Blue & Lonesome / The Real Royal Albert Hall 1966 Concert2016/12/05 20:28

 ボブ・ディランの [The Real Royal Albert Hall 1966 Concert] と、ザ・ローリング・ストーンズの [Blue & Lonesome] の発売日が同じだったため、徒党を組んでやって来た。
 ディラン様にストーンズなんて、最強タッグ。一方は過去のライブ音源、一方はトラディショナルのカバーアルバムだったから対処できるが、両方ともオリジナル楽曲新譜だったら、神経がついていかない。
 思えば、60年代はそういう最強クラスの怒涛が押し寄せていたわけだ。ビートルズは毎年アルバムを発表していたし、初期は年に2枚だった。



 まずは、ストーンズの [Blue & Lonesome] から。
 ストーンズの好きなところの一つが、彼らのオリジナル楽曲の出来の良さなので、そういうメリットのないこのカバー楽曲のみのアルバムはどうなのかと思っていた。しかし、これはこれでストーンズらしい格好良さがある。
 ありがちなのが、ロックスターしてではなく、「ブルースマン」として「渋い」演出に走ることだが、ストーンズはそういう逃げは打たない。敬愛するブルースに対するリスペクトはあるけれど、演奏するのは飽くまでもUK出身,ロックバンドのストーンズなのだという強烈な自負がある。
 言うなれば、彼らがデビューしたころにブルースを演奏していたのと、スタンスが変わらないように聞こえて、それがロックファンとして嬉しい。
 ビデオも、「渋く」は作らずにイメージするストーンズのとおりで良い。



 ミックの踊りって大事なんだと初めて実感する。あれがなかったら、「渋い」演出に逃げかねない。毎度のことながら、チャーリーの上品な背筋の伸び方が最高。
 ゲスト・プレイヤーとしては、エリック・クラプトンが2曲に参加している。べつに彼ではなくても良いような演奏で存在感はイマイチ。もっともクラプトンが存在感を発揮すると、いろいろ困るのだが。
 クラプトンは「偶然、隣りのスタジオで録音していたので、飛び入り参加した」ということになっているが…それを頭からすっかり信じるほど、純粋でもない。
 それよりも、"Hoo Doo Blues" に参加している、ジム・ケルトナーの方が嬉しい。パーカッションというから、あの印象的なクラベスの音だろう。きっと「世界一高いクラベス」に違いない。

 ブルースのカバーだけど、ストーンズ。ストーンズだけどブルースのカバ-。こういうアプローチも、良いだろう。ただ、これを続けて欲しくはない。2年以内に、オリジナル楽曲の新譜を絶対に出して欲しい。ストーンズには、ストーンズでいて欲しいのだ。

 ボブ・ディランの [The Real Royal Albert Hall 1966 Concert] 。ブートレグ・シリーズの [The "Royal Albert Hall" Concert] が、実は5月17日のマンチェスターであり、誤解として「ロイヤル・アルバート・ホール」が定着しているのに対し、「本当の」ロンドン,ロイヤル・アルバート・ホールで、5月26日に行われたコンサートを収録したものだ。
 これほど綺麗にのこっているのに、今まで公式にならなかったのが不思議だが、それほどまでにマンチェスターでの、「事件」が強烈だったのだろう。
 「事件」はともかくとして、こちらの「本当のRAH」は、演奏の出来が良くなっている。マンチェスターから9日後だから、本番という名の練習も、リハーサルも重ねているので、上手いのは当然。私はこういう上手さが好きだ。

 まず、印象的な前半のアコースティック・パート。水を打ったような静けさのRAHが目に浮かぶ。そこにディランがひとり、闇を突き抜けるように歌い上げる [Desolation Row] がもっとも鬼気迫る。
 "Mr. Tambourine Man" のコーダがやけに長く感じる。後半のエレキ・パートへの気後れのようにも聞こえる。
 しかし、後半も落ち着いているし、大した騒ぎもない。ヤジも少しはあるようだが、ディランはだいたい機嫌が良いように思えた。

   「裏切り者!」「お前なんか信じない」「お前は嘘つきだ」「でかい音で行こう」という、あの一連のやりとりがないぶん、これまでの[RAH] よりも悲壮感は少ないが、[The Real RAH] の "Like a Rolling Stone" はかなり良いし、こちらの方が好きかも知れない。
 「タジ・マハールに捧げる」と言って始まり、イントロはさすがにひっくり返ること無く、落ち着いている。上手く盛り上げ、爆発するようなサビでのシャウトでは、ディランらしからぬシャウトが飛び出した。私が真っ先に連想したのはジョン・レノンのシャウトだ。ここまでのディランはちょっとほかには無いと思う。特に4番が素晴らしい。
 従来の [RAH] では、演奏後に騒々しい "God save the Queen" が鳴り響くのだが、私はあれが苦手で、すぐに停止ボタンを押していた。[The Real RAH]は感動的に、"Like a Rolling Stone" が終わってくれる。これも好きな理由かも知れない。

