陪臚 / 竹生島2015/01/01 20:09

 テレビで雅楽の演奏が見られる機会はほぼ皆無だが、例外が1月1日の早朝。Eテレで、雅楽の舞楽を放映するのが通例なのだ。
 今年は、録画してみた。演目は舞楽「陪臚」。演奏は宮内庁楽部。
 「陪臚」は平調(雅楽にもナニ調というキーがある。そもそも、西洋音楽のキーを『調』という言葉で表現したのは、雅楽に由来している)の曲で、雅楽を習い始めるとごく初期に練習することが多い。
 私も学生時代吹いた。舞を伴わない『管絃』として演奏するときは、2+4という拍子で、非常にノリが良く、吹きやすかったし、曲そのものが名曲で好きだった。

 舞楽は、舞人が4人。「おいかけ」と呼ばれる飾りのある冠に、赤や金の華やかな装束。そして特徴的なのは、それぞれが盾を持ち、太刀を抜いたり、鉾を振ったりと、武具を用いた派手な動作だ。
 華やかで賑やかで、派手なこの舞、お正月にはぴったりかも知れない。
 楽部の立派な火焔太鼓が見えるのだが、さて奏者の姿がまったく見えない。何せ、火焔太鼓は全長で4メートルほどもある。人間よりずっと大きいので、正面からは打っている人の姿が見えないのだ。
 そこはテレビなので心配無用、ちゃんと横から録って、どえらい力で思い切り太鼓をぶっ叩く楽師さんの勇士も見られた。あの火焔太鼓の迫力は、その場に居ないと実感できない。そこがテレビの残念なところ。
 雅楽を見るといつもおもうのだが、楽師さんが眼鏡をかけているのはどうなのだろう。装束や烏帽子,冠に合わないと思うのだが。プロの能舞台では、眼鏡の楽師さんを見たことがない。いまや、コンタクトレンズもいろいろ選択肢があるのだから、眼鏡はやめたら良いのにと思う。

 さて、雅楽に続いて能も放映されたので、これもついでに録画。
 やはりお正月なので、おめでたい演目である脇能(一番目物)の「竹生島」。観世流で、シテは梅若玄祥さん。シテツレが野村四郎さん。ずいぶん豪華な取り合わせだなと思ったら、「竹生島」という曲がやや変わったものだった。
 竹生島,および弁財天を訪れようとした旅人(ワキ)が、琵琶湖で釣り船に便乗させてもらうのだが、その釣り船に乗っていたのが、シテの老人とシテツレの若い女性。
 竹生島に着くと、旅人が「そういえば、女人禁制のはずだけど、どうして女の人がいるの?」と尋ねる。すると老人が「そういうことは、物を知らない人が言うものだ」と、なかなか言い方がキツい。
 そもそも、弁財天が女性なのだから、女性でも分け隔てなくお参りできるのだ、といってシテとシテツレが旅人をジトっと見るのが可笑しかった。

 さて、実はこの女性が弁財天その人であり、老人は龍神なのだということで、後半にその正体を現す。だから華やかな後シテ,シテツレのために豪華な二人の取り合わせなのだ。
 普通は若い女性を演じたシテツレがそのまま女性の弁財天を、老人を演じたシテがそのまま男性の龍神を演じる。しかし、今回は「女体」というスゴい小書き(特別演出)がされていて、後半になると男女が入れ替わり、老人だったシテが弁財天を、女性だったシテツレが龍神となって現れるのだ。
 この男女入れ替わりの演出、たぶん後場はシテであるはずの龍神の出番が短いため、天女舞を長々と披露する弁財天をかわりにシテにするという意図なのだろう。その意義は分かるのだが…うーん。
 なんだか変。老人が作り物(セットみたいなもの)の小宮に入り、再登場したら美しい天女になって出てくる。そして女性が鏡の間(舞台袖)に引っ込み、出てきたら龍神になっている…違和感がある。あまり好きな演出ではないな。

 ともあれ、おめでたい天女と龍神の舞で舞台は終わる。面白い能だった。
 ひとつ残念なのは、アイ狂言が省略されていたこと。時間の都合もあるのだろうが、ここは省かないでほしかった。

Holding the Keys2015/01/04 21:47

 Rolling Stone Magazine のトム・ペティ・スペシャル・コレクターズ・エディション、お次はベンモント・テンチのインタビュー。これまた2014年になってからのインタビューとお見受けする。



 いつものことながら、初めてトム・ペティと出会った時の事を訊かれている。

 たしか、ぼくが12歳の頃だったと思う。ゲインズビルの地元楽器店に行ったとき、15歳くらいの少年たちがたむろしていた。いわゆる問題児たちだけど、その中の一人が、金髪だった。それがトムだった。

