Koto2020/04/21 19:53

 マイク・キャンベルは、自分が持っている楽器を引っ張り出しては、フェイスブックで色々な動画を公表している。
 お琴まで出てきた。普通は弦(糸)を束ねたところを丸くきれいにまとめるのだが、そこまではできないらしく、かなりぐちゃぐちゃ。



 日本の「こと」と言われる楽器には「琴」と「箏」の字があって、厳密には使い分けられるそうだ。
 私はこの楽器に詳しくないので、とりあえず「お琴」ということにしておく。
 音大時代、「日本音楽研究会」なる大雑把な名前の同好会があって、彼らはお琴を合奏していた。軍手をはめての特訓を見て、優美な外見のわりに、けっこう悲壮なんだなと思っていた。

 トム・ペティ曰く、マイクは弦楽器なら何でも弾ける(フィドル以外)。ヘンテコな楽器も色々持っていて、ある日はお琴を持ってきたというのだ。
 そのサウンドが堪能できるのが、TP&HBの楽曲の中でも異色のサウンドで有名な "It'll All Work Out"。トレモロ(ちゃんとした日本語の奏法名があるのだろうが、知らない)が効いた、印象的なイントロから始まる。マイクはけっこうお琴を研究して演奏に臨んでいるようだ。



 さて、同じくお琴を使っているということになっているのが、ザ・ローリング・ストーンズの "Take It, or Leave It" なのだが…



 Wikipedia などを見ると、ブライアン・ジョーンズがお琴を弾いているというのだが、どうしても聞こえない。BoseのプレイヤーにBoseのヘッドホンを入れて、大音響で聴いても分からない。かすかにハープシコードは聞こえるのだが、お琴だと自信を持って言える音がつかめない。
 これはちょっとした謎だ。

The Inner Light Challenge (その2)2020/04/09 19:05

 "The Inner Light" のいろいろな楽器の演奏を見てみる。
 原曲がインド風のエキゾチックな曲なので(「ラーガ・ロック」という言葉もある)、特徴のある楽器の活躍が面白い。

 まず、ハーディ・ガーディと、謎の三孔木管。
 この人、ハーディ・ガーディをメインにしてタイトルをつけているのだが、むしろイントロの木管の方が凄いと思う。三孔だけであれだけの音程を出せるのだから、かなりの習熟度だ。



 お次は、日本代表、笙。雅楽で用いる楽器だ。
 実はこれ、私がけしかけた。笙は "The Inner Light" との相性が良いに違いないと思ってのことだが、その通りだった。




 最後は、打楽器代表、ミック・フリートウッド。どうするのかと思ったら、トーキング・ドラム(?)を鳴らしまくりながら、語る、語る!
 だがしかし、私の目を引いたのは、フリートウッドのパフォーマンスそのものではなく、スクリーンの左側に置かれた謎の楽器だ…



 そっ、それは…!マイク・キャンベルが鳴らしていた、謎の四弦楽器ではないか!
 これは一体何なんだ?フリートウッドマックの中だけで流行しているのか?すごく謎だ。

盤渉参軍 全曲演奏会2020/01/09 22:14

 1月6日、四谷区民ホールで、伶楽舎の雅楽演奏会が開かれ、芝祐靖先生が復曲した、「盤渉参軍(ばんしきさんぐん)」の全曲が演奏された。
 午後の部と夜の部、あわせておよそ六時間かかったという、大演奏会だった。
 私は仕事があったので、夜の部のみ鑑賞。午後と夜両方は、演奏する方はもちろん、聴く方も大変だっただろう。

 「盤渉参軍」は、十世紀に源博雅(通称、博雅三位 はくがのさんみ)が編纂した笛譜に記されている楽曲で、その演奏は絶えていたが、芝先生が譜面から復曲し、序だけで十三帖、破が十帖。さらに芝先生が作曲した急(参軍頌)という構成になっている。
 繰り返すようだが、六時間近くかかったたという大曲だ。これは、やりもやったりという感じで、伶楽舎の快挙と言えるだろう。
 私は現代雅楽音楽というものが苦手で、古典と復曲ものが好きだ。だから今回の演奏会は大満足で、まさに雅楽を浴びるように聞き、浸ったというに近い。

