軽井沢大賀ホール2010/08/02 21:54

 軽井沢に来たので、初めて軽井沢大賀ホールに行ってみた。
 大賀典雄氏は、1930年生まれ。東京芸術大学でバリトンとして声楽を勉強している時に、ソニーの前身である東京通信工業の仕事に関わるようになり、その後正式に入社。ソニーを世界に名だたる大会社に育て上げた人物の一人であり、ソニーの社長,会長を勤めた。
 音楽家出身だけあって、音響製品の開発にもその手腕を発揮した。CDの開発に大賀氏の存在は欠かせなかったと、いわれている。
 20世紀の大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)とは個人的にも親しい友人であり、カラヤンの死に際して、身近に居た人でもある。

 大賀氏がソニーを退任した後、その退職金などの私財を提供して建造されたのが、軽井沢大賀ホールである。
 軽井沢駅(昔は信越本線の小さな木造の駅舎だったが、今は新幹線が止まるご立派な駅になっている。風情がないと文句の一つも言いたいが、何せ新幹線は便利なので、その恩恵を受けている)から、徒歩でせいせい10分くらいだろうか。標高1000mほどの日差しは強く、軽井沢だというのに、やけに暑かった。
 大賀ホールは、特徴的な五角形をしている。大きな池に面し、緑が多くて雰囲気は良い。客席数は784。
 私は東京にある紀尾井ホールのようなものを想像していたのだが、大賀ホールに入ると、もっとこじんまりとした感じの作りになっていた。ロビーなども簡素で、ゴージャスという訳にはいかない。
 ホール内も実に簡素で、雰囲気的にはやや拍子抜けする。クラシック向きのホールではおなじみのフカフカ絨毯や、キラキラのシャンデリアは無い。五角形とう形状をのぞいては、町の公民館のような印象がある。



 今回見に行ったのは、首都圏の音楽大学,S学園(母校ではない)の夏期コンサートの一つ。最初、演奏者は全員S学園の指導者だと勝手に思いこんでいたのだが、これは私の誤解で、実際はオケのほとんどは学生だった。院生より学部生が多く、中には高校生までいた。
 当然演奏のクォリティは期待できないが、指揮者は秋山和慶。一曲目,メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストは、徳永二男という有名どころが揃っている。

 演奏が始まってみると、まず第一音から目驚いてしまった。耳が突然震え上がるほどの驚き ー。私がこれまで聞いたどの音楽ホールよりも、すばらしい音が、響きわたったのだ。
 特に弦の響き方は尋常ではない。ピチカートがあそこまで豊かな響きを表現するとなると、楽器の善し悪しをアレコレ言うのがバカバカしくなってくる。
 私は基本的に、音響やステレオには興味がない。それでも感心してしまったのだから、大したものだと思う。

 すさまじく音響にこだわった素晴らしいホールではあるのだが、演奏会スケジュールを見ると、どうもピンと来ない。そういう演目を、このホールは想定していないのではないだろうかという、タイトルが散見されるのだ。
 無論、音楽なのだからどこの誰が、どのホールで演奏しようが文句は無い。しかし、大賀ホールとして望んでいるのは、それこそ紀尾井ホールのコンサートスケジュールのようなものではないかと思うのだが。
 軽井沢という立地が影響しているのかとか、ちょっと考えさせられる。
 ともあれ、あの音響は一聴の価値がある。機会があったら、行ってみることをお勧めする。できれば、弦楽器のある演奏が良いかもしれない。

 肝心の演奏そのものだが ー そもそも学生オーケストラなのだから、それなりの演奏である。どの学生も瞳孔が開いたみたいな必死の形相で、楽譜に没入している。演奏に余裕がない。切れとか、勢いとか、深みとか、とにかく「表現」と言うものは、「余裕」の向こう側にあるものだなと、改めて思い知らされた。
 特に管の人は、気の毒になる。人数が少ないだけに、アラが目立ってしまう。
 客の入りは、芳しくない。演奏会の趣旨が趣旨なだけに、いくらかの学校関係者と、学生たちの家族がほとんど。舞台上の孫娘に向かって、必死に手を振っているおばあちゃんとか居て、微笑ましいのやら、滑稽なのやら。
 ともあれ、学生にとっては良い経験になっただろう。

