幻想即興曲2010/03/01 22:59

 生年月日には異説もあるが、2010年3月1日は、フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1848)、200回目の誕生日ということになっている。まさにショパン・イヤー。秋には、5年に一度のショパン国際ピアノコンクールが開かれる。

 私もピアノを弾く人間なので、必然的にショパンの曲は好きだ。初めてショパンを弾いた時、衝撃的なほどに自分が「大人になった」と実感した。

 しかし、そのキャラクターはやや物足りない。同時代人であり、友人でもあったメンデルスゾーンやシューマン、リストなどに比べると、ショパンはややバイタリティに欠ける。友人たちが「音楽家という職業」について考え、積極的,発展的に行動したのに対し、ショパンは生涯、小さなサロンに収まった一ピアニスト・作曲家に留まった。彼自身が、性格的(そして体力的)にそれを望んだともいえる。
 さらに、ピアノ曲以外にはこれといった作品が無い(もっと言えば、ピアノ曲である協奏曲もイマイチ。オーケストレーションがイマイチなので)。その代りに、ピアノ曲は凄まじい名曲揃いで、その美しさは恐ろしささえ感じる。パガニーニがそう噂されたように、私はショパンの凄みには悪魔的な何かがあると思っている。

 ショパンの楽曲で人気投票をすると、「幻想即興曲」がいつもトップに来る。四つの即興曲の中で、ショパンが生前発表せずに終わったこの曲。一説には、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」の第三楽章に酷似していたため、ショパンが発表をためらったとのこと。確かに似ているが、後世の我々にとっては、ショパンの凄まじさが強烈で、「月光」との類似には頭が回らない。
 「幻想即興曲」の人気は、「この曲が存在しなかったら、音楽大学の半数は潰れている」と言われているほどである。この説には大賛成だ。
 この曲の更に良いところは、憧れの楽曲である割りに、実はそれほどの難曲ではないということ。まともに練習すれば、10年で弾けるようになる。
 「ピアノに向かない3条件」(練習嫌い,譜読みが遅い,手が小さい)を全て完璧にクリアする私でさえ、14歳くらいで弾けるようになったのだから、これは間違いない。所謂「天才少年少女」が、よく小学生の身で弾いていたりする。

 YouTubeで幾つか演奏を拾ってみる

 まずは、ウラジミール・アシュケナージ。楽譜がついていて面白い。ちょっとメロウで、スタンダードな演奏。



 次にサンソン・フランソワ。わぁ~!なんだこりゃ!凄いぞ、ほとんどノン・レガートだ!ガッツンガッツン、バッキンバッキン!「真似しないように」と言われそうだが、どだい無理である。



 伝説のショパン弾き,コルトーの演奏もあったのだが、あまりにもミスタッチが多すぎて却下(笑)。まぁ、そういう事もあるよね。
 最後に、20世紀の伝説,ウラジーミル・ホロヴィッツ。かなり速い。それでいて繊細。で、時々ガツン!メリハリの利いた演奏が良い。



 久しぶりに聴いてみると、やはり良い曲だ。よく色々な楽器を織り交ぜた編曲を聴くことがあるが、やはりピアノ独奏で聴くのが一番イカしている。

F1 GP 20102010/03/05 23:58

 オリンピック(と、言うより男子フィギュア)が終わってしまい、気が抜けたと思ったら、もう来週にはF1が開幕する。今年のチーム編成も発表になった。

 変化はF1の常とはいえ、ずいぶん状況が変わったなと感慨深い。まず、日本のメーカーが姿を消した。F1の良さの一つは国際色の豊かさであって、別に日本にこだわる気はないが、やはり寂しい。
 ドライバーでは、名物アイスマンこと、キミ・ライコネンが離脱。その代りにと言ってはなんだが、ミハエル・シューマッッハが帰ってきた。ヒルとチャンピオンを争っていた頃は目の敵にしていたシューマッハだが、フェラーリに移籍してからは応援していた。そして今年、これまた復帰となったメルセデス・ベンツGPのドライバーとして走る。これは面白いことになりそうだ。
 マクラーレンのバトンとハミルトンが、はたして仲良くやっていけるかと言うと…無理だろうな。
 アロンソがいよいよフェラーリでどんなパフォーマンスを見せるか。さらに、久しぶりに「ロータス」が帰ってくる。私にとってのロータスと言えば、黄色いマシンに、アイルトン・セナと、中嶋悟。そして、若きミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバート(異常に仲が良くて気持ち悪がられた二人)が、引きずるように運転していた頃…。そんなロータスに、これまた好きなドライバーのトゥルーリと、コバライネンが乗るのだから、こっちも楽しみだ。

