Bob Dylan in Tokyo 2014 初日2014/04/01 00:00

 ボブ・ディランの日本公演、初日は Zepp Diver City で19時開演。

 登場するなり驚いたのは、なんとディランがシマ柄のベストに、ちょびヒゲ、眼鏡、黒いゴム長靴、そして頭には白いハンカチの四隅を結んで作った帽子を被った、「ガンビー」スタイルで登場したことだ。
 「ガンビー」とは、モンティ・パイソンのスケッチに登場する、有名なキャラクターである。



 そして開口一番、「へろぅ!!!」…とガンビーの真似。
 しかしディラン以外のバンドメンバーは全員、いつものように格好良いスーツで身を固めている。まさか本当にこのまま演奏はするまいと思ったが、本当にピアノの前に立って歌い始めたではないか。

 歌い始めるとガンビーは忘れるらしく、普通のディラン節。
 しばらくは去年のロイヤル・アルバート・ホールで歌ったようなお馴染みのナンバーが続いたが、時々変な曲をさし込んでくる。
 突然、ウェイターが登場して缶ビールをディランに渡す。そしてプシュっと開け、観客に向かって乾杯の仕草をして一口飲み…予想はしていたけど、本当にパイソンの "Bruces' Philosophers Song" を歌い出した!

 セットリストの半ばでは、"Oliver Cromwell"。さすがにショパンの「英雄」は弾けないので、若い日本人のお兄さんが出てきて弾いてくれた。たぶん、どっかの音大のバイトに違いない。それにしても、ディランのあの口調で歴史を語られると嬉しくなる。

 終盤になると、ピアノをつまびきながら、何か語り出した。例によって何を言っているのか、皆目分からない。ひとしきりブツブツ喋っていたのだが、急に 「こんなこと、やりたくなかったんだ!」とはっきり分かる英語で言い出した。うわ、やな予感。

 「ぼくがやりたいのは…そう、ランバージャックだ!」

 突如、バンドメンバーが一列に並び、一緒に "The Lumberjack Song" を歌い出した!どこから雇ったのか、どこの誰とも知れない謎のお姉さん…(たぶん、オカマだと思う)が飛び出してくる。
 お馴染みの「ランバージャック・ソング」を披露して、お姉さんは泣きながら袖へ引っ込んだ。残されたディランが、頭をかきながら、ピアノを弾き始めると…それはなんと、"Always look on the bright side of Life" !
 やがてバンドメンバーたちがそれぞれの楽器の位置に戻り、演奏に加わる。観客も一緒に口笛を吹き鳴らす。Zepp全体が温かく、感動的な空気に包まれた。会場内を見回すディランの笑顔が、穏やかで、心から楽しんでいるよう。
 ディランはガンビーの格好のままなので、笑えるはずなのだが、なんだか感動のあまり涙が出てしまった。

 結局、セットリストのうち、3分の1はパイソンソングだった。最後の挨拶でも、一列に並んだ格好良いバンドマンの中に、ひとりだけ小柄なガンビーが混じっているのが最高だった。
パイソン・ファンとしては十分楽しんだこのライブ。さて、明日以降も続けるのだろうか…?

Bob Dylan in Tokyo 2014 / 3月31日2014/04/04 06:30

 2014年ボブ・ディランの日本ツアー初日,3月31日。Zeppダイバーシティ。
 整理番号が、グループAの40番と、これまでに経験のない良さである。そのため、入場方法もまた、初めての経験だった。かなり厳密に整理番号を呼び、会場へは二人ずつしか入れないという念の入れようだった。
 40番とあって、さすがに良い場所に立てた。最前列から2列目、ステージ中央からやや右寄り ― つまり、ピアノと中央のマイクスタンドという、ディランが歌う位置がよく見える場所だ。

 ディランは、19時に登場した。バンドメンバーは、去年の欧州ツアーと同じ。5人とも同じスーツに身を固めている。
 つばの広い白っぽい帽子を手に持って登場したディランは、袖とパンツの脇に白い刺繍のある黒いスーツ。ディランをこんな間近で見ることが出来るなんて、感激。皺やら、お肌のたるみやら、色々しっかり見える。
 セットリストは、去年のロンドンとほとんど同じで、違うのは "Blind Willie Mctell" と、"Waiting For You" だけだった。"Love Sick" の後で20分の休みが入るという二部構成も同じ。

Things Have Changed
She Belongs To Me
Beyond Here Lies Nothin'
What Good Am I?
Blind Willie McTell
Duquesne Whistle
Pay In Blood
Tangled Up In Blue
Love Sick
High Water (For Charley Patton)
Simple Twist Of Fate
Early Roman Kings
Forgetful Heart
Spirit On The Water
Scarlet Town
Soon After Midnight
Long And Wasted Years
All Along The Watchtower
Blowin' In The Wind

