新作能「エルヴィス」2015/04/01 00:00

 新作能「エルヴィス」が、来月、東京の国立能楽堂で披露される。

 まず、後見が舞台正面前方に、ギターを一つ、横たえる。
 そして、ワキと二人のワキツレが登場。
 「これは旅のロックバンドにてトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズにて候。トム・ペティとは我がことなり。我等いまだメンフィスのグレイス・ランドを見ず候ほどに、この度、ツアーの合間に立ち寄りて候。」

 ワキ,ワキツレの道行(みちゆき)を謡った後、一行はグレイス・ランドに到着する。
 「急ぎ候ほどに、はやグレイス・ランドに着きて候。心静かに見物申そうずるに候。」

 一行はグレイス・ランドの展示品を見て、プレスリーの偉業に思いを馳せる。やがて一行はギターの前にやってくる。
 「これなるギターを見候らえへば 昔を今に思い候。いかさま名の高きプレスリーの ギターに相違無く思し召せば。げに有り難き物に候。」
 一同、ギターに見入る。

 そこへ、老人(前シテ)が橋がかりに登場する。
「のうのうあれなる御若者。そのギターのいわれを人にお尋ね候らへば、何と教え参らせて候ぞ。」
 前シテの老人は尉面に、尉髪(白髪のかつら)。小道具に箒を持っている。

 ワキがシテに何者かと尋ねると、
「これはグレイス・ランドに住まいする清掃係にて候。幼き頃よりプレスリーを愛で候ほどに、この所にて、辺りを掃き清め申すものなり。」
 シテの上歌(あげうた)。
 「所はメンフィスの 所はメンフィスの ピンクのキャデラックも年ふりて 昔のエルヴィス面白や 妙なる歌声響かせし 四海を隔てし異国にも 若き男女の夢うつつ 不思議やなその声の 耳をすませば げにも有り難き 音楽なり」

 ワキがギターの来歴を尋ねると、老人は事細かに説明する。あまりの詳しさに、ワキは不審に思う。
「げにや詳しきほどを見るからに。常人(ただびと)ならぬよそおいの。その名を名乗り給へや。」
 すると老人が答える。
「今は何をかつつむべき。これはメンフィス グレイスランドのエルヴィスの霊と現じたり。」

「不思議やさては名所(などころ)の ギターの奇特(きどく)を顕して いかに時代は過ぐるとも ロックの尊き(たっとき)事なれば 何時までもロックの代に。ここにて夜まで待ちもうさんと 告げて通用口へ出でにけり」
 老人はワキ,ワキツレを残して鏡の間に入る(中入り)

 ワキとワキツレがグレイスランド内にとどまっていると、警備員(アイ狂言)に見とがめられる。ワキは、不思議な老人が、自分はエルヴィスの霊だから、夜までここで待つように言ったと、説明する。
 すると警備員はグレイスランドでのエルヴィスの生活を語る。そして夜も更けた頃、ワキ,ワキツレを残して退場する。

 ワキ,ワキツレの待謡(まちうたい)
「メンフィスや この芝草に腰掛けて 月もろともに弁当の 飲み食いするほどに夜も更けて やがてギターの音近々と はやエルヴィス・プレスリーのいでにけり」

 後シテ,エルヴィスの霊登場。リーゼントに皮ジャン,革パン。面は中将。
「我見ても久しくなりぬステージの 歓声拍手の鳴り止まぬ いざロックンロールいたそうよ」
 エルヴィスの霊は最盛期のヒット曲メドレーを舞とともに披露する。舞は「腰振」というこの能だけの特別な舞で、「開き」という動作をする際に腰を振るのが特徴。

 キリ「さて感激の監獄ロック 響くギターには退屈を払い おさむる手にはファンを抱き ハートブレイク・ホテルはラジオを撫で ハウンド・ドッグは命を延ぶ メンフィスの歓声拍手を楽しむ 歓声拍手を楽しむ」