 去年と同じラインナップになったレッドブル。最年少記録を次々と打ち立てたセバスチャン・ベッテル君は、1987年生まれ。ビートルズとモンティ・パイソンと、英国式朝食が大好きなドイツ人で、自分のマシンに「ジュリア」とか、「セクシー・セディ」とか名前をつける。
 去年の話だが、ベッテルは4000ドルほどで、ビートルズの四人のサイン入りアルバム,[with the beatles] をゲットしたそうだ。
 元々の所有者は、ザウバーの広報担当アン・ブラッドショー。これでピンとこない人でも、「ウィリアムズの名物広報女性」なら、あの人かと気づくのではないだろうか。マンセル,パトレーゼ,プロスト,ヒル時代のウィリアムズチームで、よくテレビにも映っていた女性スタッフである。
 ブラッドショーは自宅のバスルーム(つまりトイレも兼ねる)のリフォーム費用にしようと、彼女が青春時代に入手した4人のサイン入りアルバムを、オークションにかけたのだ。それを聞きつけたのが、ベッテル君。かつてのチームメイトでもあるブラッドショーに、「自分が欲しいから、キープしてほしい」と口頭とメールで依頼してきた。ブラッドショーは喜び、自分で自分のオークションに入札し、4000ドルとひきかえにベッテルへ貴重なアルバムが渡ったというわけ。
 天下のF1レーサーにしてみれば4000ドルなんて、はした金だろうが、可愛い話じゃないか。ベッテルは大好きなビートルズの貴重なサインアルバムと、ブラッドショー家のトイレ使い放題の権利を手にした(ブラッドショーがそう発言している)。

 [with the beatles] は私もお気に入りアルバム。一番好きなのはたぶん、"You really got hold on me"  「最初から最後まで、ジョンとジョージのデュエットだからだろう!」…と言われれば、ハイその通りです。最後に「乱入」する人も、ビートルズらしくて結構。
 この曲のオリジナルは、ジョージが大好きなスモーキー・ロビンソン&ミラクルズ。ビートルズは、かなり原曲に忠実なカバーをしていたことが分かる。

そんな便りの季節2010/03/13 00:14



 そろそろ、ディラン本番ということで、何かディランの話題、ディランの話題と思っていたら、こんな事になってしまった。
 ディランと、ジョージの映像を漁っていると、「幸せそう」という感想になってしまう。ボブ・フェストの有名なリハーサル映像を見ていても…「わーい、ジョージジョージ!」と触りまくるトムさんもさることながら…照れ隠しなんだか何だか、フードをかぶってしまうディラン様が可愛い。

 この写真のディラン様もまぁ…幸せそうで良かったね。

Layla2010/03/14 22:07

 "Layla" は間違いなく名曲だ。デレク&ザ・ドミノス,1970年の大傑作。私もかなり大好きな曲である。
 ただし、"Like a Rolling Stone" や、"Isn't it a pity", "American Girl" という頂上に位置する金字塔に比べると、私の中ででは一歩引いた存在になっている。曲の前半は文句なしに最高なのだが、後半がそれほどでもない。
 「"Layla" 後半の良さが分からないなんて、素人臭い」と考え、好きになろうと努力した時期もある(ジョン・レノンの二番目の奥さんを好きになろうと努力した時期があったように)。
 しかし、結局私の感性は前半のロックで絶望的なあのノリにしか反応しないことが分かり、諦めることにした。たぶん私の言葉でいえば後半は「軟弱」なのだろう…。