 かつては、ライブのたびにセットリストを大幅に変えるのが普通だったディランだが、去年からは、かなり固定する傾向にある。特に、秋の欧州ツアー以降は変わるのは決まった2曲程度で、今回もそれを継続した。
 私はクラシックをやる人間なので、セットリストが同じでもそれほど不満には思わない方だが、変えるディランに慣れているだけに少し驚きだ。しかし、それが往年のヒット曲ばかりのラインナップではないところが、いかにもディランらしいのだろうか。

 やはり二列目の威力は凄い。ディランがニコニコしながら歌う様子も分かるし、視線をめぐらすのもよく見える。
 ギターを弾かないスタイルはもうずいぶん長いが、それでも両手をどうすれば良いのかやや困るのか、腰の辺りでモゾモゾするのが可笑しい。
 ピアノを弾く様子もばっちり見える。私はピアニストなので評論させてもらうと、ディランはほとんど鍵盤から指を上げずに弾いている。指の関節ではなく、手首で鍵盤を押さえ込む。従って音に切れはなく、時々びっくりするようなパッセージを「ちからワザ」で弾く。
 ともあれ、2010年私に不評だったオルガンより、ピアノのほうがよほど良い。

 そのピアノの弾く足下を、後半から急に気にし始めたディラン。椅子は置いてあるが、まったく腰掛けることなく、立ったまま弾き、脚を大きくひらく。その時、左足を置くところの間近に、モニター用のスピーカーが置いてあるのだ。
 いったん気になり始めたら、とことん気になるディラン様。やたらとスピーカーを踏みつける。押したら動くとでも思っているのか、しつこく蹴る。動かないと分かると、そのスピーカーの上に左足を乗せてピアノを弾く。来月74歳になるボブ・ディラン。非常にお行儀の悪い不良ピアニストぶりも格好良かった。

 話すのは休憩を知らせるときだけ、バンドメンバー紹介もせず、最後はバンドメンバーと一列に並んで仁王立ち。これらもロンドンと全く同じ。
 去年のロイヤル・アルバート・ホール以来、最初のライブが3月31日だった。つまり、私はディランの公演を3回連続で見たことになる。
 まずは初日、手を伸ばせば届くような至近距離でのボブ・ディラン観賞。満足、満足。今夜4月4日が、私にとって今回ツアーの2回目。もちろん前では見られないので、視覚よりも、音を楽しむとしよう。

Bob Dylan in Tokyo 2014 / 4月4日2014/04/07 19:55

 2回目のディラン。Aブロックだが、400番台とぐっと後ろになる。背が低い私と同行のMさんは、無理に前には行かずに、立つのが比較的楽なバーの後ろに陣取る。もちろん、人の背中、肩、頭との視界をめぐる戦いとなる。
 ディランはZeppというライブハウスを気に入っているようだが、見る方としてはやはり苦痛が多い。少なくとも椅子のある所が良い。東京国際フォーラムでやっていたころが懐かしい。

 今回のディランは、白っぽいスーツで登場。オフホワイトか、明るいベージュなのか。なんだか若々しい印象で素敵だ。
 そして、前回は手に持っていただけだった帽子を被って登場。やはりディランと帽子は最高の取り合わせだ。

 同行のMさんと、セットリストの話になった。
 今回のセットリスト、19曲ほどの中で、いわゆる「往年のお馴染み曲」は、"She belongs to me","Tangled up in blue", "Simple twist of fate" そして、アンコールの "All along watchtower", "Blowin' in the wind" と、5曲ほど。多くはない。
 一方、最新アルバムである [Tempest] から6曲ほど、ほかも多くが21世紀のアルバムであったり、ブートレグシリーズにのみ収録の曲だったりする。正直、親しみやすいセットリストとは言えない。
 本当のディラン・ファンなら、どんなセットリストでも良さを感じるし、今のディランが選ぶ曲を尊重して、これがベストなのだと思うのだろう。
 一方で、私などはミーハーなロックンロールファンなので、もちろん "Like a rolling stone" は聴きたいし、ライブアルバム [Before the flood] や [Hard Rain] で熱唱しているようなおなじみの曲も聴きたい。ザ・バーズのカバーで有名な曲や、60年代、70年代の綺羅星のごとき名曲の数々のライブパフォーマンスも聴きたい。
 ディランの今を理解しない、ミーハーファンと謗られるかもしれないが、これは正直な気持ちだ。
 私が、去年11月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、今回とほぼ同じセットリストで2回満喫したことも、影響しているかもしれない。
 ロンドンと言えば、47年ぶりのロイヤル・アルバート・ホールに詰めかけたUK人の多くは、あの60年代の伝説の再現を期待していたのではないかという気もする。それでも、ディランは今のディランであり続けた。