 やっぱり金髪は印象的らしい。トムさんの方は、そのときベンモントに声を掛けて、その Benmont という変わった名前を記憶している。
 その後、ニューイングランドのお坊っちゃま学校,ニューオーリンズの大学へと進んだベンモントは、帰省するたびにトムさんやマイクのバンド、マッドクラッチと共演するようになる。

 ある晩、ぼくは悪あがきとでも言うべきか、ライブ終わりのバーで午前2時、勉強をしていた。するとトムがぼくを呼びつけた。「何やってるんだ?」だから答えた。「経済学最終試験の詰め込み。」すると、トムが言った。「ばかじゃねぇの?」結局、学期終わりにはもう、学校には戻らなかった。
(あなたの決断に関して、ご両親はどうお考えでしたか?)
 ぼくが思い切って打ち明ける前に、察知していたよ。父はぼくを居間に立たせ、母もすごく心配していた。トムが父に言ったんだ。「いいですか、ベンモントにチャンスを下さい。ぼくらはここでは上手くいっているのだから。もし、上手く行かなくなったら、大学に戻ることだって出来る。」
 父はとても好意的だった。父はごまかしが利くような人ではないんだ。判事だったから、とても頭が良く、真面目な人だった。トムが父を説得しおおせたのは、大したもんだよ。


 この後、早いうちからトムさんの作曲能力に気付いていたことや、ハウイが加わってまた良くなったことが語られる。そして、MTVの登場については…

 半分くらいの人は、これぞ1980年代って思うだろう。ぼくは、「なんだよこれ、参ったな」って感じだった。ちょっと一線引いていて、当惑もした。でもまぁ、楽しくもあったかな。カメラの前に立ってしっくりきたことは無い。「ぼくはピアノ・プレイヤーなんだけどな」って思っていた。「テープを回せ」って声がすると、ぼくは緊張して、それを自覚していた。ビデオは音楽の売り上げに大きく影響した。でも、ビデオ制作のプロセスを楽しめなかったのはまずかったな。

 カメラの前での演技が苦手とのことだが、どうしてどうして、中々の名優ぶりだと思うのだが。"You Got Lucky" とか。

次に、お決まりの質問。トムさんがソロ作品を作ることになったとき、どう思ったかについては、こう答えている。

 頭に来たし、同時に傷つきもした。トムがバンドを解散させてしまうのではないかとも心配したよ。当時、バンド内でいろいろ衝突があったからね。誰かが駄目にしてしまうという訳じゃなかったけど、トムとスタンには意見の相違があった。スタンはバンドをやめるか、クビになるかしそうだったけど、1週間以内には戻ってきた。スタンはいつもトムがソロになっちゃうんじゃないかと気にしていた。もしくは、マイクとだけ一緒にどうかするんじゃないかって。だから実際そうなったときの気持ちは言わずもがなさ。
 あのとき、結局ぼくも同じような気持ちだった。最初、ハートブレイカーズのレコードを作るのだと思っていたんだよ。だから録音が始まる1週間くらい前の見当をつけて、クルーのリーダーに電話して、いつ加われば良いか尋ねたんだ。するとクルーは、「えーあー…その…」と、さんざん言いにくそうにためらった挙げ句、実はソロなんだと言った。誰も知らなかったんだよ。
 まぁ、これは状況の一面でしかない。一方で、ぼくはすっかりコカインとアルコールにはまってしまっていた。すっかりハイで、ドラッグとアルコール問題にもはまり込んでいたんだ。だからジェフ・リンには感謝だな。[Full Moon Fever] でやることは無かったから、リハビリに行くことが出来た。それで命が助かったようなものだ。第一さ、ぼくだってずっとセッション活動をしていたんだ。トムがそれをやって楽しんじゃいけないなんてこと、あるはずないよね。


 スタンにしろ、ベンモントにしろ、とにかくハートブレイカーズというバンドにこだわりがあったのだということが良く分かる。そしてハートブレイカーズの特徴だと思うが、トムさんが一人きりで行ってしまうということは、あまり想像していないらしい。何がどうであれ、マイクは一緒だろうということ。
 普通、バンドが解散という騒ぎというと、バンドのメインとなる二人が仲違いするとか、方向性が合わなくなるとか、そういうケースが多いと思うのだが、ハートブレイカーズは違う。トムさんはマイクとは絶対離れない。逆に言うと、この二人が一緒である以上、ハートブレイカーズが解散する理由もないわけ。
 今となっては、もう誰も心配しないのだろう。

 この後は、スタンが離脱し、デイヴ・グロールが参加したときの話、2012年のビーコンでのライブのこと、これからの活動として、マッドクラッチも好きなのでやりたいなどとコメントしている。
 私としては、もっとピアニストとしてのベンモントにフォーカスしてほしかったかな。好きな音楽とか、ピアノと言えばクラシックなどはどうかなとか。一度、バッハやベートーヴェンはどうかと訊いてみたいものだ。特にバッハなんて、グールドのファンなのじゃないかとも思うのだ。

Something2015/01/07 20:31

 前回の、ディラン様ラジオこと [Theme Time Radio Hour] 、テーマは "Something" 。
 何はともあれ、どうぞ!



