American Girl2017/11/03 14:48

 CDを並べている棚が、いよいよ凄い事になっている。



 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズで一番好きな曲は、間違いなく "American Girl"だ。あの短い曲の中に、ロックンロールという音楽の格好良さ、美しさ、全て良さが詰まっている。
 歌詞も良い。とくに "God, it's so painful when something is so close But still so far out reach" という切なさが大好きだ。

 iPodに入っている "American Girl" を確認してみると、TP&HBの演奏は8バージョン9曲入っていた。

1976年 Tom Petty & The Heartbreakers (1st Album), Greatest Hits
 もちろん、オリジナル録音バージョン。私が最初に聞いたのもこれ。明確なギターリフ、12弦っぽい音(実際は12弦ではない)、ハンドクラッピング、"Ah, Ooo" などのコーラス、生き生きとしたベースライン、一気呵成のAメロ、ブリッジ、サビ ― そして何もかも完璧なコーダ。TP&HBが憧れた60年代の伝説を、自分たちの音楽として見事にモノにした最高傑作だ。

1979 ? 1980?年 Live (Boot)
 ブートは殆ど持っていない私だが、これの入手経路をよく覚えていない。演奏年もはっきりしていない。オーディエンス録音ではないが、音が悪い。レコーディングでは 「ウォズ」に聞こえた "was" を「ワズ」に近い感じで発音している。マイクがギターリフの前に2音入れるのが特徴的。それから、ベンモントのシンセサイザーも目立っている。スタンのフィル・インも多く、それぞれに気合いの入った演奏。

1980年 ABC televisin show "Fridays"
 映画 "Runnin' down a Dream" DVDのボーナスCDの収録版。いわゆる、「チョコミント・トムさん」である。ベースはロンで、拍の頭を少し前に出すのが特徴だ。トムさんはダブルネックのリッケンバッカーを持っており、ちょっと弾きにくいのか、テンポは抑え気味。スタンのコーラスが満喫できるのも良い。

1983年 Live Anthology Disc 3
 長いイントロのある独特な演奏だが、ライブ演奏としてはかなり完璧。ハウイのコーラスと縦横無尽に駆け回るベースが堪能できる。特にコーダのベースの躍動っぷりは際立っている。フィル・ジョーンズがパーカスで入っている。テンポも少し早い。録音は、シェリー・ヤクス。若い頃の演奏としてはこれがベストだ。

1985年 Pack up the Plantation Live!
 管楽器3本と、女性コーラス二人を入れた、珍しい編成。トムさんのヴォーカルが少しリラックスして入りすぎだが、ライブ冒頭の演奏だったせいか。コーダのホーンセクションが特徴で、けっこう格好良くて好き。MTV Rockumentary で使われたバージョンでもあるせいか、思い出深い音でもある。

1997年 Live at the Fillmore
 これもブート。唯一のアコースティック・バージョン。アコースティックになっても、まったく緩めずに、力一杯歌うトムさんがいい。そして観客の合唱も良く聞こえて、とても感動的だ。"Oh yeah, alright" のところなど、本当に涙が出るほど美しい。きっと当人達もリハーサルをしてみて、こんなに感動的になるとは思わなかったのではないだろうか。ぜひとも公式で出して欲しいバージョンだ。

2010年 Mojo Tour
 ファンクラブ会員特典でダウンロードした音源で、唯一キーがC。低いだけあって、沈む込むような雰囲気が特徴。ブリッジでそっと動くマイクのギターが格好良い。

2014年 Live at Fenwaypark
 ファンクラブ特典でダウンロードしたライブ音源。これが最も新しいバージョンとして持っている。キーはDに戻っている。最終的に6人になり、スティーヴの重厚なドラミングに支えられた、荘厳な演奏。ギターというギターが鳴り響き、もっともゴージャスなサウンドになっている。どうやらこのバージョンが一番好きかも知れない。

 1980年の「チョコミント・トムさん」の動画がある。
 トムさんとマイクが、顔を見合わせてニコニコしているのを見ると、幸せになる。そしてマイクの耳元でなにかを囁くトムさん。あまり多くはないが、時々こういうことをする。
 トムさんはマイクに何を言っているのだろうか。今となってはマイクの胸一つに収めておいても良いとも思う。何か、二人にしか分からない、大事な言葉だったのかも知れない。

