Will Lee's Story2014/05/28 22:31

 「大人のロック!」という雑誌がある。ダサいタイトルだが、とにかく「大人のロック!」だそうだ。しかし、ホームページでバックナンバーを見る限り、看板に偽りありで、実際には「ほぼビートルズ」。ほぼビートルズで、時々ゼッペリンとか、時々クィーンとか。
 「大人のロック!」というくらいなら、バーズや、ザ・バンドや、TP&HBくらいあっても良さそうだが。
 そもそもこの雑誌、創刊当時にちらりと立ち読みをして、内容の怪しさにおどろいたことがある。バングラデシュ救済コンサートがなぜか「カンボジア救済」だったり、ジェイコブ・ディランがボブ・ディランの「ひとり息子」だったり。

 それはともかく、このたび、この「大人のロック!」特別編集版のムックとして、「ジョージ・ハリスン 至福のサウンド」なるものが発売された。



 一応、購入。
 この手のムックの場合、よく冒頭にインタビュー記事などがあるが、この本も例外ではない。これって要らないと思う。
 それ以外は、ジョージのレコーディングやライブの情報など、かなり詳細に網羅しているようで、資料的になかなか良いと思う。

 特に目新しい情報、ビックリするような情報はなかったのだが、一つ長年の疑問が解けた。ゲイリー・ムーアと、ジョージはどういう縁で友人になったのかということ。
これまで、その問いに答えた人がおらず、今年のCRTジョージ祭りで、本秀康さんも知らないと言っていた。
 この本によると、ゲイリー・ムーアはジョージと同じヘンリー・オン・テムズの住人で、その縁での交友なのだと言う。

 確認してみると、確かにご近所だった。ただしゲイリー・ムーアは、正確にはヘンリー・オン・テムズではなく、その6キロほど南の集落シップレイクの住人である。鉄道の駅一つ分離れている。
 ベーシストのウィル・リーが、インタビューでこんな話をしていた。

 ぼくはイングランドで、ゲイリー・ムーアとアルバムを作っていたことがある。録音していたスタジオは、ジョージ・ハリスンの家フライアー・パーク・オン・ヘンリー・オン・テムズにとても近かった。
 ちょうどウィンブルドン選手権の時期で、休み時間には大きなテレビで試合を見ていた。ある日の夕暮れ、ぼくらはロジャー・ウォータース所有の大きなお屋敷内のスタジオの食堂で、夕食をとっていた。すると、ふたつの人影がこちらに近づいてくるのが窓越しに見えた。よくよく見ると、それはジョージ・ハリスンと、ジョン・マッケンローだった。
ぼくらは一日中、ウィンブルドンのマッケンローを見ていたんだ。その彼が目の前にいるもんだから、もうびっくりさ。一体、ここで何やってるんだ?
 二人は、ぼくらが町に居ると聞いて、ジャムでもやろうと、やって来たんだ。


 ジョージ、マッケンローともお友達だったのか…。相変わらずだなぁ。
 このウィル・リーの話に出てくる「ロジャー・ウォータース所有のお屋敷」というのは、ピンク・フロイドの人の家のことだろうか。おそらく、シップレイクに住んでいるゲイリー・ムーアにとって、便利なところにあったのだろう。デイヴィッド・ギルモアもテムズ川沿いにスタジオを持っている(ボートハウス?)が、これとは別だろう。
 ちなみに、ウィル・リーの話は、さらに続く。

 そんな訳で、ジョージはぼくらを彼の家に招待してくれたり、いろいろした。
 1年後のある日、ぼくの留守電にメッセージが入っていた。
「やぁ、ウィル。ジョージ・ハリスンだ。例のテレビ番組からきみをかっさらって、アルバート・ホールで一晩、一緒にプレイしてもらいたいんだ。電話して。」
 弟のロブは、ジョージの真似が得意だった。だからこのメッセージも、弟だと思って、折り返しの電話はしなかった。その日の夜になって、ぼくは弟に電話で言った。「さっきのジョージのもモノマネ、そっくりだったな。」すると弟が言った。
「電話してないよ。」
「わぁぁぁ!電話しなきゃ!」

電話をしてみると、ジョージが、彼自身の最後のコンサートとなる、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートに、招いてくれるとのことだった。あれは93年のことだったと思う。
本当に、まじで大興奮だった。アンコールにはリンゴが登場して、”While My Guitar Gently Weeps” と “Roll Over Beethoven” を一緒にプレイした。ほんと、信じられないよ。まさに、ロックンロール・ヘヴンだった。ぶっとんでいた。どんなにものすごいことだったか、言葉ではとても表現できない。

 ジョージが留守電で言っていた「例のテレビ番組」というのは、CBSの番組 [Late Show with David Letterman] のこと。ウィル・リーは、この番組のハウスバンドの一員。
 ジョージ最後の主役ライブとなったロイヤル・アルバート・ホールは1992年なので、93年というのはリーの勘違いだろう。マッケンローは1993年を最後に引退しているので、その辺りは間違っていない。
 このロイヤル・アルバート・ホールでのライブには、ゲイリー・ムーアや、ちょうど英国ツアーが終わったばかりのハートブレイカーズのマイク・キャンベルも参加している。ほぼクラプトンのバンドだったが(ハイジャック・バンド)、ジョージの人脈で参加したメンバーの姿もあって、面白い。
 そもそも、スタン・リンチの抜けたハートブレイカーズのドラマーに、スティーヴ・フェローニが迎えられるのも、このライブでマイクがスティーヴと共演したことがきっかけだった。

 ジョージの周囲を見渡すと、豊富なな交友網が次々と現れる。音楽も、ルックスも、そして友達の多いところも、ジョージの魅力だと思うのだ。

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