PLAYBACK excerpts 22015/05/03 20:25

 これ、なんだったけと思う物がある。
 いつだか、新宿のディスク・ユニオンで購入したのだと思う。小さな箱にCDが1枚。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの [PLAYBACK excerpts 2] というのがタイトルらしい。
 開けて、CDを聴いてみた。



 1995年の6枚組ボックス [PLAYBACK] から、5曲を抜粋して1枚のCDにし、サウンド・シティ・スタジオのデザイン箱におさめたもの。曲目は以下の通り。

#1 You Get Me High
#2 You Come Through
#3 Got My Mind Made Up (Original Version)
#4 Turning Point
#5 Way to Be Wicked

 3曲目のタイトルには、あたまに "I've" がついていたような気がするのだが…
 確認してみると、共作者であるディランも、"Got My Mind Up" で、アルバム [Knocked Out Loaded] に収録している。TP&HBのボックス [PLAYBACK] の箱の裏側や、オリジナルのブックレットも、"Got My Mind Made Up" ― 実は、"I've" がついているのは、[PLAYBACK] の日本語解説だけなのだ。なるほど。
 そのようなわけで、"Got My Mind Made Up"



 乱暴で、騒々しく、生き生きとしている。
 1985年の[Southern Accents] の「余り」というが、ハーモニカの音などは、ちょっと [She's the One] の頃を彷彿とさせる。

 冒頭の "You Get Me High" 騒々しい感じのサウンドだが、実はすごく美しい一曲だと思う。特に、マイクのギター・ソロがザ・バーズのイメージと重なる。

 この [PLAYBACK] の抜粋ボックス、「2」というからには、「1」もあるようで、こちらは "Stop Draggin' My Heart Around", "Waiting For Tonight", "Travelin'", "Come On Down To My House", "Cry To Me" の5曲とのこと。
 音源的には、なんら6枚組のボックスと変わらないのだが、こういう小さな箱にしてデザインを施す遊びもちょっと面白い。

Badfinger (1974)2015/05/06 21:03

 去年の9月、ニューヨークへTP&HBを見に行くまでは集中的にTP&HBを聴いており、帰国後は何を聴こうかと考えていたとき、なんとなくiPodをアーチスト名のZから遡っていく作業を始め、いまだに続けている。
 ストーンズとTP&HB, ディラン,ジョージ,ビートルズは除外し、とうとうバッドフィンガーまで来た。

 バッドフィンガーというと、どうしてもメンバーの悲しい死のイメージが先行してしまうが、その暗いフィルターをつねにかけるのは気の毒という物だ。たとえば、シューマンというクラシックの有名な作曲家がいるが、彼が晩年苦しみ、その死因ともなった病気のイメージばかりを先行させて彼をイメージするのは気の毒で、作曲家のみならず、演奏者、文筆家、としてシューマンが溌剌と活躍していたイメージも、もっと広まって良いと思っている。
 まぁ、シューマンはともかく ―

 バッドフィンガーの代表作というと、有名な "No Matter What" や、"Without You" が収録された [No Dice] だろうか。私もこの両曲が大好きだ。特に後者はどのカバーも、バッドフィンガーのオリジナルの前には色あせてしまう。
 1974年の [Badfinger] は、アップルからワーナーに移籍して最初のアルバム。移籍を印象づけるためにこのタイトルになったらしく、当初は [For lover or money] にしようとしていた。
 せっかくの移籍第一弾だが、セールスはふるわなかったとのこと。CD化も、1990年代にドイツと日本でのみ行われ、アメリカでは2007年になってからやっとCDになったという。不遇なアルバムと言って良いだろう。

 しかし、収録されている曲は粒ぞろいだ。特に冒頭に飛び出す "I Miss You" が美しい。



 バッドフィンガーというと、ビートルズ的なポップの味わいも重要だが、同時にキンクスやザ・フーのような、後に「パワー・ポップ」と呼ばれる威勢の良さ、爆発力も魅力だ。
 そのバッドフィンガーが、いきなりこの穏やかで、オルガンの荘厳な調べに彩られる "I Miss You" をアルバムの最初にもって来たのだから、意表をつかれるとともに、ああ、やられた、降参という不思議な感動を味わう。

