椿姫を見ませんか2020/08/12 19:12

 豊島園が閉園するのだという。テーマパークの類にまったく興味のない私が、行ったことのある、数少ない遊園地のひとつだ。
 豊島園が重要なキーになっている、ミステリー小説がある。森雅裕の「椿姫を見ませんか」 ― 初版が1986年だというのだから、昭和のミステリー小説である。

 小説の舞台は新芸術学園。架空の私学,美術・音楽の二学部のある芸術大学という設定だが、要するに東京藝術大学が舞台だと言っていい。作者が芸大の美術学部出身なのだ。母校をモデルとして、芸術大学とオペラ公演、絵画、寮生活などを生き生きと描いている。
 音大のオペラ公演「椿姫」(ヴェルディ作曲)の練習中、主人公,ヴィオレッタ役のソプラノ女子学生が毒殺される。その死は、二十三年前のマネの贋作事件を発端にしているのではないかと、日本画科の学生,守泉音彦は調査を開始。一方、その親友(悪友)で、ソプラノ学生歌手である鮎村尋深(ひろみ)は、死んだ学生の代役として、ヴィオレッタを務めることになる。
 事件は新芸術大学、財界、画壇、音楽界を巻き込みつつ謎を深め、いよいよオペラ公演の本番を迎える ― 

 久しぶりに読んでみたら、二時間ドラマ顔負けの設定なので、ちょっと可笑しかった。
 いろいろな人が都合よく血縁だったり、絶縁だったり、自殺したり、交通事故にあったり、音楽や絵の才能に恵まれたりしている。

 この作品の一番の魅力は、主役二人のシニカルで気障なセリフの、オンパレードだろうか。登場人物自ら、「気障なことは言いたくない」と語るが、実際は最初から最後まで、「気障」でぶっ通しており、それがかえって格好良い。
 ミステリーの題材としては、クラシック中のクラシックと言える「椿姫」と、印象派の巨匠マネ,そして日本画の世界が描かれており、エンターテインメントとして最上級。音楽、美術、ミステリー、いずれかが好きな人には、おすすめの作品だ。

 私はこの本を、高校生の頃に読んだ。物心ついたころから音大志望だった私は、この本を読んでさらに音大への憧れを強め、絶対に進学しようとこころに決めたものだ。
 森雅裕の描く(新)芸大は、彼が現役時代をもとにしているので、ちょっと隔世の感もあるが、「美大あるある」、「音大あるある」に満ちていて、すごく楽しい。
 「新芸には校歌なんてないぜ」というセリフが可笑しかった。わが母校にも校歌がなかった。
 声楽科を「うたか」というのも、よくあることだし、のど飴を常用するのもそう。これは声楽科に限ったことではなく、「スイス製の」のど飴といえば、ああ、あれだとピンとくる。

 違和感がある点もいくつか。
 まず、高校生の頃に声楽科だった人が、学費免除の美術部に進めてしまうなんて、現実味があまりない。
 交流授業と称して音楽部の学生が、美術部に「週2回出張してくる」というのは、多すぎるのでは?それを四年生が受講するというのも、ちょっと不自然。もっと早い学年で消化するだろう。
 それから、オペラの授業は「いつもは日本語だが、オペラ公演向けにイタリア語で歌っている」というのも、どうだろう。私の記憶だと、声楽科は通常の授業でも、当たり前に原語で歌っていた。おかげで、イタリア語の授業では、陽気な歌科の連中が歌いまくって終始していた。
 音楽大学のオペラ公演で、「椿姫」という演目の選択もどうかな … モーツァルトのように、見せ場の多い登場人物が、もっと多数存在する演目の方が無難だし、そもそもオペラ公演となると、学部よりも大学院ではないだろうか。
 それから、尋深が合同練習を欠席しがちなのも現実的ではないと思った。実際の音大だったら、一回でも欠席しただけで役がなくなる。

 作者は、森雅裕。(2016年10月5日)「モーツァルトは子守唄を歌わない」で江戸川乱歩賞を獲った作家。
 独特のシニカル、かつユーモアたっぷりの文章で、一気に読める。新刊では手に入らないが、中古では入手可能。おすすめの一冊だ。
 ここには、「椿姫 La traviata」から、レネー・フレミングの "Sempre libera" をはりつけておく。「乾杯の歌」とともに、「椿姫」のなかでももっとも有名な曲だろう。

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