 ちょっと気になったのは、オケの衣装。男性は全員ちゃんとタキシードを着込んでいるのだが、女性の衣装に統一感がない。白いブラウスに、くるぶしまである黒いボトムズという決まりのようだが、多くの学生がパンツスタイルで、どうもこれが普段着っぽい。
 別にオケが普段着でも主旨によっては問題ないが、男性がタキシードで揃っているので、バランス的にちょっと変。
 やはり黒ロン(黒のロングスカート)ぐらいは、音大の演奏科学生なのだから、持っていた方が良いのではないだろうか。安く入手できるものも、けっこうある。この私でさえ、持っていたのだから、それほど特別なことではなかろう。

楽しい音痴2010/08/05 22:01

 何度も言うようだが、私は音痴だ。あまりの音痴加減に、音大進学が危ぶまれたほど。器楽 ― しかも複数の器楽に熱心なのは、この音痴のせいだと思っている。
 でもそんな音痴も、人の気持ちを楽にしたり、なごませたりする力もあるのだ。そのような訳で、楽しい音痴特集。

 トップ・バッターは、伝説の音痴、フローレンス・フォスター・ジェンキンス。歌っているのは、コロラチューラ・ソプラノの難曲,モーツァルトの「魔笛」より、夜の女王のアリア。
 比較のための、伝説の歌姫ルチア・ポップのお手本はこちら



 このもの凄い歌唱でも、本人は大真面目。お金持ちだったので(相続した遺産が莫大だった)、金にモノを言わせて、自分がやりたいことをやりまくった結果が、これである。しまいには、あのカーネギー・ホールでリサイタルを開いたのだから、お金の力おそるべし。

 お次は、日本から。ビューティペアの、「かけめぐる青春」。時代とは言え、タイトルからすでにかなり凄い。



 これは音痴とかそういう問題ではなく、歌を歌う職業ではない人が、公共の電波に乗って歌わされているというところがすごい。緊張のせいなのか、表情が地面に落ちている。私はプロレスに興味がないが、プロレスファンにとって、これはどうなのだろう?
 あの妙なダンス。ステップがジョージの "Blow Away"ビデオのダンスと同じであるという事は、一部で有名な話。

 オードリーの若林くんも有名な音痴だ。春日はそこそこ上手に唄うので、対照的である。そもそも、演技力があるのは春日であって、若林は基本的に大根だ。
 若林の歌唱を動画サイトで鑑賞しようとすると、バラエティ番組の要らぬ演出が入るので、醍醐味が削がれているため、ここでは割愛する。

 最後に、つまらないことでクヨクヨしている時に聞くと、人生が明るくひらける一曲。ヤクルトや阪神で助っ人として活躍した、トーマス・オマリーによる「六甲颪」。



 なんと言っても、歌っている本人が幸せそうで、自信たっぷりなのが良い。たたみかけるように、英語バージョンになっても音痴は継続されるところがミソ。
 ちょっと落ち込んだ時などには、よく効く。お試しあれ。

Don't Forget Me2010/08/08 22:24

 最近のニューヨークの風景が見たいので、「お買いもの中毒な私!Confession of a Shopaholic」という映画を見た。
 音楽はごく普通、最近はやりのポップスなのだが、ある良いシーンで、良い曲 ― オリジナルはハリー・ニルソンの ― "Don't Forget Me" が流れた。映画で使われたのは、マーシー・グレイのカバー・バージョン。



 ほぼオリジナルに忠実な、丁寧な演奏で好感。

 オリジナルは、ハリー・ニルソン,1974年のオリジナルアルバム、[Pussy Cats] に収録されている。淡々としたピアノの演奏に、ハリーの味わい深いヴォーカル,一歩間違えれば大袈裟になってしまいそうなところを、絶妙に抑えたストリングスが効いている。



