2nd October / Gainseville2018/10/02 22:50

 私はどうも、日付というものに疎いらしい。普通の人からすれば大事な日を、すっかり忘れて過ごしていたりする。一年で、絶対に忘れず、前もって準備して臨む日は、エイプリル・フールくらいだ。
 とにかく、私は今日がそういう日の一つであることを忘れていた。10月2日は、トム・ペティが亡くなった日だ。数時間前に、ネットを見ていて、初めて気づいたのだ。[An American Tresure] の興奮のせいだろうか。自分の迂闊さにびっくりする。

 もっとも、一年前のあの日 ― かなりリアルタイムで情報を追っていたのでよく覚えているのだが、― それは、10月3日の朝だった。今でもなんとなく、日本時間で彼の命日を認識しているような気がする。
 きっと時が経てば、ジョージと同じように、トムさんの命日は10月2日なのだと思うようになるだろう。

 [An American Tresure] からの未発表曲,"Gainesville" のミュージック・ビデオが公開された。
 古い映像から、トムさんの娘さんたちが少し大きくなった頃、そして21世紀、様々な時代の様子がうまく連ねられている。



 解説によると、マイクはこの曲のことを完全に忘れていたのだと言う。色々辛い時期だったので、どこかに紛れたのだと。
 こんな名曲のことを忘れるなんて凄まじいなと思う一方、そういう人生の中でも暗い時期のことを、なんとなく時間の中で紛らせて、忘れるというのも、良く分かる。そうでなければ、人生は辛すぎるのかも知れない。

 この曲に登場する「サンディ」という人物は、ベンモントの中学校時代からの友達だそうだ。お坊ちゃまなベンモントは、日本で言う高校からニューイングランドの全寮制学校に入るので、まず地元の友達というと、中学校の頃までの仲間なのだろう。
 このサンディがマッドクラッチのローディのようなことをしていて、ベンモントが学校の休みで帰省したときに、マッドクラッチを紹介してくれたという。
 たしか、ベンモントはそのとき、まだバーに行けるような年齢ではなかったが、とにかくトム・ペティが曲を自作していたことを知って、仰天したと、言っていた。

 このビデオ、本当に良く出来ている。全体を覆うのはノスタルジーなのに、すっかりベテラン大物ロックバンドになった21世紀の映像や、ゲインズヴィル出身ではないひと(UK人まで!)も、その映像がごく自然に思えるのだ。

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの良さは何かということは、色々あるのだが、そのうちの一つが、その普遍性だろう。

 ごく初期の頃から、その終焉まで、このバンド,トム・ペティの音楽には普遍性があり、常に共通言語で表現されていた。
 「いったいどうしちゃったの?」という時期がない。長く活動しているアーチストを幾つか思い出すと、大抵は数年,もしくはもっと多く、「どうしちゃったの期」があるものだが、TP&HBにはそれがないのだ。
 いつでもそこに居てくれるロックンロール、帰る場所となる音楽を、常に生み出していた。その「永遠性」が、彼らの故郷であれ、アメリカ西海岸であれ、どこか極東の国であれ、その音楽の存在を、どこででも場面、場面に相応しいものにしてくれるのだ。
 そしてどこの、誰であれ、ロックンロールを愛してさえいれば、いつでもTP&HBの音楽が共感をもって響いているのだ。そいう心強さ、信頼感が彼らの音楽には溢れている。

Mike Campbell’s Life After Heartbreak2018/10/06 21:53

 珍しく、マイク・キャンベルが日本語のニュースに載っている。彼が加入した、フリートウッド・マック関連の記事だ。
 曰く、トム・ペティが亡くなって、もう大舞台に立つことはないだろうと思っていたマイクは、今年の誕生日にマックへの加入を打診され、それが現実となった。しかも、ライブでトム・ペティの名曲 "Free Fallin'" を演奏することになる。マイクは躊躇したが、スティーヴィー・ニックスが説得したのだと言う。