Tom Petty Farewell2017/11/06 21:13

 Heartbreaker's Japan Partyさんの主催で、トム・ペティをしのび、感謝を捧げる会が行われ、私も参加した。



 たくさんの写真や、花などで彩られた飾り棚を目にすれば、そろそろ本当にトム・ペティの死を実感して悲しくなるのだろうかと思ったら。これが意外と、そうでもない。
 ずっと流れている彼の音楽や映像を楽しみながら、いつものように楽しくおバカな話で盛り上がっていた。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが大好きな人が、集っていた。最近見た人、昔見た人、見ることは出来なかったけど、心から楽しんでいた人。同じ音楽が好きだという共感は、楽しみと喜び以外の、なにものでもない。

 いつものオフ会のように、出席者それぞれから、一言ずつということになり、そして何となく私の順番がきた。

 「あの日」は、私のブログのアクセス数が凄かった。しかも、二日連続で。しばらくアクセスが多い状態が続いた。
 あの日以来、トムさんが死んだということが、まったく実感を伴っておらず、素晴らしい「祭壇」を見ても、ちっとも信じられない。音楽を聴いても、べつに涙も出ない。
 ただ、残されてしまったハートブレイカーズのことを思うと。彼らは立派な大人だから、心配するようなことはないのだけれど。彼らが、トムさんを失ったのだと思うと。すごく胸がいたむ。つまり。要するに。私は、悲しいのだと。とても、悲しいのだと。やっと分かってきた。

 自分が、涙で声を詰まらせるだなんて、まったく想像していなかった。

 トム・ペティは、私の青春だった。
 学生のころ出会って、大好きで、ずっと今まで。まさに、長い、長い、青春そのものだった。

 トム・ペティは、最高のロックミュージシャンで、私の導き手だった。彼がいなかったら、きっとバーズの良さも分かっていなかったに違いない。彼がいなかったら、せいぜいビートルズとストーンズどまりだったに違いない。
 彼がいたから、ディランや、バーズや、CS&Nや、彼らのフォロワーも、そういう。豊かな音楽を知ることができたのだ。
 トム・ペティは、私の、導き手だった。

 こんな楽しい会で、涙がをこらえようと必死になるなんて。結局、失敗するなんて。本当に、まったく想像していなかった。

 でも、私には分かっている。ものすごい商売になるのだから。これから、膨大なものが出てくるに違いない。私はジョージで経験済みだ。どえらくお高いものが、ホイホイ出てきて、ジェネシスなんてのが、数万円の本を売るに違いない。買うに違いない。

 Tom. You were my mentor and hero of Rock 'n' Roll music.
 And you will be forever.
 Thank you.

 すっかり遅くなって、タクシーで帰宅する道すがら、流れてゆく街灯と、ヘッドライトを眺めながら聴くアルバム [Echo] は、とてつもなく美しかった。

 Nil Desperandum (Horatius, Odes, I.vii.27 )

Trouble No More2017/11/11 22:16

 ボブ・ディランのブートレッグ・シリーズ Vol. 12 [Trouble No More] が届いた。私が購入したのは、2枚組アルバムの方。ボックスで買っても、結局聴かないというのが、[Another Self Portrait] と [The complete Basement Tapes] の教訓である。

 これはかなりロックで格好良い。大好きなディランの一面だ。
 これまでのブートレッグ・シリーズのジャケットがいずれも「静」のイメージだったのに比べて、この弾けぶりからして、いかに力強くロックンロールをぶちかましているか、分かるというものだ。



 1978年にクリスチャンになってから、いわゆる「ゴスペル時代」と呼ばれる時期に入ったディラン。[Slow Train Coming], [Saved], [Shot of Love] というキリスト教色の強いアルバムを発表し、ライブもその流れの選曲となった。
 今回のライブ・アルバムは、この「ゴスペル時代」, 1979年から1981年のライブを収めたものだ。

