Der Tod und Layla2012/10/01 20:29

Der Tod und das Mädchen:「死と乙女」 シューベルトの歌曲

 どういう訳だが、デレク&ザ・ドミノスの名曲 "Layla" は、よくCMに使われる。
 名曲なのだから「どういう訳だか」というのもおかしいが、私にとって、この曲は非常にCMに不向きに思えるのだ。
 最近目にするのは、日本生命の乳がん対策PR用CM。ものすごく違和感がある。



 "Layla" のどんなところが良いのか ― 私は、この曲が絶望の曲だから良いのだと思う。
 明るさ、優しさ、穏やかさ、愛、希望、夢、生きる喜び ― そういうものとはほど遠い、血と鉄の臭いのする、殺伐とした、救いのない、死の影が漂う ― それが異常に格好良い音楽なのだ。
 特に「死」の気配の濃さは、この曲が録音,発表された当時のこおを思えば、さらに深まる。デュアン・オールマンは間もなく事故で亡くなるし、ジミ・ヘンドリックスをはじめとして、多くのロックンローラーたちが相次いで死んでいる。その上、クラプトン自身も、自らを死の淵へと追い詰めつつあった。
 "Layla" はそういう暗さ ― 悪魔の側であることを引き替えに、名曲なのだ。

 決して、白い衣装に身を包んだ美しい女性にポーっとなる、明るいオフィスの音楽ではない。"Layla" は、美しきパティ・ボイドへの愛情を歌ったものだが、同時に魂と引き替えでもしないかぎり得られないほどの友情との葛藤でもある。こういう明るく、困難にも立ち向かい、お互いに勇気づけながら乗り越えてゆこう ― という雰囲気の音楽ではない。
 この曲を選んだ時点で、ものすごい失敗だと思うのだが…だれかがどこかで、No とは言わなかったのだろうか?私が「べつの曲」だと思っている、"Layla" の後半と取り違えたのだろうか。

 以前、"Layla" は車のCMにも使われたが、それは「車が提供する、平和で穏やかな日常」のようなイメージで、これまた全く合っていなかった。

 私が珍しく "Layla" をBGMに使って、「合っている」と思ったのは、唯一「つれたか丸」である。TOKYOの長瀬くんが、廃船「つれたか丸」を復活させ、クロマグロ漁に挑んだテレビ番組企画なのだが(結局、大きなカジキを釣り上げた)、これのテーマ曲が "Layla" だった。
 普通に芸能人の「挑戦ものバラエティ」のはずなのだが、灰色の海と、重装備と、大波と、大量の徒労が、ひどく "Layla" に合っていて、これを選曲した人は大した物だと思った。

 そして、やはり"Layla" の持つ「死」の気配が、「つれたか丸」には合っていたのだと思う。漁で或る以上、魚にとっては必然的に、そして人間にとってもある程度、そこには「死」が存在している。「死」をはさんだ緊張感、切迫した空気、そういうものこそ、"Layla" という名曲なのだろう。

 "Layla" の後、死にもしなかったし、パティもジョージも失わずに済んだクラプトンが、どうライブで歌っても、オリジナルの "Layla" は再現できていないだろう。アンプラグド・バージョンとなると、全く別の、そして二流以下の曲だ。
 そういう刹那的な良さこそが、"Layla" ― あの後半すらなければ良いのにと、本気で思っている。あの後半は良い曲だが、「あれが良いんじゃん!」…といえるほど、「通」ではない。

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