スティーヴィー・ニックス、トム・ペティの曲をプレイするようマイク・キャンベルを説得

 この記事、面白そうなので原文の Rolling Stone も見てみた。

Mike Campbell’s Life After Heartbreak

 色々な意味で、胸に迫る内容だった。一部を訳してみる。

 マイク・キャンベルは、彼のバンドリーダーであり、50年来の親友であるトム・ペティが病院に緊急搬送されたという、知らせのあった早朝のことを語っても、泣くことはなかった。あの恐ろしい出来事の一週間前に行われ、ソールド・アウトになったハリウッド・ボウル公演の事を思い出しても泣かないし、さらにトム・ペティが死を迎えようとする病院で目にしたことを語った時も、泣きはしなかった。
 キャンベルは言う。「彼は髪をきちんとしてもらっていた。医療器機が取り付けられ、まったく動かなかったけれど、でもまるで天使のようだった。」
 しかし、ハリウッド・ボウル公演の後の事を思う時 ― つまり、キャンベルがペティと最後に話したときのことを思うと、その様子が変わった。ジョン・レノン風の紫色のサングラスの後ろで、キャンベルの両目に涙が浮かんだ。
 「ぼくらは互いに、愛してるって言葉を交わした。」


 インタビュアーは、マイクにあの日のこと、死を迎えようとするトムさんの事を訊いたのだ。私だったら、とても訊けない。知りたいようで、マイクの胸にしまっておいてあげたくもある。
 その一方で、トムさんとマイクが、最後に ― きっと何気なく ― 「愛してる」って言ったことを知ることが出来ると言うことは、私たちファンたちにとっても救いだ。

 初めてトムと出会い、即バンドメイトになった有名なエピソードや、マイクが引退したらハワイのカウアイ島に住もうと思っているなどと言った話題のあとに、彼はこう言う。

 「友情以上のものだった。ほぼ運命的であり、ぼくらを巡り合わせたのは、神の意志だったのかも知れない。もしトムがぼくをバンドに誘わなければ、ぼくらの人生はまったく違っていた。」

 鎮痛薬の過剰摂取というトムの死因を念頭に、痛みを抱えたまま彼がツアーを続けた事についての、難しい話題にもなっている。
 確かにトムはツアーをキャンセルして、治療に専念すれば、去年のあの日、突然世を去ったりしなかったかも知れない。でも、マイクは後悔はしていないようだ。

 「ぼくはトムに確認するために、『大丈夫か?』と尋ねた。すると、あいつは決して『死にそう、無理!』とは言わなかった。悪くて『ちょっと気になるけど、ショウは大丈夫だ』という言う程度だった。表情には喜びが溢れていたし、ぼくはもう心配するのはやめることにした。」(中略)
 「トムがこうと心に決めたら、誰も何も言えない。『病院にいった方がいい』なんて言われても、『F*** y**, ツアーは絶対にやる』と言うに違いに。誰にも止めさせることなんて、出来なかった。」


 この話題になると、マイクも辛そうな表情になる。でも、インタビュアーに対して、こう言い切った。

 「いまさら後悔して、どうなる?トムは自分が望んだとおりにしたってことだよ。そしてぼくらは彼をバックアップしたんだ。彼のためにその場にいたんだ。彼は彼自身の人生を生きていた。きみを責めるわけじゃないけど。トムはあの最後のツアーを愛していたんだ。(中略)
 トムだって人間だ。起こってしまったことは、仕方がない。大事なのは、音楽だ。」


 大事なのは音楽だ。
 生きた人間としてのトム・ペティはもういないけれど、音楽は残り、聴くたびに新たな感動を呼び起こす。これから新たなファンも増えるだろう。
 マイクは、トムとの長い、長い ― あまりにも長くて、永遠かとも思えた青春が終わり、新たな環境に身を置いている。
 最後には、こうある。

 キャンベルは最近、ザ・フォーラムでの ELO のコンサートに行ったときのことを思い出していた。そこでは、開演前の音楽として、[Full Moon Fever] の曲が流れていた。
 「あの大きな場所であれらの曲を聞くと、呆然とする思いだった。」キャンベルは言う。その瞳にはまた涙が浮かんだようだった
 「あの曲をぼくらは一緒に作った。ぼくらは共に夢を生きていたんだ。」