 当時、このキリスト教への強い傾倒は、不評も買うことになった。
 ところが、私はこの時代のディランも、大好きなのだ。それは、私がそもそも宗教とは縁遠い人間であり、キリスト教には知的な興味こそあるものの、心の問題としてはまったく捕らえていないからだろう。
 クラシック音楽では、宗教音楽はかなりの部分を占める。私にとって、信仰の核心は客観的な事象でしかなく、素晴らしい音楽の原動力として理解している。
 当時のディランがこういうコメントを見たら怒るだろうが、これが現実である。格好良い、力強いロックンロールでありさえすれば良い。
 最近の「シナトラ時代」の方がよほど私には ― 拒否感はないが ― 楽しくはない。ディランはこういう、自分の中での「流行」をまとまった形にすることで、そのキャリアを積み上げ、ディランという人を形勢してきたようだ。それがどう受け取られるか、好評か、不評かは気にしない。それこそがディランの良さだ。

 自分が書いた曲を、自分の口調で、確信を持ってロック・バンドで表現するディランの格好良いこと。ジム・ケルトナーのドラムがどんどんロックを加速させてゆく。エレキが鳴り響き、ディランのハーモニカが吹きすさぶ。こんな至福のロックが、評価されないだなんて、もったいない話だ。
 ミュージシャンもアラバマのマッスル・ショールズから来た、サザン・ロックの猛者ぞろい。サウンド的にもとても好みだ。
 ただし、多少惜しいところもある。
 全体に、女声コーラスがうるさい。私にとって基本的にロックンロールは、異性である男性の魅力の音楽なので、女性はあまり登場しなくて良い。「ゴスペル時代」サウンドの特徴でもあるのだが、やり過ぎ感が否めない。
 面白いことに、Disc2 の方が、女声コーラスが整理されていて、聞きやすかった。演奏年の違いの問題かと思ったら、そうでもないらしい。ライブごとにコロコロと手法を変えるディランらしい現象なのだろうか。

 Vol.12 まで来たブートレッグ・シリーズ。次こそは、TP&HBとの共演時代が出るだろうか。とても期待している。

レコード・コレクターズ 2017年12月号2017/11/17 20:25

 もはや、「キミはもう見たか?!」状態の、レココレ。第二特集が、トム・ペティの追悼記事である。
 私も購入。レココレを買うのは何年ぶりだろうか。もしかしたら、ウィルベリーズ・リイシューの時以来かも知れない。
 私は音楽好きな割に音楽雑誌を買わない。音楽を「読む」という習慣がないし、モノを増やしたくない。そして、私は音楽好きではあっても、コレクターではない。
 しかし、今回はさすがに購入必至だ。内容も素晴らしい。



 買ってみて驚いた。これほど紙数を割いているとは思っていなかったのだ。こんなにたっぷり載せてくれて、とても嬉しい。
 ヒストリーはトム・ペティのキャリアを簡潔、かつ的確な表現で書いていて、とても読み応えがある。
 ディスコグラフィーも、さすがはレココレという充実ぶりではないだろうか。

 第一特集であるディランのゴスペル時代の解説も、面白かった。ファンとしては「何だったんだ」というボンヤリとした時代が、一定の形になって掴めるようになっている。

 今回の2017年12月号で、もっとも重要な点は、結局、表紙ではないだろうか。1986年。ボブ・ディランと、トム・ペティの、信じられないほど素晴らしい共演。べつにワン・マイクにする利点はないだろうに。でもワン・マイクに憧れる永遠のロック少年たち。
 この二人がロックバンドとしてツアーをしていたという、およそ現実離れしているような、でも本当に起きた出来事。素晴らしい出来事というものは、起きるものなのだ。

 急に思い出したことがある。
 私はピアス・ホールを両耳にあけて、外出時には必ずピアスをする。忘れて外出しようものなら、外出先でピアスを購入する。予備のピアスも常備している。
 ピアスのきっかけは、このTP&HBとの共演時の、ディラン様のピアスが格好良かったから。男性に憧れて、あけたのだ。今でも、すごく格好良いと思っている。

