Meeting Stones ― 2025/08/20 21:01
マイクの自伝を断片的に翻訳するシリーズ。今回は、”Hard Promises” をリリースした頃、ハートブレイカーズはニューヨークでのテレビ出演後に、目的は知らされずに呼び出された。とある建物のエレベーターの中で、一体何事だろうかとトムさんとマイクは顔を見合わせる。
あるフロアに到着すると、リハーサル・ルームのステージ上にあるバンドがいたのだ…
それはザ・ローリング・ストーンズだった。
彼らは “Shattered” の演奏中だった。
マイクロフォンのところにはミック・ジャガーがいて、チェリー・レッドのギブスンSGを細かなリズムを刻みながら歌っていた。ロン・ウッドとキース・リチャーズがミックの背後に居て、その斜め後ろのドラムスのところにチャーリー・ワッツが居た。ロニーがシルヴァーの彫刻つきのゼマイティスを弾き、キースは黒い5弦、メイプルネックの1972年製テレ・カスタムを爪弾いていた。
まさにストーンズだった。その8割に過ぎないにしろ、ストーンズだった。
曲が終わると、キースがミックとなにやらゴニョゴニョと話した。ミックはキースに頷いてみせると、SGをアンプに立てかけ、挨拶しに来た。リチャード(TP&HBのマネージャー)が私たちを紹介した。ミックは明るく愛想の良い感じだった。彼らは数日後に迫った、9月からのツアーに向けてリハーサル中だった。
私がステージ上を見ると、ものすごい量のアンプの前に、古いサンバーストのフェンダー、Pベースがあった。
「ビルはどこに?」
ビル・ワイマンの姿はどこにも見えなかった。
ミックがため息をついた。
キースはいつも遅れてくるのだと、ミックが説明した。ビルはそれに嫌気が差してしまって、いつも2日後に現れるのだという。ところが今回に限ってキースが時間通りに現れた。日付を誤ってメモしたに違いない。ビルは明日まで来ないだろう。
トムがミックにギターを弾いていることについて尋ねた。
「ほら、あの二人とだろう?」
ミックが舞台の方を見ると、キースとロニーがタバコを吸い、飲み物を飲みながら何やら愚痴をいっている。
「俺が弾かないと、あの二人やたらと早くなるから、歌詞が追いつかないんだ。あいつらのテンポを抑えるにはこれしかない」
トムは、なるほどなるほど、分かるよと言いながら頷いた。私は彼を睨んでやった。
私たちとさらに数分話して、ミックはステージに戻った。彼はSGを取り上げると、バンドはチャック・ベリーの “Too much monkey business” を演奏し始めた。
ロニーがハンマー・オンにダブルストップをかけてイントロを奏でると、バンド全員がリズムに乗り出した。ミックはギターを弾きながらマイクロフォンに向かった。
ミックが最初の歌詞を歌いだそうとしたとき、キースがドスドスとミックに向かってきた。
“Runnin’ to-and-fr–”
キースが手のひらをミックのギターのネックに打ち付けて、音を消した。ロニーとチャーリーがストップする。チャーリーは天井を仰いでため息をついた。
キースはブルドッグのように唸り声を上げた。
「てめぇがバンドをリードするのは無しだ!」
キースは細い指をミックとマイクロフォンに突きつけた。
「L、V!てめぇのしごとはそれだ、Lと fu**ing V!」
リード・ヴォーカル。
ミックはギターをおろしてローディに手渡した。キースは自分のテレキャスターのヴォリュームを上げると、演奏に戻った。俺のヒーロー。曲はどんどん速くなっていき、ミックは歌詞を押し込むに苦労していた。
ミックが歌詞につまづいていている間に、バンドは轟音を上げる列車のように突っ走っていく。ミックはトムと私を見やった。彼は手を上げて見せて、肩をすくめた。「ほらな?」
曲が終わると、ロニーが私たちを見やって言った。
「おーい、誰かベー…」
「俺やる!」私はトムが口を開く前に叫んでいた。
私はまさにステージへと一目散に走っていった。
フェンダー Pベースを肩に掛けて、アンプをオンにする。どの曲かも言わずに、キースがしなやかなオープンGのイントロを弾いた。”Tumbling Dice” ― 私たちはすぐに彼に続いた。コーラスにくると、私はミック・テイラーのベースラインを正確に弾いた。キースは驚いたような表情だった。その時、彼は私の存在に気づいたらしい。彼は目を細めた。私はつとめてクールに振る舞おうとしたが、思わず微笑まずにはいられなかった。
いたって微かではあったが、私は確信している。間違いない。約束できる、誓って言える。キースは私に頷いてみせたのだ。
さすが、TP&HBとストーンズの組み合わせ。ツッコミどころ満載でニヤケ顔が抑えられない。
”Hard Promises” の頃なので、確かにミックはトムさんのことを知っていたはずだ。それで気軽に会わせてもらえたのだろう。
常に遅刻モードのキースと、噛み合わないビル。その後の展開が予感される。ステージ上でのイチャイチャっぷりもさることながら、キースとミックのいちゃつきはリハーサルでも変わらないらしい。というか、一方的にキースが大暴れしている。そんな様子を見て、天を仰ぎため息をつくチャーリー!チャーリーが一番好きだなぁ。
ロニーが誰かにベースを弾いてもらうことを提案すると、みなまで言わせず、しかもトムさんを押しやって飛び出すマイクが最高。その前にも訳知り顔のトムさんを睨むマイク。
もっともキュンとするのは、キースに頷いてもらっただけでもう天にも昇るような気持ちだったマイクの健気さだ。この人は子供の頃から本当に健気だが、30歳になっても変わらない。
”Tumblin’ Dice” を確認してみると、確かにビル・ワイマンは参加しておらず、ミック・テイラーがベースを弾いている。そもそも、マイクはブルースブレイカーズの頃から、ミック・テイラーの大ファンなのいだ。
レコーディングにはニッキー・ホプキンズも参加している。ストーンズのキーボーディストはベンモントも含めて名手が何人もいるが、やはり私はニッキー・ホプキンズが一番好きだ。
あるフロアに到着すると、リハーサル・ルームのステージ上にあるバンドがいたのだ…
それはザ・ローリング・ストーンズだった。
彼らは “Shattered” の演奏中だった。
マイクロフォンのところにはミック・ジャガーがいて、チェリー・レッドのギブスンSGを細かなリズムを刻みながら歌っていた。ロン・ウッドとキース・リチャーズがミックの背後に居て、その斜め後ろのドラムスのところにチャーリー・ワッツが居た。ロニーがシルヴァーの彫刻つきのゼマイティスを弾き、キースは黒い5弦、メイプルネックの1972年製テレ・カスタムを爪弾いていた。
まさにストーンズだった。その8割に過ぎないにしろ、ストーンズだった。
曲が終わると、キースがミックとなにやらゴニョゴニョと話した。ミックはキースに頷いてみせると、SGをアンプに立てかけ、挨拶しに来た。リチャード(TP&HBのマネージャー)が私たちを紹介した。ミックは明るく愛想の良い感じだった。彼らは数日後に迫った、9月からのツアーに向けてリハーサル中だった。
私がステージ上を見ると、ものすごい量のアンプの前に、古いサンバーストのフェンダー、Pベースがあった。
「ビルはどこに?」
ビル・ワイマンの姿はどこにも見えなかった。
ミックがため息をついた。
キースはいつも遅れてくるのだと、ミックが説明した。ビルはそれに嫌気が差してしまって、いつも2日後に現れるのだという。ところが今回に限ってキースが時間通りに現れた。日付を誤ってメモしたに違いない。ビルは明日まで来ないだろう。