 さらに凄いのが2曲目の "Shine on"。



 爽やかで美しく、格好良くて爽快な名曲。飾り気が少なく、アメリカ・ウェスト・コーストの香りをさせつつ、UKのお洒落で大人びた雰囲気を発揮している。特にうめくような、むせぶような、でも実はさりげないギター・ソロも良い。

 決して彼らの代表作とはされないだろうが、このアルバムも、たくさん聴かれると良いと思わずにはいられない。

Rainy Day Women #12 & #35 (Cover)2015/05/09 22:36

 5月5日付けのWeb版ローリング・ストーン誌に、[Flashback: Beatles Cover Bob Dylan During 'Let It Be' Sessions] という記事が載っていた。

 曰く、誰かが [Let It Be] セッションのボックスセットを作りあげるとしたら、とんでもない量のマテリアルと格闘することになり、その中には面白いカバー曲がたくさん含まれるであろう ― とのこと。
 私はビートルズのファンではあるが、[Let It Be] の映画DVD化は、大して期待していない。好きなバンドの、居心地の悪そうなセッションを何十分も見るのはどうだろう。
 それでも、サウンドとしては面白いものがたくさんあるわけで、このローリング・ストーン誌の記事も、ボブ・ディランの "Rainy Day Women #12 & #35" のカバーを取り上げている。
 本当は、YouTubeの画面を埋め込みたいのだが…事情があってそれはしない。どんな事情かは、察して欲しい。

Flashback: Beatles Cover Bob Dylan During 'Let It Be' Sessions

 記事でも言及しているとおり、このジョンのボーカルによるカバーは、まともに残すために録音していたのではなく、適当にやって終わっている。せっかくならビシっとカバーしてくれていたら面白いのだが。

 ビートルズによるカバーの消化不良分は、トム・ペティ・ザ・ハートブレイカーズで消化する。もちろん、1992年ボブ・フェストにおけるカバー。スタンやハウイの居る編成に、ドナルド・ダック・ダンに、ジム・ケルトナーという強力サポート陣がさらなるブーストをかけてくれている。



 騒々しいけど、精緻なアンサンブルで惚れ惚れする。観客もノリノリで大合唱。ロックの醍醐味ここにあり。

 今まで、もっぱらハウイの舞い遊ぶようなスライドや、マイクのバリバリギターにばかり目が行っていたが、今回はベンモントのピアノに注目。
 前半はオルガンが中心なのだが、後半になるとピアノであの三連符のリフを連打し続けている。2分25秒あたりのブレイクが終わって、トムさんがまた歌い始めても、連打が止まらず、そのまま最後まで通す。
 この三和音の連打、指の技術的には難しくないが、体力的にはきつい。同じ動きを休みなく続けると手首や肘が痛くなるのだ。マイクロフォンもあるから、強くは叩いていないだろうが、手首への負担は強弱には余り関係ないので、やはり凄いと思う。
 男性的なパワーでカバーしている…とも思えず、うまく力を抜いているはず。とは言え、ベンモントは指を下向きにしたままグリッサンドをする人なので、やっぱり男の人の大きくて強い指,手は羨ましい。

George Harrison guitar mystery2015/05/12 22:01

 5月10日の Liverpool Echo によると、リヴァプールはアンフィールド在住のBob Blowesさんが53年前に購入したアコースティック・ギターの、前の持ち主は、ジョージ・ハリスンだったのではないかという。

Grandfather's appeal over 'George Harrison' guitar mystery

 1962年、ギターを習うために地元アンフィールドの楽器店で、サクソンというメーカーの大きなアコースティック・ギターを買った Blowes さん当時22歳。アンフィールドというのは、昔はエバートン,今はリヴァプールFCのホーム・フィールドがあることで有名なところだ。
 その店の店員が言うには、ビートルズというバンドの一人が、持ち込んできた楽器で、エレクトリック・ギターと交換したとのこと。Blowes さんはビートルズの事を知らなかったので、彼らが有名になるまで気に留めていなかった。
 Blowesさんは長年このギターの来歴を知りたいと思っていたが、去年、Liverpool Echo に同じようなギターを持ったジョージ・ハリスンの写真が掲載されたのだ。
 ジョージが家族と一緒に住んでいたアプトン・グリーンの家がオークションにかけられたことを報じる記事だ。
 Blowes さん曰く、形もバックルも自分が持っているギターと同じ。ポール・マッカートニーに確認できないかとも考えているとのこと。

