春鶯囀 (舞楽・管絃)2018/01/06 22:12

 伶学者の雅楽コンサート(No.33)「伶倫楽遊 鶯の囀りというしらべ~春鶯囀を観る、聴く」に行った。

 「春鶯囀」― しゅんのうでん ― と読む。春のウグイスのさえずりという曲なのだから、とても明るく、雅やかで素敵な曲だ。今回は、舞楽と管絃、両方で堪能した。



 伶楽舎のコンサートに行くと毎回思うのだが、やはり古典は良い。復曲も良い。いわゆる「現代雅楽曲」というのは勘弁してほしい。
 今回は前半も後半も完全なる古典で、本当に素晴らしかった。

 普通、管絃と舞楽があると舞楽を後に演奏するのだが、今回は舞楽が先で、管絃が後だった。どうしてかと不思議だったのだが、どうやら演奏する上での体力の問題だったのではないかと思っている。
 春鶯囀の管絃を全曲 ― 「一具」で演奏すると、雅楽で四曲のみ定められている「大曲」で、すっかり疲れてしまうのだろう。実際、後半は途中で気合いを入れ直している楽人の表情などもあって、それが覗えた。
 大曲は四曲のみということは解説にも述べられていたが、あと三曲が何であるのかには一度も触れなかった。伶楽舎は素晴らしい演奏団体なのだが、こういう解説のところで、いま一歩惜しい。ちなみに、あとの三曲は、「皇麞」「万秋楽」「蘇合香」 ― 確かに大曲だ。私はこれらを一具で聴いたことがないと思う。「蘇合香」はいちど伶楽舎が一具で演奏したのだが、この時は都合が悪くて聞きに行けなかったのだ。今回、「春鶯囀」を一具で聞くことが出来たのは幸運だった。
 舞楽も華やかでまさに雅楽の醍醐味。舞人の技量に関しては、もう少し伸びしろがあると思うのだが、それでもとても素晴らしかった。

 伶楽舎の音楽監督であり、私の音大時代、雅楽の先生だった芝祐靖先生は、去年文化勲章を受章された。今回はその記念の展示などもあった。
 また、芝先生の業績をまとめた本「伶倫楽遊 芝祐靖と雅楽の現代」が発売されている。芝家の来歴や、先生の経歴がまとめられているほかは、いくらかのエピソード。あとは業績を列記した資料的な本で、巻末に添えられた、先生自身のコラムの方が面白い。
 筆者が芸大出身のため、芸大でのたのしげな雅楽の授業の様子が描かれていたが、わが母校も同じような雰囲気だったと思う。それにしても、どうしても間が取れなくて、「6秒くらい」と言われた太鼓の人が、秒針を観たという話には驚いた。さすがに自分が雅楽をやっていた時には、そういう話はなかった。もっとも、私が学生のころは、いまや伶楽舎の「太鼓の達人」が一緒だったという事情もあるのだが。
 ちなみに、このブログの2017年10月14日 There Are Places I Remenber の冒頭に登場した音大の和室での話は、芝先生の雅楽の授業中の事である。

 伶楽舎と芝先生の活躍、今後も期待している。