トムがミックにギターを弾いていることについて尋ねた。
「ほら、あの二人とだろう?」
ミックが舞台の方を見ると、キースとロニーがタバコを吸い、飲み物を飲みながら何やら愚痴をいっている。
「俺が弾かないと、あの二人やたらと早くなるから、歌詞が追いつかないんだ。あいつらのテンポを抑えるにはこれしかない」
トムは、なるほどなるほど、分かるよと言いながら頷いた。私は彼を睨んでやった。
私たちとさらに数分話して、ミックはステージに戻った。彼はSGを取り上げると、バンドはチャック・ベリーの “Too much monkey business” を演奏し始めた。
ロニーがハンマー・オンにダブルストップをかけてイントロを奏でると、バンド全員がリズムに乗り出した。ミックはギターを弾きながらマイクロフォンに向かった。
ミックが最初の歌詞を歌いだそうとしたとき、キースがドスドスとミックに向かってきた。
“Runnin’ to-and-fr–”
キースが手のひらをミックのギターのネックに打ち付けて、音を消した。ロニーとチャーリーがストップする。チャーリーは天井を仰いでため息をついた。
キースはブルドッグのように唸り声を上げた。
「てめぇがバンドをリードするのは無しだ!」
キースは細い指をミックとマイクロフォンに突きつけた。
「L、V!てめぇのしごとはそれだ、Lと fu**ing V!」
リード・ヴォーカル。
ミックはギターをおろしてローディに手渡した。キースは自分のテレキャスターのヴォリュームを上げると、演奏に戻った。俺のヒーロー。曲はどんどん速くなっていき、ミックは歌詞を押し込むに苦労していた。
ミックが歌詞につまづいていている間に、バンドは轟音を上げる列車のように突っ走っていく。ミックはトムと私を見やった。彼は手を上げて見せて、肩をすくめた。「ほらな?」
曲が終わると、ロニーが私たちを見やって言った。
「おーい、誰かベー…」
「俺やる!」私はトムが口を開く前に叫んでいた。
私はまさにステージへと一目散に走っていった。
フェンダー Pベースを肩に掛けて、アンプをオンにする。どの曲かも言わずに、キースがしなやかなオープンGのイントロを弾いた。”Tumbling Dice” ― 私たちはすぐに彼に続いた。コーラスにくると、私はミック・テイラーのベースラインを正確に弾いた。キースは驚いたような表情だった。その時、彼は私の存在に気づいたらしい。彼は目を細めた。私はつとめてクールに振る舞おうとしたが、思わず微笑まずにはいられなかった。
いたって微かではあったが、私は確信している。間違いない。約束できる、誓って言える。キースは私に頷いてみせたのだ。
さすが、TP&HBとストーンズの組み合わせ。ツッコミどころ満載でニヤケ顔が抑えられない。
”Hard Promises” の頃なので、確かにミックはトムさんのことを知っていたはずだ。それで気軽に会わせてもらえたのだろう。
常に遅刻モードのキースと、噛み合わないビル。その後の展開が予感される。ステージ上でのイチャイチャっぷりもさることながら、キースとミックのいちゃつきはリハーサルでも変わらないらしい。というか、一方的にキースが大暴れしている。そんな様子を見て、天を仰ぎため息をつくチャーリー!チャーリーが一番好きだなぁ。
ロニーが誰かにベースを弾いてもらうことを提案すると、みなまで言わせず、しかもトムさんを押しやって飛び出すマイクが最高。その前にも訳知り顔のトムさんを睨むマイク。
もっともキュンとするのは、キースに頷いてもらっただけでもう天にも昇るような気持ちだったマイクの健気さだ。この人は子供の頃から本当に健気だが、30歳になっても変わらない。
”Tumblin’ Dice” を確認してみると、確かにビル・ワイマンは参加しておらず、ミック・テイラーがベースを弾いている。そもそも、マイクはブルースブレイカーズの頃から、ミック・テイラーの大ファンなのいだ。
レコーディングにはニッキー・ホプキンズも参加している。ストーンズのキーボーディストはベンモントも含めて名手が何人もいるが、やはり私はニッキー・ホプキンズが一番好きだ。
No Matter What ― 2025/08/13 19:51
夏の保養地に滞在した2週間あまりの間も、いつもと変わらず仕事をしていた。いわゆる「ワーケーション Worcation」というものだろう。
当然は土日は仕事が休みだが、もう子どもではないので、保養地にいてもピアノを弾くか、本を読むか程度しかやることがない。そこで、ここ数年は映画を見ることにしている。
まず見た一本は、かなり話題になっていた「教皇選挙」。ちょうど8月からアマゾン・プライムでみられるようになった。評判どおりになかなか面白い映画だった。構成もよくできていたし、終わり方も良かった。
興味深かったのは、シスター役のイザベラ・ロッセリーニ。母親はイングリット・バーグマンだ。中年で化粧っ気のないシスター役が、母親の「オリエント急行殺人事件」における伝道師役とかぶり、やはり親子だなぁと思わせるそっくり加減だった。
映画は面白かったが、音楽的には特筆するべきことはなかった。ちなみに、この映画を見たら(見なくても)おすすめの小説は、新川帆立の「女の国会」かな。
もう一つ見たのが、2023年のアメリカ映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」。1970年の(おそらくニューイングランドの)寄宿舎学校を舞台に、クリスマス帰省がかなわなかった問題児学生と、嫌われ者の教師、寮の料理人の三人の人間模様を描く。
ニューイングランドの寄宿舎学校!ベンモント・テンチみたいな良家の男子が集まる学園モノ…!と目をキラキラさせて胸をときめかせるのは早い。寮に残された若者は一人しかいないのだ。一応コメディということになっているが、少年と青年の間で揺れ動く難しい心情を描いたり、寄る辺のない偏屈中年の人生に対する複雑な想いを写したり。明るく振る舞ってはいても息子に先立たれた母親の悲しみなど、意外とテーマは重かった。
舞台が1970年とあって、男子生徒たちの何割かが長髪。その髪の長さが親との衝突になったりしていて、なかなか興味深い。
音楽もこの時代のものが使われていて楽しい。特に「おおっ」と思ったのが、Badfingerの “No matter what” ― いつ、どこで聞いても名曲だ。
寄宿舎学校の映画といえば、[The Penguin Lessons] はどうなったのだろう?原作がすごく良かったので、見たいのだが。(もっとも、原作とは設定が大きく異なる…)
当然は土日は仕事が休みだが、もう子どもではないので、保養地にいてもピアノを弾くか、本を読むか程度しかやることがない。そこで、ここ数年は映画を見ることにしている。
まず見た一本は、かなり話題になっていた「教皇選挙」。ちょうど8月からアマゾン・プライムでみられるようになった。評判どおりになかなか面白い映画だった。構成もよくできていたし、終わり方も良かった。
興味深かったのは、シスター役のイザベラ・ロッセリーニ。母親はイングリット・バーグマンだ。中年で化粧っ気のないシスター役が、母親の「オリエント急行殺人事件」における伝道師役とかぶり、やはり親子だなぁと思わせるそっくり加減だった。
映画は面白かったが、音楽的には特筆するべきことはなかった。ちなみに、この映画を見たら(見なくても)おすすめの小説は、新川帆立の「女の国会」かな。
