Charlie Watts ― 2021/08/28 20:49
2021年8月24日、チャーリー・ワッツが亡くなった。
私にとって、ミュージシャンとしてはジョージ・ハリスン,トム・ペティ,ハウイ・エプスタインらに並ぶ大きな喪失体験となった。
ただ、チャーリーに関しては、心のどこかで覚悟していた節もある。2004年に癌を患っているし、今年の北米ツアーは、「手術を受け、その療養のため参加しない」と告知されていたからだ。
ストーンズの公式ホームページは、現時点でもチャーリーの写真のみを掲載し、一切の情報を発していない。プロモーターなどが、今年の北米ツアーは予定通り行うと発言しているが、ストーンズ自体が、今後どうなるのかは分からない。
ザ・ローリング・ストーンズの魅力を語ったら、いくら時間があっても足りないが、その一部を2018年12月13日の記事 Keith Richards Has Cut Back on Drinking で、言及している。
このときの私に言わせると、ストーンズには独特のグダグダ ―― ルーズなところがあり、それをチャーリーの完璧さが支えている。「ここまで凄いと、なぜチャーリーがストーンズに居るのかではなく、チャーリーが居るからストーンズなのだとすら思えてくる。」 ―― 本当に、いまでもそう思う。
キースが「ストーンズは(ミックでもキースでもなく)チャーリーだ」と言ったエピソードはよく知られているし、21世紀になってから、チャーリーが引退するという噂が立ちつつ、結局そうはならなかったのは、ミックとキースが本気でチャーリーを説得したからだと思う。チャーリーがいなければ、ストーンズではない ―― と。
特にキースがチャーリーに向ける視線は、いつも愛情と敬慕の念があふれ、こんな最高のドラマーのバンドにいられる幸福感が彼を満たしていた。私が何度か見たストーンズのライブでも、その思いは観客たちに伝わった。
2003年、日本武道館でのライブでは、メンバー紹介のチャーリーの番になったとき、チャーリーの背後からキースがチャーリーの頭にキスをした光景は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。
ストーンズは、チャーリー亡き後も、ストーンズであり続けることが出来るだろうか?いま、ストーンズ自身とその関係者、そして多くのファンが直面している問題だろう。
ハードコアな人に言わせれば、ブライアン・ジョーンズ脱退後はストーンズではないかも知れないし、ビル・ワイマン脱退後をストーンズではないとする人もいるだろう。
私は、ミック、キース、チャーリー、ロニーの四人がいれば、ストーンズだと思う。彼らは十分にザ・ローリング・ストーンズとして私を魅了してくれた。
でも、チャーリーのいないストーンズは?どうなのだろう。いま、私には自信がない。あの、独特の前のめりの、つんのめった感じのグルーヴは、代えがたいストーンズの要素だ。なにせ、この "Mixed Emotions" では、イントロの1拍 ―― せいぜい一秒だけで、もうストーンズであることがわかってしまうのだから。
もしかしたら、ストーンズは終焉を迎えるのかも知れない。チャーリー生前の音源の発表こそあっても、ストーンズの新レコーディングや、ライブは行われないかも知れない。The Glimmer Twins with Ronnie Wood になってもおかしくない。
でもやっぱり、未練がましい、厚かましいとは思いつつ、ストーンズにすがっていたい。だって、ミックも、キースもいるのだもの。ロニーだっていてくれる。たった三人になって、年老いた彼らをまだ酷使するのかと非難されようとも、いちロック・ファンとして、ストーンズにはどうしてもこの世に存在していて欲しい ――
私は特に、好きなミュージシャンに早く死なれたという気持ちが強いので、なおさらそう思うのかも知れない。
いま、ストーンズ自身、それを取り巻く人々は、真剣にストーンズをどうしていくのか、考え、話し合っているのではないだろうか。
最後になったが、チャーリー・ワッツの魂が安らかであることを祈っている。彼がこの世の音楽に残した業績は、言い尽くせないほどだ。
今まで、本当にありがとう。お疲れさまでした。