 さて。
 演奏会の翌日は、偶然、音大時代のクラス会だった。クラス会と言っても、小さな学科だったので、少人数の集まりで、ほとんどが芝先生や、宮田まゆみ先生にお世話になった連中ばかりである。

 当然、前日の演奏会の話になった。
 あれはもう、やった、というだけで意義があるよね、という意見で一致。
 集まった同級生の中には、伶楽舎のメンバーがいるので、ついでに私は訊いてみた。どうも幕の降りるタイミングが早かったような気がする。観客が拍手喝采しようとするタイミングを逸するほど、幕が早く降りるのだ。あれはどういう訳か。
 明確な答えがあった。
 楽員の足腰が痛いのだという。
 みんな、一刻も早く胡坐を解いて、足腰を伸ばしたい。痛くてたまらない。だからできるだけ早く幕を下ろすよう、仕掛けているのだという。これには大笑いした。

 話できくだけなら笑えるが、実のところ長時間、固い床の上で胡坐をかいたまま、微動だにせずに演奏しなければならないというのは、きつい仕事だ。
 私が雅楽を音大でやっていたときは、授業せいぜい90分ぐらい。若かったからそれほど苦痛ではなかったのだが ―― 楽員である友人は、最近あまりにも足腰が痛むので、これからの演奏活動も考えて整体に行っているという。
 演出によっては、演奏後、幕が上がったまま、しずしずと立ち上がって、退場しなければならず、これがまた辛いのだそうだ。そういえば、能をやっていたころ、「清経」のような長い素謡を終えたとき、何事も無かったように立ち上がるのが、結構な真剣勝負だったことを思い出す。

 今回の演奏会は、はからずも芝先生の追悼演奏会になってしまったのが、寂しい。それと同時に、芝先生を共通の思い出とする仲間とのひとときが、最高に楽しい。
 五月には、また伶楽舎の雅楽演奏会で芝先生の曲が演奏される。今から楽しみだ。

みんなで雅楽を2019/08/08 19:29

 きょうは、サントリーホールの小ホールで、先月亡くなられた芝祐靖先生のお別れの会が開かれた。職場が近いので、後半だけ参加してきた。

 故人の希望とのことで、暗くなりすぎないよう、本当に平服で多くの人が集まった。明るく、華やかに飾られた、明るい芝先生のお写真と、美しい笛。
 芝先生にゆかりの人のお話に、様々な演奏が会を構成した。
 興味深かったのは先生の写真の数々。どれもにこやかで格好良い。
 びっくりしたのは、90年代の八ヶ岳で、武満徹を囲んだ写真。私の同級生が二人、先生が三人写っているので学生の頃から知っていた写真だ。とても懐かしい。

 さて、たくさんの雅楽を愛する人を指導した芝先生のために、最後に参列者も加わって、盤渉調の越殿楽を演奏した。神式の葬儀で演奏される曲だそうだ。
 私は盤渉調の越殿楽を覚えてはいなかったが、とりあえず龍笛を持参し、譜面を持っている人の後ろからのぞき込みなら参加させてもらった。

 いや待てよ、見回すと・・・笙、篳篥、一番多い龍笛・・・これだけの大量の雅楽器が一斉に鳴り響く事なんて、普通想定されていない。一体どんな凄い音になるのか?!
 司会者が、「龍笛の六はセメではなく低くお願いします」と言うと笑いが起きる。セメというのは、1オクターブ高く吹くこと。大量の龍笛が六の音をセメを出そう物なら、楽器を吹いていない人は耳を塞いでひっくり返るのでは?