 もちろん、ディランが最初に流した曲。聴けば聴くほど完成度の高い曲。ジョージはポールのベースラインがちょっと「うるさい」みたいな感想をどこかで言っていたような気がするが、甘く流れすぎず、どっしりとした感じがよく保持されていて、私は好きだ。
 ポールと言えば、ブリッジ部分の高音バックボーカルも最高。CFGの時、クラプトンと二人で再現してくれたのも良かった。
 ディランは、この曲の後に "Layla" の後半部分を流し、パティのことにも言及している。やっぱり、言わずにはいられないのか。

 今回の番組、いきなりジョージから始まると言うだけあって、ウィルベリー色の強い回となった。…というか、その後はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ関連の曲が2曲もかかったのだ。

 まずは、エディ・コクランの "Somethin' Else"




 エディ・コクランのバージョンでは初めて聴いた。この引きずるようなドドドドド…というノリが格好良い。ギターもベースも、コクラン自身だそうだ。スゴイ。
 TP&HBのカバーは、[Playback]ボックスに収録されており、解説によると最初に英国でブレイクしたとき、ロンドンのハマー・オデオンで録音されたという。



 ディランが最後に流したのは、サンダークラップ・ニューマンの、"Something in the Air"



 ディランによると、このバンドのベースはザ・フーのピート・タウンゼントが弾いており、実はNo.1 を獲得したことのないザ・フーのメンバーとしてではなく、外の活動で彼はNo.1 を獲得したのだという。
 ザ・フーにNo.1 ヒットが無いというのは意外で、本当かどうかよくわからない。ウィキペディアを斜め読みしてみると、どうやら "My Generation" が全英2位になったのが最高位だとのこと。
 こうなると、全米にしろ全英にしろ、No.1 というものが絶対的な価値ではないことが良く分かる。

 さて、このたびキャリア40年にして初めて全米1位になったTP&HBのバージョン。何度も記事にしているが、やはりトムさんとハウイの素晴らしいツイン・ヴォーカルが最高。
 あれほど完璧な ― 一分の隙も無く、最初から最後までという意味であり、クォリティが最高であるという意味でもある ― ツイン・ヴォーカルというのはあるのだろうか。ビートルズで少しあるような気がするが、ここまで徹頭徹尾ではあるまい。かなり練習したに違いない。私はどうしてもそう考えてしまう。
ともあれ、締めはこの最高の演奏を、ライブ・バージョンで。

The Kinks in Dublin 19942015/01/10 22:17

 去年のニューヨーク遠征後、日々の iPod は、アーチスト名を Z からアルファベット順に遡って聴いていくということを続けている。TP&HB, ストーンズ,ディラン,ジョージ,ビートルズは除外。
 存在を忘れていたけど、意外に良いアルバムだったり、最初に良くないと思ったものはやっぱり良くなかったりと、なかなか面白い。

 いよいよアルファベットの中盤 K に来て、ザ・キンクスをたっぷり聴いた。
 どうやら、私の好きなキンクスは、1970年 [Lola versus Powerman and the Moneygoround, Part One] でほぼ終わっているらしい。その後の3枚のアルバムはあまり評価が高くなく、その後は購入していない。
 そもそも、私はロック・ミュージックに関して「コンセプト・アルバム」という考え方を買っていないし、ロック・オペラはもっと低評価だ。ビートルズ・ファンがそんなことで良いのかとも思うが、仕方がない。
 ともあれ、[Lola...] まではコンセプト・アルバムであっても個々の曲の出来映えが素晴らしく、ロックで格好良く大好きだ。そういえば、1994年に発売されたライブ音源集の [To the Bone] はもちろん持っている。キンクスで一番好きなアルバムはこれだと言ったら、反則だろうか。
 残念ながら、キンクスはバンドとしてはちろん、ソロとしてのライブも見たことがない。

 60年代からデイヴィス兄弟が続けてきたキンクスは、どうやら1996年頃に終わっているらしい。私自身が詳細な知識を持っていないし、日本語の Wikipediaは経歴が途中で終わっている。
 そのキンクスが、1994年10月14日に、アイルランド,ダブリンでテレビ番組に出演し、2曲を披露している動画があった。まさにキンクス最後の時期というわけだ。



