天辰保文さん2017/03/18 21:43

 私が初めて天辰保文さんの文章を読んだのは、ジョージのソロ・アルバムだった。
どのアルバムだったのかうろ覚えで、CDケースを片っ端から開いてやっと分かった。[33 & 1/3]。 1991年の文章とのことだが、私が購入したのは、市場に出まわっている最後の方の盤だろう。

 その1991年の文章は、とても印象深かった。というより、当時周りに同じ音楽が好きな仲間がいないなか、天辰さんだけは、自分を理解してくれていると感じた文章だった。ちょっと長いが、引用してみる。

   もともと、ぼくは、ビートルズ時代から、4人の中では、いちばんの贔屓で、何処となく、甘い翳りがあって、独特のムードを放っていた彼が大好きだった。中学、高校の頃だから、これと言ってしっかりした理由があるわけではかったが、彼の作品はビートルズであると同時に、ちょっぴりそこから逸脱していて、ジョージというひとりの個性を備えていた。股を開いてギターを弾く恰好も、悪くなかった。
 たとえば、ジョンが、ありとあらゆる意味で、歌をメッセージにまで高め、人間の弱さを露呈したものでさえも、そこに示唆的な意味が見出せたのに対して、何処となくだらしなさそうで、ジョージはむしろ、共感を覚えさせてくれるようなところがあった。と言って、ポールほど俗っぽくもない。彼の歌には、聴き手と、痛みを共有するようなデリケートなところがあった。そういうジョージをして、ぼくの周囲の女の子たちは、「年をとるととてつもなくいい男になるか、あるいはまったく駄目になるか、どちらかよ」などと、煙草をくゆらせながら、意味深げに喋るのであった。彼には、そういった大人びた女の子のファンが多かった。ロック好きな少年が次第に、大人の領域に足を踏み込み、人生の苦い味や切ない味、奥行きの深さや神秘と言った類いのものに触れていく。そして、新しい世界を少しづつ体験していく。彼のアルバムとの出逢いは、ぼくにとって、いつもそういうものだった。


 私は煙草をくゆらせながら、意味深げに喋りはしないが、「そう、まさにそれ!」と言わずにはいられなかった。
 ジョージを好きなる女の子と男子たちの、ごく微妙で密やかな愛情の機微を、うまく表現したのが、この解説文だった。ジョージの独特のムードを、「甘い翳り」と表現したのは絶妙である。

 学生時代、ビートルズ・ファンの仲間はいた。しかし、ジョージのファンとなるといない。そういう時に、天辰さんの文章は、ここに私を理解してくれる人がいると、心強く思わせたのだ。
 そういう意味では、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの解説文は、さらにもっと心強かった。私が買った彼らのアルバムの最初は、たしか [Greatest Hits]だった 。その解説を書いたのも天辰さん。
 最後のところで、TP&HBというバンドの存在について表現した文章は、何度も何度も読み返した。

 腕を振り上げたり、仰々しく叫んだりするようなことは一切ないけれど、ロックン・ロールが備えているダイナミクスと、と同時にデリケートな側面を見事に照らしだしながら、ロックン・ロールがいつの時代においてもしたたかに生命力を宿した音楽であることを実感させてくれる。ひょっとすると彼ら以上に歴史に名を残すグループは沢山あるけもしれないけれど、そういった栄光や業績と呼ばれる類いを抱え込みすぎることなく、時代が強要する贅肉など一切身に着けずに、ロックン・ロールの核心に触れようとするときにはいつもこのグループのことが想い出されるような、そういう気がする。

 トム・ペティがこだわる「ロックン・ロール」という言い方が繰り返されているのが、まず良い。「ダイナミズムと、デリケートな側面」、これこそTP&HBの魅力を凝縮した言葉だ。そして、バンドとしての潔さを「時代が強要する贅肉など一切身に着けずに、ロックン・ロールの核心に触れようとする」と表現する。
 TP&HBを好きになったばかりのころ、さすがに仲間はいなかった。(音大なので、「知っている」人はいた)そういう時に触れたこの天辰さんのこの解説文によって、私は一人ではない、完全な孤独ではなく、素晴らしき音楽を理解してくれる人は、この世に確実に存在するのだという確信を得たものだ。

 天辰さんの文章ということで、もうひとつ。これはおまけ。
 ロジャー・マッグインの [Back from Rio] は、吉祥寺のディスク・ユニオンにて600円くらいで購入したと思う。その一節。

 こうやって、この1,2年のロジャー・マッギンの動きを眺めていると、この新作『バック・フロム・リオ』は、出てくるべくして出てきたと言った感じのアルバムだ。彼のカムバックを呪うように、トム・ペティが、ザ・ハートブレイカーズの面々を率いて協力

 「祝う」のまちがいだろう。可愛い誤植。