 ピアスを揺らし、ニヤニヤしながら、金髪くんはどこだと見回すディラン。そして飛び込んでくるトムさん。最高に輝いている。


ゲルマニア遙かなり2017/11/20 20:08

 最近、ドイツ語に興味があるような気がする。
 妙な言い方だが、何となくそういう気がするだけで、本気でドイツ語を勉強したい!と思っているわけではない。
 何となく興味があるのは、現時点で一番好きな映画がドイツ語だから。 「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア Knockin' on Heaven's Door」― タイトルこそ英語だが。ドイツ語の字幕を求めて、DVD, Blu Rayを4枚購入するに至る。
 "Ich weiss." は覚えた。(I know.)
 去年、ウィーンに行ったことも影響しているだろう。もっとも、ウィーンでは英語で押し通し、まったく不便を感じなかったのだが。今年になってから、NHKの語学番組で「旅するドイツ語 ウィーン編」を見ていた。結構楽しい。
 うむ。ドイツ語。やってみようかしら。

 語学の上達に重要なのは、その語学の文化に親しむことである。英語ならロック・ミュージックと、ブリティッシュ・コメディ。
 やはり、音楽が近道だろう。よし、ドイツ語の音楽を聴こうではないかということで、いろいろ検索したのだが、どうも好みとかみ合うものに、めぐりあわない。
 メタル、デスメタル、ユーロビート、テクノ…うーん。そうじゃなくて…ロックでポップで、ちょっと素敵にフォークな感じがいいんですけど…ビートルズとか、ザ・バーズとか、ザ・バンドとかそういう…
 だがしかし、出るもの出るもの、いちいちメタル、デスメタル、ユーロビート、テクノ… おおむねアイ・メークがきつい。
 そうじゃなくて、もっとハートランド・ロックとか、オルタナティブ・フォークみたいな…そういう…

 そんなある日、「旅するドイツ語 ウィーン編」の挿入曲で、ちょっと感じの良いものがあった。あれなら聞いても良さそう。早速NHKに問い合わせたのだが、「BGMリストにありません。調べる手間はかけられません」という、つれない返事。
 心配無用。今やインターネット時代である。ネットの力を借りて、曲名をつきとめた。教えて下さった方曰く、何度も聴きまくって、ちょっとでも掴めた単語を数語、ググれば良いとのこと。ええ、1語も分からないのですがね。

 ともあれ、分かった曲がこちら。



 どうやら、私が聞いた箇所は、ヴォーカルが始まってからだったらしい。ちょっとビートルズのポールっぽい。だが、しかし…イントロを聴いたら、たぶん興味を持っていなかっただろう。
 ともあれ、これもご縁である。Die Prinzen,ディー・プリンツェンについて調べると、1987年デビューのコーラス・ポップ・グループである。
 YouTubeのトップにあがる、代表曲を聴いてみよう。



 うむ。そうか。そうなのか。
 だめだ、どうしよう。このパロディ・センスを楽しみたいのだが、どうしても最後まで聞けない。他の曲もちょっと試すのだが、1分もたない。
 Die Prinzen よ、さようなら。Auf Wiedersehen.

 諦め悪く検索していると、Fool's Garden というバンドがヒットした。アポストロフィの有無は、時期によって違うらしい。
 しかし!バンド名からして!英語!!!歌詞は英語!!!

 ドイツ文化を紹介したある人のネット記事によると、ビートルズのような美しいメロディのイイ感じのロック・ポップスを求めると、ドイツという国ごと嫌いになる可能性があるそうだ。
 まず、クラシック音楽が英米とは比較にならないほど、身近なお国柄。美しいメロディを求めるなら、まずクラシックなのだと言う。そして英語文化も近いので、英米のロックが直輸入される。わざわざドイツ語でそういう音楽を作る必然性がない。そうだ、ビートルズがドイツ(ハンブルグ)で下積みしていたことを忘れていた。
 要するに、ロック・ポップスでドイツの独自性を求めると、私が好きなビートルズとか、ザ・バーズとか、ザ・バンドとかそういう…ものにはならないのだ。
 F1レーサーの、セバスチャン・ベッテル(ドイツ人)が、ビートルマニアである理由がわかった。なるほど、それもそうか。

 ドイツ語をやりたいなら、素直にクラシックに行けば?
 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン。ゲルマンには散々お世話になっているのだが、どうもドイツ・リートや、ドイツ語歌劇には、イマイチぐっと来ない。音大時代、図書館の映像資料室でかなりオペラを見たが、好きになるのはイタリア語ばかりで、ワーグナーなどは序曲すら聴き通せなかった。