私にとって、ミュージシャンとしてはジョージ・ハリスン,トム・ペティ,ハウイ・エプスタインらに並ぶ大きな喪失体験となった。
ただ、チャーリーに関しては、心のどこかで覚悟していた節もある。2004年に癌を患っているし、今年の北米ツアーは、「手術を受け、その療養のため参加しない」と告知されていたからだ。
ストーンズの公式ホームページは、現時点でもチャーリーの写真のみを掲載し、一切の情報を発していない。プロモーターなどが、今年の北米ツアーは予定通り行うと発言しているが、ストーンズ自体が、今後どうなるのかは分からない。
ザ・ローリング・ストーンズの魅力を語ったら、いくら時間があっても足りないが、その一部を2018年12月13日の記事 Keith Richards Has Cut Back on Drinking で、言及している。
このときの私に言わせると、ストーンズには独特のグダグダ ―― ルーズなところがあり、それをチャーリーの完璧さが支えている。「ここまで凄いと、なぜチャーリーがストーンズに居るのかではなく、チャーリーが居るからストーンズなのだとすら思えてくる。」 ―― 本当に、いまでもそう思う。
キースが「ストーンズは(ミックでもキースでもなく)チャーリーだ」と言ったエピソードはよく知られているし、21世紀になってから、チャーリーが引退するという噂が立ちつつ、結局そうはならなかったのは、ミックとキースが本気でチャーリーを説得したからだと思う。チャーリーがいなければ、ストーンズではない ―― と。
特にキースがチャーリーに向ける視線は、いつも愛情と敬慕の念があふれ、こんな最高のドラマーのバンドにいられる幸福感が彼を満たしていた。私が何度か見たストーンズのライブでも、その思いは観客たちに伝わった。
2003年、日本武道館でのライブでは、メンバー紹介のチャーリーの番になったとき、チャーリーの背後からキースがチャーリーの頭にキスをした光景は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。
ストーンズは、チャーリー亡き後も、ストーンズであり続けることが出来るだろうか?いま、ストーンズ自身とその関係者、そして多くのファンが直面している問題だろう。
ハードコアな人に言わせれば、ブライアン・ジョーンズ脱退後はストーンズではないかも知れないし、ビル・ワイマン脱退後をストーンズではないとする人もいるだろう。
私は、ミック、キース、チャーリー、ロニーの四人がいれば、ストーンズだと思う。彼らは十分にザ・ローリング・ストーンズとして私を魅了してくれた。
でも、チャーリーのいないストーンズは?どうなのだろう。いま、私には自信がない。あの、独特の前のめりの、つんのめった感じのグルーヴは、代えがたいストーンズの要素だ。なにせ、この "Mixed Emotions" では、イントロの1拍 ―― せいぜい一秒だけで、もうストーンズであることがわかってしまうのだから。
もしかしたら、ストーンズは終焉を迎えるのかも知れない。チャーリー生前の音源の発表こそあっても、ストーンズの新レコーディングや、ライブは行われないかも知れない。The Glimmer Twins with Ronnie Wood になってもおかしくない。
でもやっぱり、未練がましい、厚かましいとは思いつつ、ストーンズにすがっていたい。だって、ミックも、キースもいるのだもの。ロニーだっていてくれる。たった三人になって、年老いた彼らをまだ酷使するのかと非難されようとも、いちロック・ファンとして、ストーンズにはどうしてもこの世に存在していて欲しい ――
私は特に、好きなミュージシャンに早く死なれたという気持ちが強いので、なおさらそう思うのかも知れない。
いま、ストーンズ自身、それを取り巻く人々は、真剣にストーンズをどうしていくのか、考え、話し合っているのではないだろうか。
最後になったが、チャーリー・ワッツの魂が安らかであることを祈っている。彼がこの世の音楽に残した業績は、言い尽くせないほどだ。
今まで、本当にありがとう。お疲れさまでした。
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