Mitsuko Uchida / Schubert Piano Sonata Program2018/10/30 22:06

 10月29日、サントリーホールにて、内田光子のピアノリサイタルを聴いてきた。
 曲目はシューベルトのピアノ・ソナタ、7番,14番,20番。



 ポリーニは一階の前の方で聴いたが、今回は二階の後方。サントリーホールのような音楽ホールは、二階の方が音が良いというのは本当。今回の方が断然音は良かった。

 「ピアニッシモは、大ホールの最前列で聴いても、一番後ろで聴いても、ピアニッシモだ!」と言ったのは、私のピアノの先生だったか、ほかの人だったか。それを実感する、超絶的な指のコントロール。固唾を呑んで、自分の心臓の音さえも抑えながら聞き取るピアニッシモには、身が震える思いだった。
 それでいて、ダイナミズムも兼ね備え、まさに自由自在な演奏は当代一のものだろう。

 実は、シューベルトに、あまり馴染みがない。試験の課題曲になったこともないし、自ら積極的に弾きたいと思ったこともない。
 今回、改めて彼のソナタを聴いて、これは本物の天才なんだろうと思った。しかしその勇ましさはベートーヴェンとも違い、鬱たる叙情はショパンとも違う。どこか、普通のピアノの世界とは、別の世界に息づいているようだ。
 あるテレビ番組で、シューベルトのことを、「仲間内の小さな演奏会で楽しむための、歌曲を作った人」と端的に紹介していたことがある。もちろん歌曲も彼の本分だろうが、しかしそれだけでは、シューベルトの立つ瀬がないような気がする。彼自身は、そのピアノ・ソナタを聴くだけでも分かる、長大で、峻厳とした、堂々たる大作曲を自ら行い、そして早くに死んだ。
 内田光子の堂々たる大演奏は、シューベルトの分身のようでもある。

 私はどこか、内田光子のことを神秘的なピアニストだと思っていたようだが、実際は、ただべらぼうな天才であるところを除いて、人間であった。チャーミングで、理知的。自信にあふれつつ、親しみも感じさせる。素敵なピアニストだった。
 思えば、これほど幸せなピアニストもいないだろう。シューベルトのソナタ三曲だけで、リサイタルが開け、しかもそれが世界ツアーだというのだから。そんな贅沢なことが出来るピアニストが、この世に何人いるだろうか。

 サントリーホールに集った聴衆は、私にとっては、ちょっと異様だった。
 ポリーニに来ていた人の多くは、私と同じくけっこうミーハーだったのだ。今回の内田光子の聴衆の平均年齢の高さときたら、これまで体験したことがないほどで、ここは巣鴨かと思うほど。当然、舞台の前でピアノの写真を撮る列などない。
 これぞ本当に、クラシック音楽 ― 18世紀から19世紀のドイツ語圏音楽という、厳密な意味でのクラシック音楽であり、そういうクラシック音楽の中でも、ピアノに特化した、かなりマニアな演奏会だったかも知れない。

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