もう一つ見たのが、2023年のアメリカ映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」。1970年の(おそらくニューイングランドの)寄宿舎学校を舞台に、クリスマス帰省がかなわなかった問題児学生と、嫌われ者の教師、寮の料理人の三人の人間模様を描く。
ニューイングランドの寄宿舎学校!ベンモント・テンチみたいな良家の男子が集まる学園モノ…!と目をキラキラさせて胸をときめかせるのは早い。寮に残された若者は一人しかいないのだ。一応コメディということになっているが、少年と青年の間で揺れ動く難しい心情を描いたり、寄る辺のない偏屈中年の人生に対する複雑な想いを写したり。明るく振る舞ってはいても息子に先立たれた母親の悲しみなど、意外とテーマは重かった。
舞台が1970年とあって、男子生徒たちの何割かが長髪。その髪の長さが親との衝突になったりしていて、なかなか興味深い。
音楽もこの時代のものが使われていて楽しい。特に「おおっ」と思ったのが、Badfingerの “No matter what” ― いつ、どこで聞いても名曲だ。
寄宿舎学校の映画といえば、[The Penguin Lessons] はどうなったのだろう?原作がすごく良かったので、見たいのだが。(もっとも、原作とは設定が大きく異なる…)
Rockin’ Around (with You) ― 2025/08/04 19:25
マイクの自伝をなかなか読み進められていないが、とにかくマッドクラッチが解散し、ハートブレイカーズが結成された。そして最初のアルバムの録音となるのだが、そこでのエンジニア,マックス&ノアとのやりとりが、かなりおかしかった。特に “Rockin’ Around (with You)” の録音のところがぶっとんでいたので、一部翻訳してみよう。
スタンが “Rockin’ Around (with You)” で別のビートを刻んでいると、部屋にノア・シャークが手にカメラのフラッシュを持って飛び込んできた。
「スタン!」
スタンが顔を上げると、ノアはスタンの目に向けてフラッシュライトをたいた。スタンは体を丸めて目をこすった。
「止めるんじゃない、そのまま続けるんだ!」
ノアの目は瞳孔が開いていた。部屋の向こう側では、マックスが顔を上げた。
「スタン、白いドアを突き抜けるんだ!白いドアを突き抜けろ!」
スタンは目がくらんでまぶたを閉じ、頭を振りながら叩き続けた。するとこの曲にぴったりのビートを掴み始めたのだ。
ノアとマックスはコントロール・ルームに駆け戻っていった。スタンはスティックを置いて目をこすり、私の方を見て首を振ってみせた。
「連中、頭がイッちゃってるな」スタンが言った。
私が振り向くと、すぐ後ろにノアのニンマリした顔で立っていた。マックスは、そのノアの背後にいる。二人はロンに呼びかけた。
「ロン、ベースラインを弾いてくれ」ノアが言った。
ロンが弾くと、マックスが雷にでも打たれたようにのけぞった。
「リラックス、リラックス、ロン!」ノアが説明した。
「きみはゾウなんだ、ロン。大きくて美しい灰色で、足取りの軽いゾウだ!足取り軽く!マイクはどこだ?マイク!」
「ここにいるけど」
「弾け!」
私がリフを弾き始めると、ノアが止めた。
「きみはネズミなんだ、マイク。小さくてデリケートなネズミだ。ロンはゾウ。そしてネズミとゾウが…」
彼は突然、部屋を見回した。
「スタンはどこ行った?」
スタンはドラムセットの前に座ったままだった。スタンは腕を組んで私を見やり、眉を上げてみせた。
「スタン?スタン!」ノアが呼ばわった。
「いいか、お前は白いドアを突き抜けろ。ネズミとゾウも、その白いドアを同時に突き抜けるんだ。でも、ゾウはネズミを怖がっているんだ、マイク。ゾウのほうがずうっと大きいのに、小さなネズミが怖い。だからお前はゾウを怖がることはないぞ。ドアを突き抜けるとき、ゾウのすぐ隣りを進むんだ。立ち止まるなよ!ゾウにネズミを踏ませるんじゃないぞ、マイク!」
「あのさ」私は尋ねた。「ふたりとも、なんかヤクとかやってる?」
マックスは笑みを浮かべながら頷いた。ノアも頷いた。
「もちろん、やっているとも。仕事中だからな」
ノアとマックスがかなり強烈なキャラクターだったということは、以前から知っていたが、実際のやり取りを聞くとほぼ発狂の域である。呆れてマイクの顔を見るスタンはかなり まともと言えるだろう。
結局 “Rockin’ Around (with You)” は、記念すべきファースト・アルバムの冒頭を飾ることになった。マイクとしては断然 “American Girl” のほうが自信があり、冒頭に持ってくるべきだと思っていたし、いまでもそう思っているいるらしい。この時期に彼の最初の子どもである長女が誕生したことも、その彼の考えに影響しているようだ。
私の好みでいうと、”Rockin’ Around (with You)” が冒頭に来る構成も素晴らしいと思う。フェイド・インして、ワクワクする感じ。これから素晴らしいことが起きると期待を持たせてくれる。そして永遠の名曲がアルバムを締めるというのは、とても格好良い。
スタンが “Rockin’ Around (with You)” で別のビートを刻んでいると、部屋にノア・シャークが手にカメラのフラッシュを持って飛び込んできた。
「スタン!」
スタンが顔を上げると、ノアはスタンの目に向けてフラッシュライトをたいた。スタンは体を丸めて目をこすった。
「止めるんじゃない、そのまま続けるんだ!」
ノアの目は瞳孔が開いていた。部屋の向こう側では、マックスが顔を上げた。
「スタン、白いドアを突き抜けるんだ!白いドアを突き抜けろ!」
スタンは目がくらんでまぶたを閉じ、頭を振りながら叩き続けた。するとこの曲にぴったりのビートを掴み始めたのだ。
ノアとマックスはコントロール・ルームに駆け戻っていった。スタンはスティックを置いて目をこすり、私の方を見て首を振ってみせた。
「連中、頭がイッちゃってるな」スタンが言った。
私が振り向くと、すぐ後ろにノアのニンマリした顔で立っていた。マックスは、そのノアの背後にいる。二人はロンに呼びかけた。
「ロン、ベースラインを弾いてくれ」ノアが言った。
ロンが弾くと、マックスが雷にでも打たれたようにのけぞった。
「リラックス、リラックス、ロン!」ノアが説明した。
「きみはゾウなんだ、ロン。大きくて美しい灰色で、足取りの軽いゾウだ!足取り軽く!マイクはどこだ?マイク!」
「ここにいるけど」
「弾け!」
私がリフを弾き始めると、ノアが止めた。
「きみはネズミなんだ、マイク。小さくてデリケートなネズミだ。ロンはゾウ。そしてネズミとゾウが…」
彼は突然、部屋を見回した。
「スタンはどこ行った?」
スタンはドラムセットの前に座ったままだった。スタンは腕を組んで私を見やり、眉を上げてみせた。
「スタン?スタン!」ノアが呼ばわった。
「いいか、お前は白いドアを突き抜けろ。ネズミとゾウも、その白いドアを同時に突き抜けるんだ。でも、ゾウはネズミを怖がっているんだ、マイク。ゾウのほうがずうっと大きいのに、小さなネズミが怖い。だからお前はゾウを怖がることはないぞ。ドアを突き抜けるとき、ゾウのすぐ隣りを進むんだ。立ち止まるなよ!ゾウにネズミを踏ませるんじゃないぞ、マイク!」
「あのさ」私は尋ねた。「ふたりとも、なんかヤクとかやってる?」
マックスは笑みを浮かべながら頷いた。ノアも頷いた。