 しかし、中途半端な検索であきらめてはいけない。どなたか、ドイツ語のハートランド・ロックとか、オルタナティブ・フォークみたいな…そういうバンドがあったら、教えて下さい。

CRT 追悼トム・ペティ / レコード・ライブ2017/11/24 21:42

 トム・ペティの追悼イベントに、二つ続けて参加してきた。

 まずは、毎年ジョージ祭りでお馴染みの、レココレ・プレゼンツ,CRT。題して、「追悼トム・ペティ。アメリカン・ボーイは永遠に」CRTでトムさんを特集するのは、初めてだとのこと。
 トムさんのオリジナル・アルバムから、萩原健太さんが1曲ずつ選んで流し、CRTメンバーが語り合うという趣向。アルバムの代表曲だったり、意外な選曲だったり、どれを聴いても楽しい。
 格好良いよね、最高だよね、と語り合う中、まず印象的だったのは、「トム・ペティの容姿はイケているのか?!」という話。昔、ピーター・バラカンさんが推奨したものの、「顔がね…」という理由で、ある人に却下されたのだという。そこで女子,能地さんが猛然と抗議する。

 「トム・ペティ、正当派少女漫画系のイケメンじゃん!一条ゆかり先生が描くような!」

 男子の多い会場、やや引く。しかし、女子は大いに頷く。

 確かにジョージとか、そういう圧倒的な美形ではないが、トムさんは素敵な容姿をしていると思う。細くて、華奢で、完璧なサラサラ・ブロンドに、やや中性的な口元、シャイなグレイッシュ・ブルーの瞳。スポーツよりもアートの好きな、物静かで、でも純粋で心の強い感じ。
 それこそ、能地さんの言う「ツッパってて、でもちょっと頼りなくて、守ってあげたくなる弟キャラ。お姉ちゃん達に愛される」とは、的を射ている。トムさんの容姿と、抱きしめたくなるような音楽は、本当にそういう感じ。
 実際は、ジョージをはじめとする年上男子にも、トムさんは非常にモテた。



 もう一つ印象的だったのは、これも能地さんが言ったのだが、「何か使命を持った人だったんだ」ということ。
 少年の時、偶然とは言えエルヴィスに会ったことがあるだなんて、普通はそんな凄い経験はしない。しかも、地元の名士の息子であるベンモントが12か13歳のころに、楽器屋で声をかけているし、マイクとは19か20歳で初めて出会い、そのままずっと一緒にい続ける。この二人はロック史上に残るヴィルトゥオーソであるのに、運命的にトムさんと若い内に出会うのだ。何か使命のようなものがあったとしか思えない。
 しかも、ディランに共演者として指名され、数年かけてツアーを共にしたり、音楽シーンに帰ってきた頃のジョージと出会ったり。それでいて、スターにしては大したスキャンダルも、空白期間もなく、コンスタントにロックンロールを作り続けた。
 ロックンロールという音楽の歴史が、彼を必要としていたに違いない。トムさんだけではなく、ハートブレイカーズというロック・バンドを。ビートルズや、ストーンズと同じように。
 その使命を終えたとき、歴史は素早くトム・ペティを召し上げてしまった。 ― 司馬遼太郎に、そういう文章がなかったっけ?

 さて翌日は、[Live Anthology] を中心とした、レコードライブに参加。
 なんでも、アナログ・レコードを針ではなく、レーザーで読み取り、そのまま音にするとか言う仕掛けだそうだ。
 私はオーディオに殆ど興味がないし、第一に爆音主義ではない。音楽には心地よい音量というものがあり、大きければ良いとは全く思っていない。
 ともあれ、トムさんの音楽をみんなで聞きましょうという企画である。楽しかった。

 主催者さんは、「なんでこんな素晴らしいトム・ペティを、日本人は聴かないかな~」と悔しそうに語っていた。
 これは良く言われることだ。CRTでもそういう話題に何度かなった。日本と、英米との知名度の差が大きいアーチストの代表、トム・ペティ。なぜ、彼が日本で評価されないのか?

