Domenico Scarlatti2016/05/03 20:01

 ショパンのバラード1番を ― 本番は悲惨な結果だったが ― 弾いた後、何を弾こうかと考えて、まずは比較的得意なバッハの平均律を1曲弾き、その後スカルラッティを弾こうと思い立った。
 実のところ、スカルラッティがどういう人かは殆ど知らずに、なんとなく「軽やかなバッハ」くらいの認識で選んだのだ。その提案を聞いた先生曰く、軽やかで繊細なタッチの練習には最適だとのこと。

 さて、実際スカルラッティのソナタを弾いてみると、なんだか想像していたのと違う。バッハほどのガチガチのポリフォニーでもなく…バッハというよりは、ハイドンやモーツァルトに近かった。
 そもそも、作曲者についてろくに知らずに弾こうとするのが間違っている。
 ドメニコ・スカルラッティは、バッハやヘンデルと同じ1685年にナポリで生まれた。そういえば、ピアノをやっていてイタリア人作曲家というのはなかなか演奏しない。ソナチネのクレメンティ以来、私はイタリア人の曲を弾いていなかった。
 スカルラッティのソナタはポルトガルの王女のために作られており、バッハが音楽家になる息子達の鍛錬のためも兼ねて作った曲などに比べると、やはり平易で典雅な雰囲気になるのだろう。

 さて、スカルラッティのレッスン初日。私が一通り弾き終わると、先生が尋ねた。

 「誰かの演奏を聴きましたか?」

 説明しよう!
 この場合の「誰かの演奏を聴きましたか?」が意味するのは、「その演奏は変。何か変な癖のある演奏を聴いて、それを真似ようとしているらしいけど、下手だし」ということである!
 そして、私の答えは…

 「グ、グールドを…」

 説明しよう!
 このブログでも何度か話題になっているカナダ人ピアニスト,グレン・グールド(1932-1982)とは、天才としか言いようのない、大ピアニストである!異常に上手いのだが、変人で、個性的どころか、異様な癖のある演奏をすることで有名だ!その強烈さゆえ、アンチはもちろん、熱狂的なファンも多い!
 対して上手くもないピアノ弾きが、グールドの演奏を聴いて感化されるというのは、どういうことかというと、私が美容院に行って、
「若い頃のシネイド・オコーナーみたいな髪型にしてください!」と注文するようなものである!

*参照:若い頃のシネイド・オコーナー



 レッスン室に漂う微妙な空気はお分かりいただけただろう!

 子供の頃から音大までの先生だったら、もの凄い勢いで怒鳴られるところだが、今の先生はお優しいので、婉曲に表現してくれる。

 「私はラローチャを聞きましたよ♪軽やかで繊細で…」

 すいません。
 そのようなわけで、お手本にするのはアリシア・デ・ラローチャ(スペイン人。1923-2009)ということにする。よろしくお願いします。


Leicester City2016/05/05 21:28

 サッカーには全く興味が無いが、イングランド・プレミア・リーグで、レスター・シティが1884年の創立以来、初めて優勝したということはニュースで知った。
 何でも、弱小チームのひとつで、ブックメーカーでのレスター優勝の倍率は5000倍とか、そういうダークホースが、優勝してしまったのだから大騒ぎなのだという。

 レスター、レスターといっても、同じ名前の都市はあるだろうなぁ、と思っていたら、本当にあのレスターだった。
 あのレスターとは、2013年に私が友人と一緒に行ったレスターである。15世紀のイングランド国王リチャード3世の遺骨が発掘された、大学町だ。そのときのレポートはこちら。
 リチャード三世をめぐる旅 Looking for Richard in Leicester, Bosworth

 そのリチャードとレスター・シティに関連して、こんな記事があった。

岡崎レスター初優勝 リチャード3世効果 昨年の再埋葬後、勝率は倍の63%に

 なんと!リチャード3世の霊験あらたか?!
 レスターはリチャードの地元ではないし、近くのボズワース・バトルフィールドで戦死した後、葬られた場所なので、レスター・シティに味方してくれるかどうかは疑問なのだが…300年以上も居れば、愛着がわくという物だろうか。
 この記事では、リチャードの埋葬場所をレスターにするか、彼の実家のお膝元であるヨークにするかで、司法判断が下されたとも、書いてある。私がレスターに行ったとき、レスターはリチャードを埋葬する気満々で、墓所の想像図CGなども飾ってあった。
 やはり、リチャードはレスターに眠ることになったのだ。
 記事にはレスター大聖堂に掲げられるレスター・シティの旗の写真が掲載されている。サッカー門外漢としても、ちょっと嬉しい気持ちだ。