 [Pussy Cats] は、ジョン・レノンがプロデュースしたことでも良く知られている。この時期(いわゆる「失われた週末」)、ハリーとジョンは気の合う(飲み)仲間として、徒党を組んでいた。その仲間たち ― リンゴや、キース・ムーン、ジェシ・エド・デイヴィス、ジム・ケルトナー、クラウス・ヴォアマンなどと共に作り上げたのが、このアルバム。
 私にとって、このアルバムはかなり好きな方だ。フィル・スペクター風のエコーがちょっと鼻につくが、選曲も良いし、ちょっとルーズだけど、熱気が緻密に組み込まれたアレンジも素晴らしい。ジョン・レノンとしても、私はこの時期が好きなのだ。
 クレジットをよくよく見ると、ジミー・アイヴィーンがアシスタント・エンジニアを務めていた。トム・ぺティはジミーのことを、「同世代だからすぐに仲良くなった」と言っているが、厳密にはジミーの方が少し若い。1953年生まれだから、ベンモントと同じ。つまり、この[Pussy Cats] に参加したときは、なんと21歳だったと言うことになる。
 ハリーとジョンがつるんでいたこの時期の飲みっぷりと、馬鹿騒ぎぶりは尋常ではなかったようで、クラウスなどは、かなり辟易したそうだ。そんな時期の、こんな大物と仕事をするとは…ジミー・アイヴィーンは凄い。フロリダから出てきた純朴な連中にとっては、貫禄十分に映っただろう。

 ところで、映画「お買いもの中毒な私!」だが。娯楽として見る映画としては、手頃で結構。元気で夢を追いかける女の子が、恋も、仕事も一生懸命!…というありきたりのコメディだが、その「お決まり」目白押しの展開がかえって、安心感があって良い。
 衣装は、「SATC」で一躍名を挙げ、同じような映画である「プラダを着た悪魔」も担当したパトリリシア・フィールド。ド派手なファッションに、楽しそうなマンハッタンの町並み、キラキラしたショーウィンドウ、おしゃれなニューヨーク暮らしに、イカしたオフィス。元気だけどちょっと突飛なヒロインの率直さが、逆に受け、美人でにくたらしいライバルが出現する。ヒロインの欠点が露呈し(この場合、買い物中毒)、ピンチに陥るが、結局は虚飾の向こうに本当に大事なものを見つけて、めでたしめでたし。
 この映画の場合、ヒロインの友達が良かった。これはSATCの影響だろうか。それから、ジョン・グットマン演じるヒロインのパパが最高。難しいことは考えず、おしゃれで軽い物で楽しみたいときにはお勧めだ。

Jim Lovine ...?2010/08/11 23:14

 ハリー・ニルソンの [Pussy Cats] に若き日のジミー・アイヴィーンの名前を見たので、同時期のジョン・レノンのアルバムも確認してみた。

 まずは、1974年の[Walls and Bridges]。アイヴィーンの名前は、
Over-dub Engineer Jim "What it is" Iovine
と、載っている。さらにその上には、エンジニアとして、Shelly "I can't take the Pressure" Yakus とある。
 つまり、[Damn the Tormedoes] のプロデューサーと、エンジニアを務めた二人は、すでにこの時期から仕事をしていたということらしい。アイヴィーンはは1953年生まれとわかっているが、ヤクスは何年生まれなのだろう?アイヴィーンやトムさんより上の世代だと思い込んでいたが、意外にもう少し若いのかもしれない。

 さらに、ジョン・レノン1975年のアルバム [Rock 'n' Roll] 。このアルバムはジョンが好きなロックのカバー集なのだが、セッションがやや細切れ気味で、エンジニアとしてクレジットされた人数が多い。その中に、シェリー・ヤクスの名前もあった。
 そして見覚えのあるような名前もあるのだが…
 Jim Lovine
 …と、クレジットされている。どうやら、誤植らしい。私の持っているインナー・スリーブだけがこうなっているということが、あるだろうか?
 確かに、Iovine という名前はあまり多くはない。写植職人にとっても馴染がなくて、I と L を間違ってしまったのだろうか。英米人にとっても、発音しにくい名前でもありそう。