 ディラン様は出そうと思えば、いくらでも出てきそうだが、次こそは、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのツアー音源,映像を出して欲しいところだ。

Jupiter2016/12/09 22:28

 唐突だが、私は星を見るのが好きだ。
 天気の良い夜は道を歩きながら、よく空を見上げ、知っている星を探す。天体観測を趣味にしても良かったが、寒さが苦手という致命的な弱点のため、そうはなっていない。
 ともあれ、星を確認するために、よくこのサイトを見る。

 今日のほしぞら - 国立天文台暦計算室

 今はちょうど、日没後の南西に金星が煌々と輝いている。さらに火星と、フォーマルハウト(みなみのうお座)が金星とともに三角形を成している。北西にはベガ(こと座),デネブ(はくちょう座),アルタイル(わし座)が沈んでいき、逆に南東からはアルデバラン(おうし座)とカペラ(ぎょしゃ座)が昇ってくる。
 最近、朝は夜明け前に家を出るのだが、北西にプロキオン(こいぬ座)やカストル,ポルックス(ふたご座)が沈む一方、白む南東に昇る春の星々,スピカ(おとめ座)、デネボラとレグルス(しし座),アークトゥルス(うしかい座)が美しい。
 その上、今はちょうど同じ方向に、木星が明るく見えるのだ。同日の朝と夕に、三つの惑星が見られるのは運が良い。

 木星はジュピター(Jupiter)というが、ホルストの組曲「惑星」(1916年)の中でも、一際有名なのが、この [Jupiter] だ。



 ゆったりとした中間部が圧倒的に有名なのだが、私は冒頭が一番良いと思っている。あの格好良さは尋常ではない。一時期、NHKの「N響アワー」のオープニングに使われていた。

 とは言え、中間部の人気は凄まじく、ホルストの存命中に、愛国的な歌詞が付けられ、[I vow to thee, my country] として親しまれている。今でも、戦没者慰霊式や葬儀のみならず、王族の結婚式でも演奏されるそうだ。



 ジュピターと言えば、もう一つ。ノーベル賞授賞式には出席しないボブ・ディランの曲にも、"Jupiter" が登場する。
 私がかなり好きなアルバムの一つ、[Street Legal] のオープニング・チューン "Changing og the Guards" の、"She was torn between Jupiter and Apollo" という歌詞だ。

 数々のディランの詩の中でも、この曲は特に難解な内容で、支離滅裂にも思える。曲が良いから、大好きな曲だが。
 ともあれ、訳詞をされる方々も苦労しているようだ。"Jupiter" のところは、だいたい「彼女はジュピターとアポロの間で引き裂かれた」としてる。
 果たして、この「ジュピターとアポロ」とは何を指すのか。ギリシャ神話のゼウスとアポロンにあたるから、この二人の間で引き裂かれたのか。私は「木星と太陽の間」ではないかと思っている。どちらにせよ、意味不明だが。

Nobel Prize: Bob Dylan2016/12/13 21:37

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの全米ツアーと、ロンドン,ハイドパークでのライブが告知された。
 7月までは、どうしても都合が悪く、行けそうにない。泣く泣く諦めている。西海岸の日程がまだ発表になっていないが、アメリカ西海岸には、行く気がしない。とても残念。自分で、何か埋め合わせをしなければと思っている。

 悲しい気持ちを癒やす、ディラン様の話題。何せ、ノーベル賞受賞である。
 NHK が「NHKスペシャル」で10日に放映した、「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」の感想から。

 この番組を見た多くのディランファンは、「予想より悪くなかった」と思っているのではないだろうか。要するに、"Blowin' in the wind" だけではなかったということ。代表曲だけでではなく、色々な曲が登場し、濃密な自筆原稿がビジュアル的に迫ってくる様子は、なかなか良かった。

 番組制作上での印象なのだろうが、ディランのミステリアスな面が強調されているのは、ちょっと気になった。
 ヒョウ柄ソファのアル・クーパーも、どうすれば会えるか、皆目見当が付かないという。(もっとも、彼とディランの関係がどの程度の深さのか、良く分からないのだが。)
 確かに、そう簡単には会えないし、テレビにも出演しない、インタビューにもめったに応じない。ある意味「謎多き有名人」なのだろう。

