承和の御時 ~雅楽日本化の始まり~2016/05/13 22:28

 5月12日、四谷区民ホールで、伶楽舎の雅楽コンサートがあった。去年末の演奏会は、仕事で行けなかったので、久しぶりの伶楽舎。

 テーマは、題して「承和の御時 ~雅楽日本化の始まり~」



 仁明天皇の時代、承和年間(834-848)に焦点を当てた企画だ。
 なんでも、中国,朝鮮半島,ベトナムなどから伝わった雅楽の原型が、やがて日本独自の音楽として変容していく、その重要な時期が、この承和年間なのだという。

 私も学生時代に習った「賀殿(かてん)」は、遣唐使の一人が彼の地で琵琶をならい、それを日本に伝えた物だという。これは慣れ親しんだ、現行の形式で演奏。

 ここから、遠藤徹氏による復曲作品が続く。
 箏の独奏である、壱越調(いちこつちょう)の「攬合」(何と読むのか実は良く分からず、後世の当て字にならって「かきあわせ」と言う)と、「小調子明珠」は、箏の音を満喫できる。とは言え、近世の琴に比べて音の小さな箏のこと、会場の後ろまで音が届いたかは疑問。こういうときは、マイクとスピーカーを用いても良いのではないだろうか。

 今回一番面白かったのは、これも復曲である、双調(そうじょう)の「柳花苑」。
 これも遣唐使によって伝えられ、承和の時代は現行よりも全体に音域の高い、双調で演奏されたと考えられているのだ。
 本来は女性の楽師が舞と共に演奏していたとのことで、伶楽舎も女性陣だけでの演奏となった。もっとも、伶楽舎の女性達はいわゆる「男装」をしており、奈良,平安時代の女楽とは外見が大きく異なるのだが。
 調子が高いため、小さな琵琶や、一部の管を入れ替えた特殊な笙を用いるなどして、編成からして面白い。普段の雅楽ではあまり見ることの無い、方響 ― ほうきょう。板をぶら下げた鉄琴のようなもの ― の音色も、華やかだ。
 本来、重厚で押しの強い響きの多い雅楽とは趣がことなり、明るく、軽やかな良い演奏だった。

 対照的に良くなかったのが、同じく復曲の「皇帝三台」。
 源博雅による『博雅笛譜』に収録されているものを元にして、楽器編成も承和年間に近づけている。大きな笙である竿(う)、パンフルートのような排簫(はいしょう)、竪琴のような箜篌(くご)などが加わる。
 最初に、排簫、横笛(龍笛より細くて音が高く、軽い)と方響、箜篌の合奏で始まるのだが、ずっとバラバラな印象で、座りが悪い。特に排簫がひどく浮いていて、曲としてまとまっていないという印象。篳篥が入ってきて、やっと音楽としてひっぱてもらえるようになったのだが、結局最後までこの曲良くないな、という印象のままだった。
 復曲者によると、本来入っていたはずの尺八(近世のそれではなく、古代尺八)に関して、どうすれば良いのか分からずに省略したとのこと。その辺りから既に苦しい展開で、無理のある復曲だったのではないだろうか。

 「海青楽」は承和年間の即興演奏を記録した物。これはそれほど印象的ではなかった。

 最後は、現行形式での舞楽「承和楽」。「承和の御時」というくらいなので、その年号の名の付いた舞楽で締めることになった。
 四人の舞いなのだが、舞楽としてはやや動きの少ない、大人しい舞。それだけに、細かい所が目に付き、舞人として上手いと思わせる人は、溜めが上手く、視線の決め方が他とは違うということを認識させた。

 今回は、復曲とはいえ、全てが古典の曲目だった。雅楽による現代新曲に対する評価が辛い私としては、全般を通して楽しめる、良い演奏会だった。