George Harrison “Rocky” Stratocaster2022/08/03 19:42

 フェンダーが、ジョージ・ハリスンの “Rocky” を再現した、シグネチャー・モデルのストラトキャスターを販売し始めた。

フェンダー、ジョージ・ハリスンの”Rocky”を再現した新シグネイチャー・ギターを発売

 ロッキーは1961年のモデルで、ジョージは1965年に入手。オリジナルはライトブルーだが、ジョージがサイケデリックなペイントを施したため、見た目のインパクトとしてはかなり有名である。

 フェンダーの公式紹介動画がこちら…なのだが…?!



 なんだ、この動画は?突っ込みどころ満載ではないか。
 あのジョージ要素皆無のギタリストと言い、曲と言い、演奏方法と言い…はっきり言って、センスが無さ過ぎて救いようがない。やるならちゃんとダニーを連れてくるなり、少なくともマイク・キャンベルを連れてくるなり(マイクのツアー先に出向くなり)すれば良いのに。
 あまりのひどさに、ギターそのものへ目がいかない。私はギターを買う趣味がないからなんとも言えないが、コレクターであっても、買う気を削がれるのではないだろうか。

 フェンダー公式が当てにならないのだから、ここはすかさず、”I Won’t Back Down“ で行ってみよう!
 ハートブレイカーズのUKツアー中(直後?)に撮影されたこのビデオでは、ジョージ自らロッキーを持参してマイクに持たせている。ジョージと友達になると色々良いことがあるが、これもそのうちの一つだろうか。
 本当に一瞬しかロッキーは登場しないが、よほどこちらの方が見ごたえがあるし、マイクのスライド・ギターもジョージ要素満載。実際の演奏に使われてはいないとはいえ、ロッキーが欲しくなるだろう。

Gershwin Award 19962022/08/07 17:34

 私の記憶の中で、長い間ちょっとした謎だったことがある。
 まだインターネットでトム・ペティ・ファンを出会う前、日本のラジオ番組(たぶん J-Wave) を聴いていたら、珍しくトム・ペティ関連のニュースが伝えられた。日本語でトム・ペティの名前を聞くのですら珍しいことだったので、日本でただ一人のファンだと思っていた自分は、ラジオの前で大興奮した。
 そのニュースの記憶は、こうだ。トム・ペティがアメリカのある大学(たぶん西海岸)の公演でスピーチをした際に、学生の一人にギターを借りて新曲を披露したという。ここでラジオDJが、「いい人過ぎる!」と言ったので、大きくうなずいたものだ。もっとも、このころはトム・ペティのファンになりたてで、彼のパーソナリティはよく知らなかったのだが。なんとなく、その曲が “Walls” だったと思い込んでいた。

 改めて Here Comes The Heartbreaker!(さすがの情報量) で確認すると、これはやはりUCLAの “George and Ira Gershwin Lifetime Musical Achievement Award” で、1996年4月のことだった。2008年から始まった「ガーシュイン賞 Gershwin Prize(米国議会図書館が授与する)」とは別のものらしい。
 最近、YouTube にその際の動画があがった。途中で映像がなくなるが、ともあれ便利な世の中だ。



 いろいろ情報の訂正が必要だ。演奏したのは “Angel Dream” であり、ギターは最初から用意されていたらしい。トムさんが「ギター無しステージに立つのは緊張するんですよ。ギターあります?」と言って、ストラトキャスターが登場したので、これが「学生の一人から借りた」という話に変化したらしい。
 まだ45歳のトムさん。やっぱり若いし、髪もツヤツヤ。この時期によく着用している丸型メガネも、この時はとても似合っていた。
 この会合自体が、UCLAの同窓会の組織らしく、手作り感がある。既にベテラン大物ミュージシャンだったトムさんが、この授賞式に出席してくたのは、LA在住が長く、UCLAにもそれなりの愛着があるからだろう。
 こういう歴史的なスピーチや、演奏がもっと共有されると嬉しい。

The HU / Yuve Yuve Yu2022/08/11 20:04

 音大時代は、仲間の間で色々なもの(音楽、楽器、曲, etc.)が流行ったが、ホーミーもけっこう流行った。たしか楽器学の講義で、モンゴルの喉歌、ホーミーが紹介されて、一生懸命真似しようとしたのだ。楽器学の先生曰く、下手にやると具合が悪くなるらしい。
 ホーミーのみならず、民族音楽全般も人気だった。モンゴル、ホーミーとくれば、日本人の間では「馬頭琴」という名前で有名なモリンホールである。―― と来れば、モンゴルのロックバンド、ザ・フー (The Hu)である。「匈奴ロック」というネーミングは安直だが、これはけっこう格好良い。



