Rock of Ages ― 2011/07/28 21:02
1864年5月9日、シェリダン率いる北軍騎兵10,000がグラントの本隊を離れ、一路リッチモンドを目指したことを知ると、ただちに南軍の騎兵隊長ジェブ・スチュアート少将は、配下の3師団を吸収しつつ、その後を追った。
9日も暮れた頃、シェリダンらは南軍の補給基地であるビーバー・ダム駅を急襲し、南軍の資材,医薬品などを焼き払い、さらにリッチモンドへと兵を進めた。
スチュアートがビーバー・ダムに到着したのは、翌10日の朝で、北軍が去った直後だった。補給基地の損害状況とともに、スチュアートは自分の家族の消息を知らされた。妻のフローラと、子供たちがこのビーバー・ダムのとある家に滞在しているというのだ。
スチュアートは部隊につかの間の休憩を与え、自分は共を一人だけ連れて、フローラのもとに駆けつけた。彼は馬から下りることなく、そのままフローラにキスをして別れを告げると、ただちに部隊へ戻った。
その道すがら、普段快活なスチュアートが、黙り込んでいた。日頃、南部が戦争に負けるようなことがあれば、自分は生きていまいと陽気に語っていたスチュアートだが、この時はやや陰鬱だった。
やがてシェリダンの動向情報が入り始めると、相変わらず北軍はリッチモンドへ向かっていることが分かった。スチュアートは配下の1師団をそのままシェリダンを追うルートを取らせ、自分はフィッツヒュー・リー(ロバート・E・リーの甥。スチュアートとは同年代の親友でもある)の師団とともに、南に回り込んで、シェリダンを迎撃する準備に入った。
10日の夜はトイラーズヴィルで休息し、翌11日朝、スチュアートは行軍を再開した。前年からスチュアートの副官を務めてるヘンリー・マクレラン(北軍の元ポトマック軍司令官,ジョージ・マクレランの従弟)は、この日の朝、スチュアートがいつになく沈んだ様子だったと記憶している。
やがてスチュアートはリッチモンド郊外のイエロータバン付近に到着し、リッチモンドへシェリダンの襲来に備えるように伝令を飛ばした。もっとも、10,000という大軍とは言え、騎兵だけで一都市を落とせるとは考えにくい。ともあれ、スチュアートはいかに数的に不利でも、ここでシェリダンを防ぎ止める心づもりだった。
イエロータバン付近での、南北両軍騎兵同士の衝突は、11日の正午ごろから始まった。何度も南軍が北軍を跳ね返したが、シェリダンは繰り返し攻撃を仕掛けた。スチュアートは、北軍騎兵だけでリッチモンドに傷を与えることは出来ない以上、シェリダンはこのイエロータバンに執着するはずがないと思っていたが、シェリダン当人の認識は違った。
シェリダンの目標はリッチモンドよりも、むしろスチュアートのその人だった。
戦闘は数時間続き、午後4時頃、スチュアートはまだ自軍を鼓舞しながらシェリダンの攻撃を防いでいた。北軍部隊は退却しつつあったが、その中の一人が44口径のピストルを発砲し、スチュアートの右脇腹に命中した。撃った男は結果を見ずに逃げていたので、彼が意図的にスチュアートを狙ったのかどうかは判然としない。
スチュアートの帽子が落ち、彼は脇腹を押さえ込んだが、かろうじて落馬だけはしなかった。配下の騎兵たちがすぐに将軍の負傷に気付き、スチュアートを囲んだ。スチュアートは、彼らに指示した。
「(フィッツヒュー・)リー将軍と、ドクター・フォンテインに、すぐ来るように伝えるんだ。」
スチュアートが後送されたところに、フィッツヒュー・リーが到着した。
「行くんだ、フィッツ。お前ならできる!」
こうして、指揮権はリーに移り、スチュアートは戦列を離れた。道々、南軍兵士を励ましながらだが、そんな中で彼は部下の一人に尋ねた。
「なぁ、俺の顔色はどうだ?」
「いつもの通りです、将軍。大丈夫ですよ。」
「さぁ、どうかな。神が俺の命をお召しになるというなら、心の準備はできている。」