 幾分おじさんになったけど、やはり間違いなくデイヴィス兄弟。
 美しく、しみ入るようではあるが、"Sunny Afternoon" だけでは、なんとなく物足りない。やはり2曲目に "You Realy Got Me" があるのが最高。
 曲の格好良さは言うまでもなく、レイのお茶目な表情が魅力的。ちょっと回数が多いが、サングラスを上げる仕草がかわいい。地響きのようなリフの上に、デイヴの駆け上がるが如き、軽やかな躍動感のあるギター・ソロ。
 60年代から続く「現役」バンド最後の輝きなのだろうか。30年の時を越え、ロックは輝き続き、その輝きはその後20年たっても失われていない。

 ところで、客席にシャツにネクタイ,ジャケット無しの男性が多いのはどうしてだろう。当時は、これが普通だったのだろうか?それともアイルランド,ダブリン限定?

Cats2015/01/13 22:04

 ディラン様ラジオこと、[Theme Time Radio Hour]。前回のテーマは "Cats"。ねこさん。ちなみに、私には動物を飼ったり特に愛でたりする趣味はない。

 ねこさんとジョージ。



 おおお…かわいぃぃぃぃぃ…!!ジョージが…!!!

 今回、ストーンズの "Stray Cat Blues" も流れたのだが、ええと…これです。



 食べるの?それ、食べるの?

 一番面白かったのは、"cat" という言葉を使ったグラマーな女性の話題。ピーター・バラカンさんも解説している。いろいろな女優の名前があがる中、最後にダイアナ・ドースの話になる。
 ディランによると、誰でも、家に彼女の写真があるはずだと言う。
「ウソだと思う?」
 ビートルズの [Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band] のジャケットにその姿がある…と言われるとすぐにピンと来るのが、右端にいる黄色のドレスのグラマーな女性。
 そこで、ディランがひとこと。「おっと、俺がいる。」 ― わぁお。

 もう一つ興味を引かれたのは、ごくごく短い下り。渋いナレーターの声が…
「昔、ディック・ウィッティントンという貧しい少年がおりました。忠実な飼い猫,リップル・ディーディーの他には、何も持ち合わせていませんでした。」と語る。
 どうやら、子供向きのラジオかレコードの冒頭らしい。これについて何も解説はなかったが、どうやらこれは、ポール・ウィングという人によるレコードを一部流したようだ。



 リチャード(ディック)・ウィッティントンというのは、1354年生まれ、1423年に没した実在の人物で、生涯に三度、ロンドン市長を務めた、裕福な商人である。時の国王との結びつき ― 戦争費用の融通など ― を持っており、シティの発展に尽くしている。
 だが、彼が有名なのはその市長としての活躍ではなく、イングランド人なら誰でも知っている童話の主人公だからだ。
 短く説明すると、文無しで大店に丁稚奉公していたウィッティントン少年が、貿易に出かける船に自分のネコを乗せたところ、行き着いた「ネコがいなくてネズミの害に苦しむ国」で、このネコが高額で買い取られ、ウィッティントン少年は大儲けをし、さらにはその大店のお嬢様と結婚して跡取りになりましたとさ…という、英国版わらしべ長者のようなお話。
 ネコで幸運を掴んだ少年として ― しかも大人になってからはシティを代表するロンドン市長に三度も就任するという成功者となるお話のため、ウィッティントンはいつもネコと関連づけられている。
 英国で有名なお話と言ったが、ディランが番組で物語りの冒頭を流した以上、アメリカ人にも知られた話なのだろうか。

Lord Mayor2015/01/16 21:45

 前の記事で、ディック・ウィッティントンの話題を出したので、もう少し引っぱる。

 ディック・ウィッティントン少年は、田舎からロンドンに出てきて大店に奉公し始めた頃、あまりのキツさに、店を飛び出したことになっている。
 店を、シティを飛び出し、ロンドンを見下ろす丘の上に着いたとき、教会の鐘が鳴り響いた。この教会は、シティの古い教会,セント・メアリー・ボウ教会ということになっている。その鐘の音が、「戻れウィッティントン 一度、二度、三度もロンドン市長になる」と歌っていたのだという。
 そこで店に戻ったウィッティントン。その後、ネコでひと儲けする話へとつながる。