 私の心配をよそに演奏は始まり、司会者の注意も甲斐無く、甲高く鳴り響く龍笛!
 これがなかなか素晴らしい音だった。小ホールとはいえ、サントリーはサントリーだ。見事に音を受け止め、素晴らしい響きであった。
 芝先生もきっとお喜びだろう。写真の笑顔が、さらに明るく思われた。

 しめっぽくはなく、先生のお人柄が反映された、素敵な会だった。
 やっぱり雅楽はすばらしい。時間さえあれば、また習いたい。みんなで雅楽を楽しもう。

しあわせな水曜日だった2019/07/10 23:23

 7月5日に亡くなった、芝祐靖先生のご冥福をお祈りいたします。

 芝先生は、楽家に生まれ、宮内庁楽部に勤められ、若くして退官された後は、さらに広い世界で雅楽の演奏、普及に努めてこられた。龍笛の名手にして、ほかの楽器にも精通されていた。そして古楽の復曲、新作の作曲に情熱を傾けられ、伶楽舎をはじめとする雅楽団体での演奏を盛んに行われた。
 後進の指導にもつとめられ、多くの学校や教室、団体で雅楽愛好者に指導された。こどものための雅楽の作曲や上演、普及活動にも熱心だった。
 芝先生の存在なしに、今日、私たちが雅楽を楽しめる世界はあり得なかった。まさに、雅楽における太陽であった。

 私の音大時代、芝先生は毎週水曜日に大学にいらした。
 まず先生自身が和室の掃除をして、二限目の初心者クラスを待っていた。明るく、優しい先生は、やってきた学生たちを、「いらっしゃ~い!」と素敵な笑顔で迎えてくださった。
 お昼休みは、学科の研究室でランチを食べる。もともと明るい研究室が、芝先生の存在でさらに明るくなった。ふだん傲岸な教授も、芝先生の前ではこども同然だった。
 三限目中級、四限目上級。私や雅楽好き仲間は、必須ではない四年生になっても上級クラスに出て、先生との授業を楽しんだ。
 お茶やお菓子が出て、我が母校らしいほのぼのとした雰囲気は最高だった。さすがに音大生で、学生たちは器用だ。先生は様々な曲に挑戦させてくださった。
 私たちが三年生の時、「陵王一具ができるよ」と言い出したのは、芝先生だった。「蘭陵王」の舞楽、「陵王一具」をやるなどという大それたことは、私たち自身は想像もしていなかった。でも、先生のひとことで、私たちはすっかりその気になった。やろう、やろうと言って、本当に学園祭で披露したのだ。装束はすべて先生が貸してくださった。

 芝先生は、学生たちをとてもかわいがってくださり、飲み会などにも積極的にいらした。
 ある年の新入生歓迎会で、「えぇ~非常勤講師の芝です・・・」と自己紹介したときは、周りが「客員教授です!」と慌てた。
 合宿にも、卒業式後の謝恩会にも、明るく楽しい先生の笑顔があった。
 私と仲間たち数人を、ご自宅に招待してくださったこともあった。ふだんビシっとスーツできめている先生が、作務衣で迎えてくださった。

 私は卒業してからもしばらく、社会人向けの教室で、芝先生に龍笛を習った。
 伶楽舎の演奏会でも、先生にご挨拶すると、いつもの笑顔で答えてくださった。
 近年、先生は体調がお悪いこともあり、早く演奏会場を後にされることも多かったし、私も先生がお疲れにならないよう、お声をかけずに帰ることも多くなった。しかし、去年、文化勲章のお祝いを申し上げに行くと、やはり輝くような笑顔で対応してくださった。
 学生時代の思い出を話すと、さらに先生の笑顔が広がった。

 芝先生のいらした水曜日の音大は、しあわせだった。先生はそういう時の創造主であり、青春の光源だった。
 水曜日の音大の和室。芝先生の龍笛はうっとりするほど素晴らしく、琵琶を弾く姿は美しかった。しあわせな水曜日だった。