 誰が ― つまり、ミーハーなファンだろうが、音楽関係者だろうが、とにかく誰がどう思おうと、どう期待しようと、彼らのジャンル分けと思い込みに押し込まれるのを拒否し続けてきたボブ・ディラン。
 その強靭な精神力は、今のセットリストにも見て取れると思う。
 ほぼ固定化したセットリストというのは、普通は往年のヒットパレードになる。しかし彼は最新アルバム中心のセットで突き進む。
 多くの曲調はほぼ同じで、ジャズ的な調和のとれた作り。ロック・バンド的なエッジの強さはない。ディランが、今パフォーマンスしたいのは、こういう音楽なのだと、強く主張している。
 最近ディランのファンになり、古いアルバムやライブを聞き、今回初めてライブを体験する人には、ちょっと気の毒のような気もするが、それがディランなのだ。ディランというのは、そういう意味で「強い」アーチストなのだということは、十分に分かるだろう。
 むしろ、「往年のお馴染み曲」が5曲も入っているのは、ディランなりのサービスとも言えるかも知れない。ディランなら、全曲が21世紀の曲でも、驚かない。

 Mさんと(ディランは厭うであろうが)、敢えて「今のディランは、どういうジャンルなのだろうか」という問いを考えてみた。
 おそらく、ディランがラジオ番組 [Theme Time Radio Hour] で多く流したような、50年代から60年代初頭の古い音楽のような物なのだろう。そんな風に、ぼんやりと思った。

 もっとも、私は [Tempest] も好きだ。"Duquesne Whistle" は素晴らしい名曲。ライブ・パフォーマンスは初日よりも、さらに良くなっていた。"Duquesne" を独特のしなやかさで歌う格好よさは、ロンドンの時に迫ってきている。
 私は、4月8日が最後の参加日。楽しみだ。

Bob Dylan in Tokyo 2014 / 4月8日2014/04/10 21:16

 4月8日のZEPPダイバーシティ。今回のボブ・ディラン来日公演の中で、私が行く最後の公演となった。

 今回もAブロックの400番台。あまり前には行かず、バーの後ろを確保した。当然人の頭との戦い。その向こうに、かろうじてディランの頭部が見えたときの感動は、普通の身長人間には分かるまい!
 これから参戦する人のためにアドバイスしておくが、女性は靴に気をつけたほうが良い。高さを確保するためにハイヒールを履くのも一つの手だが、会場の外に並び、入場から終演まで3時間強、立ちっぱなしでる。しかも、満員電車並みの混雑の中。歩きやすい、立っていても疲れない、爪先立ちしやすい靴がおすすめだ。  私だって、せっかくのライブなのだから、気合を入れてイカした靴を履きたいのだが、苦痛で音楽を楽しめなければ元も子もない。楽な靴を選んだ。

 セットリストは、ほぼ同じ。去年のロンドンから、5公演連続で殆ど同じセットリストで聴くというのも、慣れると楽しくなってきた。愛着というものだろう。
 登場したディラン、今回はグレーのスーツに、グレーの帽子。どうやら、初日の白い刺繍の入った黒いスーツが、一番イケてないらしい。黒だと、ただでさえ小柄なディランが、さらに小柄に見えるのからなのか。ともあれ、グレーのスーツはとても素敵だった。

 いつものように、"Things Have Changed" でスタート。2曲目の "She Belongs To Me" でハーモニカを吹くのだが、バンドの演奏が止んでハーモニカのソロ(の、ようなも)をたっぷり聞かせるのが印象的だった。
 3曲目の "Beyond Here Lies Nothin'" のエンディングでおかしなことが起きた。私はPA機材のことはからっきし分からないが、はっきり機材トラブルと分かる異音が響き始めたのだ。最初、ディランの弾くピアノの C の音(高さ?)に反応して、ハウリングを起こしているような、ピーピー音が混じり、やがて重低音のガーっという音が断続的に響いた。
 曲が終わってもしばらく鳴り続ける。いったんノイズが止んでも、誰かが音を出すと、またおかしくなる。ステージにも、客席にも当惑の空気が流れる。よく見えないが、どうやらスタッフも出てきた模様。
 ディランもピアノの C音に反応してハウリングか何かを起こしていると考えているのか、やたらとCマイナーを叩く。やがてそれが即興演奏になった。何かの曲のコードだと思うが、明らかにPAの調子を見るための即興演奏。これがなかなか楽しかった。
 数分間この即興演奏が続いたが、トラブルは解決しない。やがて演奏を終わらせたディランとバンドメンバーたちはステージからさがって行った。