 ここで言う「ロンドン市長」とは、現在の名物男ボリス・ジョンソンが務めるそれではない。ジョンソンの方は、「大ロンドン市長 Mayor of London」。いわゆるロンドン塔や、バッキンガム宮殿、ナイツブリッジ、ハイドパークなど、私たちが思い浮かべる大ロンドンの長が「大ロンドン市長」であり、行政権限を実際に有している。
 一方、ウィッティントンがなったという「ロンドン市長 Lord Mayor of the City of London」は、金融街として有名なザ・シティの長と考えれば良い。シティはロンドンの起源というべき城壁内の一地域であり、大ロンドンの成立よりずっと前から街を形勢していた。13世紀には選挙で市長を選出しており、もちろんそれなりの権限を持っていた。
 シティは18世紀まで独自の権限を持つ地域だったが、19世紀末から20世紀には実権をなくしている。市長も名誉職のようなものになったが、今日でもシティはロンドンの中でも特別区であり、警察組織もスコットランド・ヤードとは別だ。
 ロンドン市長は選挙で選ばれ、任期は1年。「再選は認められない」とWikipediaにもあるが、これは連続2期以上は務められないという意味なのか、生涯に1度しかなれないという意味なのかは、よく分からない。ともあれ、長期にわたって一個人に権力が集中することを防止していることは間違いない。
 そのロンドン市長にウィッティントンは鐘の予言どおり、3度就任している。1397年と、1406年、そして1419年。リストを見渡すと、どうやら14世紀頃までは生涯に2回就任する人はけっこう居たようだ。しかし、ウィッティントンの3回というのはさすがに居ない。大物毛織物商だった彼が、いかに有力であり、有能だったということを、この回数が示している。


 さて、せっかく「市長」の話になったので、大ロンドン市長の方にも登場願う。
 そもそも、大ロンドンが行政区として正式に成立したのが1963年というから、まったく新しい話。ビートルズの方が古い。
 現職の大ロンドン市長は前述のボリス・ジョンソン。良くも悪くも話題の多い人物だ。要するに人気者なのだろう。
 彼に関する動画で面白かったのがこれ。
 ロンドン・オリンピックの宣伝のために妙なアトラクションで宙づりになったボリス。その間抜けな姿が、インターネット・ジョークの格好のネタになったのだ。

 

 個人的に好きなのは、ニューヨークの「空中ランチ」。

 市長ついでに、シンプルトン市長にもお出まし願う。



 XTCはアルバム一つとベスト版くらいしか持っていないが、この曲ひとつでその凄さが分かる。むしろ、この曲だけでも良いくらい。
 メンバーはアンディ以外は知らない。三人揃ったときの左のギター君が、ラットルズの人に見えなくもない。
 ミュージック・ビデオかずあれど、このビデオのヒロインはとびきり可愛くて好きだ。

Jailhouse Rock2015/01/19 21:53

 "Jailhouse Rock", 通称「監獄ロック」は、エルヴィス・プレスリー22歳の時のヒット曲だ。映画「監獄ロック」のサウンドトラックであり、初期エルヴィスの代表曲の一つと言って、間違いないだろう。



 この動画に "Music Video" とあるからには、映画のシーンとは別なのだろうか。
 とにかく若い。驚くほど少年の匂いを残している。"That's All Right" などに比べると強烈な地声使いで、声の肌触りもザラザラしている。その荒っぽさが曲調によく合っていて、素晴らしく格好良い。
 この姿を見れば、アメリカでも、UKでも、少年達がエルヴィスに憧れ、エルヴィスを目指すのも当然という気がする。

 そして20年後。
 エルヴィスは1977年に亡くなるので、この動画は亡くなる少し前ということになるだろう。私は彼に詳しくないのでよく知らないが、これはマディソン・スクェア・ガーデンのような大きな会場に見える。



 「70年代のエルヴィスの良さを語る!」…という「通」も居る。さすが、筋金入りのファンは違う。私は…すみません。無理。筋金が入っていないので。ええと…ものすごく歌の上手い………(中略)………人。
 自分は、ロックを見た目の格好良さも込みで愛しているのだと、実感してしまった。

 気を取り直して。
 チビでデブ、しかも歌はとても上手いというわけでもない、でも格好良く、楽しいブルース・ブラザーズ。



 一番好きな "Jailhouse Rock" と言ったら、これを挙げると思う。映画全体込みで好きなせいだろう。
 ところで、最初にテーブルにあがって踊り出す囚人はジョー・ウォルシュだという話は、本当だろうか。80年頃のジョー・ウォルシュを知らないので、よく分からない。

 そもそも、どうして "Jailhouse Rock" の話になったのか。久しぶりにジェフ・ベック・グループを聴いたからだ。[Beck-Ola] の "Jailhouse Rock" は、ベックはもちろん、ロッドにロニー、ニッキー・ホプキンズ、トニー・ニューマンという恐ろしく豪華な演奏。