青海波2019/05/29 22:42

 伶楽舎の雅楽演奏会に行った。前半管弦、後半舞楽の古典プログラム。
 今回のテーマは、一曲。「青海波」だった。



 「青海波」は有名だ。「青海波」という和柄もある。
 そして、伶楽舎の解説によれば、盤捗調、黄鐘調、双調、平調と、四つの異なる調で演奏された記録があるという。異なる調で演奏される曲を「渡し物」と言うのだが、せいぜい二つ程度の調が普通で、四つというのは例外的だ。
 伶楽舎曰く、これだけの調で演奏されたというのは、名曲の証なのだと言う。

 それはどうだろう ―― と思った。
 抜粋も含めてだが、四つの調で聞き比べる趣向だったのだが、結局どれもしっくりこなかった。
 学生のころ、それから社会人になってからもこの曲は吹いているが、実はあまり印象になかったのだ。
 それで思ったのだが、実はこの「青海波」、管弦としてはそれほど名曲ではないのかも知れない。決め手を欠くやや中途半端な曲のため、いろいろな調を試したものの、結局どれもうまく行かなかったのではないかというのが、今回の演奏会での感想だった。

 では、なぜ「青海波」は有名なのか。
 これはもう、「源氏」に尽きる。

 「青海波」は「源氏物語」に登場する。私はまったく「源氏」に関心がないので調べるのだが、第七帖「紅葉賀」の中で、光源氏が「青海波」を舞うシーンがあるのだ。
 例によって(?)光の君は美しく、息をのむようで、どうのこうの。雅楽のことは知らなくても、「源氏」とそれに登場する「青海波」は知っているという人も、多いのではないだろうか。

 実は今回の演奏会、前売りだけで完売だったそうだ。
 伶楽舎の通常の演奏会は七割か八割くらいの入りなのだが、この大盛況。どういうわけだと楽団員に訊くと、「源氏に関係すると人が入る傾向がある」とのこと。
 やはり「源氏」の影響力恐るべし。後半の舞楽こそが「源氏」の「青海波」で、何割かのお客様の目的だったのだろう。私も、この曲は舞楽あっての曲だということを、実感した。

 伶楽舎は意欲を持って復曲を含めて様々な試みを行うが、今回は立って琵琶 ―― 楽琵琶である ―― を弾くという記録にある奏法にトライした。素晴らしい。
 でも、あまり出番はなく。なんか、白い布で首から琵琶を吊った姿が ―― 大ケガをした琵琶奏者みたいで、可笑しかった。

伶楽舎 雅楽演奏会2018/12/17 12:56

 紀尾井ホールにて、伶楽舎の雅楽演奏会があったので、いつものように出かけた。

 今回は、芝祐靖先生による復曲「清上楽(せいじょうらく)」と、右方の舞楽「還城楽(げんじょうらく)」という古典が二曲と、一柳慧作曲の新曲「二十四節気」というプログラム。



 大戸清上(おおとのきよかみ)という8世紀末から9世紀ごろに生きたと思われる人は、笛の名手で、作曲もよくしたという。遣唐使として海を渡り、大陸で音楽を学んだが(音楽だけではないかも知れない)、帰路で嵐に遭い、漂着した先で、賊(海賊?)に襲われ死んでしまったという。
 なんだ、そのロックな生き方は…
 その清上が残した楽曲が、この「清上楽」で、昔はよく演奏されていたという記録があるものの、その後演奏されなくなった。記録はいくらかあるので、芝先生が復曲したという次第。
 道行,序,破,急とあるのだが、いずれもちょっと短いという印象があった。特に破と急が中途半端な長さに思えて、もっとたっぷり聴きたいような気もする。
 ともあれ、芝先生の復曲はいつもの安定感で、とても楽しい。