 たしかに、1962年までのジョージ所有ギターとなると、ダニーにも分からないわけで、意外と一番分かっていそうなのはポールかも知れない。

 この記事の奇妙なところは、Blowesさんが見たというLiverpool Echo掲載の写真は載っていないところ。それと比べないことには、どうにもならないのだが…
 アプトン・グリーンの家の前のジョージといえば、この写真が有名だが…



 おおおおお…カワイィィィィ!!!

 うーん、これはケースしか写っていない。
 Blowesさんの "matched the shape and all the buckles up to mine" という表現が少し気になる。ギターでバックルというのは、何のことだろう?普通はストラップのバックルを想像するのだが…もしや、ケースの金具のこと…?!
 しかし、まさかギターケースだけを見て、自分が所有しているギターの形と似ていると判断するだろうか?53年前の店員の言葉があるとは言え…

 アプトン・グリーンの家で、ジョージがお母さんと一緒に撮った写真にも、ギターが写っている。



 前から思っているのだが、母子そろって、何を飲んでいるのだろう?
 ともあれ、ここにも Blowes さんのサクソンは無い…いや、お母さんが右手でネックを持ち、ソファの背に横たわっているギターがそれなのか?!
 これはまさに、ミステリー。Blowesさんのギターのネックに、ジョージのママの指紋が残っていれば…いや、もちろんジョージの指紋でも良いのだけれど。さすがに50年もたって、Blowesさんが触り、拭いてしまっては、検出不能だろう。

 ニール・アスピノールが健在だったら、彼でも分かったかも知れない。
 ここはやはり、ギター探偵サー・ジェイムズにお出まし願いたい。
 ともあれ、50年以上前に偶然手に入れたギターが、ビートルズに関連していたと思うとドキドキするに違いない。もっとも、弘法大師や源義経と同じように、ビートルズに関する無数の伝説がリヴァプールのみならず、世界中にあるのだろう。それはそれで、お伽めいていて良い。

伶倫楽遊 これまでの委嘱曲より2015/05/15 21:52

 B.B.キングが亡くなった。89歳、偉大なるミュージシャンの大往生ではないだろうか。
 彼に関しては、また改めて。

 伶楽舎の雅楽コンサートに行った。今回が自主公演の30回目、伶楽舎創立30周年記念ということでもある。最初の自主公演以来、現代雅楽曲の作曲を委嘱しており、その中から選り抜きの曲を演奏するのが、今回の趣旨だ。



 つまるところ、私の大好きな古典曲はないということ。
 まずは2013年初演の曲から、抜粋だったのだが…初演の時と同じように、私の評価は低い。演奏する方は楽しいらしい。組曲のうち2曲を抜粋して演奏したのだが、2曲目が特に駄目だった。
 作曲者が舞台上でコメントもしたのだが、「聞き所は」と訊かれて、「装束」という、アサッテの方向のこたえ。笑えば良かったのだろうか。どうやら、非日常、異世界を味わえということらしいのだが、これはいただけない。

 次は、芝祐靖先生の、「巾雫輪説」。こちらはさすがに安心して聴ける。
 「巾」という箏の最高音から始まり、だんだんと楽器が加わってゆき、大きな合奏になる。だんだんと楽器が抜けていって終わる雅楽独特の奏法「残楽」の逆バージョンを、意図的に試みた曲だ。
 雅楽の箏はまことに儚く、密やかな音色しかしないのだが、それがきっかけを作り、分厚い合奏を、繭から絹を引き出すように導く。芝先生によると、木の葉からしたたる朝露の雫の一滴からはじまり、やがて流れが集まり、大河になる様子をイメージしたとのこと。ななるほど、まさにそのイメージどおり。
 終盤、堂々たる合奏のある一瞬に、フッと静寂が訪れ、可憐に箏が囁き、また壮大な合奏に戻る所などは、背筋に緊張が走るような素晴らしさだった。