 二場,約60分。太鼓入り。「ジャンプスーツ」の小書き(特別演出)あり。

リッチモンド陥落2015/04/04 20:36

 ロバート・E・リー率いる55000の南部連合軍は、南部連合国の首都リンチモンドの南ピーターズバーグに布陣し、ユリシーズ・グラント率いる125000の北軍がこれを包囲したのが1864年6月。それから半年以上が経過した。
 北軍はこれまでに、守りを固めるリーに攻撃を仕掛けて、恐ろしく酷い目に遭いつづけている。我慢強いグラントは長期包囲戦に持ち込んだ。



 北部連邦リンカーン大統領にすれな戦争も4年、早く決着をつけたいところだが、幸い1864年の大統領選挙には勝利した。政治的問題を一つ乗り越え、グラントの持久戦は1865年に持ち越された。
 ピーターズバーグ包囲中、北軍は南軍の補給路を断つことに力を傾けた。ザ・バンドの楽曲 "The Night They Drove Old Dixie Down" で「ストーンマンの騎兵がダンヴィル鉄道を破壊する」とあるとおりだ。
 ピーターズバーグの補給路が断たれることはイコール、首都リッチモンドもまた干上がることも意味していた。

 西部戦線で南部連合軍は負け続きで、とうとう残存兵がジョンストンのもとに寄り集まっただけになってしまった。しかし、まだ降伏はしていない。
 1865年3月末、リーはジョンストンとの合流を最期の望みとして、行動を起こすことを決断した。これは得意の守りを破ることであり、実のところグラントが待ち望んだ事でもあった。

 3月25日、リーはジョン・ゴードンをして北軍のステッドマン砦を攻撃させた。その方面に北軍が兵力を集中する間に西走して大回りに南を目指す作戦だ。しかしこの攻撃は数にまさる北軍に大した脅威は与えなかった。
 グラントはこの戦闘から、リーの行動を読んだ。すかさず、グラントはリーの本隊に総攻撃を仕掛けた。ピーターズバーグの防衛線は数日耐えたが、とうとう4月2日に突破を許した。
 リーはリッチモンドに対し、撤退を勧告した。そして軍をピーターズバーグから脱出させ、西へと移動させ始めた。北軍はその北側から併走し、時として小規模な衝突を繰り返しつつ、さらに西へと移動した。

 リッチモンドの南部連合国内閣は4月2日、リーからの勧告を受けてリッチモンド退去を決定。かろうじて通じていた鉄道,リッチモンド・ダンヴィル線でデイヴィス大統領以下、脱出した。
 翌4月3日、北軍がリッチモンドに入り、ここに南部連合国首都リッチもモンドは陥落した。せめてもの南部の抵抗として、北軍に物資を与えないために、街の多くが燃やされていた。

 リンカーンは、早くも4月4日 ― 150年前の今日 ― にはリッチモンド入りした。その来訪に歓喜した黒人たちがリンカーンの足下にひざまずいたところ、彼が "Don't kneel to me. You must kneel only to God." 「いけない、ひざまずくべきは神の御前だけです。」と言ったのはこのときだ。
 リンカーンは4月8日にはワシントンへ戻った。彼が大統領としてリッチモンドを訪れたのは、これが最初で最後だった。

Postcards from Pradise2015/04/07 21:39

 リンゴ・スターの新譜 [Postcards from Paradise] を聴いた。
 いつものリンゴ。変わらぬ温かで、でも芯のある歌声と、強力なサポート陣のさまざまな色をうまくまとめ上げる包容力。お馴染みのデイヴ・スチュアートに、スティーヴ・ルカサ-、ジョー・ウォルシュ、トッド・ラングレンなど錚々たるメンバーの中に、もうすっかりリンゴ・ファミリーとしてお馴染みになったベンモント・テンチもいる。



 安心感のリンゴ。リンゴはやっぱりリンゴ。ポップで優しくて、ちょっとひねりの利いた楽しいアルバム。
 アルバムタイトル曲の歌詞は、ほとんどビートルズの曲タイトルの羅列。こういう曲を作っても、悪く取られないのがリンゴの人徳だ。