 とにかく最初から最後まで「演奏過多」とでも言うべき騒々しさ。その暑苦しい分厚さが、同時に格好良い。このアルバム収録バージョンは3分強という短い時間であることも良い。これがダラダラ続くと退屈になる。
 特にニッキー・ホプキンズが素晴らしい。彼にしては弾きすぎというくらいピアノを弾きまくり、音も大きい。ジェフ・ベックのギターよりもせり出し、迫ってくる。まさに気迫のプレイ。
 メンバー同士が嵐のようにサウンドを叩きつけ、殴り合うようなこの演奏。まるで調和とか、バランスということを度外視している。こういうバンドのノリは長く続けることが困難で、刹那的な芸術と言うべきだろう。ある意味、投げやりなほどの思い切りの良さと、格好良さ。凄まじいとしか言いようがない。

 最後に、ゆるーい "Jailhouse Rock"。
 これが同じ曲かと思うほど、ゆるい。Ukulele Club Liverpool なるグループが、街のお祭りでゆるーく演奏。観客もゆるい。前の数曲を聴いた後だと、なんだかホッとするような、腰砕けになるような。

Learning to Fly2015/01/22 21:17

 ローリング・ストーン誌のトム・ペティ・スペシャル・コレクターズ・エディションは、最後に [The 50 Greatest Songs] と題して、トムさんの名曲をリストアップし、インタビューや解説を短く載せている。
 一応ランキング形式になっているのだが、これがどういう基準なのか良く分からない。たぶん、ローリング・ストーン誌独自のランキングなのだろう。
 一位が “Amaeican Girl” で、私の意見と合致している。”Echo” も29位と意外と健闘(?)しており、まぁ文句はない。

 短い解説の多くは既によく知られていたり、色色なところに掲載されていたりしたのだが、この “Learning to Fly” に関するマイク・キャンベルのコメントは初めて見たような気がする。

 「"Learning to Fly" はジェフ・リンのプロデュースだ。」
 マイク・キャンベルはそう語っている。
「アコースティック・ギターてんこ盛り。積み上げるように、分厚く弾きまくっている。ぼくのお気に入りは、最後の方のドラムがドカドカいうところだ。あれには参ったね。楽しかったよ。」
 しかし、彼はこの曲を際立たせているのはペティによるソングライティングの、シンプルさにあるとも付け加えている。
「そこがこの曲の奇跡的なところだ。やり過ぎなというものが全くない。実にシンプルな曲と、シンプルな歌詞だ。」




 そもそも、”Learning to Fly” という曲自体が、私にとってトム・ペティのトップ5に入る曲。

 マイクの言うドラムの所は、2分50秒付近からのパートだろうか。
 マイクの言う通り、分厚いアコースティック・ギターこそがこの曲を形作っているのだが、その一方で短いエレキ・ギター・ソロも外せない。実に控えめなのだが、これしか無いという絶妙さ。胸が一杯になるような、切ないような。あんなに素晴らしいのに、ごくごく短く、さりげなく退いてしまい、またトムさんのヴォーカルが帰ってくる。
 こういう演奏を聴くと、やはりマイクは歌が、トム・ペティというヴォーカリストが大好きなのだと思い知らされる。飽くまでも歌のための演奏、歌のためのギター・ソロ。そういう相棒を得たトムさんの幸運たるや、並大抵ではない。

 最近ではすっかりアコースティック・バージョンのライブ・パフォーマンスが定番になってしまった。それはそれで良いのだが、私はオリジナルに近い演奏の方が好きだ。
 そういう意味で、この1991年の演奏が大好き。音が悪いのが惜しい。



 シングルのジャケットになった、このハートブレイカーズの写真も素敵。今はもうきけないハウイのコーラスが切ない。
 この曲の歌詞にあるように、あらゆる物は変化し、過ぎ去ってゆく ― という抗いようのない運命と、それでも感じずにいられない愛惜が、バンドのハードな音いっぱいにあふれている。マイクのギター・ソロも、あのスタンのドラム・プレイも、どこかに痛みを抱えていて、ロックの持つ切ない情感に満ちている。
 またこのバージョンで演奏してくれる日が来るだろうか。

Insider2015/01/25 21:36

 ローリング・ストーン誌に、スティーヴィー・ニックスのインタビューが載っており、サイトには "Gypsy" をピアノを弾きながら歌う姿がアップされている。

Stevie Nicks Looks Back: Inside Rolling Stone's New Issue



 私は彼女や、彼女のバンドのファンというわけではなく、トム・ペティ関係者として見ている。そもそも、彼女の存在を知ったのは、トム・ペティを通じてだ。
 この演奏は、最低限のピアノ演奏に、素晴らしい歌声がよく映える。圧倒的な存在感、歌唱というものの凄さ、その才能を思い知らされる。ピアノに関しては、あれくらいしか弾けないのかも知れない。あの爪と指輪じゃ、無理だろうなぁ。