 ロック・バンドのカサビアンは、レスター出身なので、サポーターだとのこと。でも!私は!カサビアンを全く知らない!
 そんな訳で、ここではカサビアンではなく、レスター・サポーターの笑える動画をどうぞ。
 対戦相手マンチェスター・シティのホームで、数少ないレスター・サポーターが上げたチャント。負け試合にうんざりして、早々に帰ってしまうマンチェスター・シティ・サポーターに向けられたものだ。傑作。
 これ、レスターに限らず、ほかのチームのサポーターもやるそうだ。

Hungry No More2016/05/09 21:31

 5月20日に発売が迫ったマッドクラッチのアルバム [2]から、また一曲公開された。
 [Hypnotic Eye] の時も思ったのだが、発売前からどんどん発表して、大丈夫なのだろうかと心配になる。しかし、[Hypnotic Eye] はビルボードでナンバー・ワンを獲得したことでも分かるとおり、良い曲を数多く試聴できれば、そのアルバムを買いたいという気持ちが駆り立てられるものらしい。

 さて、公開されたのは、アルバムの最後に収録される、"Hungry No More"。



 これはまさしく、エンドロール音楽。
 「エンドロール音楽」というのは、私の中での分類。真っ黒の画面に、読めないほど細かい白い文字が上に流れていく、映画のエンドロールで流れるような音楽のこと。とても良い映画を見終わった感動を味わうような音楽を、そういう風にカテゴライズしている。

 冒頭の ― トムさんなのだろうか ― の深い呼吸を聞かせるハーモニカからして、もうやられた。そしてカラフルで分厚い和声がビートルズや、バーズを彷彿とさせる。
 トムさんのヴォーカルが入ると、これはもうビートルズやバーズとは違うと、まざまざと思い知らされる。独特のビブラート、ねっとりと絡みつくギターソロ(マイク?)。
 コーラスを歌いきった後に、そっと "No more..." とつぶやくトムさんが凄く好きだ。

 マッドクラッチというバンドはクラブ活動みたいな物で、気楽な音楽をやるのに良いと思っていた。しかし、この曲の雰囲気はずっと荘厳で重厚。
 前作の "Crystal River" は "Hungry No More" のような雰囲気をやろうとして、ちょっと上手く行かなかった例だと思う。主に、やや技術の劣るランダル・マーシュのドラムのせいだと見ている。
 そのイマイチ感を、今回の "Hungty No More" で、見事に克復して見せた。

 独特な長い呼吸で始まり、ギターの長い余韻をじいっと、身じろぎ一つせずに聞き届けさせるて終わる。
 今度のアルバムが、すごく良い作品になるに違いないと予感させる、名曲だ。

承和の御時 ~雅楽日本化の始まり~2016/05/13 22:28

 5月12日、四谷区民ホールで、伶楽舎の雅楽コンサートがあった。去年末の演奏会は、仕事で行けなかったので、久しぶりの伶楽舎。

 テーマは、題して「承和の御時 ~雅楽日本化の始まり~」



 仁明天皇の時代、承和年間(834-848)に焦点を当てた企画だ。
 なんでも、中国,朝鮮半島,ベトナムなどから伝わった雅楽の原型が、やがて日本独自の音楽として変容していく、その重要な時期が、この承和年間なのだという。

 私も学生時代に習った「賀殿(かてん)」は、遣唐使の一人が彼の地で琵琶をならい、それを日本に伝えた物だという。これは慣れ親しんだ、現行の形式で演奏。

 ここから、遠藤徹氏による復曲作品が続く。
 箏の独奏である、壱越調(いちこつちょう)の「攬合」(何と読むのか実は良く分からず、後世の当て字にならって「かきあわせ」と言う)と、「小調子明珠」は、箏の音を満喫できる。とは言え、近世の琴に比べて音の小さな箏のこと、会場の後ろまで音が届いたかは疑問。こういうときは、マイクとスピーカーを用いても良いのではないだろうか。