 我等がベンモントの出番は、アルバムの中盤,"Right Side of the Road", "Not Looking Back","Touch and Go" の3曲。
 特に "Not Looking Back" が素晴らしい。ベースはネイサン・イースト。そもそも、曲がそのものが良い。ストリングスと相まって、とても感動的だ。そして何と言ってもキーになるのが、曲を支えるように鳴り響くベンモントのピアノだ。



 最近、ハートブレイカーズにこういう曲調がないだけに、なおさら素敵だ。ベンモントのソロアルバムにあるような、穏やかで温かで素敵な楽曲。

 リンゴは今年ソロ・アーチストとしてロックの殿堂入りするが、そのプレゼンターは誰なのかと楽しみにしていた。トムさんなんて適任だと思うしジェフ・リンでもいい。後輩ドラマーのデイヴ・グロールでも良いし、大サプライズでチャーリー・ワッツでも良い。
 …などといろいろ想像を巡らしていたら、もう発表されていた。
 ポール・マッカートニー。

 ポぉール…?いや…それは…期待していたのと…違う…。
 超大物だけど、全然嬉しくない…。ほかのビートルはともかく、ポールだけは違うような気がするんだけど…。
 まぁいいや。スペシャル・ジャムを楽しみにする。もちろん、ベンモントも参加でよろしく!

アポマトックス2015/04/09 20:50

 日本経済新聞の夕刊に、月曜日からピーター・バラカンさんのコラムが連載されている。昨日は、「売れなかった好きな音楽」として、トム・ペティに言及している。
 しかもTP&HBのハイレゾが発売になっている。
 しかし、今日は4月9日 ― 150年後の4月9日なので、どうしても南北戦争の記事を書かなければならない。

 1865年3月末から4月初頭にかけて、南軍のロバート・E・リーはピーターズバーグの持久戦から脱すべく行動を起こしたが、北軍の大軍になすすべも無かった。
 4月3日、南部連合軍はアポマトックス川に沿って西へ移動しはじめた。シェナンドア渓谷の地の利を生かして北軍の攻撃をかわし、ジョージア州にいるジョンストンの軍と合流することを意図していた。
 しかし、北軍のグラントはそれを許さなかった。北軍は10倍近い兵力をもって、リーを追撃した。グラントはオードとともに南回りで、ミードは北回りで、リーとの小さな戦闘を繰り返しながら、徐々にリーの進む道を狭めつつあった。
 4月6日にはリッチモンドからのなけなしの物資が破壊され、リーはさらに追い詰められた。そして、ピーターズバーグから西へ約120km、アポマトックス・コートハウス付近で、シェリダン率いる北軍の騎兵がリーを待ち受けるに至った。
 リーは降伏を決断し、それをグラントへ伝えた。
 南軍の将校の多くはリーの降伏の決断を指示していた。しかし、一部にはゲリラ戦をすすめる意見もあったという。それに対する、リーの言葉は有名だ。軍人としての自負、自覚、責任感が滲み出ている。

 I suppose there is nothing for me to do but go and see General Grant. And I would rather die a thousand deaths.
 グラント将軍に会いにいくほかない。1000回死ぬ方がましだが。


 アポマトックス・コートハウスというのは、巡回裁判所の名前であり、その周辺地域を指す名前でもある。その地域にある、マクリーン氏の自宅が、リーとグラントの会見会場となった。
 このマクリーン氏、開戦から間もない頃の戦場だったマナサス(ブルラン)に住んでいたが、戦闘を避けてアポマトックスに引っ越していたのだという。運が悪いと言うべきだが、その悪運のせいで米国史にその名をとどめることになった。

 1865年4月9日午後、リーはマクリーン邸に礼装で到着した。グラントも到着し、降伏文書の取り交わしが行われた。南軍兵士は武器を引き渡し、もはや戦闘に加わらないことを宣誓する。捕虜ではあるが仮釈放という身分になり、身柄は拘束されない。
 南軍の兵士達は故郷から自前で馬をつれてきていたが、馬も武器の一部である。携行は許されていなかったが、リーはこの点について譲歩を希望した。グラントは便宜を図ることを約束した。南軍の兵士達は、馬を連れて故郷へ帰ることができる。