「もちろん、やっているとも。仕事中だからな」
ノアとマックスがかなり強烈なキャラクターだったということは、以前から知っていたが、実際のやり取りを聞くとほぼ発狂の域である。呆れてマイクの顔を見るスタンはかなり まともと言えるだろう。
結局 “Rockin’ Around (with You)” は、記念すべきファースト・アルバムの冒頭を飾ることになった。マイクとしては断然 “American Girl” のほうが自信があり、冒頭に持ってくるべきだと思っていたし、いまでもそう思っているいるらしい。この時期に彼の最初の子どもである長女が誕生したことも、その彼の考えに影響しているようだ。
私の好みでいうと、”Rockin’ Around (with You)” が冒頭に来る構成も素晴らしいと思う。フェイド・インして、ワクワクする感じ。これから素晴らしいことが起きると期待を持たせてくれる。そして永遠の名曲がアルバムを締めるというのは、とても格好良い。
A Pianotuner ― 2025/07/27 15:34
毎年、真夏になると標高1000メートルほどの保養地に来る。この「夏の家」に、今年は特に長く滞在するので、これを機に放置していたピアノを調律することにした。
どの程度放置していたかと言うと、最後に調律したのが20年前。普段弾かない上に、夏季限定、そもそもピアノを弾くのはせいぜい私ともう一人くらいなので、いたしかたがない。
カワイのピアノなのでカワイのホームページから依頼すると、すんなり県庁所在地から調律師さんが来てくれた。
この「夏の家」のピアノは、私が生まれ初めて弾いたピアノで、母が祖父から買ってもらったものだった。製造年は1965年位で、調律師さん曰く昭和48年ごろに爆発的にピアノが普及する少し手前のものだそうだ。まだまだピアノは超高級品で(いまでもそうだが)、この時代のピアノは木が抜群に良いし、部品も良いものを使っている。60年モノでしかも20年放置されていたにしては状態が良いとのことだった。せっかくなのだから、もっと弾かねばと思う。
ピアノの調律、調律師というものにはちょっとした憧れがある。ヴァイオリン職人みたいなもので、熟練の技で楽器に命を吹き込む専門性が格好良い。
母校の音大には別科調律があり、そこ出身の調律師さんも多い。学生時代の選択講義の中に、「ピアノの調律」というものがあって、ちょっとだけ覗いたことがあるが、のっけから私には全くわからないお話で諦めた。要するに数学なのだ。周波数と、平均律、それを割り出す理論の基礎は数学なので、小学生のころから壊滅的に数学が苦手な私には太刀打ちできなかった。
これまで何人もの調律師さんに仕事を依頼してきたが、女性の調律師さんの割合は低いと思う。ピアノという巨大な楽器の、大きな力張られた弦を調整するので、ある意味力仕事なのだ。やや女性に不利な面があるかもしれない。また、持ち運んでいる仕事道具も大きく、重い。でも、自動車という移動手段もあるし、これからさらに良い道具が開発されて、女性の調律師さんも増えると良いなと思う。
ちなみに、私は比較的調律師さんの好き嫌いのあるタイプのピアノ・オーナーだ。ピアノは自分の体の延長のようなところがあり、その扱いや接し方に難があると、どうしても一年にたった一回であっても、会いたくないのだ。一番ムリだった調律師さんは、調律後にメッセージカードを残しており、「いつもピアノをかわいがってくださり、ありがとうございます」と書いてあった。私のピアノだ!背筋が震えるほど気持ち悪く、腹が立ったので二度と頼まなかった。
調律といえば、お気に入りの話がある。
いまや日本を代表するピアニストの一人である反田恭平さんがロシア留学時代、ピアノはあれど、ろくに調律師がいなかったという(日本は調律師に恵まれているのだ)。ピアノが調子っぱずれで仕方がないので、自分で適当に道具を揃えて、調律の真似事をしてみると、これが意外とうまく行った。すると、周りの学生たちからも調律の依頼が来るようになり、みるみるうちにスケジュールが調律でいっぱいになってしまったという。それで調律のマネごとはやめたそうだ。
どの程度放置していたかと言うと、最後に調律したのが20年前。普段弾かない上に、夏季限定、そもそもピアノを弾くのはせいぜい私ともう一人くらいなので、いたしかたがない。
カワイのピアノなのでカワイのホームページから依頼すると、すんなり県庁所在地から調律師さんが来てくれた。
この「夏の家」のピアノは、私が生まれ初めて弾いたピアノで、母が祖父から買ってもらったものだった。製造年は1965年位で、調律師さん曰く昭和48年ごろに爆発的にピアノが普及する少し手前のものだそうだ。まだまだピアノは超高級品で(いまでもそうだが)、この時代のピアノは木が抜群に良いし、部品も良いものを使っている。60年モノでしかも20年放置されていたにしては状態が良いとのことだった。せっかくなのだから、もっと弾かねばと思う。
ピアノの調律、調律師というものにはちょっとした憧れがある。ヴァイオリン職人みたいなもので、熟練の技で楽器に命を吹き込む専門性が格好良い。
母校の音大には別科調律があり、そこ出身の調律師さんも多い。学生時代の選択講義の中に、「ピアノの調律」というものがあって、ちょっとだけ覗いたことがあるが、のっけから私には全くわからないお話で諦めた。要するに数学なのだ。周波数と、平均律、それを割り出す理論の基礎は数学なので、小学生のころから壊滅的に数学が苦手な私には太刀打ちできなかった。
これまで何人もの調律師さんに仕事を依頼してきたが、女性の調律師さんの割合は低いと思う。ピアノという巨大な楽器の、大きな力張られた弦を調整するので、ある意味力仕事なのだ。やや女性に不利な面があるかもしれない。また、持ち運んでいる仕事道具も大きく、重い。でも、自動車という移動手段もあるし、これからさらに良い道具が開発されて、女性の調律師さんも増えると良いなと思う。
ちなみに、私は比較的調律師さんの好き嫌いのあるタイプのピアノ・オーナーだ。ピアノは自分の体の延長のようなところがあり、その扱いや接し方に難があると、どうしても一年にたった一回であっても、会いたくないのだ。一番ムリだった調律師さんは、調律後にメッセージカードを残しており、「いつもピアノをかわいがってくださり、ありがとうございます」と書いてあった。私のピアノだ!背筋が震えるほど気持ち悪く、腹が立ったので二度と頼まなかった。
調律といえば、お気に入りの話がある。
いまや日本を代表するピアニストの一人である反田恭平さんがロシア留学時代、ピアノはあれど、ろくに調律師がいなかったという(日本は調律師に恵まれているのだ)。ピアノが調子っぱずれで仕方がないので、自分で適当に道具を揃えて、調律の真似事をしてみると、これが意外とうまく行った。すると、周りの学生たちからも調律の依頼が来るようになり、みるみるうちにスケジュールが調律でいっぱいになってしまったという。それで調律のマネごとはやめたそうだ。
失われた音楽を求めて ― 2025/07/21 20:34
最近、このブログの記事をなかなか上げられないでいるのには、一つは仕事が非常に忙しいという事情がある。しかし、それでだけへはなく、完全に私自身のミスをフォローするための作業が絶え間なく続いている事情もあるのだ。
5月にアムステルダムを中心とするオランダ旅行に出かけたことは前述したが、旅の最中に私はウォークマンを紛失したのだ。
