最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常2021/09/01 20:28

 何年か前に話題になった本,二宮敦人著「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」を読んだ。私はこれでも、音楽大学卒。興味はある。
 ちなみに、私は普段「芸大」と書いてしまうが、ゲーダイは「藝大」が正しい。今回は、著者と著書、学生、卒業生に敬意を表して「藝」を使うことにする。

 著者は小説家なのだが、妻は現役の藝大生(美術学部彫刻科)。その縁で、日本最高峰の芸術大学に通う学生たちにインタビューを敢行し、外部の人間には分からない「ちょっと変わった」学生生活をレポートする。

 読んだ感想。
 音校(音楽学部)は予想の範囲内。藝大のレベルが日本最高位である以外は、私の音大生活とそれほど乖離していない。
 演奏を専門とする器楽科,ピアノ科,声楽科らが、ストイックに演奏技術と表現を極めてゆくのは、藝大も母校も同じようなものだ。
 むしろ私が在籍した「学科」で比べると、本に出てくる藝大生は大人しいような気がする。私の音大現役時代の方が、カオスとまでは言わないまでも、バラエティに富んだ、カラフルではっちゃけた感じがした。
 たぶん、我が母校 ――「ぼけ」と言われるほどノンキな校風で有名 ―― は、邦楽が専門科ではなく、その代わり「我が学科」連中の大活躍の場だったことや、その「我が学科」には「いまさらクラシックで、やることなし!」という吹っ切れたところがあったからだと思う。バリ・ガムランあり、雅楽あり、能楽あり、ロシアン・ロックあり、水中にスピーカーを沈めてホワイトノイズを流すサウンド・インスタレーションあり、なんでもあり。
 その横で私は教授と "I Want to Hold Your Hand" の良さを熱く語り合い、図書館には「研究で必要だ」と言って、[Concert for Bagladesh], [Bob Fest], [Hard to Handle (Dylan with TP& HB)] を一度に購入させる ―― そういう学生生活だった。
 そのような訳で、本のタイトルにある「カオス」に関して、音校はそれほど当てはまらないと思う。

 一般人に言わせれば「カオス」なのは、圧倒的に美校(美術学部)だろう。そういえば、私の同級生が、ガムラン関係の打ち合わせで藝大に行ったとき、やおら片足黒、片足オレンジのタイツ・マンに遭遇したという話があった。でも、美校ではちっともめずらしくない。
 藝祭(学園祭)の異様な盛り上がりも、八割は美校のなせる技ではないだろうか。謎のミスコン ―― というか、一連の謎のパフォーマンスが一番笑えた。「美しさってなにかしら?」 ―― こっちが訊きたい!という著者の戸惑いはよく分かる。
 基本的に、音校(音大)はクラシックという既製品があって、それに磨きをかけるのだが(「我が学科」は違うけど)、美校(美大)はオリジナルを作り出すことが基本だ。そうなると、常人には理解しがたい突飛な出来事が起きるのも必然だろう。
 音楽と同じく、藝大の受験レベルが最高位であることを除けば、他の美大でも、同じような「カオス」が、ある程度あるのだと思う。

 本のタイトルにある「天才たちの」というのは、誇張表現で、藝大とは言え本物の天才 ―― モーツァルトとか、グールドとか、レンブラントとか、ピカソとか ―― というのは、基本的に居ない。居ないからこその「天才」なのだ。
 だから藝大を卒業して、そのままアーチストとして、純粋に表現だけをして食っていけるかというと、基本は無理。藝大を主席で卒業して、日本音楽コンクールで優勝し、海外のコンクールで2位とかになっても、結局どうなるかというと、国内限定の演奏家兼、「音楽の教師」になる ―― というのは、よくある話だ。教師など一切せず、自分の芸術表現だけで生きる ―― 日本人で言ったら、内田光子のようにシューベルトのソナタだけで世界ツアーが出来るような ―― 事は、基本的にない。逆に、そうめったにあっては困る。

 藝大なり、音大なり美大なりで、四年間(人によってはそれ以上)学んだ後、何か社会に役立つ人間が育つかというと ―― 微妙かつ疑問。著者もそれを感じているし、藝大を案内する人も、「卒業生の半分は行方不明」と表現する。
 でもまぁ、大学なんてそんなものじゃない?というのは、私の考えである。大学で四年間、徹底的に音楽,美術を学び尽くしたら、その後どうやって生きるかは、本人のやる気と努力次第。「社会で何の役に立つ」なんて、野暮なことは言わないで、学生時代は芸術に没頭すればいい ――

 本書は、音大・美大がどんなところか、興味のある人にとてもお勧め。「最後の秘境」とか、「前人未到」とかちょっと大袈裟ではあるが、面白い本だ。藝大志望者も、さすがにそこまで行かなくても、音大・美大への進学を考えている人にもお勧めである。

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