 しばらく待っていると、ギタリストや、ドラマーがちょろっと出てはシンバルをチーンと叩いたり、ディランがぬーっと出てきてはステージを横切ってまた下がったり。会場はそのたびに盛り上がるが、しかし直らない。
 今度はディランがチャーリーと出てきて、何か機材を見てゴニョゴニョ言っている風に見せて、また引っ込む。なんだか、普通ではありえないほどサービス満点なディラン。

 客席からは再開を待つ間、いろいろな声が飛ぶが、センスのあることを叫ぶ人もいれば、そうでもない人もいる。「ギターでいいよ!」とか、「アンプラグド!」という声もあり、この辺りは本音だろうなと思う。一番上手いなと思ったのは、"Everything is broken !"([Oh Mercy] 1989)という、外国の人の声だった。
 結局、一度客席の照明がつき、機材調整のためしばらく演奏を中止する、15分ほどかかる模様とのアナウンスがあった。こういうトラブルは、初めて目にした。
 中断はのべ30分ほど。やがて客席のライトが落ち、再びディランとバンドが登場して、何事も無かったように4曲目 "What Good Am I?" をはじめた。

 異音の原因は、モニタースピーカーだったとのことだが…
 初日に、ディランが足下のスピーカーを蹴りまくったせいではないのか?!

 日を追うごとにノリが良くなってくるのか、私の大好きな "Duquesne Whistle" も絶好調。複数回の参戦客も多くなったせいか、間奏では "Hooo!" という合いの手が入ることになった模様。

 "Tangled Up In Blue" でなぜか帽子を脱ぐディラン。去年のロンドンでは泣いてしまったほど、このアレンジは素晴らしい。素晴らしいだけに、ディランのピアノの下手さが気になってきた。かねてより、私は2010年のオルガンより、よほど上手だといってきたが、おなじセットリスト,同じアレンジを短期間で何度も聴くと、さすがにマズいところが気になる。しかも、悪いことに私はピアニストだ。ぜひとも、この素晴らしい "Tangled Up In Blue" を、本職のピアニストを入れた編成で聴いてみたい。

 前半最後の "Love Sick" が終わると、びっくりしたことにディランが「アリガトウ」のひとこと。私は、ディランが日本語で話すのを初めて聞いたような気がする。いつもは、「少し休憩、戻ってきます」としか言わないのに、今回は「トラブルで待たせてごめんね。」とのコメントつき。待った分、得した気分だ。

 全ては30分押しで、後半もこれまでどおり進む。後半になると、また帽子を被って登場した。
 後半は完全に同じセットリスト。"Blowin' in the Wind" では、機嫌よくピアノを弾いているうちに、スタンドマイクへ行くの忘れていた模様。曲も大詰めになって、急に思い出し、唐突にピアノから離れ、短いハーモニカをかろうじて吹いたのが可笑しかった。

 大きな歓声に応えるディラン。仁王立ちに加え、すこし手を上げて見せながら微笑んでいるのが見える。

 コンサート終了も、もちろん30分遅れ。夕食を食べ損ねてしまった。

 これにて、私の2014年ディラン・ライブ観賞は終了。相変わらずパワフルで、強いディランを満喫した。ディランはこれから、東京が少しと、各都市を回る。まだまだ日本ツアーは始まったばかり。コンディションに気を配って、最後まで日本のファンを楽しませて欲しい。

 次回は、どんなディランに会うことになるのだろうか。少しツアーを休んで、ギターの練習でもすると良いと思う。これは本音。
 ともあれ、ありがとう、ディラン。また会いましょう。気温差で風邪をひかないように、気をつけて。

 普通、ツアーグッズというものは買わない私だが、珍しくトートバッグを購入。かなり大きいのだが、肩から斜めがけができる、楽譜や楽器が入るというわけで買ってみた。
 ポケットもないし、不便だとは思うが、まぁそこはディランマジックということで。

Jimmy Fallon impersonates Tom Petty2014/04/13 20:43

 このブログにたびたび登場するジミー・ファロン。以前から、彼がトム・ペティの真似をしないかと期待していたのだが、いよいよ登場した。
 しかも、スティーヴィー・ニックス(本物)と共演での "Stop Draggin' My Heart Around"!