ドクター・フォンテインは経験から、スチュアートは助かるまいと思った。とにかく、彼をリッチモンドに運び、グレイス・ストリートにある、スチュアートの親戚にあたるドクター・ブリューワー宅へ運び込んだ。
すぐに、ビーバー・ダムに居る妻のフローラに知らせるよう手配されたが、シェリダンの破壊によって電信が不通になり、さらに騎兵の戦闘のため、彼女が夫の元に駆けつけるには時間がかかった。
その間、弾丸を摘出することも出来ず、ただ傷口を冷やすだけの処置がとられた。スチュアートは死を覚悟し、副官のマクレランに細々としたことを言い残した。
「シェーファーズタウンの、ミセス・リリー・リーに、俺の戦闘用拍車を差し上げると、約束してある。サーベルは、息子に残そう。」
やがて、スチュアートの負傷を知った南部連合大統領のデイヴィスが見舞いに訪れた。しかし大統領にも、スチュアートは自分は生きられないと伝えた。
スチュアートは出血のため衰弱し、何度もフローラの消息を周囲に尋ねた。さらに、彼はドクター・ブリューワーに、自分がこの夜を越えることが出来るかどうか尋ねた。ドクターの答えは、ノーだった。
夜にかけて、スチュアートはさらに衰弱し、7時には牧師が呼ばれた。スチュアートはフローラに一目会いたいと願っていたが、それが叶わぬとも覚悟していた。
やがて周囲の人々は、スチュアートの好きな賛美歌 "Rock of Ages(千歳の岩)" を歌った。スチュアートも一緒に歌おうと試みたが、衰弱のため声にならなかった。そして7時38分、息を引き取った。
フローラは夫の回復を信じていたが間に合わず、その三十一歳という若い亡骸の元にたどり着いたのは、11時半だった。
スチュアートの葬儀は、5月13日午後5時から行われ、デイヴィス大統領も参列した。雨が降っており、遠くから、シェリダンとフィッツ・リーが攻防を繰り広げる銃声が聞こえてきた。
ロバート・E・リーにとって、スチュアートの死は単に優秀な部下の喪失にとどまらなかった。息子同様に愛していたスチュアートを悼み、リーは「彼のことを思うと、涙を流さずにはいられない」と語った。
9日も暮れた頃、シェリダンらは南軍の補給基地であるビーバー・ダム駅を急襲し、南軍の資材,医薬品などを焼き払い、さらにリッチモンドへと兵を進めた。
スチュアートがビーバー・ダムに到着したのは、翌10日の朝で、北軍が去った直後だった。補給基地の損害状況とともに、スチュアートは自分の家族の消息を知らされた。妻のフローラと、子供たちがこのビーバー・ダムのとある家に滞在しているというのだ。
スチュアートは部隊につかの間の休憩を与え、自分は共を一人だけ連れて、フローラのもとに駆けつけた。彼は馬から下りることなく、そのままフローラにキスをして別れを告げると、ただちに部隊へ戻った。
その道すがら、普段快活なスチュアートが、黙り込んでいた。日頃、南部が戦争に負けるようなことがあれば、自分は生きていまいと陽気に語っていたスチュアートだが、この時はやや陰鬱だった。
やがてシェリダンの動向情報が入り始めると、相変わらず北軍はリッチモンドへ向かっていることが分かった。スチュアートは配下の1師団をそのままシェリダンを追うルートを取らせ、自分はフィッツヒュー・リー(ロバート・E・リーの甥。スチュアートとは同年代の親友でもある)の師団とともに、南に回り込んで、シェリダンを迎撃する準備に入った。
10日の夜はトイラーズヴィルで休息し、翌11日朝、スチュアートは行軍を再開した。前年からスチュアートの副官を務めてるヘンリー・マクレラン(北軍の元ポトマック軍司令官,ジョージ・マクレランの従弟)は、この日の朝、スチュアートがいつになく沈んだ様子だったと記憶している。
やがてスチュアートはリッチモンド郊外のイエロータバン付近に到着し、リッチモンドへシェリダンの襲来に備えるように伝令を飛ばした。もっとも、10,000という大軍とは言え、騎兵だけで一都市を落とせるとは考えにくい。ともあれ、スチュアートはいかに数的に不利でも、ここでシェリダンを防ぎ止める心づもりだった。