 右方の舞楽「還城楽」は、有名な演目だ。蛇を食べる西域の人が、蛇を見つけて喜ぶ様を舞にしたという、躍動感溢れる曲だ。学生の頃、管絃吹きと舞楽吹き両方で稽古したが、そのころから、吹きやすくて好きな曲だった。
 作り物の蛇の周りをぐるぐる回り、視線をやる様子も活き活きとしているし、蛇を手に持ってもかわいいのだ。
 しかし、ちょっと物足りなくもある。
 今年は、5月に芝先生の「瑞霞苑」を見ており、これが圧倒的に素晴らしかった。あれを思うと、何を見てもかすんでしまう。名作というのは、こうして認識されていくのかも知れないと、― 「還城楽」には気の毒ながら ― 思うのだった。

 後半は、一柳慧の新曲。
 「現代雅楽」というものを聴くたびに、今度こそは良い曲かも知れないと自分に言い聞かせるのだが、なかなかうまく行かない。今回も評価はイマイチだった。やっぱり古典が良いという結論になってしまう。
 「『雅楽』の語をアルファベットで英語表記にすると『GAGACH』となり、これは音名(ソラソラドシ)におきかえることができる」として、イメージを膨らませた曲だというのだが…そのアイディアは、バッハだけが認められるのであって、あとは二番煎じの陳腐なものでしかない。そもそも GAGACH とは綴らないと思う。しかも、じゃぁその音名がどれほど押し出されているのかと言えば、べつに大して活躍もしない。
 今回も結局、「現代雅楽」の評価は上がらずじまいだった。
 こたびも、負け戦であった…

伶倫楽遊:祝賀の雅楽2018/05/27 21:15

 5月25日、いつもの四谷区民ホールへ、伶楽舎の雅楽コンサートへ行った。
 今回のテーマは、「祝賀の音楽」。お祝いの場で演じられる雅楽曲の特集だ。何かといちいち祝うのが平安貴族の世。つまり、祝わないではいられないほど、困難も多い時代だったということだろう。
 それはさておき、この「祝賀の音楽」と聞いて、私もピンと来た一人だった。伶楽舎の音楽監督であり、私が音大で雅楽を習っていた芝祐靖先生が、去年文化勲章を受章されたことを祝うという意図のある会だったのだ。
 お祝いの方法については色々話があったらしいが、結局、伶楽舎は伶楽舎らしく、お祝いの音楽を奏でることで、その気持ちを表し、雅楽ファンと共有することになった。素晴らしい選択だと思う。
 そのようなわけで、今回は芝先生も観客席で観賞されていた。



 演目はまず、太食調の「合歓塩」「嘉辰」(朗詠)「長慶子」。学生のころ、お世話になった曲たちだ。朗詠を聞けたのも良かった
 そして高麗双調の「地久」。高麗楽なので、笙が入らない。淡々と ― やや寂しい曲が進む感じが、なんだか不思議だった。

 後半は舞楽。
 まず左方の「萬歳楽」。4人の舞いで、華やか、かつ厳粛。これはお馴染み。
 今回の演奏会の白眉は、何と言っても右方の「瑞霞苑」だろう。芝先生による新作雅楽で、オリジナルは1965年。伶楽舎が演奏するにあたって改訂がほどこされ、右方の舞いが加わった。
 これが圧倒的に良かった。舞人は女性二人、緑の爽やかな装束も颯爽と、きびきびと舞う姿の美しさ、凛々しさが際立っていた。曲も明るく、晴れやかで軽やか。祝いの厳粛さよりも、心の軽さ、明るさ、活力に満ちて、希望を抱かせる。
 この「瑞霞苑」が良すぎて、「萬歳楽」がかすんだほどだ。思わず、私は楽屋で楽員をつかまえ、そっと「後半は瑞霞苑だけで、一具をやったほうが良くなかった?」と囁いたほどだ。

 客席にいらっしゃる芝先生の周りには、神社のように列ができて、挨拶が連綿と続いていた。先生もお疲れになるだろうから、どうしようか ― とも思ったが、我が楽しき音大時代と、先生と楽しく過ごした学生代表として、素通りはできなかった。
 短い間だが、ご挨拶をして、お話をした。先生は私の同級生の名と共に、当時を懐かしむように、明るくわっていらした。