iPodからウォークマンに乗り換えてから4年ほどだろうか。どこに置き忘れたとか、そういうことではなく、完全に紛失。往路の成田空港でプレイを止めてから、その存在を忘れ、アムステルダムですでに紛失していることに気づいていた。いろいろな方面に問い合わせたが、結局見つからずじまいだった。
しばらくウォークマン無しで生活していたのだが、やはり YouTubeで代用するには不便が多く、結局新しいウォークマンを購入するに至った。
問題は、iPod時代から引き継いできた13,000もの音楽ファイルである。あの手この手を尽くしたが、結局現在使っているパソコンのアプリケーション内に保管されていた、最近購入した3000曲以外は、すっかり失われてしまった。使わなくなった iPodも持っているので調べたのだが、やはり音楽ファイルは一つも残っていなかった。そりゃそうだ。
やや呆然とする話ではあるが、また一からCDから取り込むという作業を始めた。しかも、最初はパソコンに入れた CDの情報(曲名、アルバム名、アーチスト名)を自動取得する機能が働かず、エアロスミスから初めて、ビートルズまではずべて手作業で入力していた。これはたまったものではないと思ったが、アプリケーションをアップデートすることでこの問題は解決した。とはいえ、これまでの人生でこつこつと買い集めてきたCDの、ほぼすべてを一枚一枚取り込む作業に変わりはない(クラシックは対象外)。凄まじく道は長いが、愛する音楽のため、やるしかない。
ウォークマンといえば、新品で買ったときに、サンプルとして数曲すでに入っている音楽がある。殆どが興味のないジャンルなのですぐに削除してしまうのだが、前代の ウォークマンに入っていたサンプルだけは残っている。私の趣味にドンピシャなのだ。 Adam Agree & Jon Sousa はギター/バンジョーと、フィドルのトラディショナル・アイリッシュ・ミュージック・デュオ。忙しすぎてアイリッシュ・ミュージック活動もままならないが、その情熱だけは失うまいと励ましくれる音楽だ。
5月にアムステルダムを中心とするオランダ旅行に出かけたことは前述したが、旅の最中に私はウォークマンを紛失したのだ。
iPodからウォークマンに乗り換えてから4年ほどだろうか。どこに置き忘れたとか、そういうことではなく、完全に紛失。往路の成田空港でプレイを止めてから、その存在を忘れ、アムステルダムですでに紛失していることに気づいていた。いろいろな方面に問い合わせたが、結局見つからずじまいだった。
しばらくウォークマン無しで生活していたのだが、やはり YouTubeで代用するには不便が多く、結局新しいウォークマンを購入するに至った。
問題は、iPod時代から引き継いできた13,000もの音楽ファイルである。あの手この手を尽くしたが、結局現在使っているパソコンのアプリケーション内に保管されていた、最近購入した3000曲以外は、すっかり失われてしまった。使わなくなった iPodも持っているので調べたのだが、やはり音楽ファイルは一つも残っていなかった。そりゃそうだ。
やや呆然とする話ではあるが、また一からCDから取り込むという作業を始めた。しかも、最初はパソコンに入れた CDの情報(曲名、アルバム名、アーチスト名)を自動取得する機能が働かず、エアロスミスから初めて、ビートルズまではずべて手作業で入力していた。これはたまったものではないと思ったが、アプリケーションをアップデートすることでこの問題は解決した。とはいえ、これまでの人生でこつこつと買い集めてきたCDの、ほぼすべてを一枚一枚取り込む作業に変わりはない(クラシックは対象外)。凄まじく道は長いが、愛する音楽のため、やるしかない。
ウォークマンといえば、新品で買ったときに、サンプルとして数曲すでに入っている音楽がある。殆どが興味のないジャンルなのですぐに削除してしまうのだが、前代の ウォークマンに入っていたサンプルだけは残っている。私の趣味にドンピシャなのだ。 Adam Agree & Jon Sousa はギター/バンジョーと、フィドルのトラディショナル・アイリッシュ・ミュージック・デュオ。忙しすぎてアイリッシュ・ミュージック活動もままならないが、その情熱だけは失うまいと励ましくれる音楽だ。
Do you believe in magic? ― 2025/07/11 21:14
公私ともに忙しく、やることだらけで、すっかり記事を上げられないでいたら、なんとクリスチャン・ホーナーがレッド・ブル・レーシングのプリンシパルから解任されてしまった。
実のところ、彼を巡っては去年からすでにその席にあっても良いのかどうか、疑問があった。シーズン途中での更迭はよろしくない。今シーズンが始まる前に、人事異動を済ませるべきだった。ついでに若手レーサー育成もセブにお願いしてはどうか…というか、私はセブを見られる機会さえ増えてくれればそれで良いのだ。
昨晩、友人たちと一緒に東京でも有数の飲食店街のレストランで会食していた所、プロのマジシャンだというお兄さんがやってきて、テーブル・マジックを披露させてほしいと言った。ポカンとしていたら、かなり上手なテーブル・マジックが展開して、投げ銭をするに至った。
実は私、基本的に手品というものがあまり好きではない。上手に演出していればよいのだが、普通のマジックを淡々とこなして観客がビックリしたり喜んだりというのが、娯楽の構造としてイマイチ。不思議なことが披露されて、最終的にその秘密が理路整然と説明されないのが消化不良で、気持ちが悪いのだ。マジックなのだから当たり前だが、「ミステリーが好き、ファンタジーが嫌い」という私としては致し方ないだろう。
そもそも magic という言葉は、「魔術」とか「呪術」といった、超自然的な現象をその意味に含んでおり、いわゆる手品は trick のほうが適切な言葉だと思う。ここにも、手品が「不思議でしょ?」という心の反応に対する押し付けを含んでいることが現れており、私はそういう感じが好きではないのだ。
「magic を信じますか?」と言われれば Noだし、trick に対してはYesと言った所だろうか。その割には投げ銭を弾んだような気もするが…。
60年代の超名曲の一つであるこの曲は、オリジナルが良すぎる割には、良いカバーには恵まれていないと思う。やや「甘い」曲なので、カバーされると、どうしても甘く流れてしまう傾向にある。
その点、こちらの ラヴィン・スプーンフル・トリビュートのカバーはとても良い。テンポを早く保っているのが良いのだろう。
実のところ、彼を巡っては去年からすでにその席にあっても良いのかどうか、疑問があった。シーズン途中での更迭はよろしくない。今シーズンが始まる前に、人事異動を済ませるべきだった。ついでに若手レーサー育成もセブにお願いしてはどうか…というか、私はセブを見られる機会さえ増えてくれればそれで良いのだ。
昨晩、友人たちと一緒に東京でも有数の飲食店街のレストランで会食していた所、プロのマジシャンだというお兄さんがやってきて、テーブル・マジックを披露させてほしいと言った。ポカンとしていたら、かなり上手なテーブル・マジックが展開して、投げ銭をするに至った。
実は私、基本的に手品というものがあまり好きではない。上手に演出していればよいのだが、普通のマジックを淡々とこなして観客がビックリしたり喜んだりというのが、娯楽の構造としてイマイチ。不思議なことが披露されて、最終的にその秘密が理路整然と説明されないのが消化不良で、気持ちが悪いのだ。マジックなのだから当たり前だが、「ミステリーが好き、ファンタジーが嫌い」という私としては致し方ないだろう。