 日本語での表記もかなり揺れている。一番多い Ivoine の表記は、「アイオヴァイン」か、「アイオバイン」。もしくは、「アイオヴィン」。TP&HBの[Playback] などのライナーノーツでも、これらのいずれかを採用している。
 しかし、トムさんをはじめとして、TP&HB関係者の発音のおかげで、私は最近「アイヴィーン」で固定している。
 ともあれ、しょせんは外国語の日本語表記。完璧なものなど無い。重要なのは、符牒としての役割だろう。

 締めは、TP&HBのドキュメンタリー [Damn the Torpedoes / Classic Album] の断片。アイヴィーンや、ヤクスも登場。
 …そう言えばこの二人、[Hard Promoses] でも一緒に仕事をしている。このセッション中にジョンが死んだんだった。トムがその時のショックを語っていたが、アイヴィーンやヤクスはジョンと面識があっただろうから、トムとは違うショックを受けたことだろう。

迷惑な援軍2010/08/15 22:29

 南北戦争は、西部戦線に目を向けることにする。話は、ゲティスバーグの10月前、1862年秋に戻る。
 西部戦線は、広大な地域をその戦闘範囲に含むが、主に二方面の戦いに代表された。ひとつは、テンチ家の兄弟 ― ジョン・ウォルター・テンチ(ベンモントの曽祖父)と、ルービン・モンモランシー・テンチが所属するナッシュビル周辺の戦闘。もう一つは、ミシシッピ川をめぐる戦闘である。

 ミシシッピ川河口に関しては、北軍が既に海軍でもって制圧していた。残すは、ミシシッピ州ヴィックスバーグである。このミシシッピ川東岸の拠点を落とさないことには、北軍が川を制圧したことになならない。しかしこのヴィックスバーグは攻めるのが難しい。
 北軍が攻めあぐねる中、リンカーンがユリシーズ・グラントを部下のシャーマンなどとともに、テネシー方面から派遣したのは、1862年の秋である。
 グラントは、川側からヴィックスバーグを落とすことは困難であると早いうちから判断していた。まずバイユーという地図さえ満足にない低湿地・沼地という悪条件がある。したがって、グラントはヴィックスバーグの北300kmほど離れたテネシー州メンフィス付近から、順々に南軍の拠点を落としながら南下し、ヴィックスバーグへ向かい、消耗線に持ち込む作戦を取った。
 ところがこの作戦は、なかなか上手く作用しなかった。グラントもその部下たちも、南軍の騎兵の活躍 ― ヴァン・ドーンや、ネイサン・ベッドフォード・フォレストらが率いる南軍自慢の騎兵に、手を焼いたのである。しかも北軍の物資は奪われ、焼かれ、電信を寸断され、鉄道の線路まで破壊されてしまった。1862年の12月までの状況はこのようなもので、グラントにとっては芳しい戦況とは言えなかった。

 そんな中、リンカーン大統領のもとに、イリノイ州の下院議員ジョン・A・マクラーナンドが、ある提案を持ち込んだ。マクラーナンドは自ら大規模な旅団を組織し、ヴィックスバーグ攻撃を買って出ようというのである。
 軍隊という厳格な組織にとって、このような私的で、政治的狙いが露骨すぎる自称「援軍」は、明らかに好ましくなかった。そもそも、マクラーナンドはこれまでもやや中途半端な形で戦闘に参加しては、グラントに関してあまり良いコメントをしてこなかった人物である。グラントがそんな援軍を歓迎するはずがなかった。
 リンカーンもそこは理解していたであろうが、彼は徹頭徹尾の政治家だった。大統領は「政治的配慮」というもので、この発言力の強い下院議員の提案を、「喜んで」受け入れたのである。
 グラントにしてみると、迷惑この上ない。リンカーンは司令官はグラントであることを保証してくれているが、グラントはマクラーナンドが到着する前に、シャーマンに対してヴィックスバーグのすぐ北,チカソーの拠点を落とすように命じた。グラントにしては珍しく、やや焦ったようだ。しかしシャーマンのこの軍事行動は成功せず、やがて1863年になるとほぼ同時に、マクラーナンドが到着して、シャーマンの上に立つことになった。
 しかし、誰にも想像できたであろうが、グラントより10歳ほど年長のマクラーナンドは将官としては不向きな男で、グラントの忠実な部下であるシャーマンのみならず、ある意味「部外者」であるはずの、海軍側からも非常に評判が悪かった。彼ら曰く、マクラーナンドの高圧的で尊大な態度の軍事的指示には従えないと言う。
 グラントは、1月下旬にはマクラーナンドから指揮権を取り上げ、自らの配下に置くことによって、事態を収拾した。

