I Won't Back Down2021/10/03 19:49

 2017年、トム・ペティが亡くなった日は、いまだに10月3日の昼頃(日本時間)と認識している。同様のことは、ジョージでも言える。彼が亡くなったのは、11月29日ではなく、11月30日だと思っている。
 あれから4年。思えば、トムさんが亡くなる3ヶ月前に、ニュージャージーでハートブレイカーズのコンサートを見てから以降、いわゆるロックのコンサートを見ていない。
 時代は COVID-19 の時代に突入し、歴史の変わり目を迎えていた ――

 これは、私が最後に目にした、トムさんの姿である。



 この困難な時代に、トム・ペティは私たちにどう語りかけるだろうか。

Springtime in New York2021/10/07 19:29

 愛用の CD プレイヤー,Bose の Wave Music System が今年三回目の故障を起こし、入院せざるを得なかった。
   このブログを始めた頃に買ったモデルだから、もしかしたら年数的に限界なのかも知れない。いや、これは Bose だ。安くもなかった。大事に使えば一生物だと思いたい。そもそも、最新のモデルはデザイン的に気に入らない。最近流行りの Bluethoos スピーカーにも興味がない。どうして、在宅勤務中に圧縮ファイルを無線で飛ばすみたいな音質で我慢できようか。
 ともあれ、退院してきたプレイヤーで、やっとボブ・ディランのブートレグシリーズ16,1980-1985 [Springtime in New York] を聴くことができた。



 いわゆる「ゴスペル三部作」の後、[Shot of Love], [Infidels], [Empire Burlesque] の時代の、アウトテイクや、リハーサル集である。一応、未発表曲もあるが、数は少ない。
 何となくこの1980年から1985年にかけてのアルバムの別テイクを並べただけど、ブートレグシリーズにしてはちょっと物足りない内容かも知れない。
 しかし、不思議なことにちょっとしたエアポケットのように思われている、ディランのこの頃も私は大好きなのだ。もっとも、私が余り好きではないディランなんて、「フランク・シナトラ&懐メロカバー時代」だけなのだが。
 マーク・ノップラーを迎えて、ポップで温かいロック・バンド・サウンドが心地よい。ノップラーは自身の活動もあって、徹底的に付き合ってはくれなかったようだし、商業的には大成功とは言えない時期だった。でも、商業的な成功と、ミュージシャンの充実具合は、ちょっと違ったりすることが度々ある。ジョージの [Gone Troppo] などその好例だろう。
 ポップ・ミュージックなので商業的な面を無視することはできないが、ボブ・ディランほどの人なら、こういう時期があっても、少し肩の力を抜いて楽しげなロック・バンドサウンドでディラン節を聴かせてくれれば、それだけで心が安まる。



 思うに、この頃から既に、ディランにとってのウィルベリーズへの道しるべが出来ていたのかも知れない。ただ、パートナーをどうするかで多少寄り道をしたが、結局トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとの幸せなタッグが成功し、あのウィルベリーズへの実りに繋がっていく。
 結局、商業的な成功とか、評論家がどうこう言うとか、そういうことは彼の音楽の良さとはあまり関係ないのだろう。ディランが、ディランらしく、彼自身の曲を歌ってさえいれば、私はそれで幸せだ。

Drift Away2021/10/11 21:50

 先日、騒がしい場所だったが、リンゴが歌っている、聞き覚えのある曲が耳に入った。リンゴだけではなく、女性を含めたゲストたちと一緒に歌っているようだが、メインはとにかくリンゴだ ―― この曲何だっけ?
 そうだ、ロッドの曲だ。帰り道に iPod で確認すると(私は電話で音楽を聴くと言うのが気に入らない。音楽は音楽専用機器で聴きたい)、曲名が判明。"Drift Away" 。早速ググってみたら、まったく予想外に金髪お兄さんの姿が飛び出したので、びっくりしてしまった。