 アポマトックスにおけるリーの降伏によって、南北戦争は終わった。― 厳密にはそうではないのだが、多くの南北戦争の本は、この気高く物静かな老将のアポマトックスでの降伏シーンをもって終わっている。
 グラントもこれで終わったと思った。リンカーンもまた同じ気持ちだっただろう。リンカーンは戦争に勝利し、これから新しい国を指導する気持ちを新たにしたに違いない。
 しかし、それは5日間しか続かなかった。リンカーンがワシントンの劇場で銃撃されたのは、アポマトックスから5日後の4月14日だった。翌4月15日、リンカーンは死んだ。

The Hi-Res remastering of TP&HB2015/04/12 20:22

 トムさんが久しぶりに何を告知するのかと思えば、Hi-Res とか言うものらしい。
 日本語では、ハイレゾ。High-Resolution Audio ― 何がどうだかまったく分からないので Wikipedia で確認してみると… 「サンプリング周波数および量子化ビット数のうちどちらかがCD-DAスペック(44.1kHz/16bit)を超えていればハイレゾリューション」  …とまぁ、これまた全然分からない。
 ともあれ、要するに音が良いということらしい。
 それではトムさん、お願いします。



 トムさーん。…この人、女優だから…。新譜のプロモーションとか、ツアーとか、露出が増えると気合いを入れて容姿を磨き、超素敵トムさんになるのだが、どうも普段はもっさりし過ぎ。動画を撮るから、急遽、サングラスと帽子をのっけただけみたい。まぁいいや、女優だから仕方ない。

 「ハイレゾは正直言って、かなりスゴイ。多くの人はまだその凄さを知らないけど、すぐに分かるだろう。ぼくらがスタジオのコンソールの前で聞く音を聞くことができるんだ。はっきり言って、MP3なんてぼくがスタジオで聴く音の5パーセント程度だ。あんな素晴らしい音を聞かせられないなんて。ハイレゾはそれを実現してくれる。」

 トムさんもああ言うことだし、あまり考えもせずに全タイトルお買い上げ。ハートブレイカーズ関連の公式は、即購入することになっている。
 とは言った物の、そもそもハイレゾが何だか分かっていない私。良く分からないソフトをダウンロードして良く分からない時間を掛けて全てダウンロードしたけれど、どうやって聴くのやら。
 ここに至って、重大なことを知る。ハイレゾはiPod では聴けない。
 間抜けも良いところで、当たり前だろう。MP3は5パーセント程度だと言うのが本当かどうかは知らないが、とにかくiPodはハイレゾに対応していない。
 私は音楽を聞く機会の95パーセントを携帯音楽プレイヤーに依存している。だからこそお高めのヘッドフォンも購入しているわけで。

 まぁ、いいや。後悔はしていないので、とりあえずPCで聞いてみることにする。もちろんPCのスピーカーは当てにならないので、ヘッドフォンを使用。
 一番好きな、"American Girl" から。
 有名なイントロの冒頭3音が飛び込む。素晴らしい迫力!おお、これがハイレゾか!
 しかし恐ろしいもので、最初の強烈な印象が通り過ぎると、耳と脳が慣れる。要するに、CDやMP3と、それほど顕著な違いがあるかというと…どうだろう。MP3が5パーセントとして、ハイレゾがその20倍かと言うと、さすがにそんな事はない。
 私のような、音質に無頓着な人間に聴かせたのが悪かったか。何せ、オーディオに大金を使うくらいなら、そのお金で生を聞きに行くか、自分で習って演奏した方が良いと思っている人間なので。宣伝にならなくてごめんなさい。
 でも全タイトル買った。後悔はしていない。