 今回一番面白かったのは、これも復曲である、双調(そうじょう)の「柳花苑」。
 これも遣唐使によって伝えられ、承和の時代は現行よりも全体に音域の高い、双調で演奏されたと考えられているのだ。
 本来は女性の楽師が舞と共に演奏していたとのことで、伶楽舎も女性陣だけでの演奏となった。もっとも、伶楽舎の女性達はいわゆる「男装」をしており、奈良,平安時代の女楽とは外見が大きく異なるのだが。
 調子が高いため、小さな琵琶や、一部の管を入れ替えた特殊な笙を用いるなどして、編成からして面白い。普段の雅楽ではあまり見ることの無い、方響 ― ほうきょう。板をぶら下げた鉄琴のようなもの ― の音色も、華やかだ。
 本来、重厚で押しの強い響きの多い雅楽とは趣がことなり、明るく、軽やかな良い演奏だった。

 対照的に良くなかったのが、同じく復曲の「皇帝三台」。
 源博雅による『博雅笛譜』に収録されているものを元にして、楽器編成も承和年間に近づけている。大きな笙である竿(う)、パンフルートのような排簫(はいしょう)、竪琴のような箜篌(くご)などが加わる。
 最初に、排簫、横笛(龍笛より細くて音が高く、軽い)と方響、箜篌の合奏で始まるのだが、ずっとバラバラな印象で、座りが悪い。特に排簫がひどく浮いていて、曲としてまとまっていないという印象。篳篥が入ってきて、やっと音楽としてひっぱてもらえるようになったのだが、結局最後までこの曲良くないな、という印象のままだった。
 復曲者によると、本来入っていたはずの尺八(近世のそれではなく、古代尺八)に関して、どうすれば良いのか分からずに省略したとのこと。その辺りから既に苦しい展開で、無理のある復曲だったのではないだろうか。

 「海青楽」は承和年間の即興演奏を記録した物。これはそれほど印象的ではなかった。

 最後は、現行形式での舞楽「承和楽」。「承和の御時」というくらいなので、その年号の名の付いた舞楽で締めることになった。
 四人の舞いなのだが、舞楽としてはやや動きの少ない、大人しい舞。それだけに、細かい所が目に付き、舞人として上手いと思わせる人は、溜めが上手く、視線の決め方が他とは違うということを認識させた。

 今回は、復曲とはいえ、全てが古典の曲目だった。雅楽による現代新曲に対する評価が辛い私としては、全般を通して楽しめる、良い演奏会だった。

Save Your Water2016/05/17 22:36

 いよいよ5月20日に迫ったマッドクラッチの新譜 [2]。

 これは買いだ。

 メンバーそれぞれが持ち寄った曲を、みんなで最高の形に作りあげている。重厚感あり、軽快さあり、ノスタルジックだけど、甘ったるくはない。
 これぞ、ロックンロールの、素敵な現在進行形。

22016/05/20 22:21

 いよいよ、マッドクラッチの新譜 [2] の発売日!

 だが、現物はまだ来ない。発送通知も来ない。

 想定内である!少しも慌てず騒がず、朝イチにiTunesで購入して、出勤すべし。
 ところが、ちょっと目を離した隙に、PCが(と言うかOSが)勝手にOSのバージョンアップを始める。やめろぉおおお!そんな物に付き合っている暇は無い!
 朝っぱらから(5時)PCと大乱闘を演じ、なんとか購入,ダウンロード成功。以降、通勤中ずっと聴いている。



 これはたぶん、マッドクラッチの一作目よりも好きだ。トムさんの貫禄十分、安心感満載の楽曲の中に、ランドル・マーシュ,トム・レドン,ベンモント,そしてマイクの曲が溌剌と活躍している。
 上達著しいのは、マイクとベンモントのヴォーカル。彼らが初めて公式にリード・ヴォーカルの歌を録音したときは、それはそれは、伸びしろが大きかったのだが、ずいぶん成長して、良い歌手になっている。もちろん、トムさんには大きく引き離されているが。人間は、いくつになっても、成長するものだ。
 マイクのオリジナル曲というと、歌詞は「あたまに穴があきました~!」の印象が強いのだが、それに比べてもずいぶん成長している…?いや待て、まだクレジットをちゃんと確認していない。まさか、詞はトムさんが書いたとかないよね…?