 後半も、まずは芝先生の「瀬見のたわむれ」。鴨長明が催したという「秘曲づくし」の再現に挑んだ意欲作だ。独奏者の集まりで、各楽器の特色が堪能できる。特に龍笛と打楽器のアンサンブルが溌剌としていて良い。
 雅楽の現代曲の多くは古典から離れよう、離れようとする余り、ボンヤリとした作品が多い。それに対して、芝先生の作品の多くは、とてもイメージがはっきりとしており、なおかつそこからの想像がたくましく、確固たる楽曲に仕上げる確かさがある。私にはそれが心地よい。

 残念ながら、最後の1曲も、私にとってはボンヤリとした現代曲だった。雅楽の楽器は鳴っているのだが…「雅楽」に把われない曲を作ろうと努めたと作曲者自身が言っているだけあって、当然私の価値判断からは乖離してしまう。
 演奏中、突然気付いてしまったのが、琵琶という楽器 ― 正確には、雅楽に用いる楽琵琶 ― の難しさだ。一生懸命に撥を上下させて音を出すのだが、そもそも、そういう奏法に向く楽器ではない。大きな場所で壮大さを意図して鳴らすには、無理がありすぎる。

 今回も、いわゆる「現代曲」な雅楽が苦手なことを確認してしまった。
 伶楽舎の活動方針として、現代雅楽曲を演奏し、名曲を再演し、また再演し、いつか古典になることを目指すという。その志はとても気持ちが良い。私の苦手意識はともかくとして、これからも応援していきたい。

B. B. King2015/05/18 21:50

 B.B.キングは、1925年ミシシッピ州に生まれた。幼い頃から音楽を始め、20代の頃、ナッシュヴィルでレコード・デビューした。
 最初のヒット曲が、1951年の "3 O'clock Blues"。



 とても聞きやすく、親しみやすいブルース・ナンバー。どのギターの節も、その後のブルース,ブルース系の音楽で聞き覚えのあるもので、B.B.キングのブルースが、次の世代にとって身近なブルースだったことが良く分かる。

 既にビートルズ旋風が巻き起こり、世がロック熱に浮かされていた1964年のヒット曲が、"Rock Me Baby"。



 キングのお馴染みのギター・サウンドに、パンチの効いたホーンセクションが格好良く映えている。

 ロック・ファンとしては、後輩ミュージシャンとの印象深い共演がまずイメージされるところだが、もう一曲、キングの曲を。
 1960年の "Sweet Sixteen"。



 いかにもキングというギター・サウンドもさることながら、ソウルフルな歌唱も素晴らしい。ゴスペルをやっていたこともあるだけに、説得力のある歌声だ。特に最後のコール&レスポンスの熱気が凄まじい。

 一体、B.B.キングや、マディ・ウォータースが居なかったら、ロックはどんな音楽になっていたのだろうか。ブルースの持つ重心の低さ、粘り強さ、重みのある熱量 ― それらのない、ロック ― きっと、軽快だけど地に足の着かない音楽になり、これほど長く命脈を保つことはなかっただろう。
 ミシシッピ・デルタから発し、ポピュラー・ミュージック界を覆うブルースの大河は、21世紀まで水量豊かに流れてきた。B.B.キングが大往生を遂げても、その豊かな音楽は失われず、これからも悠然と流れてゆくのだろう。

The Night We Call It a Day2015/05/21 21:41

 33年の歴史に幕を閉じる "Late Show with David Letterman" に、ボブ・ディランが出演した。最後から2番目のショーの、音楽ゲスト。終演に花を添える、"The Great" ボブ・ディラン。

 それでは、最新ディラン様チェーック!



