天の音楽 世間の楽 ~源博雅をめぐって~2012/12/28 20:41

 12月27日、四谷区民ホールで、伶楽舎の雅楽コンサート、「天の音楽 世間の楽 ~源博雅をめぐって~」を観賞した。
 いつもの伶楽舎なら客席の埋まり具合は七割くらいで、八割も入っていれば大入りという感じだが、今回はなんと完全なる満員だった。楽屋でそのことを言うと、楽団員も目を丸くして「一体どうしたの?!」と驚いていた。私は言ってやった。「陰陽師だよ…陰陽師を甘く見ちゃいけない。」



 今回のコンサートのテーマは、源博雅(みなものとのひろまさ 918-980)。平安時代中期に活躍した公卿であり、雅楽家,各種楽器(特に笛)の名手として知られる人物である。楽譜の編纂や、作曲、編曲などにもその名を残しているほか、彼の死後その楽人(がくじん 雅楽演奏家のこと)としての名声が高まるにつれ、生み出された数々の説話の主人公でもある。
 「ひろまさ」がその名前だが、雅楽関係の人は「はくが」と有職読みしたり、その官位従三位にちなんで「博雅三位 はくがのさんみ」と呼ぶことが多い。私も「博雅三位」と呼ぶ。
 学生時代、雅楽研究をしていた同級生が、資料を見ていると良く分からないことは大体「博雅三位がそうした」とばかり書いてあって、辟易したと言っていた。博雅は、能における世阿弥のような位置づけに似ているような気がする。即ち、その芸術の創始者ではないが、今日まで伝えられるのに大きな役割を果たす、研究者,創造者として大きな功績があったと言えるだろう。

 さて、その博雅三位。少し前にメディアで流行した「陰陽師」という作品で、一登場人物になっている。こちらでは「ひろまさ」と呼ばれているらしい。異能の人の親しい友人で、一緒に事件に巻き込まれ、解決するという、いわゆる「ホームズ&ワトスン」型の冒険譚における、ワトスン役を担ったらしい。
 「らしい」というのは、私が「陰陽師」をまったく受け付けなかったから。「ホームズ」は好きだし、雅楽も好きなのだから見てみようと何度かチャレンジしたのだが、冒頭あたりで大抵ギブアップしてしまった。どこまでもファンタジー門外漢であった。
 とにかく、この「陰陽師」の大ヒットを受け、博雅も有名人となったのだ。今回のコンサートの大盛況は、きっと「陰陽師効果」に違いない。

 プログラムは、まず博雅三位が作曲したと伝えられる、「長慶子 ちょうげいし」から。調は太食調(たいしきちょう)。私も学生時代親しんだ曲で、懐かしい。 
 続いて、古典文学研究家の石田百合子さんのお話とともに、博雅説話に登場する曲の演奏する。大篳篥(おおひちりき)での壱越調(いちこつちょう)の調子。さらに、蝉丸から伝授されたという、琵琶の秘曲「啄木」。静謐な独奏である分、早くも撃沈した人々のイビキ、寝息がよく聞こえる。

 さらに、博雅三位が朱雀門で鬼と一緒に笛を吹いたという説話を元に、芝祐靖先生が「萬秋楽 まんじゅうらく」を構成し、二管のアンサンブルにした「朱雀門梁震 すざくもんりょうしん」。これが素晴らしかった。
 博雅を八木千暁さん、鬼を芝先生が演奏したのだが、お二人の音色の違いが微妙なコントラストを描き、これぞ龍笛!…という笛の醍醐味を堪能させてくれた。プログラムには、芝先生による譜面が載っているのだが、先生はそれぞれのパートを、「鬼」と「三位」と書いていらしたのが印象的だった。

 後半は、博雅三位が生まれたとき、天から妙なる調べが響いたという説話を元に、まず人間界の「楽 がく」として、「皇麞 おうじょう」(「じょう」は、鹿の下に章という異常に難しい漢字)。そして、天からの「音楽」として、増本伎共子さん作曲の新曲「博雅の生まれた日に…」が演奏された。
 現代雅楽曲というものは、大抵私の評価が低い。どうしても古典と比較してしまうので、分が悪いのだ。今回の曲は、まぁまぁというところ。笙と箏、琵琶の使い方はとても良かったが、笛二管はやや無理があり、いまいち。本来は編成に入らないはずの篳篥も、ちょっと生きていなかった。

 ロビーでは、偶然にも母校の前の学長先生と遭遇(どういう訳か、母校の歴代学長は、私が所属していた学科の先生が続いている)。ご挨拶したら、ちゃんと覚えていて下さった。
 楽屋はいつもにましてお客様も多く、大賑わいだった。芝先生にもご挨拶できたが、お元気そうでなにより。
 さすがに博雅パワーほどの企画を連発するのは難しいだろうが、これからのコンサートも、盛況であってほしい。それにしても、「陰陽師」おそるべし…。