 インタビューには、彼女が以前酷いコカイン依存症だったことが語られている。

 「私たちはみんな、ドラッグ中毒だった。特に私が一番酷かった。若かったし、危なっかしかった。それで大量のコカインをやっていた。」

 このコメントの後に、"And I had that hole in my nose. So it was dangerous." とあるが、この「鼻に穴」というのがよく分からない。「鼻の穴にコカインをつめていた」…かな?ニール・ヤング状態?何にせよ、ドラッグ中毒のため、非常に危険な状況だったということ。
 記事は、さらにこう続く。

 「ぼくはできる限り、彼女を助け、良くなるように助言していた」と、トム・ペティは語る。「彼女のことがとても心配だった。あの頃はもし電話が鳴って『スティーヴィーが死んだ』と言われても、驚かなかっただろう。」

 突然、トムさんのコメントが挟まるのはどういうわけか。別の機会にそういう話をしていたのか、それとも今回取ったコメントなのか。
 ともあれ、それほど当時のニックスの状況がシリアスだったということ。トムさんも、ハートブレイカーズも、友人が、偉大なミュージシャンが命の危険にさらされていることに、心を痛めていただろうし、他人事ではなかっただろう。

 ともあれ、ニックスは今日まで生きながらえ、新譜を作り、ライブをやっている。友人たちを酷く悲しませることもなく。

 ニックスとハートブレイカーズというと、まずは "Stop Draggin' My Heat Around" なのだろうが、私個人としては、"Insider" が好きだ。
 最初、この曲をニックスの曲としてあげる予定だったものだが、トムさんが惜しくなってしまい、あげるのを止めたという。アルバムに1曲は入っていて欲しい、スローバラードだが、甘すぎず、軟弱すぎず。美しくて力強いところが良い。



 ソロも無いのでマイクがあまり目立たないが、チラっと映ったときにニコニコしているのが印象的。このギターは何だろう。ちょっと見慣れない。
 私はこの曲をライブでやっているのを、実際に見たことがない。ニックスがいないとやらないだろうか。トムさん一人のリードで、スコットのコーラスで構わないし、オリジナルには無いマイクのギターソロなぞ入れて、演奏してみてほしいものだ。

Chopin / Ballade No. 12015/01/28 22:00

 冬は、ピアノ弾きにとってキツい季節である。
 何と言っても、手がかじかむ。一生懸命手をこすったり、息をかけたりして温めても、鍵盤上ですぐに冷たくなる。高校生の頃などは、ミトン型の手袋に小さなカイロを入れていたものだ。
 室内を温かくしても、鍵盤が冷たいといことがよくある。象牙だろうが、プラスチックだろうが、冷たい。鍵盤の冷たさが、指に伝わり、また指が冷たい。

 そこで私は考えた。既に完成された楽器であるピアノに、革命的な新機能!鍵盤ヒーター!これさえあれば、いつでも鍵盤はホッカホカ!冬の練習も辛くない!タイマー機能もつければ、毎回練習時間の前に温めておくこともできる!
 仕掛けとしてまず考えられるのは、ピアノの蓋に温熱機能を持たせること。レーシングカーのタイヤウォーマーみたいなイメージ。蓋を閉めれば輻射熱で鍵盤があたたまるというわけ。
 しかし、この場合蓋をあけるとすぐに鍵盤は冷え始める。演奏を始めてからも、しばらくは温かいと助かる。

 そこで考えたのは、鍵盤そのものに温熱機を仕掛けるということ。鍵盤が温まるのだから、これは快適!問題は、各鍵盤に仕掛けると鍵盤が重くなること。それなら、鍵盤の素材から替える必要があるか。しかし、ピアノの鍵盤をなにも上から下まで全て温める必要はないわけで、真ん中くらいだけでも良いのだ。
 楽器メーカーさんだけでこれを開発するのは大変だ。そこで提案したいのは、日本が世界に誇る、ハイテクの無駄遣い!いや、無駄ではないっ!!便座温熱機の技術を駆使するのだ!
 と、言う訳で、日本が誇る楽器メーカーさんと、日本が誇る便座メーカーさんの、イカしたコラボを期待している。

 ええと。
 まぁ、とにかく。寒い時にピアノは辛いという話。
 ショパンのバラードを弾くことにした。最も有名だと思われる1番。通称「バライチ」…というのは、私だけだろうか?
 そもそも、去年からバライチを弾こうと思っていた。その前に、ショパン向けに手を伸ばして準備運動をしておこうという話になり、先にスケルツォの3番を弾いた。スケルツォがまともに弾けるように仕上がったのかどうかは、さておき…
 そうこうしているうちに、某フィギュアスケーターが、今シーズンのショート・プログラムに、バライチを選んだではないか!なんてことだ!まるで、私がスケートに感化されて弾くことにしたみたいじゃないか!