 しかし、ディランは沈黙の人ではないし、隠遁もしていない。賞の授賞式で喋りまくり、ラジオ番組のDJもするし、本も書く。何と言っても、アルバムも出すし、ライブ・ツアーに至っては延々と続けている。彼のコンサートにさえ行けば、ステージ上でニヤニヤしながら、変な動きをしつつ歌いまくるディランを体感できる。ミュージシャンとしては、「アウォードのプレゼンターは務めるけど演奏しない人」よりは、よほど肉体的だ。
 私などは、ジョージやハートブレイカーズを通してディラン様を見ることも多いだけに、それほど神秘的だとは思っていないというのも、「ミステリアス」の強調にはピンとこない理由だろう。

 ノーベル文学賞の理由である、詩について。
 俳優をわざとらしく出してこなくても良いとは思うが、普段はディラン自身の声の英語で聞いている詩を、日本語で語られると、またひと味違う。
 ちょっといただけないと思ったのは、戦争とそのエグい映像が多かったこと。反戦を歌っているのは真実だが、それほど残酷な画像が必要かというと疑問だ。もう一度見たい番組のはずが、この点で二の足を踏んでしまう。
 ディランの詩の世界は反戦や、社会問題を歌っているのはもちろんだが、それだけでは無い。ごく身近で、気楽な、ただ美しい、愛の歌、家族の歌、生活の歌、そういう詩もたくさんある。彼の多面性を、強烈で悲惨な画像の焼き印で制限してしまうのはどうだろう。

 そんな事を言いつつ、実は私、文学というものが全く分からない。本は好きだが、文学というものに興味がないし、詩にはなおさら興味が無い。私は無類の音楽好きであり、ディランの作品は、音楽があるから好きなのだ。ミュージシャン,ボブ・ディランのファンであり、そしてあの容姿の格好良さが大好きなのだ。
 そう!私はディラン様の顔が好きだ!姿が好きだ!キャー!ディランさまー!!約50分間、テレビの前でキャーキャー騒ぎまくり、曲が流れれば、一緒に歌いまくる。
 NHKは [No Direction Home] の制作に関わっているので、あの時期の神々しいディラン様をたっぷり見せてくれたのも嬉しい。
 ノーベル「文学賞」なんて言われても、私には皆目分からない。でもディラン様が格好良い事は分かる。それを再確認した番組だった。

 残念だったのは、ジョージの眉毛もトムさんの金髪も、ちらりとも映らなかったこと。50分でウィルベリー兄弟までも盛り込むのは難しいのは分かるが、かなり期待していたので、がっかりだ。
 でも、たっぷりディラン様を拝めたので良いことにする。

 いよいよノーベル賞授賞式となり、ディランのスピーチが代読された。その全訳がこちら。

ボブ・ディラン、ノーベル賞晩餐会で代読されたスピーチ全文

 分かり易くて良いスピーチだと思う。解説もいらないし、ただ読めば良い。
 面白いと思ったのは、シェイクスピアの話。シェイクスピアは戯曲を書いている最中に、「文学」を意識してはいなかっただろうという話。

 “資金は大丈夫なのか?”“パトロンに十分いい席を用意できるのか?”“骸骨はどこで手に入れたらいい?”など、考えなくてはならない、対処しなくてはならない、より俗世的な事柄もあったでしょう。

 これはニヤリとさせられる。特に小道具の心配がいい。

 せっかくなので、シェイクスピアが登場する、"Stuck inside of mobile with the memphis blues again"。オリジナル・アルバム収録は最高だが、こちらのデモ版も素晴らしい。

Florence Foster Jenkins2016/12/18 21:29

 映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」[Florence Foster Jenkins] を見た。

 1944年ニューヨーク。裕福なクラシック愛好家フローレンス・フォスター・ジェンキンス(メリル・ストリープ)は、夫(内縁)兼、マネージャーのシンクレア(ヒュー・グラント)の支えを受けながら、芸術活動への援助を行っている。
 好きが高じて、若い伴奏ピアニスト,マクムーン(サイモン・ヘルバーグ)を高額で雇い、高名な教師による声楽のレッスンを受けるのだが、彼女には歌の才能が完全に欠落しており、要するに自覚の無い音痴だった。
 身内だけの小さな演奏会で歌い、批評家を買収できたうちは良かった。しかし、周囲におだてられて音痴の自覚がないフローレンスは、レコードを制作し、音楽の殿堂カーネギー・ホールで演奏会を開くと言い出す。



 この実在した伝説の音痴,フローレンス・F・ジェンキンスについて、このブログでも記事にした覚えがある。いつのことだったかと確認してみたら、2008年7月だった。このブログを始めたばかりのことだ。