 トムさん、何やってるの?!
 調べてみると、1998年アルバム [Vertical Man] でリンゴがカバーした曲に、トムさんと、アラニス・モリセット,スティーヴン・タイラーがゲスト参加したのだそうだ。トムさんだけ声の音圧が低くて、最初に聴いたときに気付かなかったのだ。さすがリンゴ、凄い人がよってたかって応援してくれる。
 素晴らしく格好良い出来だ。リンゴのシンガーとしての良さ ―― 何の技巧もない素朴な声だけど、ちょっと泣きたくなるような、胸が熱くなる響きが遺憾なく発揮されているし、トムさんは説明無用だし(トムさんによるサビも聴きたかった…)。最後のスティーヴンはちょっと浮いているかな…

 私は "Drift Away" をロッドの曲だと思い込んでいたが、実際はカバーである。([Atlantic Crossing] 1975)。
 原曲は、メンター・ウィリアムズが1970年に作り、1972年にジョン・ヘンリー・カーツが発表した。しかし、この最初の録音はヒットはせず、この曲を有名にしたのは、同年にドビー・グレイが発表したバージョンだそうだ。

 私のお気に入りは、やはりロックロール・シンガーであり、ソウルフルな歌声を聞かせてくれる、ロッドのバージョンだ。
 次は、ロッドとリンゴの共演で聴きたいな。そこにロニーのギターが加わったら、もう最高じゃない?

雅楽の番組2021/10/15 22:40

 今日は珍しく、NHK が雅楽に時間を割いた。主に宮内庁楽部の演奏活動である。
 そもそも、NHKの邦楽関連の放送は、近世邦楽に偏っていると思う。確かに一番盛んだろうし、人気もあるのだろうが。能楽なんてもっとやって良いと思うし、雅楽に至ってはほとんど皆無なのだ。
 そんなわけで、「雅楽とは何か」から話が始まった。皇居楽部の舞台から、巨大な火焔太鼓 ―― やはりあの巨大な太鼓の音は、あの現場に行かないと体感できない。そういえば、楽部が春秋に行う一般公開は去年、今年はどうしているのだろう?
 私が楽部の演奏会にもっとも頻繁に行ったのは学生時代で、よくカーテンの向こう側に潜り込んで、先生たちの練習室を覗いたりした物だ。当時は先生方の間で卓球がはやっていたので、部屋の片隅に卓球台があるのには笑った。

 番組では、雅楽の装束の煌びやかさにも言及している。これは良い点だと思う。ただ、装束の話になれば、舞楽には右方と左方があることくらいは、説明しても良かったような気がする。
 それから、楽士さんと研修生の稽古の様子。陵王の練習といっても、当曲ではなくて、陵王乱序(入場の曲・舞)の練習だった。あれを見ると、音大時代に陵王一具をやったことを思い出す。私は龍笛の主管だったので、仕事も多かったが、今思えば恐れ知らずの気楽な時代だった。
 芝先生、宮田先生をはじめとする先生方と、脳天気な学生たちのただただ楽しい挑戦。屈託がなくて、純粋に楽しんでいたのだから、音楽において重要な一要素を実現していたと思う。

 こういう雅楽紹介の話になると、舞楽として披露されるのは、だいたい「陵王」だ。たしかにそれに値する名曲である。
 しかし、私の中で舞楽ナンバーワンは、近年「陵王」ではなくなっている。芝先生が作った、「瑞花苑」があまりにも素晴らしく、あれが一番お気に入りなのだ。
 伶楽舎が再演してくれることを願っているし、他の雅楽団体もどんどんやればいいのにと思う。確かに芝先生の曲・舞楽だけど、名作はみんなの名作であるべきだ。

 年末にかけて、伶楽舎の演奏会も計画されている。ここ一年半、演奏会に行くこともままならなかったが、私もそろそろ演奏会を楽しむことが出来るのだろうか。自分のピアノやティン・ホイッスルのレッスンも再開しつつある。
 籠もる生活もそれなりに好きだが、音楽と共に外に出る生活も楽しい。焦りは禁物だが、そういう日常が戻ることを願ってやまない ―― そんなことを思う雅楽の時間だった。