 政治的配慮としては、このグラントのマクラーナンドへの対処はかなり大胆なものだった。実際、マクラーナンドはグラントの失脚を画策するなど、グラントにダメージが無かったわけではない。
 しかし、グラントの将官としての強みは、あまり物事に動じないところにあった。自分が非難されようが、戦闘でボロボロに負けて多数の死者を出そうが、彼はどこかとぼけた様にやりすごすのが特技のようだ。南北戦争のように、相手が意地になって馬鹿力を発揮し、しつこい敵の場合、このオタオタせず、我慢強いグラントの態度は、地味ではあるが有効だったのだろう。

My Morning Jacket2010/08/17 22:11

 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのツアーは、第三レグに入った。
 オープニングアクトはこれまで、ジョー・コッカーや、バディ・ガイなどがつとめていたが、第三レグに入ると、クロスビー・スティルス&ナッシュが登場。これはさすがに、どんなパフォーマンスなのか、興味がある。

 そして、8月19日ボストン公演からは、マイ・モーニング・ジャケット My Morning Jacketが登場する。私はこのバンドのことを全く知らなかった(最初、マイ・ケミカル・ナントカと混同したことはナイショだ)。しかし、評判は良い。特にライブ・パフォーマンスに定評があるそうだ。
 ともあれ、まずはスタジオ・アルバムの最新作を購入してみた。タイトルは、[ Evil Urges] 。このアルバムはとても良かった。いかにも最近のロック・バンドらしく技巧をこらした上手い音を聞かせているが、それよりもさらに、楽曲の良さが印象的。何曲かに、ビートルズのような、ポップでライトなセンスがあって、とても聞きやすい。
 アルバム・タイトルになっている曲 "Evil Urges" はピコピコした音に少しひるむが、骨の強そうなメロディ・ラインと、繊細なサビが良いバランスを取っている。



 バンドに関する知識はないが、このアルバムはヘビーローテーション・アイテムになった。

 これは良いぞとばかりに、今度は最新のライブ・アルバムを買ってみた。
 ところが、ここで私は少し困ってしまった。期待していたようなポップ・ロックのイキの良いライブバージョンが聴けるのかと思いきや、ちょっとピンとこない展開になってしまったのだ。つまるところ、私は2枚組の途中で、聴くのが面倒臭くなってしまったのである。別に悪いものではなさそうだが、他に聞きたい音楽がどっさりあったからだろう。
 とにかく、評価が高いはずのライブ音源に関しては、私の判断ができないでいる。

 うぅーん、困ったなぁと思いつつも、マイモニ鑑賞は前に進む。
 フロント・マンのジム・ジェイムスは、どうやらジョージ・ハリスンのファンらしい。ジョージにささげた、カバー・ミニアルバム,その名も [Tribute to...] という作品を、Yim Yames という変名で発表している。これはもちろん、購入した。



 すべてがこの調子。ジョージへの愛情と尊敬の念は痛いほど伝わってくる。
 だが、私はバンド・サウンドが好き。この手の ― つまり、風呂場でアコギを抱えたおにいちゃんが、何やらニョロニョロとひたすら歌うというのは、やや苦手。いや、無論つまらない音楽は世の中にいくらあるもので、それに比べれば、この「風呂場のニョロニョロ青年」の方が余程良いものなのだが ― この手の音ばかり聞くと、張りのあるバンド・サウンドが恋しくなる(私が神様だと思っているボブ・ディランはこの「風呂場のニョロニョロ青年」ではないかと言われたら、明確に否定する。彼の歌い口の鋭さは、バンド一つ分の固さに相当する)。
 ともあれ、Yim Yames (と、言うかジム・ジェイムス)は、自分のジョージ愛という趣味を、バンドに押しつけるのも気がひけたのか何なのか、とにかくこういう形でジョージへの想いを形にしたのだ。私と同じ趣味であることは間違いない。

