ジョン・レノン・ミュージアム2010/09/20 22:59

 遠方からのお客様をご案内して、ジョン・レノン・ミュージアムに出かけた。

 私はこれまで、一度だけこのJLMに行ったことがある。ザ・ローリング・ストーンズのライブをさいたまスーパー・アリーナに見に行ったときだ。当然、その時の来館者はほとんど私と同じ「ストーンズのついでにJLM」という人々。全身これ、ストーンズ!…という連中がウヨウヨしていた。
 あの時の私の感想と、今回のそれとはあまり変わらなかった。前半の4階でテンションがあがり、後半の5階でどっと下がる。仕方なかろう、前半は音楽に溢れおり、後半は全く音楽的ではないものに支配されている。私はジョン・レノンという音楽的才能に恵まれた、魅力的なロックンローラーのファンなのだ。その音楽の上に、全く音楽的ではない何かが、分厚く覆いかぶさっているようなものには、興味が湧かず、いらいらしてしまう。

 さてこのJLM、今月末で閉館するらしい。
 ライセンス契約の10年が切れて、それを更新しないとのことだ。それ以外に理由がはっきりしているわけではない。しかし、私は入館者数が足りず、赤字に陥ったせいだと、推測している。それが真実かどうかはともかくとして、もし入場者が少なかったとして、その原因は何だろうかと考えた。

 おそらく、最大の問題は場所が悪いことだろう。「さいたま新都心」という場所は、住むには良いかもしれないし、埼玉県という地方にとって重要な場所なのかも知れないが、すくなくとも首都圏の人々を集めるために便利な所とは言いかねる。
 神奈川県民である私にとっても、かなりきっちりと電車を調べ上げないと、時間を無駄にする立地だし、電車の本数も多くはない。他地方から東京に来た人たちにとっては、なおさらだろう。

 そして、「なぜ埼玉なのか」という、必然性の問題も大きい。なぜ、埼玉県にジョン・レノン・ミュージアムなのか?
 リヴァプールにビートルズ博物館(The Beatles Story)があるのは当然だろう。メンフィスにはエルヴィス・ミュージアムがあるだろうし、もしゲインズヴィルにハートブレイカーズ・ミュージアムがあれば、当然と言える。ロンドンや、ニューヨーク、ロサンゼルスも、ロックのメッカとして説得力がある。ギリギリ、東京も武道館がある辺りで許容できるかもしれない。
 しかし、埼玉はどうだろう?ジョン・レノンゆかりの地でもなさそうだ。私が「日本にジョン・レノン・ミュージアムができるらしい」と聞いた時、「東京か、軽井沢に違いない」と思った。この二か所は、実際にジョンが滞在している。しかし埼玉には必然性がない。取ってつけたような不自然さが、どうしても拭えない。

 どうしても小野洋子という評価の分かれる人物の存在は、無視できない。
 ジョン・レノンの生涯において、非常に大きな意味を持った人であることは間違いない。その影響力の大きさは、良い方にも、悪い方にも働いたことは否めないだろう。
 その小野洋子に出会う前と出会う後で、ジョンの業績の軽重に差をつけているような表現を、このミュージアムは「していない」と自信を持って言えるだろうか?ショート・フィルムからして、その辺りの居心地の悪さが、最後まで影響してしまった。はっきり言ってしまえば、このミュージアムはジョン・レノンの業績をたどるためのミュージアムではなく、「ジョン・レノンと小野洋子・ミュージアム」。これなら、このミュージアムそのものを表している。
 後半5階の展示スペースのバランスを見ても、「小野洋子のミュージアム」であることは、否めないだろう。本来、現代アーチストとしての小野洋子は彼女自身のミュージアムを持っていても、別に悪くはない(入館者が多いかどうかは知らないが)。
 小野洋子側の「アート」に引っ張られ過ぎ、ジョン・レノンというロック・ミュージシャンの扱いが、「ミュージシャン」なのか、「現代アーチストの夫」なのか、はたまた「平和運動家」なのか、焦点が定まらなくなってしまった。ロックスター,ジョン・レノンのミュージアムと銘打っていながら、実体がややそれとは乖離している点などは、リピーターを生みにくい条件になったのではないだろうか。

 「それを言っちゃあおしめぇよ」と返されそうだが、「常設ミュージアムが維持できるほど、ジョン・レノンはビッグではない」のかも知れない。何せ、音楽はミュージアムに飾って、展示して、みんなで眺めるものではない。ジョン・レノンが残したもののほとんどは音楽であって、それはミュージアムという形式には向いていない。
 音楽でミュージアムを形成するには、相当のボリュームが必要 ― それこそ、ビートルズのメンバー全員分とか、60年代ロック黄金期の全てでも必要だろう。さらに上記のようないくつかのネックがあると、さらに維持は難しくなる。

 結局、ジョン・レノンを味わうのに必要なのはミュージアムではなく、飽くまでもミュージックだということ。そういうえば、このミュージアムのミュージアム・ショップには、中途半端なグッズはあるものの、ジョンのアルバムは売っていなかった。一番大事な物のはずだが。
 それとも、お世辞にもジョン・レノンがやっていたような方向で言う、音楽的才能があるとは思えない小野洋子と、そのミュージアムにとって、アルバムはさして重要ではないのだろうか。そんなことすら、考えさせるJLMだった。