 ありがとう、マイク。つらい思いを抱えながらも、インタビューに答えてくれて。こうして話してくれること、そして何よりもトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの音をさらに送り出してくれることで、ファンはとても救われている。

Maurizio Pollini Piano Recital2018/10/10 21:18

 マウリツォ・ポリーニのリサイタルを、10月7日東京のサントリー・ホールへ見に行った。
 ポリーニは1942年生まれのイタリア人。世界最高のピアニストの一人だ。ピアノのCDを買うのに迷ったら、だいたい彼を買っておけば、間違いない。

 クラシックだ。
 ロックンロール・ファンである私が、なぜクラシックなんぞわざわざ聴きに行ったのか。しかも高い。舞台にグランドピアノ一台、ポリーニが一人出てきて、弾くこと2時間足らず。S席27,000円!プラチナシートは32,000円!!
 やはり、トム・ペティに突然逝かれてしまったのが大きい。世界最高の音楽は、聴ける内に聴いておかなければ。
 おそらく、世界で一番ピアノの上手い人のうちの、一人であるポリーニも、もう76歳だ。日本に来てくれるのなら、見ておくべきだろう。
 日にちによって演奏曲目が異なる。やはりシューマンとショパンの取り合わせが良いので、この日を選んだというわけ。
 演奏会本番の前にCDを聞き込んで、譜面も見て、予習しておかないとね! ― と思ったが、そこまでは無理だった。やはりトム・ペティのせい。[AAT] が来てしまっては、さすがにクラシックまでは聞き込めない。



 さて、久しぶりに日本で普通のクラシックの演奏会に行ってみると、目に付くことが色々ある。
 まず、気合いを入れてお洒落をして挑む女性。ああ、分かる、分かる。
 解せないのは、チケット代は高いのに、くたびれたTシャツにショートパンツ、スニーカー、巨大なリュックサックで来る男性。「俺は本物のクラシック・ファンであって、恰好なんぞは気にしない」という主張なのだろうか。演奏者はタキシードなのに。スーツやネクタイとまでは言わないが、あれはいただけない。
 小学生や、中学生もいる。親が熱心なのだろう。
 演奏が始まる前、神社のようにステージ前に並び、みんなピアノを撮影している。その様子を撮影しておいた。



 さて、いマウリツォ・ポリーニ登場。想像していたより大柄。そりゃ、あの演奏だもの。小柄ではないな。そして思ったより、おじいさま。ヒョコヒョコで出てきて、丁寧に360度お辞儀。
 ピアノに腰掛けるなり、すぐに弾き始める。これはちょっと意外。座ってから、少し間を置いて空気を緊張させてから弾き始める人が多いが、さっさと弾き始めるので、聴く方はちょっとびくっとする。
 座る位置が定まらないのか、最初は少し座り直しながら、軽やかなタッチでシューマンのアラベスクから始まる。さらに軽やかなアレグロ。
 一度袖に引っ込んでから、改めてシューマンのソナタ3番。「管弦楽のない協奏曲」と言われているだけあって、多彩・多様な演奏が素晴らしい。
 実のところ、私はクラシックが特に好きなわけではないので、その演奏をどう表現すれば良いのかは良く分からない。それでも強いて言うなら、音に迷いがない。ピアニストは指を下ろすその瞬間、瞬間が決断の時であり、なんとなく指を下ろすと、たちまち音楽は台無しになる。
 ポリーニの演奏は、その一つ一つの音が、これ以外にない、という確信に満ちている。
 シューマンのソナタが終わると、まず会場は大盛り上がり。来て良かったという空気で満たされる。ここで25分の休憩。
 調律師のおじさん(おじいさん?)が器具を片手に、トコトコ登場して、しばらくピアノを調整していた。なにか注文があったのだろうか。

 あまり周囲の声を聴かないようにしたいところなのだが、前半開けの休憩始まりに、背後の席の男性が、連れの女性に言うのが聞こえてしまった。
 「いやぁ~30年前のキレッキレな感じはないね~」
 だまれ、ハゲ!お前なんか30年前に帰って「パラダイス銀河」でも聴いてろ!
 「つまりあれ?ロマン派前期でかためるって感じ?」
 うるさい、大ハゲ!シューマンとショパンなんだから当たり前だろうが!ティラミスで洗顔でもしてろ!