 確かに、良い音、美しい音、クリアで、深みのある、隅々まで何もかも聞こえるような音で聴きたいという欲求は当然だろう。
 しかし音楽の価値は音質とは関係なく心に響く。良い曲、素敵な曲は、雑音だらけのラジオからでも、貧弱なスピーカーのPCからでも、自力で訴えてくる。TP&HBの音楽の魅力は、高くて高品質なオーディオの力を借りなくても、十分響く。
 最低限、TP&HBのMP3やCDを購入してくれれば、ファンとして、私は嬉しい。

バラカンさんとTP&HB2015/04/15 21:40

 先週、日本経済新聞の夕刊にピーター・バラカンさんのコラムが連載され、興味深く読んだ。個人的には、日本人の英語に関する辛口の批評が、こたえた。はい、まったくおっしゃるとおりで。精進します。

 それはともかく、バラカンさんなので、当然音楽の話になる。
 1974年に来日して音楽出版社で働くようになったバラカンさんは、好きな音楽が必ずしも日本では売れないということに事実に直面し、はっきりとは書いていないが、「失望」を味わった。その象徴的な出来事が、「トム・ペティといえば、米国の大スターですが、彼のデビューアルバムが出たときのことは忘れられません。」という言葉で始まる。
 アルバム [Tom Petty & The Heartbreakers] の発売は1976年11月だから、バラカンさんが来日して2年以内のできごとだ。アルバムを聴いたバラカンさんは「これはすごいと感動」し、どんどん売って欲しいとレコード会社にかけあったものの、大した宣伝はされなかったという。これもはっきりとは書いていないが、アメリカの大スタートム・ペティが日本で無名であることが残念でたまらず、苦い想い出のようだ。
 レコード会社がたいして宣伝してくれなかった理由がふるっている。
 曰く「女性に受けるルックスではない」―
 怒れば良いのやら、喜んで良いのやら。たぶん、喜んで良いのだろう。別に音楽を否定されたわけじゃない。私にとってトムさんは最高にイカした、格好良い、容姿の良い男子だが、それは彼が最高のロックンローラーだからであって、音楽がなかったら、ただの額の広い金髪ガイコツである。

 確かに、あれほど素晴らしいロックバンド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが日本で売れず、無名に近いという現状は、嘆かわしいことだと思う。
 しかし、これは贅沢な悩みで、実際の彼らはあのロックの本場、巨大市場、世界で一番ロックを愛する人口の多いべらぼうな国で、押しも押されぬ大スターであり、大金を稼ぎ、まだまだ稼ぐつもりだ。
 幸い、20世紀以来、音楽は録音媒体の時代であり、今やインターネットも発達している。素晴らしい音楽はどこからか伝わり、バラカンさんのような人がラジオで流し、それは決して巨大な利益を生まなくても、誰かの心には響いている。日本での状況だけが全てではないし、そんな日本でも、ファンたちが幸せにハートブレイカーズ談義に花を咲かせることも可能なのだ。

 バラカンさんをいたく感動させたTP&HBのデビューアルバム [Tom Petty & The Heartbreakers] のことを、通称 [American Girl] だと思っているのは、私だけだろうか。[White Album] とか、[ゆでめん] みたいな意味で ― 私だけか。どこで勘違いしたのだろう。
 とにかく、私はこのデビュー・アルバムが大好きだ。TP&HBで好きなアルバムを一つだけと選べと言われれば、断然このファーストアルバム。
 先日ダウンロードしたハイレゾで、改めて聴いてみた。
 どうやら、このハイレゾ、ファーストとセカンド・アルバムにおいて、音の良さが際立っているのではないだろうか。つまり、この2作は紙ジャケットが出ていない。確か紙ジャケットはリマスターだったと思うので、既にかなり音は良くなっていたと思う。最初の2作はそれに漏れていたため、ハイレゾでは劇的に音が良くなっていることが分かり易いのではないだろうか。
 先日聴いた "American Girl" は、ベスト版などでオリジナル・アルバムより少し音の良いものに慣れており、顕著な差を見いだすことが出来なかったようだ。
 細かいレース編みの模様がくっきり見えるような感覚。繊細なシェイカーや、刻みが一つ一つ、輝いている。アコースティック・ギターの音は、すぐ隣りでまさにボディが鳴っているような感じだ。
 冒頭の "Rockin' Around (With You)!" のイントロで、こちらに迫ってくる音の迫力が違う。"Luna" のオルガン・ソロでは、ベンモントの指がオルガンの鍵盤に触れる様子が見えるようだ。