 楽譜は、面倒になったので外版は買わず、一番安い音楽之友社にした。こだわり無し。
 CDは、以前からクリスティアン・ツィマーマンを持っていたので、こちらを参考にする。録音は1988年。ツィマーマンもまだ若いころ。



 せっかくの美形ピアニストなので、動画もどうぞ。



 前から思っていたのだが、このお城みたいな所でのミュージック・ビデオみたいな物は何だろう?
 ともあれ、繊細というよりは骨太で剛胆な演奏。強弱記号などは私の譜面とは違うところもある。pp のところを ff で弾いたりするのでなかなか面白い。
 冒頭とコーダ以外は6拍子で、大きく、流れるように、歌い上げるのがバラードらしさだろうか。シューマンはこの曲を非常に評価しており、ショパンを弾くなら、いつかはバラードと思わせるに十分の魅力をたたえた名曲だ。

 ショパンのバラードと言うと、この曲に関する多くの文章には、「作曲家の祖国であるポーランドの詩人、アダム・ミツキェヴィチの愛国的な詩に啓発されたといわれることもある」と書いてある。
 しかし、このミツキェヴィチに啓発されたという話の根拠は甚だ怪しい。私が見た幾つかの文章では、根拠については言及していない。かろうじて遠山一行さん(先月逝去。合掌)が、「ミツキェヴィチの詩によって書いた、と(ショパンが)シューマンに語ったらしいが」としている。これも曖昧な表現だ。

 こういう時は、自分が持っている楽譜の楽曲解説を見るに限る。幸い私の版は日本版の「解説つき」だ。さっそく冒頭を見てみると、そこには「小説」が載っていた。題名は「ショパンのバラード」。三章立てで、筆者は大嶋某氏。

 「小説」が掲載されているなんて、そんな馬鹿な。私はそう思って何度も見たのだが、この7ページ以上にもわたる文章は、どう見ても小説だ。当時の歴史的,政治的ポーランドの状況や、ショパンの置かれた環境も詳しく記述されているが、同時にワルシャワでの若きショパンと友人達のカフェでのシーンが展開される。
「フレデリック、そこまで一緒にいかないか」
 もちろん、台詞がある。異国へ旅立直前のショパンが友人とビールを飲みに行ったり、ウィーンで嘆いたり。シューマンが「ショパンのバラードはミツキェーヴィチの作品から刺激を受けて書かれたのです」という箇所もあるが、例によって出典がわからない。
 しまいには、死の前年、ショパンが詩人ミツキェーヴィチに会いに行くエピソードが出てくる。曰く、「使用人がトレーに茶を乗せて現れ、テーブルを整えた。」詩人の前でショパンが鍵盤に手を置き、バラードを奏でつつ、この「小説」は終わる。

 なんだこりゃ?

 一体どういうつもりで楽譜の冒頭に小説なんぞ載せたのだろう?音楽之友社という立派な楽譜出版の重鎮が!こういう小説は、同人誌にでも載せれば良いだろう。もちろん、小説の本として上梓しても良い。とにかく、ピアニストが用いる「楽譜」に小説を載せるのは場違いだ。
 妙なことに、この筆者の大嶋某氏は小説のあとに、「ミツキェーヴィチとショパンのバラード」と題する、今度こそ本当の解説を書いている。解説だけ載せれば良いのであって、なぜ小説?小説なんぞ載せずに価格をあと100円下げるか、温熱機つき鍵盤の開発費にでもすれば良いではないか。
 価格が一番安かったからという理由でこれを買った私がバカだった。でも、表紙に「解説付」としか書かない出版社にも問題がある。「大嶋某氏による小説と解説付」とするべきだ。

 ミツキェーヴィチとバラードに関して、ショパン自身が言及がした証拠は、どうも弱いようだ。基本的に、私は根拠とか出典に疎く、べつに明確でなくても良いと思っているのだが、このバラードに関しては、「詩」に触発されたと言われてもピンと来ない。
 ショパンの素晴らしき楽曲に、標題音楽のような「前提」や「説明」は不要ではないだろうか。そもそも、私には標題音楽の解説過多なところが、煩わしい。バラードの素晴らしさは、説明されるのではなく、果てしなく豊かな音楽、音楽それだけに身を沈め、ただ音楽だけを感じれば良いと思うのだ。