 後半はショパン。ノクターン2曲は、霞のかかったような空気感が素晴らしかった。
 しかし、ノクターンはソナタへの序章だったようだ。ショパンのソナタ3番は、やはりこの日のクライマックスだった。第二楽章のつむじ風が心地よい。最終楽章になると、ポリーニ以外の何も見えなくなり、舞台上のピアニストだけにピントがあったような、聴覚がそこにしか向いていないかのような集中力の渦に巻き込まれる。
 演奏が終わった瞬間、爆発的な拍手喝采が、はじけ飛ぶ。日本でこれなのだから、他の国 ― ヨーロッパやアメリカなどではもっと凄いだろう。

 熱烈なアンコールの後、再登場したポリーニ。
 例によって座ると直ぐに弾き始める。ショパンのスケルツォだ。
 私は、4曲あるスケルツォのうち、2番と3番を弾いている。ポリーニが弾いたのは、そのいずれもなく、1番だったか、4番だったか…などと思っている内に、気づいた。これ、3番だ…!あまりの!あんまりの私との違いに!あまりの巧さに!自分の下手さとの落差がありすぎて、同じ曲に聞こえていなかった!なんたること!
 引っ込んだポリーニに、さらなるアンコール。会場の照明も点いたので、だめかな…と思った頃に、御大再登場。ちょこんと座るので、会場からどよめきが起こり、みんな慌てて沈黙。
 最後は、ショパンの子守唄だった。

 世界最高峰のピアノを聴いて満足。楽しかった。一度くらいは、はポリーニを聴いておきたい…などと思っていたのが、次はベートーヴェンが聴きたい、コンチェルトで聴きたい、海外で聴きたいと思う。贅沢なものだ。

Bus to Tampa Bay2018/10/15 22:14

 めでたく、[An American Tresure] の4枚組通常版が届き、我が手元には大小計12枚の [An Amrican Tresure] がある。
 10月13日付けのビルボード・アルバムチャートに、初登場4位。その売り上げにも、だいぶ貢献していると思う。



 初めて耳にする未発表曲の中で、キャリア終盤 ― 2011年の "Bus to Tampa Bay" も名曲だ。
 たとえば、1978年とかにこういう曲があっても、まったく不思議ではないし、[Highway Companion] に収録されている曲のような感じもする。実際には、[Hypnotic Eye] セッションだというのがから、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの一貫性、ぶれなさを思い知らされる。

 この曲のギター・ソロを聴いたとき、これは間違いなくジョージ・ハリスンだと思った。彼本人が弾いているに違いない。
 2011年?ジョージが亡くなって10年後?じゃぁ、ジョージの録音を使ったんだ。ジョージの曲をハートブレイカーズがカバーしたのかも知れないし、ジョージの残した音の断片に合わせて、曲を作ったのかも知れない。
 目を皿のようにしてクレジットを見たが、どこにもジョージの名前はない。どう見ても、ひっくり返したり、透かして見てもない。ギターを弾いているのは、トムさんとマイク、スコット・サーストンだけ。
 つまり、マイクによるソロが、ジョージのスライドにしか聞こえないと言うことだ。