 どうでも良い事だが、アメリカで、レターマンが使っているようなマグカップをノリで買ってはいけない。おそろしく重くて使いにくいシロモノが殆どである。

 最新アルバム収録の、フランク・シナトラの曲を熱唱するディラン様。

 このジャケットはいつから着用しているのだろう?私は初めて見た。袖の赤い二本線がお洒落…?こういう郵便配達の制服、なかったっけ?ホテルのドアマンかな?
 しきりに右手で襟もとを掴むディラン様。…郷ひろみ?
 ギターもピアノも弾かないせいか、両手が手持ちぶさたらしく、マイクスタンドを子供のように握る。可愛い。間奏ではウロウロ…ウロウロ。3分20秒で、謎の視線をキメるディラン様。大好き。

 たっぷり、しっかり、のびのびと歌うディランが楽しそうで、こういう彼も良いし、こういうのがやりたかったのだということが良く分かる。
 長寿番組の最後に相応しい、味わい深く、感動的なパフォーマンスだった。

 せっかくなので、以前の出演シーンも。
 公式ではないので画像が悪いが、曲が良い。"Forever Young" 最後に、指さしをする仕草が格好良い。

南北戦争その後 / テンチ家の兄弟(その12 最終回)2015/05/24 16:11

 まる4年間の戦闘期間を経て、南北戦争は終わった。  国を二分した、長い戦争は、敗者となった南部の産業に打撃を与え、回復は長く困難な道のりとなった。
 奴隷制は廃止されたが、本当の意味での解放にはほど遠く、課題は20世紀、そして今日にも持ち越されている。

 エイブラハム・リンカーンは、戦争の完全な終結を待つことなく、1865年4月14年、ワシントンのフォード劇場で銃撃され、翌日死亡した。
 アメリカ史上、もっとも偉大な大統領の一人とされるリンカーンだが、この任期はまるまる戦時であり、平時の大統領としての手腕は未知のままとなった。

 戦勝将軍となったユリシーズ・グラントは、リンカーンからフォード劇場に招待されていたが、それを断り、リンカーン遭難の現場にはいなかった。
 その後政治家に転身し、1869年から2期8年間アメリカ合衆国大統領をつとめた。栄光の将軍だったグラントも、汚職やスキャンダルのため、大統領として芳しい評判を得ることはなかった。
 明治5年、日本から来た岩倉使節団を迎えた合衆国大統領がグラントである。大統領退任後、来日もしている。南北戦争終結から20年後の1885年に亡くなり、現在では50ドル紙幣にその姿を見ることが出来る。

 ウィリアム・テクムセ・シャーマンは戦争終結後も陸軍に残り、1869年にはグラントの後任として大将に昇進し、陸軍総司令官をつとめた。陸軍を退いてから8年後1891年に亡くなっている。

 ジョーゼフ・ジョンストンは降伏後、鉄道,保険,運送など実業界に身を置いて活躍した。シャーマンに対しては友情と尊敬の思いを持ち続け、シャーマンの葬儀ではその棺を担いだ。ジョンストンが亡くなったのはその数週間後、84歳。南北戦争終結から26年が経過していた。

 ロバート・E・リーは、戦争終結後、拘束されることはなかったが、市民権は剥奪された。彼は軍を退き、農場へ引退したいと考えていたが、彼のカリスマ性,影響力がそれを許さなかった。
 アポマトックスでの降伏から半年後、ヴァージニア州のワシントン大学の学長に就任した。ザ・バンドの曲 "The Night They Drove Old Divie Down" に登場する、ロバート・E・リーはこの時期の姿だろうか。
 後にワシントン・アンド・リー大学と改めるこの学校構内には、リーの要望で作られた小さなチャペルがあるが、1870年にリーが亡くなったあと、彼はここに葬られることになった。

 テンチ家の兄弟 ― ジョン・ウォルター・テンチ少佐と、弟のルーベン・モンモランシー・テンチは、生まれ故郷ジョージア州ニューナンに戻り、次なる人生へと踏み出した。
 弟のルーベンは医者になり、1910年に亡くなっている。

 一方、兄のジョン・W・テンチ少佐は結婚後妻の伯父が住んでいた、フロリダ州ゲインズヴィルに移住した。同地で教育者,新聞発行者,文筆家として尊敬をあつめ、1926年に亡くなった。息子のベンジャミン・モンモランシー・テンチ ― 通称「ベンモント」以降の子孫達もゲインズヴィルに生まれ育っている。



 少佐の軍服姿の肖像画がいつ描かれたかは分からないが、少佐の孫,ベンモント・テンチ Jr.の家の居間には、これが飾られていた。1974年のある日、少佐のひ孫にあたるベンモント・テンチⅢと、そのバンド仲間が、少佐の肖像の前で録音を行った。彼らはそのテープを携えてLAへと旅立った。
 南北戦争終結から、約110年が経っていた。