 かなり突き抜けた感じが良い。バンドイメージ的にやや中二病でなくもないが、音楽としては骨格がしっかりしていて、スカっとする。
 モンホールはかなりアレンジを施しているが、「草原のチェロ」の異名を取る以上の力強さ。
 さらにホーミーを用いた独特の歌唱法が、印象的だ。こうなると本当に血と地のなせる技で、なかなか真似が出来るものではない。

 この "Yuve Yuve Yu"が2018年後半に公開され、世界中に認知されるに至っただのだが、その後の世界が COVID-19 の時代になってしまったのが惜しい。落ち着いたら、さらに面白いものをひっさげて日本のフェスなどにも顔を出したら受けるのではないだろうか。

New Music, Toronto TV 1979-812022/08/15 19:22

 どうやらカナダのテレビ番組に出演したらしき、1979年と1980年のトムさん発見!
 ウッキウキで再生したら、いきなり短髪 & 初々しいトムさんにノックアウトされた!ぎゃー!だめですよ、こんなん反則じゃん!若いじゃん!可愛いじゃん!惚れるに決まってるじゃん!話の内容はまったく頭に入らないじゃん!(それほど特別なことは喋っていない)。



 トムさんの髪が一番長かったのは、たぶんマッドクラッチの頃だったと思う。彼の独特の髪の長さは、どうキープしていたのだろう。レコード・デビューしてからは伸ばし放題にはせずに、それなりに整えるオシャレさん。そして時々、妙に短いことがある。不思議なことに、若い頃のトムさんは髪が短い方が女の子っぽいのだ。

 この動画、うまく編集してあって後半は1980年。ロッカールームみたいなところで、くつろいだ感じのトムさん。そもそもトムさんって、けっこう緊張するタイプらしく、インタビューの時はだいたい大人しいのだが、このときはちょっとリラックス・モードである。タバコをバクバク吸いながら、陽気に笑っている。時代だなぁ。
 いつも私はトムさんのシャツに目が行くのだが、この1980年は工業大学系のチェック・シャツ。ダサくもなるが、トムさんが着ると可愛い。下にTシャツ着てる?それは見えなようにした方がいいな。
 そして初めて見たのが、ちょっとチェック柄の入ったジャケット。あら?これ、いいじゃない!格好良いし、オシャレだよ!なんでこのジャケットもっと着なかったの?なんで数年後に宇宙柄の超ダサ・ジャケットになっちゃうの?

 トムさんくらいのキャリアの長いミュージシャンになると、当然21世紀になってからの映像が圧倒的に多く世の中に流布するわけだが、こういう初々しいトムさんも、どんどん発掘していってほしいものである。

Harmony Hotel / Askil Holm2022/08/19 20:40

 1980年生まれのスウェーデン人ミュージシャン,アスキル・ホルムは、2003年のデビュー・アルバムが強烈だった。超名作 [Daydream Receiver] ―― これはかなりヘヴィ・ローテーション、かつ長く愛聴しているアルバムだ。
 現在でもミュージシャンとして活動はしているが、寡作らしい。英語の曲のアルバムは 2007年にこのたび私が購入した [Harmony Hotel] を発表しただけで、あとは2012年に母国語でのアルバムのみである。しかも後者はディスクで手に入らない。

 二作目 [Harmony Hotel] も、デビュー・アルバムに引けを取らない優秀作である。ポップでロックで、ややカントリー気味。トム・ペティが好きで、なおかつマッチボックス20が好きだったりすると、間違いないだろう。
 まずは、アルバム冒頭の "Living in the Countory" ―― キャッチーなリフから始まる明るい曲で、誰が聴いても楽しくなるだろう。



もう一曲、[The Record Store] ―― フォーク・ロック調で、ハーモニカがクラシカルでひねりは無いが、効果的に用いられている。



 良いなぁ、良いなぁと思いながら動画を見ていたら、アスキル・ホルムが恐らくスウェーデンの仲間と、2020年に "Handle with Care" を録音しているのが見つかった。どうもトム・ペティ・トリビュートのようだ。
 歌い方を微妙にウィルベリーズに似せているし、ウクレレのサウンドをかなり強く出している辺りが特徴だろうか。スライドギターはさすがにジョージやマイク・キャンベルほどの凄さはないが、繰り返して効果的に用いている。