 とにかく、"Layla" は名曲だ。あのイントロの7音を聞いただけで分かる、超の傑作。あのイントロを作ったのがクラプトンだったのか、デュアン・オールマンだったのかは判然としないと、デュアンの伝記に書いてあった。
 この曲はなんと言っても、オリジナルの録音が良い。先に挙げた私にとっての頂上三曲は、「ライブもまた最高!」と言えるバージョンがあるが、どうも "Layla" にはそれがない。おそらく、この曲が持つ絶望感とか、死に接近した精神状態と、それが表れた熱量を再現できないからだろう。結局、愛する人を手に入れ、しかも親友も失わずに済んだのだから、録音時に戻れと言う方が、クラプトンには酷だ。

 そんな中で、これは良いなと思うライブは、これ。1983年の「アームズ・コンサート」。いちいち顔ぶれを紹介するのも面倒くさいのだが。クラプトンと、ジミー・ペイジが…細い…。そして、今とあまり変わらないジェフ・ベックがちょっと怖い。



 どうして "Layla" の話をはじめたのかと言うと、某CMで日本のアーチストがカバーしているのを見たからだ。
 楽曲は最高だし、カバーしたアーチストだって悪くない。でも、とてもあの "Layla" とは思えないほどの閑寂感。クラプトン自身でさえ、あの録音の熱気をライブで再現することはできないのだから、無茶と言えば無茶。
 やはり、"Layla" はオリジナルに限るな…と思っていたら、面白いカバーを見つけた。なんと、ロカビリー・バージョン。



 Jailbirdsは、90年代結成のドイツのロカビリー・バンド。このノリが素敵。ブルース・ブラザーズ的というか、レニングラード・カウボーイズ的と言うか。こういうふっ切れ方は清々しくさえもある。

Silvio2010/03/16 23:28

 ディランのライブを控え、往復3時間弱の通勤時間音楽を、iPodに入っているるディラン全曲に費やしてみた。Bob Dylanという名前で入っていた曲は全部で699曲。ほぼすべてのアルバムが入っている。
 すべてを聴き終わるまでに、約3週間ほどかかった。順番はアルバム単位で、アルファベット順。アルバムごとの特色の違いが良くわかる。

 ひたすらディランを聴き続けて、ディランのライブで聴きたい曲のことを考えた。それこそどっさりある。
 しかし、"Something" は最近やらないようだし、ウィルベリーズ物もだめだろう。クラシカルなものではなくて、60,70年代風の、イカしたロックをカバーしてくれるのは嬉しい。
 実際に演奏してくれそうな曲で、聴きたい曲となると、これが意外と今までに聞いたことのあるラインナップになりがちだ。
 中でも、"Silvio" は思い入れが強い。まずは、1996年のプリンス・トラストの映像から。ロニーが共演している。



 疾走感のあるクールなロックが最高。
 私が初めてディランのライブを体験した時も、このバージョンでの"Silvio" を聴き、内臓が震える思いがした。当時はまだ収録アルバム[Down in the Groove] を持っていなかったので、まさに初めて聞く "Silvio" にノックアウトされてしまったのだ。
 前回2001年来日時も、私にとって最初となった、横浜でのライブで演奏した。あの時は、横浜が一番良かったという感想だったのだが、やはり "Silvio" の印象が強かったせいもあると思う。
 "Silvio" の収録アルバム [Down in the Groove] は1988年の作品。
 なんと、ローリング・ストーン誌の「偉大なバンド・アーティストのワースト・アルバム15枚」に選ばれているそうだ。これはびっくり。正直言って、私はこのアルバムがかなりお気に入りだ。明るくてポップで、ロックしていて、何が良くないのだろう…売上だろうか。

 すでに大阪では今回の来日公演が始まっているが、まずはセットリストをチェックせずに、ライブに臨もうと思っている。

Absolutely Sweet Marie2010/03/18 23:42

 前回2001年のディラン来日時、嬉しかった曲目の一つに、"Absolutely Sweet Marie" があった。
 これは、アンプラグドでのアウトテイク。(アウトテイク…!全部Bootlegシリーズで出してくれ!)