 最初に突っ込みたくなるのが…スティーヴィー・ニックス。ええと…怪しい。曲とアーチスト紹介をしたのは、クリス・ノヴォセリックとデイヴ・グロール。無駄に豪華。
 ジミー・ファロンにしては、トムさんの声真似はいまいち。そもそも、声を真似ようとしていないのかも知れない。しかし!語尾の発音のしかたがそっくり。独特のねじれたような、引き延ばしたようなトム・ペティ発音の再現性が素晴らしい。
 さらに、金髪ヅラだけではなく、仕草の面での真似もうまい。ギターの弾き方も似ているし、ちょっととぼけたような表情を見せる瞬間もある。ただし、ファロンの首は短い…。

 特筆すべきは、ハウスバンドの連中まで、ハートブレイカーズになり切っているところ。これはオリジナルと見比べるとさらに良く分かる。



 まず動きも少なく、殆ど手首を動かさずにキーボードを弾くベンモント、静かな佇まいで、うつむいているマイク、ベースも同じリッケンバッカーのロン、そして頭を振るスタンの仕草!
 ジミー・ファロンひとりではなく、これはバンド丸ごとの傑作かも知れない。
 これを期に、ファロンはさらなるトムさん研究にいそしんで欲しい。ディランも得意なのだから、きっとトムさんもできる!ジョージやジェフ・リン、リンゴも込みで "I Won't Back Down" とかやったら、大受けだと思うのだが。もちろん、ハウスバンドの連中とハートブレイカーズを結成して、 "Refugee" とか、"The Waiting" も良いな。

 こちらは、ジミー・ファロンとポール・マッカートニーの共演。
 ぶつかった拍子に、二人のアクセントが入れ替わってしまいましたよ。



 ポールがファロン風のアクセントになったかどうかは良く分からないが、ジミー・ファロンにとって、ポール・マッカートニーというのは、こういう発音なのだという認識が良く分かる。
 頭突きを喰らわすというポールのアクションはなかなか珍しい。去り際に "Hony BooBoo..." とつぶやくのがご愛敬。
 それにしてもポール…おばあちゃんだなぁ。ステージに上がると補正が入り、ロックスターに変貌するのだが…。

We Love Wilburys !2014/04/16 22:34

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを愛するミュージシャン達が集い、思い思いにTP&HBの曲を演奏する、いわばトリビュート・ライブ ― Petty Festは、ここ数年、毎年開催されている。
 複数の都市で開催するのが最近の傾向で、けっこう名の知れた大物が登場することもある。ジョニー・デップが、自慢のマイク・キャンベル・シグネチャー・モデル・デューセンバーグを引っさげて Petty Festに登場したのも、記憶に新しい。

 今年の注目は、なんと言っても4月3日にLAで開催された回。あの、ダーニ・ハリスンが出演したのだ。どの出演者よりも、トムさんやマイクと直接的に親しいに違いない。
 むむッ!ジョージもTP&HBも異常なほど好きな私が、気にならないはずがない!
 セットリストを確認してみると、どうやらダーニは "Don't Come Around Here No More" を演奏した模様。残念ながら、動画などは発見できていない。
 その代わりに、"End of the Line" に参加するダーニの姿を発見した。



 おお!ダーニだ、ダーニだ!
 この日のセットリストでは、最後から2曲目がこの "End of the Line", 最後の曲が "Handle with Care" だったそうだ。これはもう、半分Harisson festのような気もする。
 YouTubeには、シアトルの演奏として "Handle with Care" が上がっているが、シアトルのセットリストにこの曲はないので、おそらくLAの間違いだろう。ダーニの姿は見えないが…物陰に隠れたのだろうか。



 "End of the Line" にしろ、"Handle with Care" は、仲間でワイワイやるのにうってつけの曲だ。そもそも、ウィルベリーズの成り立ちからして、ジョージが仲の良い友達と「楽しくやったらこうなった」である。音楽と、友達、幸せを掛け合わせれば、ああいう音楽になる。
 Petty Fest に集った人々も、そんな素敵なウィルベリー一族の仲間入りしたに違いない。

 ちょっと毛色の違うカバーを一つ。
 1989年というから、オリジナル・ウィルベリーズ最初のアルバムが発表されて間もなく、デンマークのグループ Hobo-Ekspressen (読み方は皆目分からない)が、 "Handle with Care" をカバーしている。



 なんだろう、こう…似ているようで、全然似ていないような、とにかくヒゲと金髪は揃えた感じ。しかも金髪はキレイどころという点も押さえている。
 このグループも、「オールスター・グループ」とのことで、言わばデンマーク版ウィルベリーズといったところ。  演奏そのものは中々素敵ではないか。ギターソロも良いと思う。

