一行の賦2010/05/07 23:57

 昨日、伶楽舎の雅楽コンサートに行った。会場は、新宿区の四谷区民ホール。
 今回は、「芝祐靖作品演奏会」ということで、芝先生の作品を特集した。

 芝祐靖先生は無論プロの音楽家なのだが、私の音大時代、実際に雅楽を習っていた先生なので、呼び捨てにはできない。
 芝先生と、雅楽の時間は私の楽しい学生時代にとって、非常に重要なファクターになっている。先生はいつも、学生よりも先に教室(和室)に行って準備を整え、学生たちを笑顔で「いらっしゃーい!」と迎えてくださった。雅楽の授業は初級・中級・上級があって、上に行くにしたがって当然人数は減り、仲間意識が強くなった。大学の講義というよりは、楽しい友達の集まりが、素晴らしい先生の教えを楽しく受けているという、和気藹藹の風景だった。
 音大の学生なので、無論それまでクラシック音楽をやってきた人ばかりなのだが、やはり音楽であり、器楽であり、一部声楽には違いなく、しかも若いとあって学生たちの飲み込みはかなり早かった。これは私が社会人になってから気づいたことである。学生時代はそれが普通だったので、分かっていなかった。
 芝先生は、学生たちをとてもかわいがってくださり、飲み会,食事会の類も気さくに参加しておおいに盛り上がった。ある年の新入生歓迎会では、「えー、非常勤講師の芝です…」と自己紹介して、慌てた教授が「客員教授ですッ!」と訂正していた。

 そもそも、芝先生の家系は、20代続く奈良の楽師の家系である。先生曰く、「祖父が明治政府に引っ張られて、東京に来た」そうだ。
 芝先生も祖父,父上と同じく、宮内庁楽部の楽人(主に龍笛)として活動していたが、1984年に宮内庁を退官し、現代雅楽の作曲,廃絶曲の復曲,敦煌琵琶譜の再興,そして無論古典雅楽の演奏、さらに雅楽演奏団体,伶楽舎を創設し、音楽監督を務めるなどして、活躍している。複数の大学でも教鞭をとった。
 今回の演奏会は、40年以上に渡る芝先生の創作活動の中から、選りすぐりの曲目で構成された。



 まず、芝先生おひとりの演奏で、龍笛独奏曲「一行の賦」。龍笛の音色を堪能できる。この曲は、映画「陰陽師」でも博雅三位が演奏する曲として使用されたそうだ。(この映画はテレビ放映された時に見ようとしたのだが、始まりから10分くらいでギブアップしてしまった。およそ私とは合わない世界だった…)
 三曲目の管弦(舞や歌を伴わない合奏形式),「舞風神(まいふうじん)」が、今回の中では一番良かった。やはり私は古典に即した作品が好きなのだ。難しいだろうが、ちょっと私も吹いてみたいと思わせる。古典形式だが、三管(笙,篳篥,龍笛)を三つのグループに分けて、演奏させる趣向が面白い。
 後半は、武満徹の「秋庭賀一具」に触発されて作ったという、「招杜羅紫苑(しょうとらしおん)」。7曲から成る組曲である。これは現代雅楽というべきもので、古典雅楽よりも冒険が多く、また面白かった。舞台裏に影篳篥を配置して、舞台上との掛け合いをする演奏が良い。

 会場の入りも上々で、芝先生に向けられたカーテンコールの拍手も、熱気のこもったものだった。去年夏の紀尾井ホールよりも、今回の方が良かったというのが、正直なところ。
 楽屋では、先生にご挨拶しそこなってしまった。今後も、さらなる芝先生の活躍を願っている。

 以下は蛇足。
 雅楽の演奏会となると、睡魔に襲われて撃沈する客がかなりたくさん居る。見慣れた風景なのだが、昨日は凄かった。
 私のすぐ左隣のお姉さん。なんと一曲目が始まって何分もしないうちに、「フガッ…」などと音を立て始めた。いやいやいや、早すぎるでしょう。せめて10分は持ちこたえてください。でも、お姉さんは上向きに口をあけて、時折「フゴッ…」とか、「フガッ…」とやっている。
 さらに、そのお姉さんの向こうの人。この人は王道通りに腕を組み、俯いて静かに寝入っていたのだが、突然、物すごい勢いで身を震わせガバッ!!と跳ね起きた。私も驚いたが、隣の「フゴ姉さん」も飛び起きた。
 私はあまりにも可笑しくてツボにはまってしまい、舞台をみつつも、ニヤニヤ笑いがとまらなかった。前の方の席だったので、気をつけないといけない。あとで楽屋で、「目の前でニヤニヤするな!」と苦情を言われてしまう。