北軍人事2010/03/23 23:29

 ブランディ・ステーションの戦いの1週間後 ― 1863年6月16日、リーは73000の兵を率いて、本格的な北部侵攻へと向かった。
 先鋒の第二軍、ユーエルはヴァージニアとウェスト・ヴァージニアを隔てるシェナンドア渓谷の西側から、第一軍のロングストリートは、その東側から北上する。第三軍のA.P.ヒルは、北軍フッカーの動きを見定めるために、やや遅れた。
 一方、スチュアートの騎兵は南軍主力の西に位置するフッカーの北軍115000の更に東側から、機動力を使ってぐるりと回る動きで北を目指していた。

 リーが大規模な北部侵攻を目論んでいる事を知ったフッカーは、リンカーンに対して、南軍後方に位置するA.P.ヒルを攻撃し、向後の憂いを排した上で(無論、これはフッカーの想像)、南部連合の首都リッチモンドを攻撃しようと提案した。
 しかし、さすがにリンカーンはリーの強さに懲りていた。逆にいえば、フッカーは懲りていなかったのだろうか。とにかく、リンカーンはフッカーのこの提案を却下した。
 「貴殿の目標はリーの軍勢だ。リッチモンドではない。」

 リーが分けた南軍の三つの軍団は、フッカーの北軍が並行して北上していくのを見定めて、さらに距離を保ちつつ、北上を続けた。
 これまでで最も大規模な南軍の北上は、言うほどすんなりとは進まない。ところどころで北軍の斥候などと散発的な戦闘を展開したり、渓谷道を超えたりで、各軍団、さらにその下の師団はそれぞれの道からペンシルベニア州へと進んだ。
 リーとしては、フッカー本体との戦闘は避けつつ、ペンシルベニア州 ― それこそニューヨークさえ視界に入るような北部に入ってから軍を集結させ、一気に北軍本体に打撃を与えたかった。そのためには、どのタイミングの、どの地点に軍勢を集めるべきか、その時の北軍陣容がどうなのか、正確に知る必要があった。
 それまで、その種の重要な情報は、スチュアートが騎兵の特質 ― 機動性を駆使して、正確,かつ定期的にリーにもたらしていた。しかしこの時、その機能が満足に働かなかった。
 フッカーの本体は西に南軍の北上を見ながら、並行するように北上している。そのさらに東側をぐるりと回るのは、騎兵といえども、容易ではなかった。しかも、半島作戦・七日間戦争の頃とは違い、北軍もそろそろ訓練が行き届いて、整然とした行軍ができるようになっている。それでも、スチュアートは北軍のさらに「北側」を回って、包囲するように南軍本体へ合流することにこだわった。
 さらに、スチュアートには北軍に遭遇するたびに軍備品奪取の権限が与えられており、彼はその任をもいちいち全うしようとしていた。
 後の世から見ればこのスチュアートの「二兎追い」は愚行のようにも見えるが、しかし南軍の物資不足は、慢性的かつ重大な問題だった。スチュアートはどこかで見切りをつけるべきだったかもしれないが、それは難しいと言わねばならない。

 この状況下でも、不思議なことに北軍では上層部で揉め事が絶えなかった。
 要するに、フッカーの意見が、ワシントンのリンカーンや、総司令官ハレックと合わず、小さな対立がいちいち面倒な問題になっていたのだ。
 6月下旬、南軍を睨みながらの北上の最中、フッカーはリンカーンやハレックに対して、ポトマック軍指揮官辞職の意をちらつかせながら、自分の意見を押し通そうとした。フッカーにしてみれば自分以外、他にリーとやり合える指揮官など居ないだろうと言いたかったのだろう。リンカーンにしてみれば、たしかにどの指揮官もリーと対等ではないが、フッカーもその例外ではなかった。

 フッカーの「はったり」である辞意を、リンカーンは受諾した。6月28日付で、ポトマック軍の指揮権は、フッカーから、ジョージ・ゴードン・ミード少将に移った。フッカーが指揮官になってから5ヶ月後。ゲティスバーグの戦いの6日前のことである。

コメント

_ dema ― 2010/03/28 23:16

フッカーが、もしも本当に南部侵攻していたら、どうなっちゃっていたんでしょうね。案外歴史は変わっていた可能性もあるかもしれません。チャンセラーズビルでは、少なくとも最初の局面では、彼の作戦計画はすぐれたものでしたから。 
 
リーの北部侵入については見方が分かれていますが、私はやはりやる価値のあるギャンブルであったと思います。戦略的には西部戦線のヴィックスバーグ陥落は大きいけど、その一方でワシントンが脅かされているというのは、ヨーロッパ諸国に与える印象が格段に大きいです。

しかし、しかし、リーは大胆ですね。あの容貌からとてもこんな作戦をする風には見えないのですが。

_ NI ぶち ― 2010/03/30 23:10

>demaさん
東部戦線がどうであれ、ヴィックスバーグはあの日に堕ちたでしょうから…いや…でも、絶対にフッカーの南進より、リーの北進の方が怖いはずですから(顔に似合わず…)一時休戦だったかも知れませんね。
で、しばらく南北で別の制度が敷かれる…けど、結局欧州外交と、経済的問題で、南部が窮して連邦統一…という大きな流れは変わらないでしょう。でもそうなると、シャーマンの侵攻もないわけで、強烈な南部魂の醸成が行われず、ロックンロールの成立にも少なからず影響したかも知れません。

リーは、あの美形で、紳士なのに、「スゲー!」な人だから、人気があるのかも知れません。
いかにも軍人らしく、政治に色気なぞ見せずに、ひたすら任務遂行するからこそ、大胆なのか…?しかし、私はリーもかなり政治的なバランス感覚の優れたヤリ手だと思っています(笑)。

_ dema ― 2010/03/31 23:01

リーの北部侵攻が成功して、講和ということになっていたら、私は、リーは政治に関わったのではないかと思います。
彼は奴隷制には批判的だったといわれていますが、そもそも危ない橋を渡りながらせっかくつかんだ南部独立であっても、奴隷制を続けていては、国際的に孤立して、いずれ没落するのは目に見えてますから。戦勝の英雄としての影響力があるときになんとかしようとしたのではないでしょうか。
昔の話ですが、「Dixie」というウォーゲームがありました。副題は、「Second War Between The States」というものでした。南北戦争で南部が勝って、20世紀になってからもう一度南北戦争が起こるというふざけた想定でした。南軍側の戦車師団の司令官の名前にStewartとかF.Leeとかあって笑えました。

_ NI ぶち ― 2010/04/02 22:46

>demaさん
一時休戦,講和で、リーが政治に関わりそうではありますね。本人はあまり積極的ではないけど、英雄視されてるだろうし…リンカーンなんて、話のわかる数少ない南部の大物だと目をつけたりして。で、無論奴隷廃止したいんだけど、そこは理想どおりにはいかず、挫折しそう。で、結局は歴史は成るように集結する。
ゲームっていろいろありますねぇ(門外漢なもので…)。以前、百年戦争モノのゲームがあったそうです。私にはもう終わった歴史がどうゲームになったのかがよくわからないのですが。でもScond南北戦争なら話は別ですね。

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