 とても良い演奏会だった。雅楽初心者にもお勧めだった。

春鶯囀 (舞楽・管絃)2018/01/06 22:12

 伶学者の雅楽コンサート(No.33)「伶倫楽遊 鶯の囀りというしらべ~春鶯囀を観る、聴く」に行った。

 「春鶯囀」― しゅんのうでん ― と読む。春のウグイスのさえずりという曲なのだから、とても明るく、雅やかで素敵な曲だ。今回は、舞楽と管絃、両方で堪能した。



 伶楽舎のコンサートに行くと毎回思うのだが、やはり古典は良い。復曲も良い。いわゆる「現代雅楽曲」というのは勘弁してほしい。
 今回は前半も後半も完全なる古典で、本当に素晴らしかった。

 普通、管絃と舞楽があると舞楽を後に演奏するのだが、今回は舞楽が先で、管絃が後だった。どうしてかと不思議だったのだが、どうやら演奏する上での体力の問題だったのではないかと思っている。
 春鶯囀の管絃を全曲 ― 「一具」で演奏すると、雅楽で四曲のみ定められている「大曲」で、すっかり疲れてしまうのだろう。実際、後半は途中で気合いを入れ直している楽人の表情などもあって、それが覗えた。
 大曲は四曲のみということは解説にも述べられていたが、あと三曲が何であるのかには一度も触れなかった。伶楽舎は素晴らしい演奏団体なのだが、こういう解説のところで、いま一歩惜しい。ちなみに、あとの三曲は、「皇麞」「万秋楽」「蘇合香」 ― 確かに大曲だ。私はこれらを一具で聴いたことがないと思う。「蘇合香」はいちど伶楽舎が一具で演奏したのだが、この時は都合が悪くて聞きに行けなかったのだ。今回、「春鶯囀」を一具で聞くことが出来たのは幸運だった。
 舞楽も華やかでまさに雅楽の醍醐味。舞人の技量に関しては、もう少し伸びしろがあると思うのだが、それでもとても素晴らしかった。

 伶楽舎の音楽監督であり、私の音大時代、雅楽の先生だった芝祐靖先生は、去年文化勲章を受章された。今回はその記念の展示などもあった。
 また、芝先生の業績をまとめた本「伶倫楽遊 芝祐靖と雅楽の現代」が発売されている。芝家の来歴や、先生の経歴がまとめられているほかは、いくらかのエピソード。あとは業績を列記した資料的な本で、巻末に添えられた、先生自身のコラムの方が面白い。
 筆者が芸大出身のため、芸大でのたのしげな雅楽の授業の様子が描かれていたが、わが母校も同じような雰囲気だったと思う。それにしても、どうしても間が取れなくて、「6秒くらい」と言われた太鼓の人が、秒針を観たという話には驚いた。さすがに自分が雅楽をやっていた時には、そういう話はなかった。もっとも、私が学生のころは、いまや伶楽舎の「太鼓の達人」が一緒だったという事情もあるのだが。
 ちなみに、このブログの2017年10月14日 There Are Places I Remenber の冒頭に登場した音大の和室での話は、芝先生の雅楽の授業中の事である。

 伶楽舎と芝先生の活躍、今後も期待している。

草子洗2018/01/02 16:21

 新春恒例、NHK での伝統芸能放映。楽しみにしていたのだが、けしからぬ事に雅楽の放映がない。

 能狂言はさすがにあった。お正月なので、一番目物(脇能)を放映することが多いのだが、今回は三番目物(鬘物)。宝生流の「草子洗(そうしあらい)」。
 …「草子洗」?!観世流で言う「草子洗小町」?!能楽二百番の中でも、きっての「なんじゃそりゃ」なストーリーをほこる作品ではないか。季節感はあまり無いほうだが、夏の曲ということになっている。水が関連するからだろうか。

