CRT & レココレ Present ジョージ・ハリスン誕生祭 20152015/02/27 20:45

 体調を崩してしまった。
 仕事は休めず、ウンウン苦しみながらなんとかこなしていたのだが、年に一度のお楽しみ、レココレプレゼンツ,CRTジョージ祭りも、どうしても参加したい。幸い感染性の強い病気ではなかったので無理押しで参加したのだが、おかげで快復が遅れている。

 今回のジョージ祭りは、もちろん去年発売された Apple Years ボックスが主な話題。いつものとおり、本秀康さんが熱くジョージ語りを展開した。

 ボックスに収められた最初の2枚、「電子音楽の世界」と、「不思議の壁」は、正直言っていらない。とくに「電子音楽の世界」がいらない。いかにジョージの作品だろうと、ジョージのプロデュースだろうと、機械がピーとか、ガーとか、キーとか鳴っているものは聴かない。たとえ、ジョージ本人が美男子大爆発に魅力を語って勧めてきても、私は受け付けない。
 つまり、「電子音楽の世界」は私にとって、ボックスの中に入っているプラスチックの板でしかない。今回のCRTの収穫は、そのプラスチックの板に刻まれている音の一部を聴いたこと。やはりいらないということを確認できた。
 一方で、「不思議の壁」はそれなりにまともな音楽なので、聴いてみようという気持ちが起きた。

 [Living in the Material World], [Dark Horse], [Extra Texture] の話題も、もちろん展開されるのだが、結局はこの Apple Years も[All Things Must Pass] に話が集中する。
 ジョージファンとしては、どのアルバムも平等に、情熱を傾けて語り倒したいところだが、名作とそうでもない作品が存在するのはやむを得ないことで、結局 [All Things Must Pass] に話が集中しても、構わないのではないだろうか。それほどの大作だし、その大作が存在することの幸福を素直に享受すればいい。

 祢屋さん(レコード・コレクターズ)のリクエストが、ずばり “My Sweet Lord”。思い返せば、まともにアルバム収録バージョンの “My Sweet Lord” を、このジョージ祭りで聴いたことがないね…との感慨で、改めて大音響で鑑賞。
 本さんが、この “My Sweet Lord” をはじめて聴いたとき、その前評判に対して、それほど良い曲だとは思わなかったということを言っていた。実は、私も同じ感覚を持った人である。[期待したほどのすさまじい感動は覚えなかったのだ。むしろ、”What Is Life” や、”Awaiting on You All” のようなポップでキャッチーな曲に感動したものだ。
 聴き始めて何年もたち、今あらためて “My Sweet Lord” を聴いてみると、確かに名曲だということが分かる。イントロで流れるアコースティック・ギターの豊かな響きが、これから起きるすばらしいことを予感させる。穏やかなジョージの歌声、徐々に加わってゆくコーラス、音の厚み、あふれ出すような幸福感 ― 大きな音で、もしくは良いヘッドフォンで聴くと、思わず天を仰ぎたくなるような充実感を覚える。
 “My Sweet Lord” をパソコンで聴くというのはまったく薦められない。だから、ここではYouTubeのリンクははらない。

 さて、ジョージ祭りでは、「なぜ [All Things Must Pass] は3枚組なのか」ということがよく話題になる。
 本さんによると、一般的な説明では、「ビートルズ時代は楽曲発表の場に恵まれなかったジョージが、ソロになってあまりにもたくさんの曲がありすぎて、1枚はおろか、2枚でも収まりきらなかったので、3枚組になった」…ということになっているそうだ。なるほど、とても普通な説明。
 これに対する、本さんの反論。「でも、あの3枚目(アップル・ジャム)はいらないでしょう?!しかも、”Isn’t It a Pity” は2バージョンも入っている。結局は2枚組みで済んだはず」とのこと。
 それでもなぜ3枚なのかというと、「もし売れ行きが悪くなったとしても、『3枚組じゃ売れなくても仕方がないよね』という言い訳が利くから」と、本さんは解釈しているそうだ。結果的には3枚組でも良く売れたのだから、これが1枚か、2枚組だったら、もっとどえらい売れ方をしたのではないかとも付け加えている。

 この「なぜ3枚組なのか」に関して、私の見解は本さんとは全く異なる。
 ジョージがソロ・アルバムを作るにあたり、発表するに足りる出来ばえの曲数が、2枚4面分あったことは、間違いないだろう。では、3枚目の「アップル・ジャム」は何か。私は、「史上初のボーナス・ディスク」と解釈している。
 もし、[All Things Must Pass] が21世紀にCDの作品として発表されたとしたら、きっと「通常版」が2枚組だったに違いない。そして、「スペシャル・エディション」もしくは「コレクターズ・エディション」,「デラックス・エディション」には、アップル・ジャムの「ボーナス・ディスク」がついているのだ。
 そう解釈すれば、今やとても普通のことだ。「日本版限定ボーナストラック」も普通だし、「ボーナス・ディスクはライブ音源」、もしくは「ボーナスDVD」がつくこともある。
 しかし、1970年当時は、そういう考えがなかった。ジョージとしては、普通の楽曲を収めた2枚組で考えていたものの、楽しいジャム・セッションの音も録音してあるなら、これも楽しむファンもいると思って当然だ。だから、ボーナス音源として3枚目をつけたのだ ― これが私の解釈である。

 史上初のボーナス・ディスクと考えれば、3枚であることの説明もつく。3枚目だけは殆ど聞かなくても不自然でもなければ、不義理でもない。当時「通常版」と「豪華版」の違いがなかったため、全てが「豪華版」になったというだけ。
 こう解釈している私は、「ボーナス・ディスク」というものを思いついたジョージのオリジナリティに、勝手に感心している。コンサート・フォー・バングラデシュにしろ、ウィルベリーズにしろ、ジョージはアイディアマンだと思うのだ。

 「ボーナス・ディスク説」からこぼれ落ちたが、"Isn't It a Pity" が2バージョン入っていることに関しては、純粋に名曲だからどちらのバージョンも捨てがたく、両方収録したと解釈している。
 もっとも、「ボーナス・トラック説」としても良いのだが。

 私は基本的に、ワーナー移籍以降のジョージの方が好きなのだが、やはり [All Things Must Pass] は特別。あれほどの大作,名作を作り得たアーチストが、ほかにどれほどいるだろうか。愛するジョージの作品なら全て平等に愛したいところだが、名作の特殊性も、おおいに認めて良いと思うのだ。