伶倫楽遊 これまでの委嘱曲より2015/05/15 21:52

 B.B.キングが亡くなった。89歳、偉大なるミュージシャンの大往生ではないだろうか。
 彼に関しては、また改めて。

 伶楽舎の雅楽コンサートに行った。今回が自主公演の30回目、伶楽舎創立30周年記念ということでもある。最初の自主公演以来、現代雅楽曲の作曲を委嘱しており、その中から選り抜きの曲を演奏するのが、今回の趣旨だ。



 つまるところ、私の大好きな古典曲はないということ。
 まずは2013年初演の曲から、抜粋だったのだが…初演の時と同じように、私の評価は低い。演奏する方は楽しいらしい。組曲のうち2曲を抜粋して演奏したのだが、2曲目が特に駄目だった。
 作曲者が舞台上でコメントもしたのだが、「聞き所は」と訊かれて、「装束」という、アサッテの方向のこたえ。笑えば良かったのだろうか。どうやら、非日常、異世界を味わえということらしいのだが、これはいただけない。

 次は、芝祐靖先生の、「巾雫輪説」。こちらはさすがに安心して聴ける。
 「巾」という箏の最高音から始まり、だんだんと楽器が加わってゆき、大きな合奏になる。だんだんと楽器が抜けていって終わる雅楽独特の奏法「残楽」の逆バージョンを、意図的に試みた曲だ。
 雅楽の箏はまことに儚く、密やかな音色しかしないのだが、それがきっかけを作り、分厚い合奏を、繭から絹を引き出すように導く。芝先生によると、木の葉からしたたる朝露の雫の一滴からはじまり、やがて流れが集まり、大河になる様子をイメージしたとのこと。ななるほど、まさにそのイメージどおり。
 終盤、堂々たる合奏のある一瞬に、フッと静寂が訪れ、可憐に箏が囁き、また壮大な合奏に戻る所などは、背筋に緊張が走るような素晴らしさだった。

 後半も、まずは芝先生の「瀬見のたわむれ」。鴨長明が催したという「秘曲づくし」の再現に挑んだ意欲作だ。独奏者の集まりで、各楽器の特色が堪能できる。特に龍笛と打楽器のアンサンブルが溌剌としていて良い。
 雅楽の現代曲の多くは古典から離れよう、離れようとする余り、ボンヤリとした作品が多い。それに対して、芝先生の作品の多くは、とてもイメージがはっきりとしており、なおかつそこからの想像がたくましく、確固たる楽曲に仕上げる確かさがある。私にはそれが心地よい。

 残念ながら、最後の1曲も、私にとってはボンヤリとした現代曲だった。雅楽の楽器は鳴っているのだが…「雅楽」に把われない曲を作ろうと努めたと作曲者自身が言っているだけあって、当然私の価値判断からは乖離してしまう。
 演奏中、突然気付いてしまったのが、琵琶という楽器 ― 正確には、雅楽に用いる楽琵琶 ― の難しさだ。一生懸命に撥を上下させて音を出すのだが、そもそも、そういう奏法に向く楽器ではない。大きな場所で壮大さを意図して鳴らすには、無理がありすぎる。

 今回も、いわゆる「現代曲」な雅楽が苦手なことを確認してしまった。
 伶楽舎の活動方針として、現代雅楽曲を演奏し、名曲を再演し、また再演し、いつか古典になることを目指すという。その志はとても気持ちが良い。私の苦手意識はともかくとして、これからも応援していきたい。

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