Leicester Revisited ― 2018/12/01 20:45
ロンドンから北へ電車で約一時間。大学町レスターを再訪した。
レスターは、近年話題になっている町だ。まず2012年、修道院の跡地だった駐車場から、15世紀のイングランド国王リチャード三世の骨が発掘され、ニュースとなった。さらに、レスターシティFCが2016年にプレミア・リーグで初優勝を果たし、日本でもその名が知られた。
私がレスターを訪れたのは、2013年のことだった。世界でも有数のリチャード三世ウェブサイトを運営していた、友人のATさんとともに、リチャード3世の発掘場所や、ボズワース・バトルフィールドを訪れた。
そのATさんは、2015年12月上旬に亡くなった。
実際にお会いしたのはこの一度だけ。不思議な友情だった。
私はもう一度、レスターに行かなければならなかった。リチャードの発掘場所は、King Richard Ⅲ Visitor Center という博物館として整備され、リチャードはレスター大聖堂に埋葬された。
友人への報告のために。リチャードに彼女がいたことを報告するために。そして友人との出会いと別れを想いに留めるために、 レスターに行かなければならないのだ。
2018年11月5日。ロンドンを立ち、レスターに降り立った。まっすぐにRichard Ⅲ Visitor Center へ向かった。
5年前は騒々しい工事現場だったが、立派な博物館ができて、感無量の観があった。
リチャード自身や当時の遺物は特にないのだが、薔薇戦争や、リチャードの発掘に関する展示が色々と面白い。そして、展示の最後は、実際にリチャードの遺骨が出た現場のが保全されている部屋だ。
ガラスで覆われた床の下に、王の骨はあった。リチャードはこの地下にいたのだ。
嬉しいのは、お土産コーナー。リチャードや中世イングランドをモチーフにしたグッズが沢山売られている。レプリカコインや、アクセサリー、文房具など、ATさんがいたら、大喜びであれこれ買ったことだろう。
私もセンターのロゴつきのアイテムをたくさん購入した。
Richard Ⅲ Visitor Center の道を挟んだ向かい側に、レスター大聖堂がある。
10月に起きた、レスターシティFC会長らのヘリコプター事故死を受けて、大聖堂にはレスターシティFCの半旗が掲げられていた。
大聖堂の一角に、リチャードの墓所はあった。静かで、小さなその墓所には、乳白色の墓石があり、十字が刻まれている。その礎は黒い石で、リチャードの名とその生没年が刻まれていた。
この墓石の下に、実際リチャードの遺骨があるのか、大聖堂の職員に尋ねると、埋葬の様子の写真を見せてくれた。
駐車場で発見されたリチャードは、棺に納められ、王にふさわしい礼をもって葬られたのだ。
私はレスターをあとにした。
ATさんが亡くなって三年。やっと私はレスターを再訪した。ともに歴史や音楽の話で盛り上がり、レスター、ロンドン、ボブ・ディランを楽しんだ友人を想った。
月日は流れ、歴史は重なり、想い出は遠くなった。いつかまた、レスターを訪れる日はくるだろうか。そんな事をおもいながら、ロンドンへ帰る電車で聴くトム・ペティは、一層、心にしみこむのだった。
レスターは、近年話題になっている町だ。まず2012年、修道院の跡地だった駐車場から、15世紀のイングランド国王リチャード三世の骨が発掘され、ニュースとなった。さらに、レスターシティFCが2016年にプレミア・リーグで初優勝を果たし、日本でもその名が知られた。
私がレスターを訪れたのは、2013年のことだった。世界でも有数のリチャード三世ウェブサイトを運営していた、友人のATさんとともに、リチャード3世の発掘場所や、ボズワース・バトルフィールドを訪れた。
そのATさんは、2015年12月上旬に亡くなった。
実際にお会いしたのはこの一度だけ。不思議な友情だった。
私はもう一度、レスターに行かなければならなかった。リチャードの発掘場所は、King Richard Ⅲ Visitor Center という博物館として整備され、リチャードはレスター大聖堂に埋葬された。
友人への報告のために。リチャードに彼女がいたことを報告するために。そして友人との出会いと別れを想いに留めるために、 レスターに行かなければならないのだ。
2018年11月5日。ロンドンを立ち、レスターに降り立った。まっすぐにRichard Ⅲ Visitor Center へ向かった。
5年前は騒々しい工事現場だったが、立派な博物館ができて、感無量の観があった。
リチャード自身や当時の遺物は特にないのだが、薔薇戦争や、リチャードの発掘に関する展示が色々と面白い。そして、展示の最後は、実際にリチャードの遺骨が出た現場のが保全されている部屋だ。
ガラスで覆われた床の下に、王の骨はあった。リチャードはこの地下にいたのだ。
嬉しいのは、お土産コーナー。リチャードや中世イングランドをモチーフにしたグッズが沢山売られている。レプリカコインや、アクセサリー、文房具など、ATさんがいたら、大喜びであれこれ買ったことだろう。
私もセンターのロゴつきのアイテムをたくさん購入した。
Richard Ⅲ Visitor Center の道を挟んだ向かい側に、レスター大聖堂がある。
10月に起きた、レスターシティFC会長らのヘリコプター事故死を受けて、大聖堂にはレスターシティFCの半旗が掲げられていた。
大聖堂の一角に、リチャードの墓所はあった。静かで、小さなその墓所には、乳白色の墓石があり、十字が刻まれている。その礎は黒い石で、リチャードの名とその生没年が刻まれていた。
この墓石の下に、実際リチャードの遺骨があるのか、大聖堂の職員に尋ねると、埋葬の様子の写真を見せてくれた。
駐車場で発見されたリチャードは、棺に納められ、王にふさわしい礼をもって葬られたのだ。
私はレスターをあとにした。
ATさんが亡くなって三年。やっと私はレスターを再訪した。ともに歴史や音楽の話で盛り上がり、レスター、ロンドン、ボブ・ディランを楽しんだ友人を想った。
月日は流れ、歴史は重なり、想い出は遠くなった。いつかまた、レスターを訪れる日はくるだろうか。そんな事をおもいながら、ロンドンへ帰る電車で聴くトム・ペティは、一層、心にしみこむのだった。
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