 宮中での歌合わせを明日に控えた、大伴黒主(ワキ)は、相手が歌の名手である小野小町とあって、勝ち目はないと考えた。そこで夜、小町の屋敷に忍び込み、小町が明日詠む歌を吟じるのを聴き取り、手持ちの万葉集に書き込む。
 さて、翌日、王(子方)の前に黒主、小町、そして紀貫之ほかの官人が集まり、歌合わせが始まる。小町がまず歌を披露する。

 蒔かなくに 何を種とて浮草の 波のうねうね 生い茂るらん

 王がこれを褒めると、黒主はこの歌は万葉集にある古歌であり、盗作だと言い出す。

 既にもの凄い展開。まず大伴黒主と、小野小町が同時期に出仕していたかどうか、怪しい。しかも小町の歌を盗み聞きして万葉集に書き込み、盗作だと言い出す黒主が、あり得ないくらい悪い奴。この能の作者、一体、黒主になんの恨みがあるというのか。
 「ちょっと待て」な話としては、紀貫之が同席していることである。小町や黒主はせいぜい9世紀半ばまでの人だと考えられており、貫之は9世紀末から10世紀中盤の人物。そもそも、小町や黒主を含むいわゆる「六歌仙」を「古今和歌集」で前の時代の歌人として評価したのは、貫之である。時代を無視して、適当に有名歌人を並べるあたりが、「なんじゃそりゃ」と言われる所以の第一だろう。

 そもそも、この小町の歌はこれで良いのか。私は詩歌には全く興味も才能もないが、下の句の「波のうねうね」はさすがにどうかと思う。

 さて、黒主に古歌と指摘された小町、猛然と抗議する。けっこうああだ、こうだと言い合う。ともあれ、どういう了見で古歌などと言うのか。すると黒主は懐に持った万葉集にあると言う。小町、針のむしろで窮地に立たされる。「(歌道の)大祖,柿本人麻呂にも見捨てられた」とか、けっこうごちゃごちゃ言う。
 さて小町、草子をよく見ると、どうもこの歌の墨の様子がおかしい。これは最近書き加えられたに違いないと見破った小町、王の許可を得て、この草子を水であらってみる。
 すると、黒主が書き込んだ箇所が流れ落ち、一字も残らない。出雲、住吉、人麻呂、(山部)赤人、小町を助けてくれてありがとう。

 「草子洗」という能のタイトルはこのシーンから来ているのだが、そんな都合の良い事があるだろうか。
 しかも、事が露見した黒主、「自害します!」と言い出す。
 それを小町が押しとどめ、「同じ和歌の道の友なのだから、まぁいいじゃないか」と言う。王「どうだ黒主。」黒主「ありがたいことでございます。」
 待て待て、色々あるけど、ちょっと待て!それで済むのか?しかも、「小町黒主遺恨なく小町に舞を奏せよと」という事になり、小町が風折烏帽子を被り、中の舞いを待ってめでたく終わるという強引な展開。
 歌の名手同士の歌合わせが、どうして小町の舞いでしまるのか。ちゃんと歌でしめるべきではないのか?…最後まで色々謎の能であった。

 作者は不明。能の場合、作者が不明だと大抵、世阿弥作ということにするが、この作品は誰の作品が不明のまました方が無難だろう。あまりにも「なんだそりゃ」過ぎる。
 今回のNHKでの放映は、前場をごっそりカットして、後場だけを放映した。黒主と、その下人(アイ狂言)のシーンがないのは、物足りない。荒唐無稽なストーリーの割に、ストーリー展開や、登場人物が多いところが見所である、この作品としては、ぜひとも前場も放映してほしかった。
 今回の宝生流ではシテツレが官人として二人いたが、観世流だとさらにシテツレの官女が二人登場する。どうせお正月の華やかな趣向というのであれば、こちらで見たかった。

 能の話というのは、だいたい荒唐無稽で、辻褄のあわないことが多い。「草子洗」はそのうちでも最たる物。あまりにも大伴黒主が気の毒なので、彼の名誉を挽回する作品が作られても良いだろう。なんだったら、五番目物(切能)で鬼をやっつけても良い。