 セカンド・アルバムも良いし、ウィルベリーズ,ハートブレイカーズ・リスペクトぶりも良い。もっとアルバムを出して欲しいし、母国語の三枚目のアルバムもディスクで欲しいところだ。

Ich bin Sebastian2022/08/23 20:12

 2022年7月28日、セバスチャン・ベッテルは今季限りでフォーミュラ・ワンから引退することを公式に発表した。
 これまで一切ソーシャルメディアに関わってこなかった彼が、初めてインスタグラムを開設し、その最初の投稿として英語とドイツ語で、自ら引退する旨、そのほかの思いを語った。

Instagram / Sebastian Vettel

 今シーズン、マシンは決して速くないが、彼個人としては善戦が続いていたし、チームとの関係も良好。来シーズン以降の契約継続を望まれていたので、この引退表明には驚いた。
 正直言ってとてもショックで、受け入れがたい、嘘だろうという気持ちがした。しかし、彼自身の口からはっきりとその意志、今思っていること、大事にしていきたいこと、F1 を愛していることを伝えられると、やがて彼の決意を受け入れられるようになった。
 万事は移ろいゆき、時代は変わる。最年少ワールド・チャンピオンの記録を持つセバスチャンも、引退の時が来ることはわかっていたのだ。それが今年というわけだ。

 思えば、セブというドライバーが好きすぎて、ドイツ語をかじり始めたくらいである。スポーツ観戦は好きだが、一人の選手にここまで入れ込んだのは彼だけではないだろうか。先日、ゲイ向けの雑誌の表紙を飾ったときは、本気で買いそうになった。



 今回のインスタグラムのコメントももちろん英語で聞いたし、ドイツ語も全て手書きで書き写して、ちまちま翻訳している。英語とほぼ同じ事を話しているが、所々表現が違ったりする。
 一番分かりやすいのは、もちろん "Wer bin ich? Ich bin Sebastian. Vater von drei kindern und Mann einen wundervollen Frau" だろう。自分が何者で、どんな物が好きで、どんな性格であるのか。F1 ドライバーとても、人間であり、チョコレートが好きだったり、好きな色は青だったりする。
 そして何度か出てくるのは、Zeit (時)という言葉である。何事にもその「時」がある。レースを愛する人々にとっての共通の時、自分が引退を表明する時、家族と過ごす時。人はそれぞれ、その時どきに必要な選択をしなければならない。それが人生なのだろう ―― 
 そういうセバスチャンの選択を支持したいし、今後の彼の人生が豊かで幸せなものであることを祈っている。

 考えてみれば、私はもはやセバスチャンの個人的なファンであって、F1 ドライバーではなくても良いのかも知れない。世界のどこかで ―― 多くはスイスの湖畔で、家族と幸せに過ごしてくれれば良いし、社会問題に対してメッセージを発したり、運動したって構わない。
 インスタグラムを開設したということは、F1 後のセバスチャンは、自分を発信していくつもりだということではないか?それはそれで楽しみが増えるというものだ。彼の引退レースを迎えるのはとても寂しいし、きっと号泣するだろうけど。リタイアしてマッサのように万雷の拍手で迎えられたり(翌年戻ってきたけど)、ライコネンのようにいつの間にか居なくなったりするかもしれないけど。それもきっと、たくさんのレースのなかの一つなのだ。