 きょうもどこかで、素敵な音楽と、素敵な仲間がいるところに、ウィルベリーズが響くと良いな。

フィッシャー砦 / ウィルミントン陥落2014/04/19 21:04

 最後に南北戦争の記事を書いたのは、去年の10月。1864年暮れに、北軍のシャーマンがジョージア州の北東端サヴァンナを陥落させたところまでだった。

 こうも間があくと確認しなければならないのが、どうしてこの音楽雑記のブログに南北戦争の記事が上がるかということ。
 もともと私は歴史が好きだが(ブログのカテゴリーにも「歴史」がある)、アメリカの歴史に関しては全くの無知だった。「ボブ・ディラン自伝」を読んでさらにそれを痛感し、これはイカンとアメリカの歴史の本を読んだ。歴史として面白かったのは、南北戦争までだった。
 さらに、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの凄腕ピアニストベンモント・テンチの曽祖父ジョン・ウォルター・テンチは弟たちとともに南北戦争に南軍の騎兵として参加し、最終的には少佐になった人物である。その軍服姿の肖像は、テンチ家の居間を飾り、その様子はハートブレイカーズの前身バンドマッドクラッチのデモテープ録音時の写真に捉えられている。
 どうせならテンチ家の兄弟と、南北戦争を理解のために追っていこうというわけで始まったのが、南北戦争記事である。

 1861年に始まった戦争は、いよいよ大詰め。東部戦線では南部連合の首都リッチモンドの南40kmピーターズバーグで、南部連合軍の名将ロバート・E・リーが、北軍総司令官のユリシーズ・グラントの包囲戦に対峙している。
 そして西部戦線は北軍司令官ウィリアム・テムカセ・シャーマンが快進撃を続け、1864年のクリスマスには、サヴァンナを攻略した。

 シャーマンの狙いは、サヴァンナから今度は北へ向かいつつ要衝の町を落とし、グラントと合流することである。
 1865年の1月、北部連邦軍を率いるシャーマンは港を擁するサウス・カロライナ州のチャールストンを攻略。更に内陸のオーガスタ(マスターズ・ゴルフで有名な町)と落とした。この間、南部連合軍を率いていたP.G.T.ボーレガードはオーガスタの 100km 北東のコロンビアに布陣していたが、シャーマンが迫る前に退却していた。
 コロンビアはサウス・カロライナ州の州都である。これが落ちたため、南部連合首都リッチモンドのあるヴァージニア州の直ぐ南、ノース・カロライナも、南から攻め上がる北軍の眼前となった。

 ノース・カロライナ南東の港町ウィルミントンは、いまや南部連合に残された、最後の港となりつつあった。ピーターズバーグに「籠城」しているリーの軍勢にとっても、このウィルミントン港からの物資が命綱だったのだ。
 ザ・バンドの有名な曲 "The Night They Drove Old Dixie Down" の歌詞には "In the winter of '65, we were hungry, just barely alive"「1965年の冬、俺たちは腹を空かせ、やっとこさ生きていた」とあるが、南部連合軍の兵士達は、ウィルミントンからの細々とした物資で命をつないでいた。



 ウィルミントンを守るのは、港の先に位置するフィッシャー砦。北軍はこれを落とさなければならない。この時の北軍海軍の司令官は、デイヴィッド・ディクソン・ポーター少将。グラントは1864年の12月のうちに、陸軍のベンジャミン・バトラーを派遣した。
 バトラーはシャーマンがサヴァンナを落としたのと同時期、1864年のクリスマス・イヴに、200トン以上の火薬を積み込んだ船をフィッシャー砦のすぐ側で爆破させて砦を落とすという、もの凄い計画を立てた。
 私が参考にしている本には、この凄い作戦がバトラーによって計画されたとあるのだが、なぜ陸軍の彼が計画したのかは、よく分からない。成功すれば南北戦争でも指折りの大作戦になったであろうが、結局は砦に近づき切れない内に爆発させてしまい、砦は無傷のまま守られた。
 海から砦に砲撃を仕掛けるポーターは、バトラーをあまり当てにしていなかったようだ。グラントもこの人事は失敗だったと判断したのか、年明けにバトラーを解任し、アルフレッド・テリー准将を派遣した。

 1865年1月、北軍は再びフィッシャー砦への攻勢を仕掛けた。
 海軍が雨のように砲弾を砦に浴びせた。この時の砲撃はかなり正確だったらしい。砦が海側からの攻撃にかかり切りになるところを、背後からテリーが陸軍で攻め込んだ。
 砦の南軍はかなり粘ったようだ。この時代、戦闘は夜になれば自然と止むものだったが、1月の夜10時まで戦闘は続き、やっと北軍はフィッシャー砦を陥落させた。
 砦が落ちたことで、ウィルミントンも護りを失ったことになり、ただちに南軍はこの町を北軍に明け渡した。