XVIII Chopin Competition2021/10/19 21:52

 ショパン・コンクールもいよいよ大詰め ―― らしい。一応、各ステージ通過者をチェックしたり、断片的に演奏を聴いてみたりするのだが、どうにもクラシックは長くて困る。

 ファイナルがピアノ協奏曲というのは、どうなんだというのは、学生の頃も議論になったものだ。
 ショパンはピアノに関しては天才だが、オーケストレーションとなると、二流である。私の個人的な意見では、決勝はソナタかファンタジアで良いとおもう。それに対して、オーケストラをバックに大曲を弾ききる技量も必要だという意見もある。それもそうかな…

 ファイナルで、ピアノ協奏曲1番を弾けば勝つというのは、有名なジンクスだ。チャレンジャーは2番を弾くが、確実に勝ちを狙うなら、1番というわけ。
 さっき、既に演奏の終わった四人の曲をチェックしたが、全員1番だった。この調子で12人全員1番だったら、聴く方も大変だな。

 誰が勝ってもいいし、誰も勝たなければそれでも良いだろう。ショパン・コンクールは、「優勝該当者無し」も度々ある。
 勘違いしてはいけないのは、コンクールは才能ある若者の発掘の場であり、「世界で一番ピアノが上手い人」を決める試合ではないということだ。
 コンクールは飽くまでも出発点であり、ピアニストとして大成するかどうかは、その後にかかっている。せっかく優勝しても、残念ながら大成しなかった人もいる。誰とは言わないが…いる。
 そして、二位だったアシュケナージや内田光子がその後世界最高のピアニストになったことや、エフゲニー・キーシンは出場さえしていないことを、忘れてはいけない。

 そんなことを思いながら、ぼんやり YouTube を眺めていたら、なんかとてつもなくおバカなものが引っかかった。
 メタル・ギタリストによる、幻想即興曲!



 うわー、バカだなー!おバカ・メタルを極めてて、やたらと笑える。
 どうせやるなら、左手パートも録音して、重ねればいいのに。その辺りの中途半端さが、メタル・バカっぽくていいね。

I Won't Back Down / Ich geb nie auf2021/10/23 21:54

 トム・ペティは10月20日が誕生日だった。1950年生まれなので、生きていれば71歳 ―― 
 彼が亡くなったとき、たくさんの人たちが彼の功績を讃えてその歌を歌い、捧げたが、一番多かったのは、 "I Won't Back Down" ではないだろうか。どんな逆境にも負けず、生き抜いてゆこうとする人々とその勇気への賛歌。
 トムさんの死をも乗り越えなければならない私たちにとって、無ければならない曲だ。

 トムさんは言うまでもなく、アメリカ,フロリダ州ゲインズヴィルの出身。フロリダ大学があるこの街は、トム・ペティを輩出したことを誇りにしている。フロリダ大学のスポーツチームはだいたいワニのマスコットの、「ゲイターズ」なのだが、マイクはマスコット柄のギターを持っているし、ハートブレイカーズもゲイターズの本拠地で何度かライブを行っている。(スポーツドリンクの、ゲータレイドも、このゲイターズが由来である)
 トムさんが亡くなった後、(アメリカン)フットボールのフロリダ・ゲイターズの試合会場で、観客たちが "I Won't Back Down" を大合唱したシーンは、本当に感動的だった。
 トムさんへのみんなの愛情が一つになってこだまし、魂を震わせる素晴らしき瞬間だった ―― と、思ったら、どうやらゲイターズのホームゲームでは、インターミッションで、"I Won't Back Down" を大合唱してトム・ペティに捧げるのが、恒例になっているらしい。
 この動画は、今年2021年9月4日である。まさに、この曲は追悼曲ではなく、ゲイターズの、ゲインズヴィル市民の、そして全てのTP&HBファンのアンセムになったのだ。



 "I Won't Back Down" ついでに、こちらもどうぞ。
 なんと、ドイツ語版!その名も "Ich geb nie auf" いっひ、げぷ、にぃ、あうふ!いつか辞書を引いて読み解こうと思う。(私のドイツ語はまだそこまで行ってないのだ…)

