涙の道2009/06/03 22:40

 「ツアーに出ている間、マイクが僕にくれた、デュアン・オールマンの伝記を読んでいたんだ。」

 去年10月、トム・ペティがインタビューでそう言ったのを読むや否や、さっそく同じ本を購入した。買っただけで満足し、ずっと放ってあったのだが、今日やっと読み始めた。
 オールマン兄弟についてはアルバムは聞くけど、あまり知識がなかったので、いちいち驚いたり感心したりしている。オールマン兄弟が二人とも左利ききだったとは、知らなかった(ギターは右利き仕様で弾いている)。
 一番驚いたのは、読み始めて間もなく、兄弟の父親が撃ち殺されてしまったことだ。

 トム・ペティのロング・インタビュー本「カンバセーション・ウィズ・トム・ペティ」の冒頭もショッキングだった。

 インタビュアー:「あなたのお祖父さんが、フロリダへ向かおうとする自分と家族を阻もうとした男を、ジョージアで殺したという噂は本当ですか?」

 トムが言うには、本当らしい。彼も40歳を過ぎてから知ったとのこと。
 ジョージア州の木材切り出し場で働いていた白人男性のペティ氏は、職場の料理人をしていたチェロキー族の女性と結婚し、フロリダ州へ移住しようとした。しかし、白人男性がチェロキー族の女性を連れていることで、旅の途上数人の男との暴力沙汰になったと言うのだ。

 チェロキー族は北米大陸南東部に多く居住していた先住民族で、アメリカにやってきたヨーロッパ出身勢力との、壮絶な戦いを繰り広げた。
 18世紀、ジョージア州で金が発見されると、チェロキー達はその土地を取り上げられ、抵抗も虚しく、はるか西,現在のオクラホマ州への移住を強いられた。1838年の強制移住では、およそ15000人のチェロキーたちのうち、4000人が旅の途上で病で亡くなったと言う。
 この悲劇の旅路はのちに「涙の道」と呼ばれるようになり、チェロキー以外の部族に課せられた強制移住の悲劇にも、この言葉が使われている。
 チェロキーの人々は旅のあいだ、「アメイジング・グレイス Amazing Grace」を歌い、悲劇に見舞われた自らを鼓舞した。この曲はもちろん、キリスト教の賛美歌だが、強制移住よりも前にチェロキーたちの言葉に訳されて、愛唱されていたのだ。
 今では、「涙の道」を語るとき、「アメイジング・グレイス」は欠かせない存在になっている。

 私にとっての「アメイジング・グレイス」は、ロッド・スチュワートや、ザ・バーズのライブ・バージョンなどもあるが、一番はこれ。1988年、当時まだ収監されていたネルソン・マンデラの70歳の誕生日に捧げられたコンサートでの、ジェシー・ノーマンである。



 ノーマンは、ポップ・ロック・アーチストや、コメディアン、俳優などが続々と現れたステージの、最後に登場した。この、圧倒的な存在感。音楽ジャンルが、やれロックだ、ポップスだ、クラシックだと言うのが、ばかばかしくなるほどの、凄まじい歌唱力。
 最後の歌詞は、「自由よ…」に変えてある。

 チェロキーの一部には、私有地を持っていたごく少数の者や、兵士の強制力から逃れた者たちがおり、ジョージア州にとどまることになった。トム・ペティの祖母がそういったチェロキー族の子孫かどうかについては、「カントム」では言及されていない。
 「テンチ家の兄弟」でも言及しているが、ベンモント・テンチの曽祖父もジョージア州(ニューナン)から、南北戦争後にフロリダ州ゲインズヴィルに移住してきた。
 ペティ家とテンチ家のルーツ。その境遇はかなり異なるようだが、奇妙な共通点があるところに、興味をひかれる。

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