 南部連合の補給の源泉だったウィルミントンが落ちた。
 リー率いる南軍の物資が尽きるのは、時間の問題だった。

Ruby Tuesday / Recorder2014/04/22 22:01

 ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour] はシーズン2。先日のテーマは、"Days of the Week"。曜日に関する曲をたくさん紹介した。

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがカバーしている "Lonely Weekends" など興味深い曲がいろいろかかったが、やはり白眉はザ・ローリング・ストーンズの "Ruby Tuesday" ではないだろうか
 ディランはストーンズの曲のなかでも最も素晴らしいものの一つだと評している。この曲は ラジオでの放送を敬遠された "Let's Spend the Night Together" のB面だったため、A面にかわってたびたびオンエアされ、ヒットしたとのこと。そういう事情がなくても、ヒットに値する名曲だ。

 ディランは、とりわけブライアン・ジョーンズが吹いている(ということになっている)リコーダーが好きだと言う。曰く ―

 このリコーダーは、"fipple flues" として知られている木管楽器の仲間だ。"fipple" というのは、フルートの端にさし込まれた木製のプラグのこと。

 私はてっきり、"Ruby Tuesday" の印象的な笛は、フルートだと思い込んでいた。フルートとなると中途半端な素人には難しいので、プロのフルート奏者が弾いているとばかり。
 改めて聞いてみると、たしかに、リコーダーのような気もする。

 ディランのこの説明だと、横笛であるフルートの頭部管にプラグ(栓)をさし込んでいるように感じるが、実際は縦笛。いわゆるリコーダーと呼ばれるものと思って良い。
 リコーダーはルネサンス期から盛んに演奏されるようになったが、バロック期までその役割はフルートと明確に分けられていなかった。リコーダーとフルートの違いは縦か横か―つまり音を出す原理だが、その他の構造、音域、指使い、音色が非常に似ていたのだ。
 実際、今でもプロのフルート奏者が、同時にリコーダー奏者であることがよくある。
 リコーダーは強弱のコントロールが難しく、強く吹くと音程が狂い、音がひっくり返るし、弱く吹くと音程が下がり聞こえなくなる。フルートはその狂いが少ないため、古典派以降(18世紀以降)フルートの改良が進んでオーケストラの中に組み込まれた。
 「フィップル・フルート」という名前は、バロック期までのフルートとリコーダーの役割が明確に分かれていなかった頃の名残。「頭部に栓を仕込み、フルートのような音がする縦笛」を、「フィップル・フルート」と呼んでいたというわけ。
 もちろん、リコーダーは木製が基本で、プラスチックのものは最近できたものだ。

 さて、ローリング・ストーンズ。



 "Ruby Tuesday" を聞く限り、このリコーダーはかなり上手いと思う。音程も正確だし、タンギングの有無を非常によく使い分けている。
 リコーダーは音をだすことが簡単なため日本の学校教育で用いられた分、「簡単で間抜けな音のな楽器」と思われがちだが、実のところかなり難しい。私も音大時代、バロック・リコーダーをやっており、チェンバロ,ヴィオラ・ダ・ガンバとのアンサンブルなどやったものだが、とにかく音程のコントロールに苦労した。

 あまりにも器用に吹いているので、本当にブライアン・ジョーンズが吹いているのか、未だに疑っている。ロック(ブルース)ギタリストの余技にしては上手すぎる。
 ブライアンが参加している演奏動画を探すと、一応エド・サリヴァン・ショーあったのだが…



 ええい、うるさい!聞こえないじゃないかッ!!
 実際にブライアンが吹いているのかどうか、判然としない。木製リコーダーを吹く指使いはだいたい合っいるとは思うのだが…。音と指から判断して、アルト・リコーダー。マイクはどこに設置してあるのだろうか?
 それとも当てぶりなのか。エド・サリヴァン・ショーでそういうことってあったのだろうか。ついでに言うと、ミックの前髪がよろしくない。一体、何を求めてあんなことになったんだ…?

 ブライアン・ジョーンズはビートルスの "You Know My Name" でも短いサックスを吹いているが、これもまたなかなか器用。彼があれほど若く死ななかったら、いろいろと面白い音楽を作ってくれたのではないだろか。

If Not For You2014/04/25 23:00

 [Bob Fest] のDVD, Blu-ray が発売されたのは誠に結構だが、どうしても解せないのはジョージの "If Not For You" が収録されなかったことである。
 かえすがえすも、もったいない。一体どうして収録されなかったのだろうか。今はYouTube でテレビ放映したときの映像が見られるからまだ良いのだが。



 この時のジョージはとても調子が良い。声も良く出ている。ところどころ、メロディを引き上げるバリエーションを入れる感じが絶妙で、素晴らしい演奏だ。
 凄い色のジャケットはともかく…スライドギターを披露する G.E.スミスの耳元で何か囁いていたが、あれは何を言っていたのだろう。