 いつ聴いても、何度聴いても、改めて聴いてもやはり名作アルバム。私が好きなロックはこれだ。これだけがTP&HBだけではないし、もっとスゴイ曲が満載のスゴイアルバムもたくさんあるが、このデビュー作品の持つ初々しさ、必死さ、清々しさ、それでいてちょっと痛々しく、それが愛おしい、そのくせ強がりで私を置いて走っていってしまうような威勢の良さ。
 こんなアルバムを、日本の誰も ― どころか、世界でもそれほど多くの人が聴いていないときに耳にして、感動し、その感動を今でも語るバラカンさんは、とても幸運な人だと思うのだ。

Traveling Wilburys Gretsch2015/04/18 22:51

 アメリカのベネフィット・オークションに、トラヴェリング・ウィルベリーズのグレッチ・ギターが出品されるとのこと。
 ジョージが "Handle with Care" のビデオで使っている、あのウィルベリーズ・グレッチだ。と言って、ジョージが使っていたそれではなく、同じデザインのシリーズの1本という意味。

Traveling Wilburys guitar to be auctioned for THA

 記事にもあるとおり、裏側には、5人のサインがデザインされている。どうにも、あの5人が実際に書いたわけではなさそうに見えるのだが…。それっぽいものを配することが、ウィルベリーズという最高の遊びには欠かせない。



 記事によると、ジョージが大きなグラフィックデザインをして、それを切り取り、各ギターの前面に配しているという。だから、どのギターも見た目が微妙に異なるはず。
 たしかに、"Handle with Care" のビデオで、ジョージが弾いているものとは明かに違う。冒頭にジョージがギターを手に持ってきて、各メンバーの足下が映るところが、分かり易い。



ジョージ自身も、別のウィルベリーズ・ギターを持っている写真もある。



 トムさん所有のウィルベリーズ・グレッチもあるわけで、それは2006年の "Vintage Guitar" に掲載されていた。
 ジョージによるグラフィックのなかなか良いところが、うまく配されていて、ボディのほぼ中央に、丸くデザインされた THE TRAVELING WILBURYS の文字が配されている。色はライトブルーが多く、濃いピンクがアクセントになっていた。
 ちょっと気になるのは、指板が茶色いこと。今回のオークションに出品されるギターの指板は黒く見えるのだが…。ビデオでジョージが持っている物も指板は黒く見える。トムさんのものだけが茶色いということはあるのだろうか。それとも変色したのだろうか?

 画像検索すると、自慢のウィルベリー・グレッチを披露している人がたくさんいて、楽しい。さて、今回のオークションではだれがこのギターを手に入れるのだろうか。

愛しのリッケンバッカー2015/04/21 21:50

 ギター・マガジンが「愛しのリッケンバッカー」と題した特集を組んでいるというので,買ってみた。
 リッケンバッカー愛用のアーチストとその楽器、楽器製造の現場、その革新性などを紹介している。

 リッケンバッカーと言えば、ビートルズ。リッケンバッカーと言えばジョンとジョージ!もちろん最大のスペースを割いてビートル・リッケンバッカーを詳細に紹介している。
 この手の記事はいろいろあるが、この特集の特徴は、写真のセンスが良いことである。



 そうだ!これだ!これぞ愛しのリッケンバッカー!愛しのジョージ・ハリスン!
 見よ、この美男子ぶり!アンニュイな表情、繊細なポーズ、夢見るような視線!髪の流れも、キリリとした眉、指先まで美しい!惚れ惚れする!
 この表紙以外の写真も可愛いショットを使ってくれている!よぉく分かっている!

