ケルトのリズム2010/02/13 23:59

 2月11日祝日は、半年に一度のアイリッシュ・パブにおけるセッションだった。
 会場に向かう電車内で、シタールを持っている人を目撃した。ケースの形や大きさが明らかにシタール。「チベットに自由を」なんてステッカーにまじって、草月ホールのバックステージ・パスが貼ってあったので、プロかもしれない。

 今回のアイリッシュ・セッションでご一緒させていただいたラインナップは、ギター(2本),フィドル,イーリアンパイプ。このプロの面々と、お稽古仲間であるフルート。しかし、このフルートも、玄人はだしの腕を持っている。そしてティン・ホイッスル(D管)の私。
 今回も懲りずにリールのセット。私は結局「カッコ良い音楽」が好きなのだ。取りつく島もないほどの疾走感に、モール(短調)の組み合わせが好きで、ザ・ボシー・バンドを参考にしつつ、”Farewell to Ireland”, “The Bird in Bush”, “The Longford Tinker” のセットとなった。
 前回にくらべて、各段に演奏は良くなったと思う。ところが、集音用のマイクを忘れてしまい、録音に大失敗。なかなか何もかもは、うまくは行かない。
 次回は8月の予定。おそらく、また性懲りもなくリールのセットを持っていくのだろう。

 テレビでのスポーツ観戦は好きだが、「開会式」のようなセレモニーや、緊張感の無いフィギュアのエキシビションなどには、興味がない。しかし、北米大陸でのオリンピック開会式となると、いつなんどき大物ロッカーが出てくるかわからないので、一応チェックすることにした。
 結果としては、外れ。ブライアン・アダムスも、k.d.ラングも守備範囲外。ジョニ・ミッチェルは音だけで、当人のライブではなかった(しかも、再放送でばっさり切られていた)。

 そんな中、眼をひいたのは「秋のリズム The Rhythm of the Fall」というセクション。カナダに移住した開拓民が秋の収穫を祝うというコンセプトらしい。この開拓民がケルト文化を持っていた― 多くはアイルランド系だろう ―という設定で、ハープから始まって複数のフィドラーが激しいダンスチューンを奏でる。
 それにあわせて、大勢のタップダンサーが踊るのだが、要するにアイリッシュ・ダンスを最大限にショーアップした演出を加えたもの。リバーダンスのさらなる派手版でも表現はあっているだろう。

 ダンサーやフィドラーたちの衣装に、パンクの要素が入っていたが、これは的外れではない。ロックという複合音楽の成立に、間違いなくアイリッシュ系ケルト音楽は大きな役割を果たしているのだ。
 ロックを形成するにいたる音楽には、主にブルース,ゴスペル,ジャズ、そしてカントリーが挙げられるが、カントリーのルーツであり、もっと暗さや鋭さを保持しているアイリッシュ・ミュージックも、一要素として加えるべきだと、私は信じている。ロック好きの私がアイリッシュ・ミュージックを習うのも、これが理由。
 ロックを作り上げた国の人、その子孫たちは、ロックの中に息づくアイルランドの風を、血の中で知っているのではないだろうか。

 蛇足だが、開会式について。どうも一つ一つのセクションが長すぎやしないだろうか。「秋のリズム」も、あれはあれで良いのだが、長い。ほかも長い。k.d.ラングは長すぎる。
 いろいろ盛り込みたいし、しっかりも見せたい、聞かせたい ― 演出・監督の悩みどころなのだろう。