 私はこの時期の、前のめりなドラマーの乗りが好きだ。

 この曲はオリジナルもさることながら、なんと言ってもジョージがボブ・フェストで演奏したのが大きい。ジョージのライブにおけるヴォーカル・ワークの中でも最高位に入るのではないだろうか?



 私は大学の図書館でこの映像を何十回と繰り返して見ていた。
 あのメンツが揃ったところで、何も自分がエレキを弾くこともないだろうと、思ったらしいところがいかにもジョージ。
 私はこのジョージ・バージョンを先に聞いており、その影響でオリジナルも好きになったとも言える。
 2001年、ディランがこの曲を日本で歌ったとき、ジョージはまだ生きていた。しかし、体調は思わしくなかっただろう。ディランが、ジョージのことを心にとどめたうえで、この曲を選んだかもしれないというのは、必ずしも的外れな想像ではあるまい。

 私にとってのディランは、いつもジョージやTP&HBと一緒に楽しくロックしている人のイメージだ。決して孤独の人ではない。「冗談好きな、楽しい人だよ」と、ジョージが言ったように。
 もっとも、ジョージに対してのみ、普通の数割増の「楽しい人」なのかも知れないが。
 少なくとも、9年前に前から8列目で見たディランは、ステージで、ずうっと笑顔の人だった。さて、今回やいかに。

ディラン@Zepp名古屋2010/03/21 21:30

 名古屋に行ってきた。
 日本三大ガッカリ城の名古屋城はパスして(以前、薪能を見に来たときに、見物している。ちなみに、三大ガッカリ城のもう一つは大阪城。三つ目は空席)、名古屋食を満喫。ひつまぶし、美味しかった…。お土産は和菓子三昧。笑いのネタとして、味噌キャラメル。これが意外と美味しい。
 名古屋へ行った証拠写真。



 無論、最大の目的は彼女ではなく、ディランのライブである。
 2010年3月19日金曜日、19時Zepp名古屋にて開演。今回のツアーでは、ここでのみ2階指定席が取れた。
 一昨年のザ・フーあたりからそうなのだが、みんなほぼ定時通りに始まっている。ディランは5分に出てきた。演奏時間は、2時間。セットリストはよそで見ていただくとして、傾向としては60,70年代のメジャー曲が5分の2くらい。あとの5分の3は、ほぼ21世紀の曲だった。これから見る方は、21世紀以降のアルバムを重点的にチェックすると良いかもしれない。
 ディランはほとんどオルガンに貼り付き。たまにハーモニカ。腕を広げてウェルカムポーズ。ひざ下で微妙なダンス。コンサートの進行はサクサク、エコで効率的。ある意味、遊びのないストイックな運びで、これがツアー長続きのコツかもしれない。チャーリー・セクストンはもう少しじっとしていてください。
 ロックでハードなアレンジが多く、私の好み。イントロでどの曲か分かるのがほとんどのケースだった。"Desolation Row" だけがちょっと分かりにくかったが、サビに入る前に分かったので、なぜか安心。
 ディランは。格好良い。



 名古屋のZeppは、ターミナル駅である名古屋駅から歩いていけるという、とても便利な所にあって助かる。
 会場の客層を見ると、ライブハウスだからと言っても、若者満載というわけにはいかない。やはり年齢が高め。21世紀の曲は皆目分からないという人も多い感じだった。
 喫煙所には、ディラン関係の日本語書籍で有名なあの人が居た。

 名古屋食に和菓子、ディラン様のライブと、楽しいことずくめだったが、やはり名古屋で同じ音楽好き仲間としゃべり倒したのが、一番楽しかった。

北軍人事2010/03/23 23:29

 ブランディ・ステーションの戦いの1週間後 ― 1863年6月16日、リーは73000の兵を率いて、本格的な北部侵攻へと向かった。
 先鋒の第二軍、ユーエルはヴァージニアとウェスト・ヴァージニアを隔てるシェナンドア渓谷の西側から、第一軍のロングストリートは、その東側から北上する。第三軍のA.P.ヒルは、北軍フッカーの動きを見定めるために、やや遅れた。
 一方、スチュアートの騎兵は南軍主力の西に位置するフッカーの北軍115000の更に東側から、機動力を使ってぐるりと回る動きで北を目指していた。