2008年7月1日 伝説の歌姫 フローレンス・F・ジェンキンス

 感動とは、作れる物だと思い知る映画だった。
 私にとってフローレンスは楽しい笑いを提供する「ネタ」だったが、映画を作る人の手にかかると、彼女の一生懸命な姿に情が移り、いつの間にか応援してしまう。
 笑いと感動、華やかな画面、古きニューヨークの風景,調度品,ファッションなども存分に楽しめる。

 メリル・ストリープはさすがの演技力。見ていて安心感がある。そしてヒュー・グラント。こういう、完璧ではないけど、共感を呼ぶ英国男を演じさせると上手い。
 一番良かったのは、マクムーン役のサイモン・ヘルバーグだ。どこかで見た顔だと思ったら、"Big Bang Theory" のひとだった。マクムーンは、雇い主のあまりの音痴さと、それでも「上手い」とおだてる周囲の人々に呆然としつつも、「真実」を暴露することなく、フローレンスを支える側になってゆく。彼の感覚が映画の観客の心情にもっとも近いだろう。

 さて、自覚のない音痴である富豪夫人をおだてて、レコーディングやカーネギー・ホールまで突き進ませてしまった周囲の人々には、罪があるかどうかという問題。

 映画ではフローレンスを音痴ではあるが、音楽を愛する好人物、努力を惜しまず、誠実な人として描いており、そんな彼女を支える人々を好意的に描くのは当然だろう。理解ある友人たちに、下手な歌声を披露しても、寛容の精神と友情で平穏な調和がとれているのなら、それも良いと思う。歌うことが彼女にとって、生きることであれば、なおさらだ。

 しかし、映画でも少し出てくるが、おだてるだけおだてて、金を引き出していく人もいる。
 登場人物のひとりは、「音楽への冒涜だ」と言った。私は「冒涜」などと言う言葉を使うほど大袈裟な話ではないと思う。しかし、フローレンスを後世まで「嘲笑の対照」にしてしまったという、彼女の尊厳に対する責任を思うと、さすがに「一生懸命やっているのだから応援しよう」だけでは済ませられないような気もする。
 もっとも、8年前の記事でも分かるとおり、私も彼女の録音を聞いて笑っている人の一人なのだが。

 メリル・ストリープの演技は上手い。元々は歌の上手い彼女が、音痴になるように、特別なレッスンを受けたという。見事な音痴ぶりを演じてはいるが、それでもまだ、上手すぎた。本当のフローレンス・フォスター・ジェンキンスはあんなものではない。
 録音だけでは分からないが、おそらく声量も足りていなかっただろう。カーネギー・ホールで、どの程度彼女の音痴程度が「響いた」かは疑問だ。



 音楽の殿堂カーネギー・ホール。「カーネギー・ホールには行くにはどうすれば良い?『練習、練習、練習』」という言葉があるが、実際には「金」でも良いらしい。それなりの借り賃を払い、スケジュールさえ合えば、基本的に音楽的レベルには関係なく、演奏会を開くことが出来る。
 音楽ホールなのだから、本来そうであるべきだろう。ただし、「あのカーネギー・ホールで演奏した!」という宣伝文句には、要注意だ。

Maggie May2016/12/23 21:53

 ウクレレで何を弾こうかと先生と相談したとき、一度はやってみたかった曲を提案した。それがロッド・スチュワートの "Maggie May"。
 要は、あのマンドリンのパートがやってみたかったというだけ。



 この曲は私にとって、ロックの名曲中の名曲。ウクレレに編曲してみて分かったのだが、メロディは大した音域もないし、ダイナミックさもない。コードも単純で、これと言った特徴はない。歌詞はロッドの実体験に基づく、少年時代の恋だ。
 "Maggie May" を名曲にしているのは、何と言ってもロッドの上手さと、編曲の良さだ。

 私はアルバム・バージョンで聞き慣れているので、イントロのアコースティック・ギター無しに "Maggie May" は想像できない。ウクレレの先生と意見が一致したのだが、このアコギは決してロニー・ウッドではないだろう。確認してみたらその通りで、ロッドと共同で曲のライターに名を連ねている、マーティン・クイッテントンだそうだ。
 ドラムをはじめとするパーカッションのドタバタとした雰囲気が、甘く流れないロックな格好良さを保っている。
 そして、本来ギタリストである、ウクレレの先生を爆笑させた、ロニーのギターソロ。このぐにゃぐにゃ加減、上手いのだか、下手なのだか、良く分からない。しかし耳の良いロニーらしく、この曲にはこれしかないという、素晴らしいソロだ。