 私はどうも、この問いに関しては、「どうでも良い」と思っているようだ。
 まず第一に、彼はロックミュージックの本場で超一流の大スターだから。それで十分だし、だからこそ私のところにもCDや映像作品が届くのだ。生前は評価されずに、1枚しか絵が売れなかった画家とは、訳が違う。
 第二に、芸術,文化の分野で、「どうしてこれがメジャーじゃないのか?」なんてことはざらにある。私は能も雅楽も好きだが、これらは世界遺産に登録されたって、ビートルズやトム・ペティより遙かに無名だ。

 商売をする人が、強力に広範囲な宣伝すれば、ある程度は有名になるだろう。一方で、日本において、それが行われなかったトム・ペティは、ロックンロールの実力だけで私や、ファン達を魅了した。死去に際しては、メジャーな媒体でも報じられたし、日本語の追悼の言葉があふれ、イベントも開催されている。素晴らしいことではないか。
 べつに、悔しがることでも、何でもない。

 「いまさら」なんて言葉は、音楽には不要だ。亡くなってから彼を知り、好きになったって、初来日公演から好きな人と、ファンとしての価値が、どう違うというのだろう。亡くなってからでも良い、バンドなら解散してからでも良い。素晴らしい音楽に出会えれば、それがメジャーかどうかは、それほど重要ではない。
 私たち、そしてこれからのファンたちは、トム・ペティの凄さを知っている。それで目一杯、音楽としては幸せなのだ。

 無用に大きな音でトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを聴きながら、そんな風に思った。

A Whiter Shade of Pale (Guitar cover)2017/11/29 20:22

 長かった、今年のF1の全レースが終了した。みなさん、お疲れ様。ルイス・ハミルトン、4回目のワールド・チャンピオン、おめでとう。まさに堂々たる、勝者中の勝者だった。
 フェラーリの二人と、チームもお疲れ様。今年ほど彼らの走りに一喜一憂した年はなかった。悪夢のアジア・シリーズでは、私の身辺でほかにも色々あって、心が揺れ続けた。
 思えば、全く歯が立たなかった去年までと比べて、セバスチャン・ベッテルのチャンピオン獲得に期待を抱かせたのは、格段の違いだった。
 川井さんは最後に、「ライコネンはドライバーズ・ポイントでリカルドに勝てて良かった。速い車に乗っているのだから、そうじゃなきゃ恥ずかしい」と言っていた。確かにその通り。だが、同時にキミはセブにかなりポイントを譲っていることを忘れてはいけない。もし、キミが何度もセブをサポートする方に回らなければ、最終戦より前に、リカルドに対して勝ちを決めていただろう。もっとも、私はリカルドのファンでもある。

 F1の話題になると良く私が引っ張り出すのが、1993年の総集編オープニングである。
 この年で引退したアラン・プロストと、翌年に亡くなったアイルトン・セナのモノローグのような作品で、とても感動的だ。
 曲は言うまでもなく、"A Whiter Shade of Pale"。



 もう24年も前の映像で、何度見たか分からないほど好きなオープニングだ。
 しかし、私は最近、急にふと思った。

 この曲、一体、何なんだ?

 もちろん、オリジナルがプロコル・ハルムの "A Whiter Shade of Pale" であることは、最初から分かっている。
 私はこのオープニングに使われたカバー・バージョンを、フジテレビが適当に録音した、どこかのセッション・ミュージシャンによる、適当な演奏だと思っていた。
 もしかして、それなりに名のある人の演奏ではないのか…?と、最近になって、急に気になり始めた。

 最初に予想したのが、ゲイリー・ムーア。でも、これはハズレ。

 色々ググった結果分かったのが、こちら。この演奏の3分40秒から、最後までの一部を編集して、オープニングに使ったのだ。



 マーク・ボニラという人は、キース・エマーソンのバンドで、ギタリストをしていたそうだ。

 キース・エマーソン?!キース・エマーソンか!キース・エマーソンなのか!!

 どうやら、エマーソンがこの曲をライブでカバーしており、その時のギタリストが、ソロとして録音するにいたったらしい。
 キース・エマーソンのことなんて、殆ど知らないものだから、驚いてしまった。なんだか、勉強になった。