 リーが大規模な北部侵攻を目論んでいる事を知ったフッカーは、リンカーンに対して、南軍後方に位置するA.P.ヒルを攻撃し、向後の憂いを排した上で(無論、これはフッカーの想像)、南部連合の首都リッチモンドを攻撃しようと提案した。
 しかし、さすがにリンカーンはリーの強さに懲りていた。逆にいえば、フッカーは懲りていなかったのだろうか。とにかく、リンカーンはフッカーのこの提案を却下した。
 「貴殿の目標はリーの軍勢だ。リッチモンドではない。」

 リーが分けた南軍の三つの軍団は、フッカーの北軍が並行して北上していくのを見定めて、さらに距離を保ちつつ、北上を続けた。
 これまでで最も大規模な南軍の北上は、言うほどすんなりとは進まない。ところどころで北軍の斥候などと散発的な戦闘を展開したり、渓谷道を超えたりで、各軍団、さらにその下の師団はそれぞれの道からペンシルベニア州へと進んだ。
 リーとしては、フッカー本体との戦闘は避けつつ、ペンシルベニア州 ― それこそニューヨークさえ視界に入るような北部に入ってから軍を集結させ、一気に北軍本体に打撃を与えたかった。そのためには、どのタイミングの、どの地点に軍勢を集めるべきか、その時の北軍陣容がどうなのか、正確に知る必要があった。
 それまで、その種の重要な情報は、スチュアートが騎兵の特質 ― 機動性を駆使して、正確,かつ定期的にリーにもたらしていた。しかしこの時、その機能が満足に働かなかった。
 フッカーの本体は西に南軍の北上を見ながら、並行するように北上している。そのさらに東側をぐるりと回るのは、騎兵といえども、容易ではなかった。しかも、半島作戦・七日間戦争の頃とは違い、北軍もそろそろ訓練が行き届いて、整然とした行軍ができるようになっている。それでも、スチュアートは北軍のさらに「北側」を回って、包囲するように南軍本体へ合流することにこだわった。
 さらに、スチュアートには北軍に遭遇するたびに軍備品奪取の権限が与えられており、彼はその任をもいちいち全うしようとしていた。
 後の世から見ればこのスチュアートの「二兎追い」は愚行のようにも見えるが、しかし南軍の物資不足は、慢性的かつ重大な問題だった。スチュアートはどこかで見切りをつけるべきだったかもしれないが、それは難しいと言わねばならない。

 この状況下でも、不思議なことに北軍では上層部で揉め事が絶えなかった。
 要するに、フッカーの意見が、ワシントンのリンカーンや、総司令官ハレックと合わず、小さな対立がいちいち面倒な問題になっていたのだ。
 6月下旬、南軍を睨みながらの北上の最中、フッカーはリンカーンやハレックに対して、ポトマック軍指揮官辞職の意をちらつかせながら、自分の意見を押し通そうとした。フッカーにしてみれば自分以外、他にリーとやり合える指揮官など居ないだろうと言いたかったのだろう。リンカーンにしてみれば、たしかにどの指揮官もリーと対等ではないが、フッカーもその例外ではなかった。

 フッカーの「はったり」である辞意を、リンカーンは受諾した。6月28日付で、ポトマック軍の指揮権は、フッカーから、ジョージ・ゴードン・ミード少将に移った。フッカーが指揮官になってから5ヶ月後。ゲティスバーグの戦いの6日前のことである。

ディラン@Zepp 東京 その12010/03/26 23:44

 3月24日水曜日、今回の来日ツアーでは、2回目のライブ鑑賞。今回は1階フロアでの立ち見となった。
 私は、初めてお台場のパレットタウン(ダサいネーミング)に行った。あまり買いものに執着がないせいか、ヴィーナスフォートも別に心躍ることなく。ちょっとした勘違いで、心づもりの倍の値段でピアスを買ってしまった。