 ちょっと意外なのは、ランドル・マーシュがなかなかイケる歌手だということ。なんだか初々しくてちょっと素人っぽいけど、"Beautiful World" に合っている爽やかな声だ。

 ランドル・マーシュついでだが、実はデビュー作の頃から、気になっていたのが、彼のドラム。どうも良くないというのが私の感想で、今回も残念ながらこの認識は変わらなかった。
 ただ普通に刻んでいる間は良いのだが(それだって大変なことだが)、ちょっとオカズなど入れると、バタバタした感じでどうも馴染めない。一度気になり出すと、ずっと気になってしまう。私にとって、このバンド唯一の欠点は、ドラムなのだ。

 そうめったには味わえない、私の好物にも、今回のマッドクラッチの今回の新譜ではありつける。
 即ち、「バンドで普段はリード・ヴォーカルを務めない人が歌うとき、本来のリード・ヴォーカルがバック・ヴォーカルに回る」というシチュエーションが好きなのだ。
 キースの後ろに聞こえるミックの声、ジョー・ペリーの後ろに聞こえるスティーヴン・タイラーの声。ビートルズやウィルベリーズのように全員が立派なシンガーだと成り立たない、この「リード・ヴォーカリストが、シンガーとしては劣るメンバーのサポートに駆り出される感じ」が大好き。
 今回の新譜では特にベンモントの "Welcome to Hell" と、マイクの "Victim of Circumstance" でそれが堪能できる。それにしても、この二人歌い方がトムさんに似てきている。これだけ長く一緒に音楽をやれば似るというものか。夫婦も似てくると言うし。

 これは珠玉のロック・アルバムであり、いつかやってみたロック・バンドの形でもある。広く売れるポテンシャルもあるし、人にも勧められる。極めて親しみやすく、人なつこいアルバムだ。

マッドクラッチがやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!2016/05/24 21:40

 「発売」から四日目、とうとうマッドクラッチの新譜 [2] がやってきた!
 そりゃもちろん、ダウンロードはしてあるが、やはりディスクがないことには話にならない。
 ディラン様の新譜一緒にとどいたが、も ち ろ ん 後回し!そりゃ、カバーアルバム(しかも特に興味のあるジャンルではない)より、ロックのオリジナル・アルバムでしょう!



 クレジットをみてまず意外だったのが、マイクの "Victim of Circumstance" のヴォーカルに、with T.P., Tom Leadon and Benmont Tench と書いてあったこと。
 言われてみれば、確かにコーラスで、微かにトムさん以外の声もするような気もする … なんという存在の薄さ!後ろにはトムさんの声しか聞こえていなかった。やっぱりプロのリード・ヴォーカリストは違うと思い知る。
 そう言っては、このバンド,構成メンバーには悪いが。しかし、正直なところベンモントとトム・レドンはリードを張るほどの声ではまったくないし(レドンは、ライブで突然ステージにあげられたおじさんっぽい)、比較的上手いマーシュとマイクもトムさんの比ではない。
 それはそうと、この曲にはジェフ・リンの影響が濃く感じられる。

 影響を感じると言えば、このアルバムはビートルズ,バーズ,リトル・フィートなどを思い出させる瞬間が何度もある。TP&HBのメンバーが三人も居るのだし、その全身バンドメンバーがさらに加わるのだから、当たり前なのだが。

 それぞれのメンバーが、好きなことを楽しくワイワイとやっている雰囲気の中、一曲だけ異色なのが、トムさんの "I Forgive It All"。[Wildflowers] 以降、一曲は入っていそうな穏やかで、美しく、シンプルな曲。そういう曲の中でも、出色の出来だ。

 さぁ、ディスクも届いたことだし!マッドクラッチと、TP&HBで盛り上がろう!いつもお世話になっている、Heartbereaker's Japan Party のオフライン・ミーティングに参加しよう!
 ハートブレイカーズのみならず、いろいろな音楽の話題で盛り上がる、とても楽しい会です。

Mike Campbell 19732016/05/27 22:55

 マッドクラッチのツアーが始まった。6月末まで、ちょっとした期間がある。元気に頑張って欲しい。

 ハートブレイカーズの公式HPはマッドクラッチの公式HPも兼ねており、マッドクラッチのお宝写真などをいろいろアップしてくる。
 最近、アップされたもので凄かったのは、これ。1973年のマイク。



