雅楽の諸相2014/12/16 23:03

 伶楽舎の雅楽コンサートに行った。
 今回は、「雅楽の諸相」。いろいろなタイプの雅楽の楽曲を紹介するという趣向。



 最初の「五行長秋楽」が一番良かった。
 博雅三位(はくがのさんみ)こと、源博雅が作った曲としては「長慶子」しか現代に伝わっていないが、彼ほどの人ならもっと沢山の曲を作っただろうと推測した芝祐靖先生が、「博雅三位、陰陽寮より作曲を依頼されること」という説話を創作し、この物語の中で博雅が作った曲というのが、この「五行長秋楽」。
 創作説話は、天災、疫病、得体の知れない魑魅魍魎にあふれた洛中を鎮めるために、陰陽寮(加茂保憲,加茂光栄,安倍晴明ら)が、音楽の力で乱れを糺そうと、博雅三位に作曲を依頼するというもの。陰陽寮の面々より博雅はずっと位が高いので、直接は依頼できず、仲介者がいるなど、設定が細かい。博雅は期待に違わぬ曲を作ったが、紆余曲折の末、譜面が焼失し、廃絶曲となったというストーリー。

 面白いのは、芝先生が博雅になりかわり、五行(木火土金水)を基本に、「理屈で」作曲をしたところ。そのため、「この曲は作曲することに意義があり、演奏するためのものではない」と、2002年に作曲されて以来演奏されることがなく、今回が初演となったのだ。
 たしかに、プログラムに載せられた「五声事象対象図」や、「律盤」、「音律五行相生相剋図」などを元に作曲する以上、感性ではなく理屈で作曲されたことになる。
 最初の序や、破などではその理屈っぽさが確かに前に出ているが、颯踏や急声になると躍動感が出て、とても面白い曲になった。

 二曲目以降は純粋に現代曲。
 吉川和夫作曲の「木々の記憶」は、現代雅楽曲の評価が辛い私にしては珍しく、良い曲だと思った。ごく自然に雅楽楽器が用いられており、無理がない。大篳篥や排簫(はいしょう)の使い方がとても特徴的だが、それに偏ることなく、とてもバランスのとれた、美しい、聴きやすい曲だった。
 残念なのは、最後。いよいよ曲が終わろうとした瞬間、客席後方から音がする。私は一瞬、演出のため、後ろから鈴を鳴らしているのかと思ったが、これがなんと携帯電話の呼び出し音。ああ、やってしまった人がいる。
 演奏会に来たら、開演前に電源を切る。最低限のマナーだ。

 三曲目は、曲名と作曲者を挙げないでおく。
 最初から最後まで、「決して笑ってはいけない雅楽演奏会」状態。必死に笑いをこらえなければならず、要するにまったく良くなかった。何も伶楽舎が演奏しなくても良いではないか、せっかくの演奏会に取り入れることはないだろうとまで思わせる、ある意味凄い曲だった。

 四曲目は、雅楽童話「ききみみずきん」。かぶると動物の鳴き声が人の話し声のように聞こえるという不思議なずきんをめぐる物語に、雅楽の演奏をからめたもの。
 ここ数年、伶楽舎は子供のための「雅楽童話」に力を入れており、なかなか好評らしい。私はこれまで聴く機会がなかったので、今回は新鮮だった。
 楽しい演目なので好きだが、ただ今回の演奏会は決して子供向きでもないし、プログラムの構成上も子供が待てるものでもなかったので、その点は残念。

 今回は「諸相」とのことで、色々なタイプの雅楽を楽しめた。
 その一方で、テーマからあぶれたものの寄せ集めとも言えなくない。来年は伶楽舎30周年で、コンサートにもそれなりの趣向があるだろうから、これからも楽しみだ。

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