 整理番号順に入場するため、Zepp東京の外で並ぶのだが ― ほぼ苦行状態だった。寒いし、雨だし、風は強いし。あのブーツはもう駄目だ。Aブロックの600番台で、フロアでの立ち位置は比較的前の方だが、いかんせん私は背が低い。平均的な日本人女性よりもずうっと低い。
 普段は「うどの大木」という言葉を心の支えに生きているが、さすがにこういう時は、馬鹿でも良いから大きくなりたい。

 名古屋と同じように、規則正しく、効率的でも、でもとてつもなくロックなディラン。雰囲気としては、さすがに2階席よりはずっと盛り上がっていて、興奮の度合いも高い。しかし、視界が悪い。時々、わずかな隙間からディランの姿が見え隠れする。名古屋では蛍光グリーンだったシャツが、今回は蛍光イエロー。ジャケットの縁取りもイエロー。どうしよう、次回は蛍光ピンクだったら。
 「ああ、あの頭さえなければ、ディラン様がよく見えるのに!」と、思いどおしで、いっそのことパイソンに出てくるアッティラ・ザ・ハンになりたい(首をホイホイ刈る)。確かに、私の身の丈が短いのが悪いのだが、ディラン様が小さいのも良くない!もっと背が高ければ…と、意味なくディランに責任転嫁をする。
 ライブの半ばにもなると、後方からの押しが激しく、通勤ラッシュとディランの素敵なコラボレーション。暑いし、足は痛いし、押されるし、何も見えないし…。どうも常人より低い位置に居ると、空気が薄いような気がして、ディラン様が居なかったら気絶したんじゃないだろうか。

 でも結局、残るのは「ディランが格好良い」という、凄まじい事実のみ。まるで煮えたぎるようなロックが、あの会場に渦巻いて、今にも屋根を吹っ飛ばしてしまいそうだった。
 個人的には、"Mr. Tambourine Man"や、"Stuck inside of mobile with the Menphis blues again" が嬉しかった。
 今回のディランは、あと一回。どんなライブになるのか楽しみなのと同時に、日本公演が終わってしまう事が寂しくて、もう悲しくなっている。

 それにしても、お台場という場所の悪さは、さすがにこたえる。せっかくディランが9時頃にはライブを終了しても、えっちらおっちら帰宅するのに時間がかかって仕方がない。
 視界的にも、そして体格差から来る苦痛という意味から言っても、やはり交通の便が良くて、ちゃんと座席のあるハコが良いな…と、軟弱なロックファンである私は思うのだ。

The Turtles2010/03/28 22:23

 ディランのカバーなどをあさっていたら、ザ・タートルズに行き当たった。以前、エド・サリバン・ショーの映像で見かけて、気になっていたバンドである(日本語で「タートルズ」を検索すると、まったく別の日本のバンドが引っかかる。知らないバンドだなと思っていたら、トータス松本の、あのバンドだった)。

 まだアルバムなどは持っていないので、何とも言えないのだが、この映像を見れば、私が何に心惹かれたのかは、一目瞭然だろう。曲は "She'd rather be with me"



 ださいセーターに爆発頭、メガネで体格の良いタンバリン&コーラスの彼は、マーク・ヴォルマン。あの愉快な振る舞いを見ているだけでも、嬉しくなってしまう。いいぞ、もっとやれ!

 ヴォルマンと、リードシンガーのハワード・ケイランが中心になって、1965年にカリフォルニアでバンドが結成された当初は、サーフ・ミュージックをやっていたが、やがてディランのカバー "Ain't me babe" がヒットして、フォーク・ロックバンドとして活躍することになる。当時のはやりに乗って、バンド名の綴りを "The Tyrtles" としていたこともあるが、定着しなかった。
 やがて、ザ・モンキーズやザ・キンクスとも接近したり、ジーン・クラーク&ロジャー・マッグインから曲の提供をうけたりと、面白い活躍をするようだが、70年になるころには、お決まりの契約問題が持ち上がった模様。60年代の終了とともに、ザ・タートルズとしての活動を停止した。
 今はディランで一杯一杯だが、いずれアルバムを聴いてみたい。