TP&HB @ MSG 17th June 20082009/01/01 19:52

A Happy New Year !

 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートをテレビで見ながら、打っている。ニューイヤーは、楽しくて良いし演奏の質はもちろん最高なのだが、いかんせん曲目がシュトラウス一族のポルカ&ワルツ攻め。後半にパパ・ハイドンが来るとのことで、そちらに期待。
 夕べ放映した、N響の第九も凄かった。学生たちも頑張っていたし、それほどひどいクセのある指揮でもなかったが…!?(ちょぉっとピッコロを前に出し過ぎてる感じが気になったけど…許容範囲)
 ソリストがとんでもないことになっていた。テノールのおじさんは、体調が悪かったとのこと。高音域を下げてなんとかしのいでいた。テレビ収録されなかった別の日は、代役が歌ったらしい。まぁ、こういうハプニングもそれなりに、楽しいよね。

 さて、新年最初はもちろんTP&HB。去年6月に私がニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで見たライブの映像を鑑賞した。当然、とある筋から手に入れた、イケナイ代物。とはいえ、なかなか映像・音声ともによく録れている。
 これを撮った人の位置は、私が居た所とはちょうど逆側のよう。
 あの、ニューヨークでの感動が蘇る。トムさんは髪がツヤツヤ、キラキラ。マイクのあの笑顔、立ち姿の格好良さ!
 あの時気付かなかった事で目についたのが、Mary Jane's Last Danceでのギターソロのトムとマイク。


 あぶなーい!ぶつかるー!(by 伊武雅刀)

 ずいぶん近づいて、手と手がぶつかりそうだな~、と思っていたが、手どころが、ほとんど額がぶつかりそうなくらい、じゃれあっていた。
 相手の顔間近に肉薄するのは、ジョージの癖だった。弟二人にも、伝染したか。

 去年のライブをライブ・アルバムとして出す計画があるようで、なんでもマイクが音を聞き込んでいるらしい。
 自宅のスタジオで、音をじっくり聞いて「うふふふ…」と、なっているマイクを想像すると楽しい。

そのTシャツで良かったのでしょうか?2009/01/03 23:00

 とある会話で、「自分で自分のバンドのTシャツを着るのって、どうなんだ?」という話になった。
 「自分で自分の…」という点はともかく、Tシャツというのは、前面に何かが描かれている以上、自分がそれを着ていることを「主張したい」という意思表示に他ならず、注意を要する。



 1976年。シェルター・レコードのピクニックでの写真。トムさんが着ているのは、ジョージの「ダークホース・レコード」のシャツ。この時期、トムさんはレオン・ラッセルのスタジオに出入りしており、そこでジョージに会っている。トムさん自身はTシャツをプレゼントされて大喜びだったが、ジョージはこの出会いのことは覚えていなかったらしい。ドンマイ、トムさん!
 ベンモントはチープ・トリックのTシャツ。はて。1978年に武道館ライブで名を上げたチープ。デビュー・アルバムは1977年。げげ、その前にチープのTシャツ着てるベンモントって…?(アルバム出す前に有名だったの?)

 ジョージからもらったらしきTシャツ再び。



 Wildflowers期のトムさん、ハスの花がデザインされたハレ・クリシュナTシャツ。マイク、それはTシャツを狙ってる顔じゃないよね。

 自分がプロデュースしたアルバムのTシャツを着る人。



 ものの見事に、トム・ペティ・ファンであることを公言している。

 どどめ。スタン!そ、それは…



 さすがに、恥ずかしくないのか?!よりによって、トムさんババーン!…本当は好きなんじゃん。

マクレランだな。文句なしに。2009/01/09 23:53

 はたして南北戦争において、南軍にいくばくかの勝機というのはあったのだろうか?

 1863年前半までは南軍が優勢で、同年7月のゲティスバーグ(東部戦線)と、ヴィックスバーグ(西部戦線)で形勢が逆転し、1865年に北軍が勝利して戦争が終結する ― という流れが一般的だ。
 しかし、実際には1862年9月、アンティータムの戦いで辛くも北軍が勝利したタイミングで、リンカーンが奴隷解放宣言を発し、これによって勝負がついてしまったと言える。
 奴隷制維持という、道徳的には許されない主張を持ち、さらに国力が圧倒的に劣る南部連合が勝利するとしたら、それは北部連邦が南部の独立を認め、しかもその交渉を第三国が仲介してくれるという道しかなかった。この第三国はイギリスかフランスが想定された。
 両国とも、リーに率いられて大健闘する南部の様子を見ていたが、基本的には奴隷制には反対であり、リンカーンが奴隷解放を宣言したことにより、南部のために便宜を図ってやる大義がなくなったのである。
 天才的な政治的手腕を持つリンカーンの決断によって、(後世からみれば)南部の敗北は決定したようなものだった。あとの丸二年間余りは、南部の驚異的な粘りであり、やはりリーの将官としての才能、部下たち,士卒たちの頑張り、南部の人々の誇りと熱意の凄まじさを感じずにはいられない。

