テンチ家の人びと(その1)2008/08/03 23:45

 引き続き、ベンモント・テンチに注目している。カリフォルニアに来るまでジーンズさえ持っていなかった、お坊ちゃまだ。その家族についての情報も、意外と手軽に手に入る。

 ベンモントはベンジャミン・モンモランシー・テンチ判事の一人息子で、姉のキャサリンと、二人の妹ダービー,レイチェルが居る。

 姉キャサリンは現在、タラハシーで弁護士(attorney)をしている。テンチ判事の一人息子は変な金髪のあんちゃんにたぶらかされて連れて行かれてしまったが、この長女は父と同じ道を選んだ。

 妹ダービーは、ボストン・ベル・カント・オペラにも所属したソプラノ歌手で、Ph.D博士号を持つ大学教授でもある。ホームページを見る限り精力的に活躍しているようだ。容姿は兄に似ているが、ベンモントの方が可愛いかも知れない。
 ちなみに、ダービーはミドルネーム。結婚してフルネームはナンシー・ダービー・テンチ・リヒトである。

 もう一人の妹レイチェルは地元ゲインズヴィルに留まり、フロリダ大学内の美術館Harn Museum of Artのコーディネイターをしている。彼女にも音楽の才があるようで、フィドルを弾く。

 テンチ家を父親方で遡ることもできる。まず、我らがベンモントから、順に一代ずつリストアップしてみる。

ベンジャミン・モンモランシー・テンチIII (1953-)
(判事)ベンジャミン・モンモランシー・テンチJr.(1919-2005)
ベンジャミン・モンモランシー・テンチSr.(1873-1956)
ジョン・ウォルター・テンチ少佐(1839-1902)
ジョン・ヘンリー・テンチJr.(1807-1851)
ジョン・ヘンリー・テンチSr.(1774-1826)
ウィリアム・テンチ(1753-1811)
ウィリアム・ヘンリー・テンチ(1694-1777)

 あれよと言う間に18世紀まで来てしまった。アメリカの建国が1776年、メイフラワー号の到着が1620年であることを考え合わせると、かなり凄い。ウィリアム・ヘンリー・テンチ以前は分からないのだが、この人物はヴァージニア州で生まれ、没しているのでその前の代もアメリカで死んでいると思われる。
 最初期のヨーロッパからアメリカへの移民は、それほど数が多くないので姓名が判明しているケースがある。
 メイフラワーの翌年,1621年。プリマスに到着した移民にウィリアム・テンチという人物があり、名前からしてもこの人が最初にアメリカに来たテンチ家の人物かも知れない。(1637年にヴァージニアに入植したEdward Tenches なる人物もあるが、名前からして1621年のWilliam Tenchの方が有力か)。

 さらに、そのテンチ家がイギリスのいかなる家系だったかと遡ると、やおらノルマンディー公爵=ウィリアム一世によるノルマン・コンクェスト時代(1066)に、地主として名前が出てくる…などと言われてしまった。さすがに、ここまでくると眉唾だ。
 眉唾でも、ちゃんと紋章もある。家名の由来となった、魚(テンチ=鯉の一種)が小さく描かれている。このページでは、紋章入りの便箋やら何やらをドルで注文できるようになっている。
 イギリスは紋章制度が厳密なのだが、そのあたりのこともちゃんとクリアしているのだろうか…?

(つづく)