 旋律の作り方、音の滑らかさ、厚み、しっとりとした質感、控えめな抑揚と長さ ― どこをどうとってもジョージ。
 以前からマイクはジョージっぽく弾かせたら世界一だと思っていたが ― 実際、ジョージもマイクに「ぼくっぽいのをやることにしたの?」と言っている ― まさにジョージと見分けが付かないような域に入ってきて、憑依ギタリストではないかと思う。
 ルビー・ホースというバンドが、"Punch Drunk" という曲を作っているときに、「この曲にはジョージ・ハリスンのギターが必要だ!」といってジョージにテープを送りつけ、実際ジョージが音を入れて送り返してくれたというエピソードがある。
 マイクはマイク・キャンベルとしても引っ張りだこのギタリストだが(なんだかマックにさらわれたようだが・・・)、世界中の「ジョージのスライドが欲しい!でも不可能!」という悩みを抱える人々には、ここに大きな救いがあるのだ。

The Left Banke2018/10/21 21:53

 昨日は、Heartbreaker's Japan Party 主催の第65回オフ会、トム・ペティの誕生日を祝っての Tom Petty Day に参加してきた。
 美術センス優れた飾り付けや、構成力に富む主催者さんの仕切り、そしてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを愛する同士たちに囲まれて、楽しいひとときを過ごした。

 今回は、特別企画として四つのテーマに沿ったプレゼンが行われ、とても印象的だった。
 テーマはトム・ペティのアーカイブ(希少音源),歌詞,ギター,そしてビジュアル。ビジュアルは私がプレゼンした。好評だったと思う。
 ほぼふざけた内容の私に対し、他のお三方のプレゼンはとても勉強になるないようでもあり、とても良かった。

 トム・ペティの希少音源の中で、珍しい演奏曲目や、珍しいカバー曲が紹介された。
 その中にあったのが、"Pretty Ballerina" という曲。1999年にトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがライブでカバーした。
 オリジナルは、ザ・レフト・バンク。

 レフト・バンク ― どこかで聴いたことがある。咄嗟に思い出させないで入ると、「バロック・ロック」という言葉が出てきた。
 ああ、そうだ、1966年 "Walk Away Renée" のバンドだ。



 私はこの曲を、フォー・トップスのカバーの方で先に知っていた。
 そのオリジナルがレフト・バンクであり、早熟の天才だったマイケル・ブラウンによって作られたということは、ボブ・ディランの [Theme Time Radio Hour] で知った。
 どれほどブラウンが早熟の天才だったかというと、1966年の時点で17歳であり、つまり生年は1949年、トム・ペティとは一歳しか違わなかったことでも分かる。
 ブラウンは、2015年に65歳で亡くなっている。

 

 さっそく、CDを注文した。オリジナル・アルバムは現在新品ではないようで、コンピレーション・アルバムになるが、楽しみだ。
 TP&HBを聞いていると、レフト・バンクやカウント・ファイブなど、様々な音楽を知るきっかけにもなる。

L'Italiano2018/10/25 21:58

 いよいよ大詰めのF1 GP。もはや勝負あった、の観もあるが、ここにきてキミ・ライコネンがアメリカGPで優勝するという、この上なくめでたいことになった。
 今年の彼の速さをもってすれば、優勝しない方がおかしく、それがたまたまこのタイミングだったということだろう。
 アナウンサーも言っていたが、「全てのF1ファンの望み」というのは、あながち間違っていないような気がする。見るだけのファンのみならず、F1関係者全てに共通する感情ではないだろうか。対照的なアロンソがちょっと気の毒になる。
 セバスチャン・ベッテルのチャンピオンシップのことが、ほぼ配慮外となり、フェラーリとして最善を尽くした結果としての、このハッピーエンドは(まだ終わっていないが)、本当に嬉しい。
 セブときたら、今宮さんも言っていたが、毎回スピンしまくるので、最近はスピンしなきゃセブじゃないような気がしてきた。

 さて、そのような訳で、チームごとの Grill the Grid 2018!今年は、「ウソ・ホント」ゲーム!別に競っているわけでないようだ。
 例によって、フェラーリのキミセブは、全チームの中で一番長い。最初から最後までニコニコしているキミ。来年はどうなることやら。フェラーリはセブがああいう人だから、大丈夫だろうけど。ザウバーのジョビナッツィは、キミを笑わせることが出来るか?そこも注目。