 後世から見た戦争の展開はともかく。
 リンカーンは、アンティータムでの勝利で奴隷解放宣言をしたは良いが、実際の戦果にはひどく不満だった。
 北軍主力ポトマック軍の司令官マクレランは、リーを徹底的に打ちのめすチャンスに恵まれながら、それをせず、みすみす逃がしてしまったのだ。
 悠々と軍を引いたリーは、軍の立て直しを図り、その間も優秀で機動力に秀でた部下ジェブ・スチュアートと、彼の騎兵に活躍の場を与え、北軍を悩ましていた。

 一方、マクレランも軍の立て直しにとりかかっていた。彼はアンティータムでの勝者であり、兵力補完も圧倒的に南軍より容易だったはずだ。
 マクレランはリンカーンを軍事の素人とみなして、指示を受けるどころかほとんど無視していたが、今回も攻撃を促すリンカーンを適当にあしらう態度でいた。曰く、「未だ部隊の立て直しは完了していないし、騎兵の馬たちも疲れ、数も足りない。何せ7月の半島作戦から、ずっと働きづめで…云々。」
 リンカーンもこんな言い訳で納得するような、お人よしではない。同じ働きづめで、半島作戦でも、その後のメリーランド作戦でも縦横無尽に大活躍した南軍のスチュアート騎兵隊と比べて、いったい何が不足なのかとマクレランを問い詰める。
 スチュアートは、リーが命じさえすれば騎馬隊を率いてカリフォルニアまでも飛んで行きそうな男なので、さすがに比較するのは気の毒だが、とにかくマクレランはぐずぐずし過ぎた。勝利を得た将軍にもかかわらず、リンカーンはマクレランを11月5日に罷免した。

 戦後、ある記者がリーに、「もっとも手ごわかった北軍の将軍は?」と尋ねた。すると、リーは答えた。

 「マクレランだな。文句なしに。」(McClellan. Without question.)

 この答えに、首をかしげる人は多い。しかし、かと言ってマクレランよりも優る将軍はというと、これまた困る。グラントという選択肢もあるが、彼はむしろ北部連邦が元々持っている優位点を生かすことによって、殆ど自然な成り行きで勝ったようなものである。実際、グラントはリーにまともに闘って勝ったためしがなかった。
 マクレランの評価は、北軍を使える軍として組織したところにあるのだろう。
 リーとしては、北軍がまとまりのない、熱意と気力、統制に欠けた集団であるうちに、叩いてやりたかった。しかし、マクレランという組織作りに長けた男によって、それを阻止されたのである。実際、マクレランはその組織立った巨大な北軍をもって、アンティータムで圧勝するチャンスを持っていたのだから。彼は単にそのチャンスを生かさなかっただけだ。
 結局、マクレランは戦える軍を組織するという、いわば準備段階の優秀な将軍だった。その役割が終わったところで、彼を罷免したリンカーンは、やはり卓越した政治手腕の持ち主と言わねばならない。
 ただ、リンカーンと、北部連邦の不幸は、せっかくの軍隊を上手く使いこなす、次の将軍になかなか恵まれないことだった。

 北軍が人事でモタモタしている間、南軍は鋭気を養い、飽くまでマイペースなもの、フットワークの軽いもの、それぞれの将官が次なるリーの作戦に備えていた。

ジョーの結婚(*)2009/01/14 20:10

 先月の話だが、ジョー・ウォルシュが結婚した。
 お相手は、マージョリー・バック。リンゴの奥さんである、バーバラ・バックの妹だそうだ。「ビバリーヒルズ○○白書」じゃあるまいし、どうして身内でくっつくのだろうか。

 白状するが、私はジョー・ウォルシュのことをあまり知らない。イーグルスのアルバムも三作品程度持っているだけで、知識がほとんどない。
 そのようなわけで、私にとってのジョー・ウォルシュと言えば、無駄に豪華なリンゴの「ジョン・レノン・トリビュート・バンド」のギタリストである。



 ジェフ・リン,ジョー・ウォルシュ,ジム・ケルトナー、そしてトム・ペティが、リンゴのバックを務める。トムさん、そのシャツは…?まぁいいや。
 無駄な豪華さの最たるものは、ジム・ケルトナーのカウベル。世界一高いカウベル。それを実現させるのが、リンゴ。やっぱりリンゴはリンゴである。