 わー!なんだ、なんだ?!何なの、この美人!!
 そりゃ私はマイクの大ファンで、あのルックスも大好きだけど。それにしても、この23歳マイク・キャンベルの肖像は凄まじい。
 マイクって、背が高いのに上目遣いなのよね。トムさん見る時も上目遣いよね。さらに伏し目がちってなんかもう!ミステリアスじゃないの!物静かで控えめな口。実は歯並びが悪い。
 髪も良いね。フワフワ、ウネウネ、たおやかでファンタスティック!

 いやぁ、写真って凄い。角度の魔術恐るべし。

 何か、ちゃんとしたことを書こうと思っていたのだけど、吹っ飛んでしまった。誰だ?この写真撮ったの…

Fallen Angels2016/05/31 22:22

 マッドクラッチの [2] と同じ日に、ボブ・ディランの新譜 [Fallen Angels] が発売された。
 前作の [Shadows in the Night] と同じく、ほぼフランク・シナトラのカバー。



 ディラン様のファンなので、これでもけっこう我慢したのだ。前作のレビューを見直すと、一生懸命に褒めようとしている。丁寧な歌い方とか、実はその前のオリジナル楽曲アルバム [Tempest] と関連しているとか。
 でも、レビュー後半になると、シナトラのオリジナルを聴いてしまい、あまりの上手さ(要するにディランが良くないということ)に愕然としていた。それでいて、別にシナトラをもっと聴きたいとも思っていない。
 今回の [Fallen Angels] の感想 ― 無駄な抵抗はやめて、率直に言うと、良くも何ともないし、興味のない音楽。一度聴けば十分で、iPodからは削除する。

 それでもディラン・ファンかと非難されそうだが、仕方がない。[Fallen Angels ] を一度聴いてから [Tempest] を聴いたのだが、なんて素晴らしいのだろう。ディランが、ディランの言葉で、ディラン自身が作った曲を「身勝手に」歌うさまが、何と格好良い事か。
 何歩か譲って、カバーを聴くにしても、せめてロックの分野であれば、好きにもなっただろう。ブルースでも、ゴスペルでも良い。でも、フランク・シナトラは好きではない。
 シナトラは素晴らしい音楽家だということを知識で知っているし、それなりにリスペクトもしている。歌もすばらしく上手い。だが、決して好きなジャンルの音楽ではない。たとえ、大好きなディランが「影響を受けた」と主張したとしても、その認識は変わらない。

 長いディランの音楽作品歴において、私にはほとんど「苦手な時期」がない。70年代末から80年代の宗教的な時期ですら、かなり好きだし、21世紀に入ってからのアルバムも好きだ。でも、さすがにフランク・シナトラのカバーは興味がない。
 後年、この二つのシナトラ・アルバムの評価が高くなるかも知れないし、今現在も、激賞されているかもしれない。ともあれ、今の私にはどうしても興味が湧かないし、聴きたい音楽ではない。

 先月のライブはとても良かったし、楽しかった。しかし、3回は見ても4回は見なかったのには、理由がある。シナトラのカバーが彼のオリジナルほどは良くないからだ。

 ディラン自身がいかにシナトラ好きだと言っても、人には得意分野というものがある。
 よく、ベテラン・ロック・ミュージシャンが、「ジャズが好きだ」などと言ってジャズを録音したりするのだが、器用にこなしているだけで、ジャズの才能があるわけでもなく、大して面白くはない。
 ポール・マッカートニーや、ビリー・ジョエルが「クラシック音楽」を作ったこともあるが、彼らがその天才性を発揮しているポップスほどの評価は、到底受けていないだろう。
 どんな天才にも、不得意分野はきっとある。ベートーヴェンだって、オペラは他の楽曲ほどには良くないし(序曲は別だが)、ショパンのオーケストレーションなんて、他の大家たちに比べるとかなり残念だ。

 ディラン様が自分が好きなことをやって、活躍しているのは大いに喜ばしい。ファンとしても嬉しい限りだ。それはそれとして。ディランが彼の得意な、自分で作詞作曲したの音楽を録音し、演奏してくれることを私は待っている。