 「シャワーを浴びながら歌う?」という質問で "Truth" と答えたセブ。
 「歌ってみなよ、気持ちいいよー。ぼくは車でも歌う。無線で流されて恥ずい」
 そして晒されるかなり下手な歌。セブは音楽好きだが、楽器も歌もイマイチ。

 オリジナルは、1983年イタリア人,トト・クトゥーニョによる、"L'Italiano"。要するに「イタリア男」という歌で、スパゲッティはアルデンテとか、ギターを手に歌いますとか、そういう内容。
 フェラーリチームの誰かが教えたのだろう。カラオケ大会かな?



 このおじさん、目が真ん中に寄りすぎて、インドの某スーパースターにちょっと似ている。
 こちらは、今は亡きアレクサンドロフ・アンサンブルとのコラボレーション。ごめん笑った。



 意外とクセになる。
 ラ シャーテ ミー カンターレ ♪
 ご機嫌で歌い出すセブの気持ちも、分からなくもないかな。

Mitsuko Uchida / Schubert Piano Sonata Program2018/10/30 22:06

 10月29日、サントリーホールにて、内田光子のピアノリサイタルを聴いてきた。
 曲目はシューベルトのピアノ・ソナタ、7番,14番,20番。



 ポリーニは一階の前の方で聴いたが、今回は二階の後方。サントリーホールのような音楽ホールは、二階の方が音が良いというのは本当。今回の方が断然音は良かった。

 「ピアニッシモは、大ホールの最前列で聴いても、一番後ろで聴いても、ピアニッシモだ!」と言ったのは、私のピアノの先生だったか、ほかの人だったか。それを実感する、超絶的な指のコントロール。固唾を呑んで、自分の心臓の音さえも抑えながら聞き取るピアニッシモには、身が震える思いだった。
 それでいて、ダイナミズムも兼ね備え、まさに自由自在な演奏は当代一のものだろう。

 実は、シューベルトに、あまり馴染みがない。試験の課題曲になったこともないし、自ら積極的に弾きたいと思ったこともない。
 今回、改めて彼のソナタを聴いて、これは本物の天才なんだろうと思った。しかしその勇ましさはベートーヴェンとも違い、鬱たる叙情はショパンとも違う。どこか、普通のピアノの世界とは、別の世界に息づいているようだ。
 あるテレビ番組で、シューベルトのことを、「仲間内の小さな演奏会で楽しむための、歌曲を作った人」と端的に紹介していたことがある。もちろん歌曲も彼の本分だろうが、しかしそれだけでは、シューベルトの立つ瀬がないような気がする。彼自身は、そのピアノ・ソナタを聴くだけでも分かる、長大で、峻厳とした、堂々たる大作曲を自ら行い、そして早くに死んだ。
 内田光子の堂々たる大演奏は、シューベルトの分身のようでもある。

 私はどこか、内田光子のことを神秘的なピアニストだと思っていたようだが、実際は、ただべらぼうな天才であるところを除いて、人間であった。チャーミングで、理知的。自信にあふれつつ、親しみも感じさせる。素敵なピアニストだった。
 思えば、これほど幸せなピアニストもいないだろう。シューベルトのソナタ三曲だけで、リサイタルが開け、しかもそれが世界ツアーだというのだから。そんな贅沢なことが出来るピアニストが、この世に何人いるだろうか。

 サントリーホールに集った聴衆は、私にとっては、ちょっと異様だった。
 ポリーニに来ていた人の多くは、私と同じくけっこうミーハーだったのだ。今回の内田光子の聴衆の平均年齢の高さときたら、これまで体験したことがないほどで、ここは巣鴨かと思うほど。当然、舞台の前でピアノの写真を撮る列などない。
 これぞ本当に、クラシック音楽 ― 18世紀から19世紀のドイツ語圏音楽という、厳密な意味でのクラシック音楽であり、そういうクラシック音楽の中でも、ピアノに特化した、かなりマニアな演奏会だったかも知れない。