(*)モーツァルトのオペラ、「フィガロの結婚」から。

"Bob Dylan" by Nine Days2009/01/18 22:34

 「パワー・ポップ」というジャンルの定義について詳しくはない。ただ、なんとなく「パンク・テイストの入ったポップでパワフルなロック。キャッチーで、明るく弾けた面あり」ととらえ、グランジよりは私の好みに合うと思っている。
 90年代半ばから活躍しているアメリカのパワー・ポップ・バンドのナイン・デイズは、このジャンルに分類されるらしい。

 ナイン・デイズを知ったのは、彼らが "Bob Dylan" というタイトルの曲を歌っていることがきっかけだった。
 収録しているのは、彼らの大ヒットアルバム"The maddind crowd"(2000) 。この曲以外にも、聞きどころの多い良いアルバムなので、お勧め。



 歌詞は、地下室に籠って映画や音楽を作り、自分の表現をしようとがんばるボビーという少年の物語。
 行き詰ってしまったとき、「そうさ、ボブ・ディランも言っていただろう…」という歌詞の後、なんとディラン様のオリジナル音声がサンプリングされているのだ。曲は"It's all over now, baby blue"

Leave your stepping stones behind, something calls for you
踏み石は置き去れ、何かがきみを呼んでいる…


 このサンプリングがなかなか絶妙の使い方で、格好良い。
 ライブの時は、この部分をどうするのかと思ったら、コーラスを担当する方のギター君が、ディランのまねをしてくれた。



 この一曲で、このバンドに好意を持っている。まだアルバムは一枚しか持っていないが、機会があったら、他の作品も聞いてみたい。

CRT & レココレ新春ジョージ・ハリスンまつり!!2009/01/22 22:21

 CRTとは、「カントリー・ロッキン・トラスト」の略。
 もともとは、「カントリーの名盤再発促進」を目的とした半ば架空の団体のようなものだそうだが、雑誌「レコード・コレクターズ」との共同企画で、月に一回イカした音楽をトークを交えながら紹介するイベントとなった…らしい。
 毎年1月は「ジョージ・ハリスン祭り」と決まっており、ゲストの本秀康さん(漫画家,イラストレーター。「レコスケくん」でおなじみ。超ド級のジョージ・ファン)。毎回、萩原健太さん(音楽評論家)&寺田正典さん(レココレ編集長)と共に、熱く愛にあふれたジョージ・トークで盛り上がっている。
 私が観客として参加するようになってから、たぶん6年目くらい。毎回、何かしらジョージの作品発売に絡んだイベントを受けたテーマが存在するが、当面は何もなさそうなので、今回はあえて「原点に戻ってAll Things Must Passの魅力を語り尽くそう!」というテーマになった。

CRT & レココレ Presents Vol. 112
「新春ジョージ・ハリスンまつり!!~あけおめハリスケくんの巻~」

 萩原さんによれば、本さんの愛情あふれるジョージ語りは、「妄想」の域に達しているのだが、それを聞いてたまらなく面白いのだから、私もやはりジョージが大好きなのだと思い知る。

 本さん(の、妄想)によると、「ATMPは、四つのもので出来ている」のだそうだ。
 1.スワンプ
 2.ディランとの友情
 3.神
 4.○○嫌い (伏字。まぁ、この時期のジョージが嫌いなものだから…アレですよ)

 ディラン・ファンの私としては、やはり二項目が興味深かった。"If not for you"はディランの作品だが、この曲における You は、まさにジョージとのこと。ああ、そうかもしれない。納得する。
 続く "Behind that locked door" はジョージの作品であり、むろんディランを示唆した歌だが、さらに本さんによれば、" I live for you " (ニュー・センチュリー・エディションに収録された曲)の You も、やはりディランじゃないだろうか。
 だとしたら、この二人のつながり,絆は、70年代初頭にして既に計り知れないほど深いところにあり、「およそ格が違う」ということになる。
 、「コンサート・フォー・ジョージ」にディランが出なかった理由は、「俺とジョージとの関係は、お前らのとは次元が違うんだ!」…だったりして?
 これはもちろん冗談だが、それほどにこの二人の関係は深く豊かなもので、ジョージの他多数の親友たちとは一味違ったものだったことは、想像に難くない。
 (私の見解。CFGはあの構成で既に完璧であり、ディラン様が入る場所はない。ディラン様自身も自分が出ることがどう全体に影響するのかを理解しているので、親切にも辞退したのだろう。クラプトンに対する友情も働いたかもしれない。)