イエロータバン付近での、南北両軍騎兵同士の衝突は、11日の正午ごろから始まった。何度も南軍が北軍を跳ね返したが、シェリダンは繰り返し攻撃を仕掛けた。スチュアートは、北軍騎兵だけでリッチモンドに傷を与えることは出来ない以上、シェリダンはこのイエロータバンに執着するはずがないと思っていたが、シェリダン当人の認識は違った。
シェリダンの目標はリッチモンドよりも、むしろスチュアートのその人だった。
戦闘は数時間続き、午後4時頃、スチュアートはまだ自軍を鼓舞しながらシェリダンの攻撃を防いでいた。北軍部隊は退却しつつあったが、その中の一人が44口径のピストルを発砲し、スチュアートの右脇腹に命中した。撃った男は結果を見ずに逃げていたので、彼が意図的にスチュアートを狙ったのかどうかは判然としない。
スチュアートの帽子が落ち、彼は脇腹を押さえ込んだが、かろうじて落馬だけはしなかった。配下の騎兵たちがすぐに将軍の負傷に気付き、スチュアートを囲んだ。スチュアートは、彼らに指示した。
「(フィッツヒュー・)リー将軍と、ドクター・フォンテインに、すぐ来るように伝えるんだ。」
スチュアートが後送されたところに、フィッツヒュー・リーが到着した。
「行くんだ、フィッツ。お前ならできる!」
こうして、指揮権はリーに移り、スチュアートは戦列を離れた。道々、南軍兵士を励ましながらだが、そんな中で彼は部下の一人に尋ねた。
「なぁ、俺の顔色はどうだ?」
「いつもの通りです、将軍。大丈夫ですよ。」
「さぁ、どうかな。神が俺の命をお召しになるというなら、心の準備はできている。」
ドクター・フォンテインは経験から、スチュアートは助かるまいと思った。とにかく、彼をリッチモンドに運び、グレイス・ストリートにある、スチュアートの親戚にあたるドクター・ブリューワー宅へ運び込んだ。
すぐに、ビーバー・ダムに居る妻のフローラに知らせるよう手配されたが、シェリダンの破壊によって電信が不通になり、さらに騎兵の戦闘のため、彼女が夫の元に駆けつけるには時間がかかった。
その間、弾丸を摘出することも出来ず、ただ傷口を冷やすだけの処置がとられた。スチュアートは死を覚悟し、副官のマクレランに細々としたことを言い残した。
「シェーファーズタウンの、ミセス・リリー・リーに、俺の戦闘用拍車を差し上げると、約束してある。サーベルは、息子に残そう。」
やがて、スチュアートの負傷を知った南部連合大統領のデイヴィスが見舞いに訪れた。しかし大統領にも、スチュアートは自分は生きられないと伝えた。
スチュアートは出血のため衰弱し、何度もフローラの消息を周囲に尋ねた。さらに、彼はドクター・ブリューワーに、自分がこの夜を越えることが出来るかどうか尋ねた。ドクターの答えは、ノーだった。
夜にかけて、スチュアートはさらに衰弱し、7時には牧師が呼ばれた。スチュアートはフローラに一目会いたいと願っていたが、それが叶わぬとも覚悟していた。
やがて周囲の人々は、スチュアートの好きな賛美歌 "Rock of Ages(千歳の岩)" を歌った。スチュアートも一緒に歌おうと試みたが、衰弱のため声にならなかった。そして7時38分、息を引き取った。
フローラは夫の回復を信じていたが間に合わず、その三十一歳という若い亡骸の元にたどり着いたのは、11時半だった。
スチュアートの葬儀は、5月13日午後5時から行われ、デイヴィス大統領も参列した。雨が降っており、遠くから、シェリダンとフィッツ・リーが攻防を繰り広げる銃声が聞こえてきた。
ロバート・E・リーにとって、スチュアートの死は単に優秀な部下の喪失にとどまらなかった。息子同様に愛していたスチュアートを悼み、リーは「彼のことを思うと、涙を流さずにはいられない」と語った。
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