テネシー軍の終焉2013/07/01 21:34

 確認してみると、最後に南北戦争の記事をアップしたのが、今年の1月。アトランタ陥落で終わっている。

 実のところ、1864年9月アトランタ陥落で西部戦線の南部連合軍 ― ジョン・ベル・フッド中将率いるテネシー軍は、引導を渡されたも同然だった。軍隊を養うには、食料も、装備も、駐屯地も必要なのだ。南部最大の拠点を取られては、もうどうにもならない。ナッシュヴィルなど、とっくの昔に落ちている。
 北軍総司令官のグラントは、彼自身こそロバート・E・リーとの対決で東部戦線から動けないものの、忠実な部下であるウィリアム・T・シャーマン少将が西部戦線で勝利したと確信していた。
 これはリンカーンも同様で、彼は同年秋の大統領選挙での勝利を力強く手元に引き寄せた。

 あとはシャーマンが西部全体を掌握することを残すのみ。アトランタから、太平洋側のジョージア州サバンナへの進撃を開始しようとした。
 ところが、フッドは諦めていなかった。彼はテネシー軍残りの35000を率い、アトランタの西をぐるりと回って北に出ると、シャーマンの背後を襲うような動きを見せた。この時、フォレストやウィーラーに率いられた南軍の騎兵がその機動力を生かして活躍するのだが、さすがにこの時期となるとかつてのスチュアートのような機敏さはなく、あまり大きな成果は上げられなかったようだ。
 フッドは9月から10月にかけて、フラフラと北上しながら、点在する北軍との小競り合いを繰り返した。この行動は、一応は南部連合大統領デイヴィスの承認を得ていた。さらに、このフッドの行軍の最終目的は、点在する北軍を突破して、東部戦線のピーターズバーグ包囲戦にあったリーの北ヴァージニア軍と合流することだった。
 ここまで来ると、切なくなってくる。夢物語ような計画だ。

 シャーマンはフッドの行動には惑わされなかった。彼自身はサバンナへ進撃し、背後はトーマスやスコフィールドの分隊に任せた。
 アトランタを放棄したとき、35000あった南軍テネシー軍の兵力は北上するにしたがって小規模な戦闘で数を減らし、11月30日には27000に減っていた。
 この日、ナッシュヴィルの南30キロほどのフランクリンでスコフィールドの北軍と、フッドの南軍が正面衝突。フッドが仕掛けた。全兵力でもって攻めたのはフッドだけで、スコフィールドの本隊は早々に退却してナッシュヴィルのトマスと、無事合流。あまり実のない戦闘で、南軍は大損害を被った。12人もの将官が死傷したというのだから、凄まじい。

 翌12月上旬には首尾良く北部連邦の小部隊がナッシュヴィルに集結し、その数は54000にふくれあがっていた。一方、フッドは冬の悪天候のもと24000に減っている。
 12月15日、ナッシュヴィルの北軍が南軍へ攻撃を仕掛けると、もうなすすべ無く、テネシー軍は18000に縮小し、ミシシッピ州トゥペーロに退却した。そして年明けに、フッドはテネシー軍司令官を辞任。
 戦争はあと半年ほど続くが、ともあれテネシー軍はおおよそ、この時点で終わったと見て良い。

 一方、シャーマンはサバンナへの進軍を続けていた。
 南軍はこれに対する兵力にとぼしく、めぼしい将官も見つからない ― ただ、デイヴィスと折り合いが悪く、アトランタ陥落前にテネシー軍司令官職を解かれていたジョウゼフ・ジョンストン大将だけが居た。
 このジョンストンのもとに、最後の、ボロボロの、でも南部の誇りだけは固持している南軍兵士が集まった。その中に、ジョン・ウォルター・テンチ ― ベンモント・テンチの曾祖父と、その弟の姿もあった。彼らが開戦とともに故郷ジョージア州ニューナンを立ってから、3年が経っていた。