 結局、マイモニ関連は、かのスタジオ・アルバム[Evil Urges] に終始している。他のアルバムも聞くべきだろうし、ライブアルバムにも再挑戦するべきだろうが、その一方でこのアルバムだけでも十分素晴らしいと思わせるのだから、その実力は推して知るべし。

Echo2010/08/19 22:16

 16日付けで、Cool Dry Placeに「カントム」から、part two, echo 1999 をアップした。私が一番好きなアルバムの一つである。

 私の好評価はともかく、トム自身のコメントとしては、それほどテンションがあがるアルバムではないらしい。それでも、個々の曲の話になると、それなりに気に入っていることが分かる。

 最初にネットで発表された "Free Girl Now" に関しては、その発表形態に関する顛末のことのみが語られているが、私はこの曲が相当お気に入りだ。最高に格好良いロックンロールだと思っている。
 イントロはクールだし、ボーカルのテンションも高くて良い。アウトロで、マイクが弾いている対旋律が、ハードな中にも無類の美しさを含んでいる。
 さらに、ハウイのベースラインの格好良さときたら!これが、ハートブレイカーズの眼前で、まさに壊れ行こうとしているハウイのプレイだなんて!(それとも、これはハウイのプレイではないのだろうか?詳しくは分らないが、私はハウイということにしておく。)
 しかも、フェイドアウトするのではなく、格好良く曲を締めくくる勢いも格好良い。
 一般的な評価と比較して、私の評価が著しく高い曲の一つだ。



 そういった「私の好評価曲」の代表格のもう一曲が "Echo。このブログのタイトルになっていることでも、それは伺えるだろう。
 私は基本的に暗い曲,悲しい曲が好きだという傾向にある。しかも美しい。"Echo" はだんだんと楽器が増えて、徐々に盛り上がっていく様が、まさに少しずつ胸が一杯になる感じ。最終的には切なさが最高潮に達する ― こういう曲はほかに、ジョージの "Isn't it a pity"がある。むろん、最高レベルに好きな曲。
 しかし、トムの"Echo" に対する感想は、「長い」。確かにTP&HBにしては長い。そして、彼自身や、バンドにとってもいろいろな事があった時期であることだけを、強調した。
 人生には、そういう時期がある。決してハッピーではない人生の時。この曲が私のお気に入りなのは、そいう要素も絡んでいるのかも知れない。
 いつか、トムがこの曲の良さに気づいて、ライブでやってくれると良いなと祈っている。

 話は前後するが、"Room at the Top" のところで、ジェフ・リンが話題に出たので、びっくり仰天してしまった。
 TP&HBがワーナーに移籍してから、ジョージが亡くなるまでの期間は、ジェフ・リンが全く登場しないと思っていたからだ。
 トムがピアノの前に座るたびに、何となく弾いていたものを、「曲になっている」とジェフが指摘し、トムも自覚するという話。
 トムは「自分でも思い出せないくらい昔から何となく弾いていた」とは言っているが、かと言って1988年や1991年の話ではなさそう。
 住んでいる所が近いのだから、たまには一緒にすごすこともあったのだろうか。

 [Echo] からもう11年経つ。即ち、私が初めてTP&HBのライブを見てから、同じ年数が過ぎたということだ。
 若い頃の彼らも大好きだが、ここ10年ほどの彼らも大好きだ。「休み休み」などと言いつつ、いつも何かしら素敵な物を作り出してくれる。
 そしてなんと言っても、最高のロックバンドとして、変わらぬ友情の力を見せてくれるのが嬉しい。トム、マイク、ベンモント ― 二十歳にもなっていなかった若い彼らが、今も唯一無二の仲間として一緒にいる。それを思うだけでも、胸が一杯。