 "If Not For You" は、作曲者であるディランのアルバムでは[New Morning], ジョージのアルバムでは傑作 [All Things Must Pass] に収録されている。
 ディランの場合、ブートレグ・シリーズに複数のアウトテイクが入っているし、[Concert for Bangladesh] のリハーサル風景ではジョージとディランがデュエットしている様子が楽しい。

 名曲だけあって、カバーバージョンも多い。
 まずは、ロッド・スチュワート。



 ダラダラと懐メロを歌うロッドなんて好きになれないが、これはとても良い。ロッドの良いところの一つに、非常に歌詞のひとつひとつを丁寧に歌い、聞き取りやすいということがある。この曲の深みにそのロッドの丁寧さがマッチしている。さらに、オーバープロデューシング気味なサウンドにも負けない強さも、ロッドの魅力だ。

 お次は、ブライアン・フェリー。



 これはまぁ、普通な感じだろうか。
 私はブライアン・フェリーにも、彼のグループにもまったく縁が無く、真面目にその顔を見たことがなかった。こんなに顔の真ん中に色々集まっていたんだ…。
 真面目にでなければ何で見たかというと、英国コメディ「ザ・マイティ・ブーシュ」。登場人物のヴィンス(ノエル・フィールディング)は、幼い頃、森でブライアン・フェリーに育てられた…ということになっている。



 「なんで?」などと考えてはいけない。ブーシュだから仕方がないのだ。ちなみに、このアニメーションのあと、ジュリアン・バラットが「自称ブライアン・フェリー」に扮して登場する。怒られそうなくらい凄いブライアン・フェリーだった。

 話が脇に逸れた。
 ほかにも、有名なオリヴィア・ニュートン・ジョンや、グレン・キャンベルのカバーがあるが、ここではブラジル人 Zé Ramalho によるカバーバージョン。名前をどう読むのかは、例によって皆目わからない。



 タッタカ、タッタカ、タッタカ、タッタカ、タッタカ…
 ものの見事にかけずり回る "If Not For You"。大きくは外れてはいないのだが、なんだろう、この違和感。
 このおじさん、見ての通りボブ・ディランのカバー・アルバムを発表している。ブラジルでは有名な人らしい。"If Not For You" は英語で歌っているが、他はポルトガル語が多い。
 せっかくポルトガル語なのだからもっと個性的なアレンジにしてもよさそうなところ、そこはあまり冒険できていないところが惜しい。

 ウクレレで何を弾こうか、いろいろ夢は広がるが、この "If Not For You" も良いかも知れないと思い始めた。

California2014/04/28 23:57

 ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour],テーマは "California"。
 今回もまた興味深い話や音楽が多数紹介された。

 まずは、ジェシー・フラーの "Sun Francisco Bay Blues"。
 近年では、エリック・クラプトンの [Unpluged] での演奏が有名かも知れない。クラプトン自らカズーを吹き、当時クラプトンのバンドにいたスティーヴ・フェローニが洗濯板(楽器として作られ、肩に掛けるタイプ)を演奏していた。
 ディランが紹介したジェシー・フラーは、いわゆる「ワンマン・バンド」である。独りでギター、ボーカル、ハーモニカ、カズー、ベース、ハイハットを演奏する。ベースは足で弾けるように、独自に発明したそうだ。
 これはぜひとも、動画で見てみたい。



 ディランが流したスタジオ録音版よりもテンポが走るところがご愛敬だが、とにかく凄いことになっている。

 ワンマン・バンドと言えば、思い出すのは、ビートルズのレコード会社「アップル」の広告。



 私はこの男をてっきりジョン・レノンだとばかり思っていたが、実際はアリステア・テイラーだそうだ。

 「カリフォルニア」ときて、私が真っ先に思い出し、そして一番好きな曲は、やはりトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの "California"だ。
 収録アルバムは [She's the One]。スティーヴ・フェローニはまだバンドの一員というよりは、セッション・マンのひとりという扱いのころ。ハードな "Supernatural Radio" の後に、あのアコースティックの美しい音が響くと、震えるような感動を覚える。



 ヴォーカルのコーラスが美しい。トムさんのダブルトラックにも聞こえるし、ハウイが合わせているようにも聞こえる。
 短くて、何気ない。でも最高に美しくて、格好良い曲。ライブでやってくれたらとても嬉しい。
 私はアメリカの西海岸に興味が無く、行きたいともあまり思っていない。この曲の美しさの中に、私にとってのカリフォルニアを閉じ込めても良いのかも知れない。