そもそも magic という言葉は、「魔術」とか「呪術」といった、超自然的な現象をその意味に含んでおり、いわゆる手品は trick のほうが適切な言葉だと思う。ここにも、手品が「不思議でしょ?」という心の反応に対する押し付けを含んでいることが現れており、私はそういう感じが好きではないのだ。
「magic を信じますか?」と言われれば Noだし、trick に対してはYesと言った所だろうか。その割には投げ銭を弾んだような気もするが…。
60年代の超名曲の一つであるこの曲は、オリジナルが良すぎる割には、良いカバーには恵まれていないと思う。やや「甘い」曲なので、カバーされると、どうしても甘く流れてしまう傾向にある。
その点、こちらの ラヴィン・スプーンフル・トリビュートのカバーはとても良い。テンポを早く保っているのが良いのだろう。
けなげな音楽 ― 2025/06/27 20:50
先日、Heartbreaker’s Japan Party さんのオフ会に参加して、マイク・キャンベルの自伝の話題で盛り上がった。特に M さんと意見が合致したのが、貧しいながらも健気に頑張るマイクが、涙を誘うという点だった。
「けなげ」ということを念頭に置くと、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの音楽の良さの一つが、「けなげ」な感じだと思う。ソング・ライティング的にも繊細でやや儚げな味わいを出すのがうまいし、そもそもトムさんの声質は細くて、苦しげで「けなげ」なのだ。
特にフィルモアの “American Girl” など、観客も一生懸命歌っているあたり、会場全体が「けなげ」な空気に包まれている。もっとも、この「けなげ」という言葉 ー 特に「弱いものが、それでも頑張るような様子」ー に相当する英語がない。無論、ハートブレイカーズは弱くもなんともないが、とにかくそういう音楽を奏でるところが、私の心の琴線に触れるのだ。
けなげな音楽といえば、クラシックでは多くの場合、独奏楽器などで感じられる。むしろ私はそういう理由もあって、ピアノの独奏が好きなのだ。私は手が非常に小さいため、自分で弾いていても、「けなげだなぁ」と思う。
巨匠ロストロポーヴィチにしても、曲がバッハのチェロ組曲のプレリュードだったりすると、その曲の持つ「けなげ」な魅力が十分に味わえる。
バッハはどこまでも理論的、合理的、厳格な音楽を作るが、その上でさらにこの「けなげ」な味わいは、彼の天才性というほかない。チェロ組曲自体が、演奏者の技術向上を目的とした練習曲の側面があり、そこに「人間が成長していく」という過程のいじましさや、けなげさが出ているのではないだろうか。
「けなげ」ということを念頭に置くと、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの音楽の良さの一つが、「けなげ」な感じだと思う。ソング・ライティング的にも繊細でやや儚げな味わいを出すのがうまいし、そもそもトムさんの声質は細くて、苦しげで「けなげ」なのだ。
特にフィルモアの “American Girl” など、観客も一生懸命歌っているあたり、会場全体が「けなげ」な空気に包まれている。もっとも、この「けなげ」という言葉 ー 特に「弱いものが、それでも頑張るような様子」ー に相当する英語がない。無論、ハートブレイカーズは弱くもなんともないが、とにかくそういう音楽を奏でるところが、私の心の琴線に触れるのだ。
けなげな音楽といえば、クラシックでは多くの場合、独奏楽器などで感じられる。むしろ私はそういう理由もあって、ピアノの独奏が好きなのだ。私は手が非常に小さいため、自分で弾いていても、「けなげだなぁ」と思う。
巨匠ロストロポーヴィチにしても、曲がバッハのチェロ組曲のプレリュードだったりすると、その曲の持つ「けなげ」な魅力が十分に味わえる。
バッハはどこまでも理論的、合理的、厳格な音楽を作るが、その上でさらにこの「けなげ」な味わいは、彼の天才性というほかない。チェロ組曲自体が、演奏者の技術向上を目的とした練習曲の側面があり、そこに「人間が成長していく」という過程のいじましさや、けなげさが出ているのではないだろうか。
Alfred Brendel ― 2025/06/20 19:49
アルフレッド・ブレンデルが亡くなった。現在のチェコ出身、現在のクロアチア育ちのオーストリア人で、ロンドンで亡くなったそうだ。
ブレンデルといえば、最初にピアノのベートーヴェン全曲を録音したことでも有名で、とにかく正確無比なドイツものの名手であった。特にベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどに関しては、彼の安心感はほかに類を見ない。その正確すぎる演奏と厳格さゆえに、退屈だとまで言われる始末。若い頃、師につけられたニックネームが「人間メトロノーム」というのだから、その完璧さがよく分かる。
今日はずっと彼の演奏を聞きながら仕事をしていたのだが、ベートーヴェンのヴァリエーション(変奏曲)が印象的だった。私がハイドン、モーツァルトに続いてベートーヴェンのソナタを始めようとしたとき、先生は一度私にヴァリエーションを弾かせたのだ。私自身はヴァリエーションというものにあまり魅力を感じていなかったが、ブレンデルの演奏はその正確さゆえに「変化」が際立ち、とても魅力的だった。
ブレンデルその演奏の厳格さとはまた別の顔として、詩人であったり、文筆家であったり、独特のユーモアセンスの持ち主だった。
ある時、ベートーヴェンを演奏中に楽譜が床に落ちてしまうと、彼は演奏を中断して「いまのはベートーヴェンではなく、私のアクシデントです」と言ったという伝説がある。とっさにこういう事を言える人になってみたい。
ブレンデルといえば、最初にピアノのベートーヴェン全曲を録音したことでも有名で、とにかく正確無比なドイツものの名手であった。特にベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどに関しては、彼の安心感はほかに類を見ない。その正確すぎる演奏と厳格さゆえに、退屈だとまで言われる始末。若い頃、師につけられたニックネームが「人間メトロノーム」というのだから、その完璧さがよく分かる。
今日はずっと彼の演奏を聞きながら仕事をしていたのだが、ベートーヴェンのヴァリエーション(変奏曲)が印象的だった。私がハイドン、モーツァルトに続いてベートーヴェンのソナタを始めようとしたとき、先生は一度私にヴァリエーションを弾かせたのだ。私自身はヴァリエーションというものにあまり魅力を感じていなかったが、ブレンデルの演奏はその正確さゆえに「変化」が際立ち、とても魅力的だった。
ブレンデルその演奏の厳格さとはまた別の顔として、詩人であったり、文筆家であったり、独特のユーモアセンスの持ち主だった。
ある時、ベートーヴェンを演奏中に楽譜が床に落ちてしまうと、彼は演奏を中断して「いまのはベートーヴェンではなく、私のアクシデントです」と言ったという伝説がある。とっさにこういう事を言える人になってみたい。
You Ain’t Going Nowhere ― 2025/06/13 20:04
ポピュラー音楽界は、もっぱら亡くなったブライアン・ウィルソンの話題でもちきりだろう。だが、私は彼やビーチボーイズにはあまり縁がない。[George Fest] で “My Sweet Lord” を歌っていた…くらいかな。