 ロックの生まれた国の、ディランがあの年の冬、故郷からやってきた町へ。トム・ペティ&ザ・ハートレブレイカーズに会いに行く。
 それを思うだけでも、胸が一杯。

NYから帰還2010/08/26 22:58

 ニューヨークから無事帰還。TP&HBライブも無事観賞。
 詳しいレポートは、写真や映像を整理してから、改めて。明日から仕事なので。

 簡単に、端的なコメントをすると…
 
 前5列目の威力絶大。しかも運もあり、おそらく今後も含めて最高の席。
 トムさんのクシャミを初めて見た。しかも2回。
 トムさんとマイクばっかり見てた。
 可愛くてセクシーで、ゴージャスで、クールで、ロックで目が離せず。
 マイク、水飲んで!…本当に飲んだーッ!!!

 終わってしまったことがショックできつい。帰りのリムジンバスの中で、Greatest Hits を聞いたら、悲しくてポロポロ泣き出してしまった。
 あまりの素晴らしいライブに、喪失感注意報発令!

トムさんのくしゃみ2010/08/28 21:06

 ツアーレポートにはまだ時間がかかるので、とりあえずの動画をどうぞ。



 ライブ演奏中(2分20秒付近から?)、トムの仕草がちょっと変(いや、普通にちょっと変なのだが)。口元をおさえて、「ウッ!」となっているので、一瞬「吐くのか?!(つわりか?!道理でおなかが…以下略)」と、思ったら、クシャン!
 よし、気を取り直して歌い始めようとしたら…もう一発クシャン!

 カ・ワ・イ・イ!カワイイ…じゃないか!

 実は、ライブが終わって、翌日空港で動画を確認して、初めてこのくしゃみに気づいた。
 マイクはベンモントの方を見ていたので、トムのカワイイくしゃみには気づかず。目撃したら、笑っただろうなぁ。もともとニコニコしているんだけど。
 演奏が終わると、二人とも水分補給。ごくごく。

ソロだって弾けるもん!2010/08/30 22:00

 NY遠征同士、Kさんの写真成果を見せてもらい、痛感した。カメラは最新であればあるほど良い。ズームの度合が違う!なに、このでかいトムさんとマイクのオンパレード!肉眼よりズームじゃん!
(それにしても、二人ともひたすらトムさんとマイクを撮り過ぎ…正直だなぁ…)

 小さい(身長が)上に、カメラも古い私の取り柄と言えば、短いながらも動画を撮っていること。可愛いハクションだって撮れるもんね!
 かといって、他にまともな動画があるのかと言えば。あまりない。
 動画は [MOJO] セクションに入ってから集中して撮ろうと思っていたのだが、手が勝手に動く。そのようなわけで、途中からだけど "Mary Jane's Last Dance"。



 「マイクがさぁ、俺にソロ弾けってけしかけるんだよぉ~デヘヘ」と、トムがお決まりのコメントをするこの曲。ライブでもトムがソロ・パートを弾くのもお決まり。
 ちょっと緊張気味で歌いつつ、ソロ開始!本当に真剣だ。マイクのような余裕はない!カワイイなぁ。けなげで、可憐なトムさん。いい…いいよ…
 演奏そのものは、どこかエリック・クラプトンとジョージ・ハリスンが合わさったような感じ。そこもなんだか、かわいい…
 トムさんのソロが終わり、マイクに寄って行き、二人で仲良くシンクロ・プレイ!マイクが「はい、よくできました!」という感じのやさしい雰囲気。何といっても、二人とも楽しそう!背後のベンモントも楽しそう!

 それにしても、私の撮影努力も大したものだ。この間、腕を上に伸ばして、モニターを見ずに撮影し、上げた腕の間から実物を目視している。
 私の左前の男性がかなり長身で、マイクが彼の陰に隠れることも多かった。彼もずっと動画を撮っていたが、望遠はなさそう。長身を生かして、どんな動画をゲットしたのだろうか?