 なにせ、以前組まれたリッケンバッカー特集のジョージ写真がコレだからな。



 許さん。誰だ、スネ毛丸出し海パン写真を選んだ奴は。インターネット上での特集だけならともかく、日本の某ダサいタイトルの(内容もややダサい)音楽雑誌でも使いおった!この恨みは一生忘れない。

 要するに、私は真面目に記事を読んでいない。ジョージとリッケンバッカーが格好良ければそれで良し。

 もちろん、トムさんも忘れない!
 そのトムさんの写真も、けっこうイケてるのを使ってくれている。60年365 Firegloにつけられたコメントも、「ウィルベリーズで共演したトムのアイドル、ジョージ・ハリスンが愛用していた360/12の6弦バージョンであり、初期衝動を今なお保ち続けているトムのピュアなスタンスが垣間見える」と、これまた分かっていらっしゃる。
 ピュア!ピュアなのだ!トムさんはピュアなのだ!

 しかも、さらなる「国内外リッケン愛用プレイヤー、この1本」の冒頭に、マイク・キャンベルの 1963年 625/12 Fireglo が紹介されている。
 そうだ、そうだ!トムさんとくれば、マイクだよね!一緒じゃないとね!!!
 もちろん、あの [Damn the Torpedoes] のジャケットに登場する楽器。どうせならジャケット写真も載せておいてくれればなお良かったのだが。

 しかも、「リッケンバッカー名演集」として、リッケンバッカーの印象的なリフをタブ譜つきで紹介している。1曲目はもちろん、"Mr. Tambourine man" 。2曲目にTP&HBの "The Waiting" があがっているのだ。
 「トム・ペティがざっくりとかきならすコードパートの上に、相方ギタリスト=マイク・キャンベルがオクターブ奏法で弾くキャッチーなメロディ・ラインを重ねていく」
 ロジャー・マッグインの影響も指摘している。うんうん、そうだ!そうだ!
 なかなかの力作リッケンバッカー特集、読み応えもありそうだ。リッケンバカに幸あれ!

 そのようなわけで、"The Waiting" のビデオで締める。マイクがこのビデオが嫌いでも、私は好きだ。みんな可愛くて良い。

Jeff Lynne Walk of Fame Ceremony2015/04/24 21:52

 LAのウォーク・オブ・フェイムに、ジェフ・リンの星が設置されることになり、その除幕式が行われた。
 トム・ペティがスピーチするというので、早速トムさんチェーック!!
 見る前から心配でたまらない。ジョージの星除幕式の時、酷い格好をしていたのが、トラウマなのだ!自宅に近くて、昼間、外光のもとで見るトムさん…どうしよう、気の抜けた普段着だったら…ドキドキ。
 トムさんの登場は32分から。…その前から、後ろの方ですごく小柄な人がジョー・ウォルシュの隣りに立っているけど、実はそれもトムさん。



 トムさんが!トムさんが!トムさんが!!!!
 ピアスをしている!!!!!!

 ピアス大好き人間である私にとっては、大事件である。
 そもそも、私がピアスをあけるきっかけになったのは、ボブ・ディランがTP&HBとツアーをしたとき、彼のピアスが格好良かったから。
 トムさんもこの時期は、左耳にだけピアスをしていて、ウィルベリーズの時もすごく可愛かった。
 しかし、90年代以降トムさんのピアスはすっかり見なくなり…ちょっと残念だったのだが。このたび、賑々しく復活!しかも両耳!!!