Gone Troppo2021/10/27 22:33

 ウィキペディア日本語版によると、1982年の今日10月27日に、ジョージ・ハリスンのアルバム [Gone Troppo] が発売されたという。これは英国のリリース日だと思うが、日本では11月17日にリリースされたそうだ。
 ところが不思議なことに、ウィキペディア英語版を見ると、[Gone Troppo] のリリースは1982年11月5日になっており、本当の発売日がよくわからない。
 ともあれ、来年2022年は [Gone Troppo] から40周年なので、CRT ジョージ祭は、このアルバムを特集すると良いと思う。

 実のところ、私はこのアルバムが大好きなのだ。[George Harrison], [All Things Must Pass] に次ぐ三番目くらいに好きだ。ワーナーに移籍して以降の、明るくポップなジョージのセンスが光り、すごく充実している。80年代風に軽くはあるが、この時代をうまく生きた名作だ。
 そもそも、売れなかったとか、評価されなかったとか、余計なことを言われすぎである。そういう前置きを必ずする人は、音楽そのものをちゃんと聴いているのかどうか疑いたくなる。世の中には、作者の生前に評価されなかった芸術だの学術だのは、山ほどあるではないか。

 最初に私が [Gone Troppo] の楽曲に触れたのは、[Best of Dark Horse] (青い格好良いベスト盤。あれも再販してほしい)に収録されていた、 "Wake up My Love" である。この曲のシンセサイザーを大胆に使いつつ、ベースラインを強調した変拍子が、まず強烈だ。
 さらにディラン調のトーキング唱法に、ジョージ特有の滑らかなスライド・ギター。これほど様々な要素がうまく組み込まれた曲は、めったにない。



 もう一つ、私が大好きなのが、"Mystical One" ―― エリック・クラプトンのことを歌った事で有名な曲だ。
 「きみが現れ、ぼくの人生をリアルにしてくれた 心を溶かし、突き動かしてくれた その雨雲のような瞳と、スロー・ハンドで ――」幸せ者だな、クラプトン!羨ましじゃないか!
 もっとも、最初からこの曲がクラプトンを歌っていたのかは、よく分からない。デモではスローハンドには言及していないので、普通にラブソングを作っていたら、何となく親友の一人(ジョージには「大親友」が山盛りいる)っぽいから、そういうことにして歌詞を仕上げたのかも知れない。



 歌詞の内容的に難しいとは思うが、是非ともだれかに、ライブで演奏して欲しい。ダニーだな。こういうときに当てになるのは。いっそ,今度はウィルベリー・フェストでもやって、この曲を歌えばいいよ。

 これら2曲のほかにも、アルバム・タイトル曲である "Gone Troppo", キャッチーな "Dream Away" なども好きだ。
 ジョージ・ファンなら、2時間や3時間、このアルバムだけで語り倒せると思うので、CRTで特集して欲しいというのは、本気で言っている。

Midnight Special2021/10/31 19:52

 何となくテレビをつけていたら、アメリカ,テキサス州の特集をした番組のエンディングに、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの、"Midnight Special" が流れた。
 CCR ってテキサス出身だっけ?と思って確認すると、やっぱりテキサスとは関係なく、彼らは西海岸出身である。でも、音楽的には南部的な要素が強く、スワンプ・ロックの先駆けとも言われている。



 ミッドナイト・スペシャルというのは、かつてイリノイ州シカゴからアルトンまで走っていた列車のことで、やっぱりテキサスとは関係ない。
 しかし、この曲はカントリー,ブルースのトラディショナルとして歌い継がれており、映画などでよく囚人が黒白ストライプの服で働いている最中に歌っていたりする。

 Wikipedia を見ると、色々なアーチストにカバーされており、最近もポール・マッカートニーがライブで披露している。
 面白いところでは、スペンサー・デイヴィス・グループのバージョンがあった。なんというか…全然スティーヴ・ウィンウッドが活かされていなくて、天才の無駄使いなのがおかしい。天才がその才能を振るうのも良いが、凡人(←失礼)がお気楽に歌うのも、この曲には合っているようだ。