 ディランはCFGに出られない代りに、"Something" を自分のライブで歌ったが、その音は公式サイトで聞ける。
 さらに、YouTubeにはオーディエンスのカメラでの映像があるとのこと。

 

 マディソン・スクェア・ガーデンの不審者…。
 マーティン・スコセッシ監督のジョージ伝記映画の製作は既に始まりつつあり、リンゴもインタビューを受けたとのこと。さて、ディラン様はお出ましになるのか?そしてもちろん、トムさんやマイクにもチャンスはあるのか、今から楽しみだ。 

運命!2009/01/25 22:48

 ダジャレも、正々堂々としていれば、立派なものだ。「ダジャレを言ってしまった…」と、自らを恥じるからいけない。

 カップ麺,ニュータッチ「凄麺」のCMに登場するベートーヴェン先生はその点、清々しい。
 異様に大げさな雰囲気でカップめんを食べ、「運命」のあの有名な主題のあとに、感無量でひとこと。

 「うんめぇ~!」

 捻りも何もありゃしない。人間、万策尽きれば開き直るしかないことを、広告代理店が悟ったのだろう。…深い。

 このCMのベートーヴェン先生、いやに美男子だが、ジェフリー・ロウというカナダ・プリンスエドワード島出身のモデル,俳優さんだそうだ。
(プリンス・エドワード島と言うと、女の子はみんな編上げブーツに、エプロン・ドレスを着ているに違いない!男子は全員、サスペンダーだ!)

 私の中では、ベートーヴェン先生と、ディラン様が同類項。
 双方とも、途方もない音楽的天才。曲想に生命力がみなぎっている。
 難しい性格だが、不思議と人に好かれる。友達が多い。
 拗ねた後に、愛情を欲する可愛い性格(ベートーヴェンはしょっちゅう友人と喧嘩をしては、謝罪の可愛い手紙を書いている)。
 背が低い。目つきが悪い(ベートーヴェン先生は近眼)。頭が大爆発。
 以上。

Shine a Light2009/01/27 22:45

 マーティン・スコセッシ監督のザ・ローリング・ストーンズ映画、「シャイ ン・ア・ライト Shine a Light」を鑑賞した。
 ボヤボヤしているうちに観られなくなってしまうとばかりに、慌てて新宿に行ったのだが、武蔵野館という映画館の存在は初めて知った。



 スコセッシの音楽映画と言えば、何と行ってもザ・バンドの [ The Last Waltz],新しいところではディランの [ No Direction Home ] 。今回のストーンズ映画は、これらとは趣向が違い、ほぼ純粋に「ライブ・ビデオの映画クォリティ版」と、映った。
 無論、ライブ・スタート前のテンヤワンヤやら、懐かしの映像やら、エンディングの演出やらは楽しい。ともあれ、一曲目が始まった時点で、私も目撃したストーンズ・ライブの映像記録として、楽しむことになった。

 「スコセッシ一流の『音楽映画で泣かせる』スキル」は、特筆するほど発揮されていない(強いて言えばエンディングだが)。それ以前に、ストーンズがロックンロールするだけで、こっちは泣き出している。

 もういい加減、ストーンズに関しては年齢がどうこうと言うのは、馬鹿馬鹿しいので、やめた方が良いかもしれない。いみじくも、「アホな質問しかしない、アホなマスコミ」の代表として、ミックの年齢を尋ねた(しかもリアクションが限りなくアホっぽい)女性は、日本人だったではないか!(彼女は損な役回りで、気の毒。きっと、まともなやり取りもあっただろう。)
 ストーンズの4人がストーンズであり、ロックをやっている限り、その原動力はロックそのものであり、「全員60代なのに、凄いねぇ」などというのは野暮だ。いや実際、あの年齢であれは凄いのだが、それが当たり前に思えてしまうほど、自然に弾けている。
 それにしても…ロックの精と化しているキースを見ると、どうしてこの男が若いころ、ジョージと似ていた時期があったのか、まったく分からない。

 各曲目ごとの感想は、DVD発売&鑑賞後にまとまるだろう。
 印象的だったシーン。一番は "Far away eyes " か。優雅にスライドを奏でるロニーって、やっぱり可愛い。ワン・マイクのミックとキース。額をくっつけ、キースがギターから右手を離してミックの肩にやると、大歓声があがる。
 確かに60年代初頭、FABがワン・マイクはウケる事を知らしめたが、そこまでやれとは、言っておらぬ!新郎新婦@カラオケ3次会か?!→YouTube参照
 "You Got the Silver " のキース。珍しく、ギターを持たずに熱唱。なんかズルい。格好良くないはずがない。五円玉パワーか?
 映画の冒頭で、「クリントンのゲストがあと30人来る」と聞かされたチャーリー。顔に「そんなに来るのか」と書いてあるよ。

