F. Chopin: Prelude Op.282022/02/06 20:26

 去年のショパン・コンクールの映像は、いまでもよく見る。
 これまでと違って、本選ファースト・ラウンドからほぼ完全に YouTubeで見ることが出来るのだから、遠いポーランドでのコンクールも、身近に感じられるようになった物だ。

 一番頻繁に見るのは、最終的には立派に4位入賞した小林愛実さんの、第三ステージである。彼女は、プレリュード (Op.28) を全曲演奏した。24曲、全曲である。約1時間にわたる緊張感の連続。
 私はちょうど今、ショパンのプレリュードを弾いているので、その参考にしようと見ているのもあるが、これほどに充実した演奏もなかなかないと思い、気に入っている。

 24のプレリュードは、要するにショパンが12音の長調,短調を全て網羅するという意図で作っているのだが、なんと言ってもその「鬱情」がもの凄いのだ。ショパンには、独特の感情,心情 ―― 一言で言えば、「鬱情」がある。モーツァルトの軽やかさ、明るさ、ベートーヴェンの輝かしさ、力強さ、そういうものとは違う、人間として生きる苦悩と悲しみを、それを乗り越えも、克服もせずに痛みとして受け入れざるを得ない、そういう辛さ ――そういう「鬱情」がショパンをショパンたらしめているのだ。
 特にこのプレリュードを作曲した時期のショパンは、上手くいっているようで、不安定なような恋愛経験と、体調不良や鬱の発症、それと同時に作曲家として脂ののりきった時期が入り交じり、独特の作品群となっている。
 私の学生時代のピアノの恩師は、小学生にはどんなに技術的に優れていても、ショパンは弾かせなかったという。それは、どうしても「鬱情」というものは中学生くらいにならないと表現できないからだった。ある意味、納得できる。逆に、中学生時代くらいが、もっともその「鬱情」の対処に苦闘する年齢なのだろう。それが色々な形を取ってあの時期独特の行動になるのだ。

 小林愛実さんのプレリュードは、ものすごい集中力と、研ぎ澄まされた感性が、揺るぎないテクニックに託され、ショパンが残した音楽の魅力を遺憾なく表現している。
 13番の染み入るような美しさに、14番の不気味な地吹雪 ―― 圧巻は16番の卓越した力強さと技巧の見事さ。息をのむようなというのはこのことで、最後の24番など、言葉を失うほか無い。



 私は、年末にバッハを弾く予定もあるし、まぁ15番「雨だれ」でも弾いたらプレリュードは放っておこうかと思っていたが、小林愛実さんのこの演奏を聴いたら、断然、最後まで弾く気になった。

 ところで、小林さんは演奏の合間に、八分音符に真珠のあしらわれたペンダントに手を添えるが、あのペンダントが欲しい。
 そう思っている人はけっこういるみたい。だが、いろいろ検索して見えても、これとしうものはヒットしない。たぶん、どこかのコンクールの副賞か何かなのではないだろうか。ミーハーな話だが、「これであなたも小林愛実さんになれる!」と言って同じ物が販売されたら、飛びつく人間がここに一人居る。

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