Unseen Letter from George2015/05/27 22:19

 日本語のニュースにもあがっていた話題。1966年にジョージが友人のラジオDJ, ポール・ドリューあてに書いた手紙が公開され、[Revolver] にあたるアルバムを、メンフィスのスタックス・レーベルで録音する話があり、頓挫したということが分かった。
 これまでにもビートルズがスタックスで録音する話があったという情報はあったが、ビートル自身のコメントとして明らかにされたのは初めてだし、頓挫した原因が金銭的な問題だったことも判明した。

 こちらの日本語ニュースはほぼ全文を翻訳していて、嬉しい。

ザ・ビートルズ、ジョージの書簡からスタックスでのレコーディング計画の新事実浮上

一方、こちらの記事は、ジョージの特徴的な筆跡が分かり易くて良い。

Read a Previously Unseen Letter Penned by George Harrison to DJ Paul Drew in 1966

 最初の大文字が多くはブロック体になるのがジョージのクセらしい。小文字では s や h, r がとても特徴的だ。
 私も英語を手書きするときは筆記体が多い。やっかいなのは、自分で書いた筆記体が自分で読めないこと。

 ジョンとリンゴが向かえに来るのを待っているなんて可愛いではないか。

 最初に、エドウィン・スターに言及しているのが興味深い。スターは1965年にモータウン参加のレーベルからデビューした。ジョージは手紙でアルバムが出ているかどうかを尋ねているが、実際にスターがアルバムを最初に発表したのは1968年だ。
 次に言及している「ミセス・ミラー」とは、アメリカ人歌手エヴァ・ミラーのこと。

 制作中の曲,アルバムにも言及していて、シングルが "Paperback Writer" と "Rain" であることも明かしている。
 そのようなわけで、冒頭だけ "Paperback Writer"。冒頭のジョージの表情が素敵。



 一方、"Rain"。ポールの前歯が欠けているのが良く分かる。なんでも、バイクで事故ってこうなったとか。



 1966年。ジョージは23歳。まだまだ少年っぽさを残すビートルズ。友人に好きな音楽や、仕事のこと、仲間のおめでた、自分たちを取り巻く大人のお金をめぐる騒ぎなど、生き生きと綴っていて、良い手紙だ。

The Water Is Wide2015/05/31 19:34

 ウクレレの発表会後、特にどの曲をやりたいという希望もなかったのだが、先生のリクエストで、"The Water Is Wide" をやることになった。
 ちまたではこの曲が流行っているらしいのだが、先生のリクエストはそれとは関係なく、先生自身が個人的に好きな曲だとのこと。私も好きな曲なので、やることにした。
 今回は、アルペジオよりも、一音一音にコードを当てはめて、ブロック弾きすることにした。キーは、普通はGが多いようだが、ウクレレには低いので、Cにした。

 "The Water Is Wide" は17世紀にスコットランドで成立したフォーク・ソングで、ピート・シーガーが歌っため、20世紀、21世紀にも、またポピュラーになった曲だ。
 色々な演奏があり、どれを選ぶかは迷う。動画サイトに上がっている演奏の多くが、演出のし過ぎで、あまり良くない。
 そんな中で、カーラ・ボノフのバージョンが良かった。シンプルで、オーバー・プロデューシングにも陥らず、淡々とした美しさが映えている。



 たしか、ディランの [Rolling Thunder Revue] では、ディランとジョン・バエズがデュエットしていた。…ディラン・ファンが言うのもどうかと思うが、あれはバエズ一人のほうが "The Water is Wide" の良さが出ていたかも知れない。

 ロックでは、ザ・バーズの演奏を見つけた。



 1969年だそうだ。
 いかにもバーズらしいギターのパッセージに、ロジャー・マッグイン独特の歌声。ギターソロも淡々としていて格好良い。最後のヴァーズになって、ヴォーカルがツインになるところが感動的だ。
 バーズは "Wild Mountain Thyme"も歌っている。アメリカは西海岸で結成されたバンドに、ふるいケルトの音楽が合う。ルーツの力強さが時と場所を越えて美しく響いている。