Glenn Gould2012/10/04 06:00

 グレン・グールド Glenn Gould (25th Sep. 1932 - 4th Oct. 1982)



 今日、10月4日は、カナダ人ピアニスト,グレン・グールドが50歳で亡くなって、ちょうど30年目。彼は自分の誕生日の二日後に倒れ、その一週間後に死んだ。
 つまり、今年はグールドの生誕80周年、没後30周年というわけ。CDショップに行けば、グールドのコーナーが賑々しく飾り立てられている。もっとも、グールドというアイドルのコーナーは、いつだって華やかなのだが。
 グールドは、間違いなく歴史上最高のピアニストの一人だろうし、その個性、魅力  ― そして魔力、理解不能、特異性も、随一の人物であり、議論の的であったことは、確かだ。

 以前にも書いたが、私は自分を、グールドのファンとは認めたくない。深い意味はなく、単にロックなどと比較して、クラシックにあまり興味がないからだ。
 とは言え、私もアマチュア・クラシック・ピアニストの端くれ。しかも比較的(本当に比較の問題)得意にしているのがJ.S.バッハときているので、どうしてもグールドは無視できない。自分の学習・演奏には何の役にも立たないと思いつつ、なんとなく買ったCDも数枚ある。試みに、数えてみた。

J.S. バッハ ゴールドベルク変奏曲(1955年)
J.S. バッハ,スカルラッティ,C.P.E. バッハ曲集(イタリア協奏曲など)
J.S. バッハ パルティータ,フランス組曲,イタリア協奏曲など
J.S. バッハ 平均律クラヴィーア曲集
J.S. バッハ パルティータ,小フーガ,プレリュードとフーガなど
ベートーヴェン ピアノソナタ集(悲愴,月光,熱情)

 意外と持っている。しかも重複も多い。クラシックにあまり興味のない私において、同一演奏者でこれだけ持っているのは珍しい ― ファンではないが、魅力は感じていることを認めざるを得ない。

 それにしても。グールドはとんでもないのだ。
 演奏がとんでもなく上手すぎて、とんでもない解釈をして、とんでもなく魅力的なのだ。
 あまりにもとんでもなさすぎて、聞くなり、笑ってしまうことも多い。一番、笑ったのは、私も学生時代は十八番にしていた、「イタリア協奏曲」の第三楽章。本当に、これは大爆笑した。



 ある意味、「ひどい」。どこか狂っているとしか言いようがないような、すさまじいテンポで、しかも完璧に弾いている。問答無用。感想やら、分析やらは馬鹿馬鹿しくなってしまう。爆笑するか、呆れて開いた口がふさがらないか。

 今年の年末、私はピアノの発表会を控えている。
 困ったときのバッハ頼みで、今回は平均律第1巻15番(G-Dur)を弾く。フーガが珍しく長くて、華やかだし、演奏会向きかなと思ったのだが…これまた、グールドの演奏はとんでもないことになっている。
 まずはプレリュード(前奏曲)から。なぞの絵画つき。



 たったの44秒!最後はリットして44秒!何もそこまで!一体どこへ行くつもりなんだ、グレン・グールド!ボイジャーなんかに乗らなくても、完全に宇宙の彼方へすっとんでいる。
 試しに、私も目一杯速く弾いてみたのだが、どうしても50秒はかかる。
 そして、フーガがこちら。



 ご多分に漏れず、グールドのへんな歌つき。この早さで、フーガを完璧に、ノンレガートで弾きまくり、一分の隙も無い。
 なんだかもう、嫌になってしまうのだが、ひとつ良いのは、グールドがこの演奏で、装飾音をほとんど省略しているところ。私も、グールドに倣ってという言い訳で、装飾音を省くことにした。

 以前、グールドの録音風景をとらえた、映像を見たことがある。ライブ演奏をやめたグールドは、録音に凝るのだが、テープを切り貼りすることも認めていた。これには賛否両論があるだろうが、あそこまで上手だと、もう何も言う気にもなれず、好きにすれば良いと思う。
 何の曲だったか、とにかくすさまじい早さのバッハを、エンジニアと一緒に聞くグールド。ひとしきり聞いてから、

「うーん、どうだろう。速すぎる?」

 いまさら、何がどう「速すぎる」のだろう?エンジニアが無表情に、「いや、全然」というのが、かなり可笑しかった。
 とにかく、私にとって、グールドはもうどうしようもなくて、笑うしかないピアニストらしい。