 それにしても ―― !セブの引退を惜しむ声ったらない!特に F1ドライバーからのコメントはいちいち報道されるので、本当にきりがない。
 思えば、ハミルトンなどはかなり寂しい思いだろう。同世代のライバルだったし、多数回チャンピオンとしての気持や、社会問題への発言をする勇気も分かってくれる、同士、理解者だったのだから。
 ドライバーズ・アソシエーション理事としての役割も大きかったようで、セブがはっきりと物を言ってくれるおかげで、ドライバーたちはかなり助かっていたようだ。それは会社組織などにいると良く分かる。説得力のある人が、ズバリと問題に切り込み、意見してくれるというのは、とてもありがたいのだ。現役ドライバーは引退しても、理事として残ってもらっては?なんて話も出るくらいだ。セブに対する信頼感はとても大きかったのだろう。
 ミック・シューマッハは公私ともにとてもセブと親しかったし、ガスリーも親身になってアドバイスをもらったり、「トロ・ロッソ優勝者の会」の会員にもしてもらった。ノリスに関しては去年、大雨のスパで、大クラッシュした彼の様子を、セブはわざわざマシンを止めて確認してくれたが、そのノリスだって子供の頃に撮影してもらった、セブとのツージョット写真が自慢だ。
 そう、去年のスパでのセブに関しては、日本の解説陣も「なんか優しさを見ちゃったな」「ベッテルは優しいですよ」とか言ってた。そういう「優しさ」が、実は「トップの」 F1 ドライバーではなくなった証拠なのかも知れない。それはきっと人間として良いことに違いない。

 しんみりばかりも、していられない。夏休みが終わり、レースが再開されるのだ。
 私が好きではないドライバーが最もチャンピオンに近く、フェラーリに期待するとがっかりする!罰金はセバスチャンが払いまくり(スクーターなんて乗り回して、わざと払っているような…)、アロンソは移籍が決まる、リカルドは危ないと噂される!
 今シーズンはまだ終わっていないのだ。

音楽鑑賞環境の再整備2022/08/27 22:11

 iPod が壊れた。
 厳密には、iPod Classic 第六世代 160GB が、記憶していたはずの約1万曲を、完全に喪失したのである。
 そんな恐ろしいことが起きたのが木曜日の午後。押しても引いてもひっくり返しても、記憶は戻らない。呆然とした。
 確かに、ハードでバックアップを取っておかなかったし、なおさらクラウドでも取っていなかったのは悪かった。でも、iPod が Windows に対応して間もなく使い始めて以来 3台、20年あまりに渡って、一度たりともメモリーが飛んだことは無かったのだ。
 一部パソコンのハードドライブに残っているファイル、予備の小さなプレイヤーにあるファイルが何かの助けになるだろうか。そして今、第五世代のiPod を発掘,再充電して、メモリを取り出せるか試そうとしているところだ。

 では、この記憶喪失になったiPod にもう一度曲を入れ直す必要はあるのだろうか?
 そこで、iPod について考える。そもそも、私はアップル信者ではない。むしろ冷めた態度でいる。古いiPhone こそ会社から貸与されているが、本当に最低限しか使わない。パソコンは仕事もプライベートも Windows だし、スマホは国産のアンドロイド、イヤホンは Bose, 時計は社会人二年目に買ったタグホイヤーだ。
 iPod は唯一使っているアップル製品と言っていい。その良いところは、「音楽が聴けるだけの機械」であることだ。音楽専用であり、バッテリーも音楽再生にしか使われない。ネットに繋がなくても、所蔵しているCDの全ての曲を収納して、全てを聴くことに集中できる。この専門性と独立性が良かった。不足は直接 Bluetooth 接続できないことだけだった。
 しかし、アップルはもはや iPod を製造しない。遅かれ早かれ、私は iPod を捨てて、新たな大容量の音楽再生専門器機を入手する必要があったのだ。

 そうと決まったら、動き出すのは早い。さっそく今日、ヨドバシカメラに乗り込み、「iPod クラシックの代替機。容量 160GB 以上でイヤホンジャック & Bluetooth つき」という条件で、結局 64 GBの Walkman に microSD で124 BGを上乗せするという結論に至った。

 さらに、もはや完全に Work from Home に移行した以上、移動時以外も常にこの Walkmanで音楽を聴くべく、Bluetooth スピーカーも導入する。CD プレイヤーとして、Bose Wave Music System があるのだが、いかんせん CD の入れ替えは忙しい。そのようなわけで、Bluetooth スピーカーは相談するまでもなく、Bose の格好良いシルバーモデル。以上、しめて82,000円ほどのお買い上げ。
 なかなか大胆だが、音楽を愛する私の行動としては普通である。



 問題は、Walkman にどうやって全ての楽曲を入れるかという問題である。ちゃんとしたバックアップはないのだし、iTunesとは当然直接はつながらない。いろいろググって調べる必要がある。最悪、20年以上前にやったように、全てのCDを一から入れ直すことになるかも知れない。
 それでも、私にとっての音楽はそれだけのお金と労力に値する、大事な、大事なものなのだ。やるしかない。