 バンド、ヴォーカル、どちらも素晴らしく揃い、その上にコーダのマンドリン。このマンドリン・ソロがなかったら、この曲はロックの「けっこう良い曲」の一つにとどまっただろう。マンドリン・ソロこそが、"Maggie May" をロック最高峰の大名曲にしたのだ。
 肝心の演奏者について、スリーブにはこうある。

 "The mandolin was played by the mandolin player in Lindisfarne. The name slips my mind."
 マンドリンはリンデスファーンのマンドリン奏者が弾いている。名前は忘れた。

 凄いクレジット。「リンデスファーンのマンドリン奏者」とまで分かっているなら、書けば良さそうなものだが。
 マンドリンを弾いているのは、レイ・ジャクソン。"Maggie May" を収録しているアルバム、[Every picture tells a story] の中では、"Mandolin Wind" でも弾いているようだ。
 実はこのレイ・ジャクソン、2003年に "Maggie May" のライターとしてのクレジットに自分を加えるべきだとして、ロッドを相手取り、訴えたそうだ。曰く、あのマンドリンフレーズは自分のアイディアなのだからとのこと。
 ジャクソンによれば、完成していなかった "Maggie May" に関して、ロッドからなにかアイディアはないかとスタジオで相談され、その結果があのソロなのだという。
 これはちょっと無理のある訴えだったようだ。その後この訴えがどうなったか良く分からないが、いまでもライターとしてのクレジットは、ロッドとクイッテントンのみである。セッション・マンが、いちいち自分の演奏を根拠に作曲者に名を連ねるべきだと言い出したら、ポップスは作曲者欄が異常に長くなってしまうだろう。

 個人的には、"Maggie May" を名曲たらしめたマンドリン・ソロの奏者は、あのヘンテコで謎めいたクレジットで良いのではないかと思う。「名前は忘れた」などと書かれたからこそ、私はリンデスファーンが何者かを調べたのだし、彼らのアルバムを買うことにもなったのだから。

 ロッドの代表作だけあって、"Maggie May" のライブ・バージョンは、当然たくさんある。私にとって印象的なのは、[Unplugged] の時だ。ロッドもまだ良い声をしているし、何と言ってもロニーとの何とも言えない和やかな空気が良い。曲の最後に、ロッドがロニーにキスする、いつものお約束も果たされている。

Live at Fenway Park2016/12/28 23:13

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのファンクラブ,Highway Companions Clubが、2014年ボストンのフェンウェイ・パークでのライブ音源ダウンロードという、クリスマス・プレゼントをくれた。



 2014年は、私もニューヨークで見ている。しかし、盛り上がりと混沌と喋りまくるアメリカ人に紛れて分からなかった音がしっかり鳴っていたことが、良く分かる。
 まずはオープニング・チューンだった "So you want to be a rock 'n' roll star"。80年代よりもたっぷりとしたテンポ感であることは分かっていたが、スコットのコーラスがかなり頑張っていることを、今回初めて認識した。
 他の曲でも、スコットを中心にベンモントとロンが頑張ってコーラスをしてるのが健気だ。確かに、スタンとハウイがいた頃のようはできないが、みんな60代になって、しっかりバンド・コーラスワークを支えようという意気込みが格好良かった。

"A woman in love", "Mary Jane's Last Dance" などは、お馴染みの曲。後者では、トムさんが "pigions" で声が裏返ってしまったのがカワイイ。

 "American dream plan B", "Forgotten man", "U get me high", "Shadow people" の4曲は、この時の新譜 [Hypnotic Eye] からの曲。これらは、アルバム収録曲の忠実な再現という感じ。現在進行形のハートブレイカーズのフレッシュな作品で、とてもしっくり来る。
 お馴染みのヒット曲を、年を取ったバージョンでプレイするのも嬉しいが、こういう現役感のある選曲も格好良い。しかも演奏はかなり練習しているようで、ほぼ完璧ではないだろうか。
 このライブを聴くと、改めてアルバムを聞きたくなる。

 アンコールは、お馴染みの "You wreck me" と、"Amerian girl"。  今回のダウンロードで一番驚いたのは、"American girl" だった。何と、キーがD!オリジナルのキーで歌っているのだ。
 数年前からCに下げていたのだが、2014年はDだったのだ。これはびっくり。ニューヨークでは全く気付かなかった。
 お馴染みの曲をいつものように演奏しているように見えて、実はいろいろ変えたり、挑戦しているハートブレイカーズ。来年のライブは見に行けないのが残念だが、その活躍が楽しみだ。