 最近の音楽映像の常だが、カメラ・チェンジが激しくて、いささか疲れる。無論、ストーンズを間近に見る臨場感は伝わってくるのだが、「ラスト・ワルツ」での、あのじぃ~っとしたアングルが懐かしい(あれは、「やむを得ずワンショットしか撮れなかった」のだろうが)。
 「ラスト・ワルツ」つながりで言えば、映画冒頭のビリヤード。ちょっと可笑しくなった。

 スコセッシは今、デカプリオ主演の映画を製作中なのだが、ジョージの伝記映画にも着手している。今度は、主役が故人であり、CFGのようにライブが据えられているわけでもない。さぁ、どんな映画になるのか、楽しみだ。

 [Shine a light] を見終わったら、むしょうに[ Runnin' down a dream] (映画)を見たくなった。

ストーンウォール・ジャクソン2009/01/29 22:15

 ストーンウォール・ジャクソン。
 本名、トーマス・ジョナサン・ジャクソン。1824年バージニア州生まれ。南北戦争開戦の時は、合衆国陸軍の少佐で、軍学校の教官をしており、担当は砲術と数学だった。

 ジャクソンもリーと同じく、故郷バージニアと行動をともにし、当ブログにも度々登場するとおり、南軍の将として活躍した。
 1861年第一次マナッサスの戦い(2008年9月18日の記事参照)では、数の面で南軍が圧倒的に不利な中(南北戦争中、ずっとそうだが)、不退転の決意で決して引かず、その様子が「石の壁」のごときであるとして、「ストーンウォール」というあだ名をたてまつられた。
 しかし、その後の彼とその部隊の活躍は、どちらかというと機動性を生かした「歩く騎兵」と呼ばれる行動に終始した。
 1862年春の半島作戦前はシェナンドア渓谷で、神出鬼没の活躍を見せて北軍を混乱させた。
 七日間戦争ではさすがに部隊に疲労がたまったが、その後素早く北に軍を展開させ、第二次マナッサスの戦いも勝利に導いた(2008年10月11日の記事参照)。
 1862年秋、リーはメリーランド作戦を決行する(2008年12月17日の記事参照)。リーは部隊を分散させて北軍の各軍事拠点を攻撃させたが、ジャクソンはもっとも遠いハーパーズ・フェリーを迅速に落とした。

 ハーパーズ・フェリーは、大規模な兵器工廠のあったところで、戦前の1859年に奴隷解放主義者ジョン・ブラウンが蜂起している(ブラウンの主張は暴力を肯定しており、リンカーンは彼を「見当違いの狂信者」としている)。
 ブラウンの蜂起を鎮圧したのが、当時合衆国陸軍将校だったリーであり、逮捕されたブラウンの死刑執行の警備にあたったのがジャクソンだった。

 ジャクソンの強さは、目標を見定める勘の良さと、実行するための命令にぶれが無いことだった。
 各部隊を率いる将官個人の判断に任せる傾向の強いリーにとって、ジャクソンはまさに理想の部下だった。リーはジャクソンとは個人的に親しい友人であるとともに、その能力を非常に愛していた。
 ジャクソンは信心深く、勝負はすべて神の思し召しとして、余計な運試しや仮説の構築には見向きもしなかった。マクレランとは好対照かも知れない。その信仰心は、日曜日の戦闘を嫌い、祈りを欠かさず、その間若い兵士たちは沈黙を保つのを常とした。

 神と家族を愛したジャクソンだが、極端に寡黙で、コミュニケーションに難があったらしい。それは部下への指示に影響し、副将を務めたA.P.ヒルとは、作戦面で衝突することが多かった。
 ある意味、神秘的な雰囲気の持ち主である一方、どこでも寝る、乗馬が苦手、身なりに気を使わないなど、傍目には一兵卒にしか見えない一面もあった。
 1862年末までにはストーンウォール・ジャクソンの名将としての評判はひろまっており、ハーパーズ・フェリーの住人たちは、名将ジャクソンのみすぼらしさに驚いた。それを伝え聞いたジャクソンの年若い親友が、美しい軍服をプレゼントしている。

 ジャクソンは戦争半ば、38歳で命を落としたため、その名声は伝説的なものとなった。その死については後の記事に譲るが、とにかくストーンウォール・ジャクソンの名は南部の人々の心に尊敬と、故郷への誇りを伴って生きつづけることになった。