 若い頃の片耳ピアスも可愛いけど、貫禄出てからの両耳も悪くない。
 要するに、今回のトムさんのいで立ちは悪くないというのが私の感想。ヘアのトップにボリュームがないが、今に始まったことではない。たぶん、直前まで帽子を被っていたのではないだろうか。ジャケットもちゃんと着ているし、今のトムさんとしては合格点。ジョージの時が油断しすぎだったんだ。

 トムさんのスピーチは、有名なジョージも絡んだ1987年から88年の邂逅から始まる。ジェフは「髪を切りにイングランドに帰る」と言い、レコーディングの教師であり、ビートルズのプロデューサーをつとめ、元ビートルである「ポール…マクギネス」…とも仕事をしている。トムさん、自分でウケ過ぎ。

 ところで、来賓席の一番前に陣取っているこの人。



 マイク・キャンベルに見えるのは私だけだろうか。ドン・ウォズでなければ、マイクだと思う。
 オリヴィアとダニーも居たようで、星のミニチュア・オブジェを持っている。



 マイクが散らかりまくったスタジオのピアノの上に置いていたのは、これのジョージ・ハリスン版だ。

 ちなみに、セレモニーで司会者も言っていたが、ポール・マクギネスとエリック・アイドルもスピーチを寄せており、二人ともお馬鹿で楽しい。
 みんな元気で嬉しい。マクギネスのライブには行かないけど。

Eric Idle Message to Jeff Lynne

Message to Jet Flynn

南北戦争の終わり / テンチ家の兄弟(その11)2015/04/27 22:18

 テネシー軍と呼ばれる ― 要は西部戦線の残存南部連合群を率いたジョーゼフ・ジョンストンは、どのような手段でリーの降伏を知ったのだろうか。  南軍の電信はまだ機能していたのだろうか。それとも新聞にでも載ったか、伝令が来たか。むしろ、北軍のシャーマンから知らされたかも知れない。

 ともあれ、リーの降伏を知ったジョンストンは、シャーマンに降ることを決意した。
 南部連合国大統領デイヴィスは戦争の継続を指示しており、ジョンストンはそれに逆らうことになったということになっているが、その点の真相はよくわからない。

 最初の会見はリーの降伏の8日後,4月17日。場所はノース・カロライナ州ダーラムの、ベネット氏宅だった。ベネット氏もまた、アポマトックスのマクリーン氏と同じくこの戦争の被害を受けた人で、息子を亡くしていた。
 会見はいきなり緊張から始まったという。シャーマンが持参し、ジョンストンに見せた電報には、リンカーン死亡(4月15日)が記されていたのだ。
 この会見は、アポマトックスにおけるリーとグラントのそれとは異なり、ジョンストンが率いる兵だけではなく、南部連合軍全ての降伏について話し合われた。
 翌日18日には南部連合陸軍長官ブレッキンリッジが同席している。デイヴィスが戦争の継続を望んでいたかどうか分からないのは、この長官の存在のせいだ。閣僚が同席している以上、南部連合政府として降伏を意図していたのではないだろうか。

 24日にはグラントもダーラムに到着し、ジョンストンとの降伏交渉に加わった。そして合意がなされ、ノースカロライナ,サウスカロライナ,ジョージア,フロリダ各州のに残っていた南部連合軍は解散することになった。
 合計すると89271名。南北戦争で再多数の降伏兵士数だった。

 シャーマンは、降伏した南部軍兵士たちに、10日分の食料や、馬の飼料を提供した。さらに、市民への穀物などの提供も申し出ている。海への進軍で徹底的に南部の生活基盤を破壊し、その行為の代名詞ともなったシャーマンだが ― とにかく戦争は終わったのだ。
 ジョンストンは、シャーマンの寛大な措置に感銘を受けたらしい。戦後、二人は親しい友人となったという。

 テンチ家の兄弟 ― 兄のジョン・ウォルター・テンチ少佐と、弟のルービン・モンモランシー・テンチの戦争も終わった。
 彼らが所属していたジョージア州第一騎兵連隊は50人ほど、最後までテネシー軍にとどまっており、ジョンストンの降伏とともに武装解除、解散となった。
 彼らは間もなく故郷 ― ジョージア州ニューナンに帰っただろう。両親や妹たちの待つ故郷へ。ジョンは26歳、ルービンは21歳。大きな戦争と、敵対していたはずの大統領の死、これまでとは違うアメリカ、変わらず愛する故郷、でもこれまでとは、どこか違う故郷南部で、若い二人は改めて人生を歩み出した。