マイク・キャンベルの自伝を冒頭から読み始め進めているのだが、もう何もかもが胸がキュンとする展開で、萌え散らかして悶絶している。
まず、マイクの家庭環境の貧しさがなかなか厳しくて、シャイで無口な少年が可愛そうでしょうがない。高校を出たらどこかで働くか、軍隊に入るくらいしか選択肢のなかったマイク少年。ところが、進路指導員が言うには学業成績が抜群に良い。学生生活を通じてすべてAを取っているのだから、進学するべきだとアドバイスする。でも、学校に行くお金はないんだと、涙をこらえながら言うマイク。指導員が資料を見るために後ろを向いた隙にそっと袖で涙を拭くところで、私も大泣きしてしまった。
マイクが学業成績優秀だったという話はいたく私を喜ばせた。私はロックンローラーも好きだが、インテリも好きなのだ。このマイク、学業優秀につき学資金を提供されたことが、ロックの歴史の一部となる。そうでなければマイクはゲインズヴィルには向かわなかった。
基本的に一人でネコ相手にギター(かの有名な日本製のグヤトーン)を弾いていたマイク。一応バンド友達もいるが、あくまでも趣味、遊びの範疇。自分は家族から孤立し、お金もない、寄る辺もない、あるのは音楽への愛情だけ。人生の見通しのなさに孤独と不安を抱えていたある日、キャンパスでなかなか上手なバンド(主にカントリー)の演奏を目にして、感銘を受ける。ブロンドを長く伸ばしたベーシストが印象的に言う。「ありがとう、俺らはマッドクラッチ」。 その時演奏していたのが、ザ・バーズ,バージョンの “You Ain’t Going Nowhere”だった。
程なくしてマイクはマッドクラッチに加わるのだが、そのシーンはもうブロンドを長く伸ばし、シャープな顔つきで、チェロキーらしく頬骨が高く、青い青い、瞳をしている ― トムさんの独壇場だった。マイク曰く、その目の青さは、青すぎて見つめ続けられな硬そうだ。プロ・ミュージシャンとしてのキャリアも積んでいるトムさんは、自信満々で、マイクがバンドに入るということにまったく疑いを持っていなかった。
それから数十年が経ち、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズはボブ・ディランと長いツアーを共にし、ロジャー・マッグインもそれに加わる。そこでマッグインとトムさんがワン・マイクで “You Ain’ Going Nowhere” を歌うのだが、それを見ながらマイクはあの、初めてブロンドのベーシストを見た日のことに思いを馳せるのだ。マイクは、あの瞬間が人生を導いたと信じている。胸に迫るものがあっただろうし、そして読んでいる私も胸が苦しくなるほどキュンキュンして半ば発狂していた。
こちらは2016年マッドクラッチのツアーに、ロジャー・マッグインがゲスト参加したときだろう。トムさんが亡くなる前年だと思うと悲しくなる。でも、当人たちはもちろんそんなことは想像だにせず、ニコニコしながら ― 特にマイクはニコニコしている ― 思い出深い “You Ain’t Going Nowhere” をプレイするのであった。
マイクの自伝は読み進めながら印象的だったり、キュンキュンしたところに付箋をつけているのだが、もうかなり付箋だらけになっている。
英語としてはとても短い文章が多く、簡潔で読みやすい。ハートブレカーズ・ファンで英語読書に挑戦を考えている人には、とてもおすすめだ。
マイク・キャンベルの自伝を冒頭から読み始め進めているのだが、もう何もかもが胸がキュンとする展開で、萌え散らかして悶絶している。
まず、マイクの家庭環境の貧しさがなかなか厳しくて、シャイで無口な少年が可愛そうでしょうがない。高校を出たらどこかで働くか、軍隊に入るくらいしか選択肢のなかったマイク少年。ところが、進路指導員が言うには学業成績が抜群に良い。学生生活を通じてすべてAを取っているのだから、進学するべきだとアドバイスする。でも、学校に行くお金はないんだと、涙をこらえながら言うマイク。指導員が資料を見るために後ろを向いた隙にそっと袖で涙を拭くところで、私も大泣きしてしまった。
マイクが学業成績優秀だったという話はいたく私を喜ばせた。私はロックンローラーも好きだが、インテリも好きなのだ。このマイク、学業優秀につき学資金を提供されたことが、ロックの歴史の一部となる。そうでなければマイクはゲインズヴィルには向かわなかった。
基本的に一人でネコ相手にギター(かの有名な日本製のグヤトーン)を弾いていたマイク。一応バンド友達もいるが、あくまでも趣味、遊びの範疇。自分は家族から孤立し、お金もない、寄る辺もない、あるのは音楽への愛情だけ。人生の見通しのなさに孤独と不安を抱えていたある日、キャンパスでなかなか上手なバンド(主にカントリー)の演奏を目にして、感銘を受ける。ブロンドを長く伸ばしたベーシストが印象的に言う。「ありがとう、俺らはマッドクラッチ」。 その時演奏していたのが、ザ・バーズ,バージョンの “You Ain’t Going Nowhere”だった。
程なくしてマイクはマッドクラッチに加わるのだが、そのシーンはもうブロンドを長く伸ばし、シャープな顔つきで、チェロキーらしく頬骨が高く、青い青い、瞳をしている ― トムさんの独壇場だった。マイク曰く、その目の青さは、青すぎて見つめ続けられな硬そうだ。プロ・ミュージシャンとしてのキャリアも積んでいるトムさんは、自信満々で、マイクがバンドに入るということにまったく疑いを持っていなかった。
それから数十年が経ち、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズはボブ・ディランと長いツアーを共にし、ロジャー・マッグインもそれに加わる。そこでマッグインとトムさんがワン・マイクで “You Ain’ Going Nowhere” を歌うのだが、それを見ながらマイクはあの、初めてブロンドのベーシストを見た日のことに思いを馳せるのだ。マイクは、あの瞬間が人生を導いたと信じている。胸に迫るものがあっただろうし、そして読んでいる私も胸が苦しくなるほどキュンキュンして半ば発狂していた。
こちらは2016年マッドクラッチのツアーに、ロジャー・マッグインがゲスト参加したときだろう。トムさんが亡くなる前年だと思うと悲しくなる。でも、当人たちはもちろんそんなことは想像だにせず、ニコニコしながら ― 特にマイクはニコニコしている ― 思い出深い “You Ain’t Going Nowhere” をプレイするのであった。
マイクの自伝は読み進めながら印象的だったり、キュンキュンしたところに付箋をつけているのだが、もうかなり付箋だらけになっている。
英語としてはとても短い文章が多く、簡潔で読みやすい。ハートブレカーズ・ファンで英語読書に挑戦を考えている人には、とてもおすすめだ。
Mike Bloomfield ― 2025/06/07 20:28
私が働いているビジネス(この場合は商売という意味)のプレジデントが来日した。アジアのセールス・リーダーが来ることはあるし、それでもかなりエライ人。さらにプレジデントとなると、もっともっと上で、彼の上にはもう CEO しかいない。
いち社員も気楽にティータイム・セッションで話そう!とはいっても、やはり下っ端はガチガチで、プレジデントが話してばかりいた。
