13 19:51

 夏の保養地に滞在した2週間あまりの間も、いつもと変わらず仕事をしていた。いわゆる「ワーケーション Worcation」というものだろう。
 当然は土日は仕事が休みだが、もう子どもではないので、保養地にいてもピアノを弾くか、本を読むか程度しかやることがない。そこで、ここ数年は映画を見ることにしている。

 まず見た一本は、かなり話題になっていた「教皇選挙」。ちょうど8月からアマゾン・プライムでみられるようになった。評判どおりになかなか面白い映画だった。構成もよくできていたし、終わり方も良かった。
 興味深かったのは、シスター役のイザベラ・ロッセリーニ。母親はイングリット・バーグマンだ。中年で化粧っ気のないシスター役が、母親の「オリエント急行殺人事件」における伝道師役とかぶり、やはり親子だなぁと思わせるそっくり加減だった。
 映画は面白かったが、音楽的には特筆するべきことはなかった。ちなみに、この映画を見たら(見なくても)おすすめの小説は、新川帆立の「女の国会」かな。

 もう一つ見たのが、2023年のアメリカ映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」。1970年の(おそらくニューイングランドの)寄宿舎学校を舞台に、クリスマス帰省がかなわなかった問題児学生と、嫌われ者の教師、寮の料理人の三人の人間模様を描く。
 ニューイングランドの寄宿舎学校!ベンモント・テンチみたいな良家の男子が集まる学園モノ…!と目をキラキラさせて胸をときめかせるのは早い。寮に残された若者は一人しかいないのだ。一応コメディということになっているが、少年と青年の間で揺れ動く難しい心情を描いたり、寄る辺のない偏屈中年の人生に対する複雑な想いを写したり。明るく振る舞ってはいても息子に先立たれた母親の悲しみなど、意外とテーマは重かった。
 舞台が1970年とあって、男子生徒たちの何割かが長髪。その髪の長さが親との衝突になったりしていて、なかなか興味深い。
 音楽もこの時代のものが使われていて楽しい。特に「おおっ」と思ったのが、Badfingerの “No matter what” ― いつ、どこで聞いても名曲だ。



 寄宿舎学校の映画といえば、[The Penguin Lessons] はどうなったのだろう?原作がすごく良かったので、見たいのだが。(もっとも、原作とは設定が大きく異なる…)