ところが仕事の話が終わって、さぁ、エライ人達は次のスケジュールの確認でも…というところで、必殺「アメリカ人にはトム・ペティ投入作戦」を実行する。素晴らしい効果があった。とてもエライ・プレジデントは最初度肝を抜かれたような顔をしていたが、もう一人のエライ・アメリカ人と私の三人で、飲み物片手にロック談義で大盛り上がり。「ライブ・エイド見た?」「小学生だったけどテレビでやってたよ!」「うちのハズバンドはフィリーの現場で見てたのよ!」などなど…。日本の部長が「大丈夫?あの人プレジデントだよ?」と感心するより心配するほどだった。トム・ペティは世界をつなぐのだ。
マイク・キャンベルの自伝の拾い読みをやめて、冒頭から読み始めた。印象的なところに付箋をつけていく。普段の読書ではやらないが、英語の場合はそうしないと見失ってしまう。
拾い読みしたときは、ラスト・エピソードがジョージで締められたのにびっくりしてしまったが、プロローグで「彼(トム)はおなじミューズから生まれた兄弟であり、なにものをしても引き離すことは出来ない」と、ちゃんとトムさん愛を語っていたので安心した。
まだ冒頭部分だ。知ってはいたつもりだが、それ以上にマイクが貧しい家庭に育ったことを実感した。英語がわからないからという理由で辞書を引くのは稀だが、アメリカ特有の文化についてはググらないとならない。たとえば「ボローニャ・サンドイッチすら賄えないのにギターどころではなかった」というところ。ボローニャ・サンドイッチを知らないと話にならない。
マイクがラジオやテレビを通じてビートルズにのめり込むのは、60年代少年少女のお約束。エド・サリバンショーでも痩せていてダークヘアーのギタリスト(もちろんジョージ)にロック・オン!するのを忘れない。
教則本のお世話にもなるビーチボーイズに続いて、ディランの “Like a Rolling Stone” に衝撃を受けるマイク。バーガーショップのバイトで、椅子をテーブルに上げ、フロアにモップをかけながらこの曲を聞くところは、まるで映画のワンシーンのようだ。やせっぽちで大人しくて、貧しくて、でも音楽を心から愛するマイクの姿はいじらしくて、いとおしい。
さて、”Like a Rolling Stone” でギターサウンドに感動したマイク。この曲のリード・ギターを弾いているのが、マイク・ブルームフィールドだと知って、彼のブルース・ギターを師匠とするようになる。ポール・バターフィールド・バンドのレコードを手に入れ、回転数を落として音を拾いながら練習するのも、これまた60年代ボーイズの定番だ(たしか、デュエイン・オールマンは足でレコードの動きを止めたり戻したりしながらギターの練習をしていた)。
そういえばマイク・ブルームフィールドのことを深く考えたことがなかった。確認してみると、1943年イリノイ州出身というのだから、ディランとは同郷,歳も近かった。ジョージと同い年で、クラプトンよりは年上なので、白人のブルース・ロック・ギタリストとしてはかなり草分け的な存在だろう。マイクがお手本にするにはこの上ない人だ。
ポール・バターフィールド・バンドといえば、何と言っても “Born in Chicago” で、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズもライブでのカバーもある。もちろん素晴らしいのだが、やはり PBB を超えるものはない。”Twist and Shout” はビートルズが最高なのと同じで、誰にも超えることは出来ないだろう。
マイクも書いているが、PBB は熱量がすごい。まさに「噴出」という感じで、その説得力がこの演奏の特徴ではないだろうか。
いち社員も気楽にティータイム・セッションで話そう!とはいっても、やはり下っ端はガチガチで、プレジデントが話してばかりいた。
ところが仕事の話が終わって、さぁ、エライ人達は次のスケジュールの確認でも…というところで、必殺「アメリカ人にはトム・ペティ投入作戦」を実行する。素晴らしい効果があった。とてもエライ・プレジデントは最初度肝を抜かれたような顔をしていたが、もう一人のエライ・アメリカ人と私の三人で、飲み物片手にロック談義で大盛り上がり。「ライブ・エイド見た?」「小学生だったけどテレビでやってたよ!」「うちのハズバンドはフィリーの現場で見てたのよ!」などなど…。日本の部長が「大丈夫?あの人プレジデントだよ?」と感心するより心配するほどだった。トム・ペティは世界をつなぐのだ。
マイク・キャンベルの自伝の拾い読みをやめて、冒頭から読み始めた。印象的なところに付箋をつけていく。普段の読書ではやらないが、英語の場合はそうしないと見失ってしまう。
拾い読みしたときは、ラスト・エピソードがジョージで締められたのにびっくりしてしまったが、プロローグで「彼(トム)はおなじミューズから生まれた兄弟であり、なにものをしても引き離すことは出来ない」と、ちゃんとトムさん愛を語っていたので安心した。
まだ冒頭部分だ。知ってはいたつもりだが、それ以上にマイクが貧しい家庭に育ったことを実感した。英語がわからないからという理由で辞書を引くのは稀だが、アメリカ特有の文化についてはググらないとならない。たとえば「ボローニャ・サンドイッチすら賄えないのにギターどころではなかった」というところ。ボローニャ・サンドイッチを知らないと話にならない。
マイクがラジオやテレビを通じてビートルズにのめり込むのは、60年代少年少女のお約束。エド・サリバンショーでも痩せていてダークヘアーのギタリスト(もちろんジョージ)にロック・オン!するのを忘れない。
教則本のお世話にもなるビーチボーイズに続いて、ディランの “Like a Rolling Stone” に衝撃を受けるマイク。バーガーショップのバイトで、椅子をテーブルに上げ、フロアにモップをかけながらこの曲を聞くところは、まるで映画のワンシーンのようだ。やせっぽちで大人しくて、貧しくて、でも音楽を心から愛するマイクの姿はいじらしくて、いとおしい。
さて、”Like a Rolling Stone” でギターサウンドに感動したマイク。この曲のリード・ギターを弾いているのが、マイク・ブルームフィールドだと知って、彼のブルース・ギターを師匠とするようになる。ポール・バターフィールド・バンドのレコードを手に入れ、回転数を落として音を拾いながら練習するのも、これまた60年代ボーイズの定番だ(たしか、デュエイン・オールマンは足でレコードの動きを止めたり戻したりしながらギターの練習をしていた)。
そういえばマイク・ブルームフィールドのことを深く考えたことがなかった。確認してみると、1943年イリノイ州出身というのだから、ディランとは同郷,歳も近かった。ジョージと同い年で、クラプトンよりは年上なので、白人のブルース・ロック・ギタリストとしてはかなり草分け的な存在だろう。マイクがお手本にするにはこの上ない人だ。
ポール・バターフィールド・バンドといえば、何と言っても “Born in Chicago” で、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズもライブでのカバーもある。もちろん素晴らしいのだが、やはり PBB を超えるものはない。”Twist and Shout” はビートルズが最高なのと同じで、誰にも超えることは出来ないだろう。
マイクも書いているが、PBB は熱量がすごい。まさに「噴出」という感じで、その説得力がこの演奏の特徴ではないだろうか。
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